幼児に文字は教えたくない その3(完)
さて、そもそも、なんで私が「幼児時代は文字を教えたくない」という考えを持つに至ったかというと、元をたどれば、この小説の影響が大きいのではないかと思うのです。もちろんこれだけじゃないけど、10年以上前に読んだこの小説が根っこにあって、そこから、実際に子どもが生まれていろいろな情報に接したりする中で、自分なりに「やっぱり文字はなー」ってなったのではないかと。
保坂和志 『季節の記憶』
- 作者: 保坂和志
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1999/09
- メディア: 文庫
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主人公は、妻と離婚して、ひとり、鎌倉で5才の息子を育てています。とはいえ、子育て小説ではありません。なんというんでしょう、日常小説、ダラダラ小説、思索&哲学小説。起承転結がハッキリしたエンターテイメント性の強い作品を好む方には、あまりおすすめできません。でも、すっごく示唆に富んだ、面白い小説です!! ・・・って、これじゃわけわからんな。
そうだ、昔、何度か、この本の感想を書いたことがあるはずだ。「moonshine 季節の記憶」で検索。・・・・・あった。これ。 http://d.hatena.ne.jp/emitemit/20090814#1250261785
以下、当時の自分の感想を、一部引用
◆
「時間ってどういうの(=何)?」
冒頭で父親にこんな質問をするクイちゃん。これに続く父親とクイちゃんの会話もかなり面白いのだが、それを受けて数日後、クイちゃんは今度は近所の美紗ちゃん(24歳)に対して、新たな疑問を投げかける。
「時計は誰も見てないときにも動いてる?」
てか、この疑問、私も子どもの頃に持ってたんだけど、みなさんもそーじゃないですか?!
美紗ちゃんは当然、「動いてるよ」と答えるのだが、クイちゃんはさらに尋ねる。
「どうして? 時計がクイちゃん(=自分)が見てないところで動いてるのはどうやってわかる?」
ここで美紗ちゃんも困ってしまって、父親である主人公に後日、このことを話す。その内容。
「子どものときって、みんなそういうこと思うじゃない。自分の見てる世界は見てるときだけちゃんとあるようなフリしてるけど、見てないときには全然違う姿をしてるんじゃないか?とか、そういう疑問なわけでしょ? こっちのほうが本当は聞きたかったんじゃないかなあ。」
クイちゃんの疑問の本質を解釈するこの発言が示すように、美紗ちゃんは物語の中で、風変わりでもあるけれど、とても賢く魅力的な女の子として描かれている。
また、ある日のクイちゃんの疑問に始まる父親との会話。
「紙をずうっとずうっと半分に切ってくとどうなるの?」
「『ずうっと』ってどれくらいだ?」
「すごく小さい-----」
「クイちゃん、やってみたの?」
「うん。こぉんな、小さいの。」
「そんなに小さく切れたのか? それで最後どうなったんだ?」
「なくなしちゃった。でも本当はなくなってないって、クイちゃんは思ったの。」
これに続く父親との会話の後、クイちゃんには新たな疑問が湧く。
「アリはアリがいる?」
「『アリはアリ』?」
「アリのアリ----クイちゃんの知ってるアリ、は人のアリだけど、アリより小さいアリ、なの。」
(地の文を引用)僕はようやく、「アリにとってのアリ」「アリの世界でのアリ」というような意味だと理解した。
人間にとって人間よりもずっと小さいサイズの生き物の世界があるのと同じように、アリにとってもアリと比べてずっと小さいサイズの生き物の世界があるのかという疑問というか発想は、世界は何段階にも縮小しうるし何段階にも拡大しうるという童話の発想とたぶん同じことで、息子は紙を小さく小さく切っているうちにそんなことを考えたのだろうと思った。
こんな面白い問いを次々にもつクイちゃんが、近所の幼稚園生の女の子によって「文字の読み書き」という刺激を受けたあとで、どう変わったか、、、それは、この物語のドラマチックなところのひとつで(一般的な小説の感覚でいえば、まったく気づかないほどのささやかな展開ではあるけれど)、ここで浮き彫りにされる保坂和志のスタンスは、すごく新鮮というか、驚きだ。文字を書き言語を操ることを生業とする作家でありながら、そういうふうに考えてるんだ!ていう。
(引用終わり)
◆
そう、「文字の読み書きができる」近所の女の子からの刺激で、文字を読むことに興味をもったクイちゃんは、とたんに、現実的で、想像力の無い大人がするみたいな質問をするようになるのです。がーん。や、一時的なものなんですけどね。
私がこの本を読んだのは22,3のころで、それから4,5回は再読したと思うけど、子どもを産んでからは多分一度も読んでないと思う。それでも、「子どもと文字」について、パッと思い浮かんだのはこの本だから、よっぽど強い印象を持ってたんですね。
で、今、ひさびさに原本をパラパラめくってたんですけど、「文字を知ったとたん面白い質問をしなくなった息子」にショックを受けた主人公に向かって、主人公の友だちが、
「字ィ覚えるとか覚えんとか、そんなもん、いっくらこっちがごちゃごちゃ言うても、どうせあと半年か一年のうちに覚えてしまうやろ。おまえはそれを、どうしてもギリギリまで、字ィ覚えるの引き留めよう思ってるんやろ? バッカだな」
とバカにしたあげく、
「おまえはほっとくと、ヒューマニズムのかけらもないこと、やりだすからな。クイちゃんを実験材料にせんことだけは、頼んどくわ。なっ、中野」
と思いきり断罪してたので、超うけました笑
ええ、無理に教え込もうとするのも、無理に教えまいとするのも、どちらも等しく親のエゴなんですよね、極論すれば。わかってますよ。私も、子どもが自分で興味もっちゃったらしゃーない部分はあると思ってて、「なんて読むの?」って聞かれたら、ちゃんと答えてますよ。子どもがたどたどしく書いて見せにくる文字も、ちゃんと読んで、「じょうずねー」って言ってます。でも、鏡文字とか、「を」を「お」と書いてるとか、間違いは、かまえて指摘しないんですけどね!笑 (おわり)