『真田丸』 第30話 「黄昏」

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喜劇作家として登場し一世を風靡してきた三谷さんが、特に舞台では何年も前からビターでシリアスな作劇をして評判になっているのを何度も見聞きしてきた。だから50代になって取り組む2度目の大河では、青春群像だった「新選組!」以上に「切ない」だけでなくシリアスな展開を腕によりをかけて書くんだろうと想像はしていたけど、本当にその通りになっている。

信繁が秀吉の馬廻り衆を命じられたとき、よくある大河の主人公特権とは違うけど、史実の重要人物とうまく絡められるように、三谷さんさすが考えたなーって思って見てた。それが、秀吉の介護をする役目にまでつながると想像できた視聴者はものすごく少なかったんではなかろーか?

信繁にとって秀吉はとても大きな存在なのだけど、とにかく三谷さんがこの秀吉を描きたかったんだろうなと思った。おそろしくて、人間くさくて、老いていく秀吉と、彼を巡る周囲の人物を。言い含められたのに泣き伏す加藤清正も、表情を動かさず(けれど視聴者には万感の思いが伝わる)三成もとてもよかった。

そして信繁。信繁は英雄・真田幸村じゃなくて、本当に普通の人だなあと思う。家族の愛情を受けて育ち、比較的出来が良くて、だからいろんな人に気に入られて、でも時にちょっと思い上がって策に走ったり幼なじみを雑に扱いすぎちゃったりする、進むべき道をさだめられていないがゆえに迷い悩む、普通の人。堺さんうまいなあ。もちろんコヒさんだ! コヒさんがうまいことはとっくに知られてただろうけど、今作の秀吉で、偉大な俳優として認識されるに至ったんじゃないかな。

放送を見たときは、「もうこれで信繁が豊臣につくの確定やん。ばっちり説明できちゃうやん」と思ったけど、やっぱりちょっと違うな。秀吉の出会いとのリフレインで源次郎はこれまでの勤めが報われたような思いがしたと思う、でも「これまで」のために「これから」を決めちゃうのはやっぱりなんか違うな。「これまで」を踏まえて、そのうえで「これから」を見据えるものだよな、うまくいえないけど。だからこれからの展開を楽しみにしています。

ついに秀吉情報を伝えてきた弟に感謝しつつも、弟の表情から、信繁には言葉にしない気持ちがあるのだと悟っている表情をしていた信幸。悟っていながらも、徳川の舅のところに情報をもっていき、真田のこれからを委ねようとする。徳川が動けば、そのときには釘をさすよう命じられた上杉が背後にいる・・・・。熱いな!

稲とおこうが二人とも腹ぼて(あんまり良い言葉じゃないと思うけど、敢えて使いたくなる場面だった)で手紙の受け渡しをしているシーンが、笑えるとこなんだけど妙にえげつなかった。同じ男の子どもが腹に入っている。時代や立場を考えれば別にインモラルなことではない。ないんだけど、自分だったら、稲でもおこうでもやっぱりイヤだと思う。初めて子どもができて、だんだんお腹が大きくなる不思議と喜びを感じる日々に、目の前にまったく同じ状況の女がいるって、旦那様も奥方様/侍女 も誰を責めるところでもないけど、なんかイヤだと思う。そのイヤらしさを意図的に書いてるんだと思う。

で、信幸が子どもを抱き上げたり愛情をあらわすシーンより先に、祖父母が愛でる(しかも祖父昌幸は、入れ込んでいた女が忍びだと気づかずにいたみずからの“衰え”にしょぼくれている状態)シーンを入れてくる。昨今の大河がやたらアピールしては失敗を繰り返していた(と私は思っている)「夫婦愛」みたいなのの思いきり逆張りできますね。さあ来週、徳川!