『春秋の檻』(藤沢周平)…を読んで上橋菜穂子との共通点を思ったり
上橋菜穂子の『天と地の守り人』三部作(新潮文庫版)の巻末で、上橋・荻原規子・佐藤多佳子で鼎談するというスペシャルな企画をやっていて、当然どの話題も興味深かったのだけど、「純文学やエンタテイメントとはちょっと違う文章を書いている」という荻原の発言からは私にとってある種衝撃的な流れだった。というのも上橋が
「藤沢周平の文章が好き」
と言うのだ!! うわー そういえば確かに!! と十代のころから藤沢作品を愛読してきた私、深く頷く。
彼女らは、自分たち(児童文学というかファンタジー文学というのか)の書くものについて「執着心のない文章」「書き込みたくなる自分と距離をとって大事なことしか残さない」「まず線をいっぱい描いてデッサンしたあと消しゴムで消すような文章」などと表現し、次いで藤沢の名が出てくる。いわく、「文章から、読者に風景を感じてほしい。装飾過多はその妨害になる」と。うん、それを藤沢周平が言ったとしてもまったく違和感ないわ!!!
・・・ということで、久しぶりに藤沢周平『春秋の檻』を読んだのであった。藤沢というとウェットな作風と思っている向きも多いようだが(ひとえにいろいろな映画化のせいだと思う)、実際の小説作品を読むとけっこうドライなんである。市井や底流の人生の哀歓を描きながらドライな印象を受けるのは、やはり文章に拠るところが大きい。言葉の選び方と組み立て方が簡明で、ドラマチックな場面でもどこか冷静に書かれている感じがする。
さらに、文章もさることながら、他にも共通項ある気が。
短槍の名人バルサと柔術の名人・立花登。旅から旅を生きるバルサと牢で罪人を看る登。ふたりは共に厳しい環境に身を置くマイノリティであり、その中でまっとうに生きるための強さを持っている。悪者と対峙して負けない戦闘能力と、強い正義感・ヒューマニズム。決してスーパーヒーローではなく、彼らが弱い者に手をさしのべることをためらわないのは、自分もまた「周縁の人」だからであったりもする。
こういうモロモロの共通要素があるから、私、30も半ばになってひっっっさしぶりに読むファンタジーにすんなり入っていけたのね。と、目が覚めたような気分。
で、何度読んでも面白い、このシリーズ。読めば読むほど、考えられた設定だ。お江戸は小伝馬町の牢医、ゆえに出て来る様々な罪人たち。心が冷え冷えとしてくるような環境や展開も多い。それに引き換え、登が居候する小牧家の俗っぽさ! そして23歳の主人公・登。彼の揺らがないヒューマニズムと、底を流れる鬱屈が、相反しないのがすごいんだよね。「若さゆえ」と思える部分と「若いのに」って部分があるのも。一見、相反するものを「違和感をもたせず、しかも魅力的に」書けるのが腕だなーと思う。するすると一気に読んでしまいました。