『きのう何食べた?』9巻 よしながふみ

よしながふみが、ドラマに次ぐドラマ、といったドラマチックさの『大奥』と並行して、日々の食事という平凡でたゆまぬ営みを描く『きのう何食べた?』の連載を長く続けているというのは、本当に面白いなあと思う。

とはいえ、当然、日常の中にもドラマはあって、この巻でいえば、何をおいてもシロさんの言う

「いいじゃねえか、お前と俺だけで」

に尽きる。

もう5年以上の付き合いになる中年のゲイカップル・史朗とケンジが、正月の過ごし方について話すシーン。史朗の両親は健在だが、彼は今年からは正月に帰省しないと決める。「世の中の夫婦のようにカップルで帰省なんてできっこないから」とハナからあきらめているのではない。かつてトライしたうえで、やはり…となったのだ。その経緯が、これまで少しずつ、彼らの日常の中で描かれるのを読んできたからこそ、その孤独感に胸打たれる。

読者のほとんどは恐らくマジョリティである異性愛者で、社会的に認められた夫婦になればこそ、イヤでも互いの実家に帰省するとか、親戚づきあいとかをするものだ。その「イヤでもしなきゃいけない付き合い」の煩わしさのほうが、ほとんどの読者にはずっと身近で、想像しやすいものなのだ。けれど、この「いいじゃねえか、お前と俺だけで」のコマにいきついたとき、ハッとするような、言葉をなくすような気持ちになる。「結局、日の当たるところで生きてはいない」という彼らの抱える本質的な部分が、撃たれたように、わかる気がするのだ。こういうふうに読者をシンクロさせる、このマンガの力を思う。

そして、そのあと間もなく、史朗の母に肺がんが見つかる。

けれど彼らは決して不幸な人間として描かれているのではなく、カップルの関係は良好で、仕事があり、そこでの人間関係があり、地に足のついた落ち着いた生活がある。その象徴が、描き続けられる、彼らの日々の食事である。安い食材を買って基本的な調味料で料理をして、向かい合って、喋りながら食べる。時には友人たちと一緒に、時には一人で。いいときも、悪い時も、その繰り返しがある限り、どんな人間でも暮らしの根っこは揺らがなくて、けれど、どんな人間にもきっと、外からはうかがい知れないような悲しみや孤独も、ある。そういう淡々とした描き方が、このマンガの魅力なんだと思う。