『南の島のティオ』 池澤夏樹

 

南の島のティオ (文春文庫)

南の島のティオ (文春文庫)

 

 

何度でも、夏に読み返したい本。・・・と言いつつ、調べてみたら(というのは昔の日記を検索したということです(笑))、私がこれ最初に読んだの2003年の10月だったんだけど。めっちゃ秋や(笑)。

短編連作みたいな形になっていて、寝る前に一章ずつ読んでいる。
浮き足立ってない、地にしっかり足のついた、ファンタジック物語です。

当時の私、このように書いていますね。うむうむ。そのとおりじゃ。

子どもが幼稚園に入って“社会性”みたいなものにも触れるようになってからは、初めての再読。「子どもにとって豊かさとは何だろう」と感じながら読んだ。

少年ティオの住む南の小さな島(名前は出てこない、これもわざとだろう)についての情報は、

・太平洋の中にある。
・環礁に囲まれていて、隣の島までは600km。
・週に何回か飛行機が往来する。
・ホテルなど宿泊施設は島に4軒(そのうち1軒をティオの家族でやっている)。
・数年前にモーターボートが登場し、従来のカヌーに取って代わっている。
・仕事をしているのは、店をやっている人や役場づとめなど、ごく一部の人間で、あとの人間(特に独身者など)はぷらぷらしてる。それでも、環境的に魚やバナナなどは取り放題で、食べていける。

など。(野球がさかんだったり、第2次大戦で日本軍に侵攻された歴史が描かれるのも、環太平洋地域らしいディテール)。

昔ながらのつつましい生活文化の中に、機械とか現代化とかが、絶妙なあんばいで入っているのだ。

それから、母親や、学校がまったく出てこない。ティオの家にはお母さんはいないのかなと思って読み進めていたぐらいだ。途中で父が「母さんには言うなよ」と言う場面があるから、存在は確認できた。ならばきっと、意図的に登場させていないのだ、母親や先生のような、(たとえ愛情ゆえであっても)子どもを教育したりあれこれ指図したりする存在を。父親はあちこちで出て来るが、そういったことを全く言わない。小説中のティオにはまったく自由が保障されている。

かといって「主人公が大冒険を通じて成長する」という印象の小説でもない。が、ティオが“狂言回し”の役割を担っているだけかというとまたちょっと違う。父親の仕事を手伝ったり、勝手に見たりする中で、あるいは島の子どもたちと一緒に遊んだり、歩き回っている中で、ティオはいろんな人と出会い、いろんな話を聞く。ちょっとした事件があったりする。それらすべてにティオが当事者として積極的にかかわるわけではない。傍観者でしかないエピソードも多い。それでも、「こういうことを繰り返しながら、ティオは成長していくのだろうな」と思える。

カリキュラム化された教育や、さまざまな体験の機会を大人に与えられなくても、ティオは満ち足りた生活をしていて、やがて人間的に豊かな青年になっていくだろう、と思える。

子どもを持つ親の目で読めば、「(都市的な教育の機会等が)なくても大丈夫」なのではなくて、「ないから良いんだ」ってことだよなあと思う。作者の巧妙な設定ゆえに、ティオは豊かに育てるのだなあとも思うのだ。

口うるさく子どもを導こうとする母親や先生がいない。科学や工学は、おおよそ、自分でちゃんと理解できる範囲のものしかない(作者はもともと理工学系の人間だからか、そういった描写もうまいのだ)。人間の埒外にあるものもまだまだ信じられている。いろんな年代の子どもたちが誰からともなく自然に10数人集まって岬へ遊びに行く様子など、現代日本の地方都市に住んでいればうらやましい限り。

ま、だからこういう小説の存在ってすばらしいんだよね。ティオのような生活をさせてはやれなくても、この小説を読んで、子どもたちが物語の中に入り込んだような気持ちになってドキドキしたり、とってもいい気持ちになれるならば、子どもは全然、豊かに育っていけるような気がするもん。


最後から2番目の章、

アコちゃんが元気になった秘密を知っているのはぼくとヨランダだけだった。そしてぼくは自分が何もできなかったことも知っていた。アコちゃんを地面に引き止めたのはヨランダの勇気だ。たぶん勇気というのは男らしさや元気や無謀な冒険心とはまるで違うもので、ひょっとしたら愛と関係があるのかもしれないとぼくは考えた。

というラストでいつも泣けてしまう。

そして最後の章「エミリオの出発」、タイトルどおり、大海原にたった一人で漕ぎ出して出発するのはエミリオなのに、なぜかティオの出発のように思えてならない。成長した友を見送るティオの姿は、いつか遠くない将来、「今度は自分が何かを選び、決めて、歩み出す」ときがくるのだということを強く感じさせる。それはもちろん、これを読む少年少女たちにもいつかそういうときがくることの示唆なのだと思う。

 

★追記。 冒頭に書いた2003年10月の日記に、「池澤夏樹の本が好き、って言うような男の子と友だちになりたい」と書いてあった。あれから12年ほど経ちますがそのような男友達には恵まれておりません・・・