生涯にわたって歴史を学ぼうじゃないですか、平和のために(追記)

ちょっと言葉足らずだったかも、と思い、追記します。前記事での「だいたい日本史を選択しないで高校卒業できるなんてどうかしてると個人的には思う」というのは、「日本史をとらずに高校卒業した人」を「どうかしてる」と思ってるわけじゃなくて、「日本史をとらないでも高校卒業できる我が国の現行制度はおかしいんじゃないか」という意味で書いたものです。

私みたいにオタク気味に歴史が好きな人は少ない。でも、大人になったり、子どもをもったりすると、現在・そして未来は…って考える機会があったりする。そういう観点からあらためて歴史を見てみると、もともと趣味嗜好といった意味で「歴史ラブ」な人でなくとも、とても興味深いものに感じたり、現在・未来への考えを深めるための材料にできたりする。

現在・そして未来を考える一助にする。それが歴史を知る意義のひとつ、歴史の効用のひとつだと思う。

だから、はたちだろうと、30歳、40歳だろうと、興味をもったときから学んで全然OKだとは思うんです。ていうか、本来、そういうときが「学びどき」なんだよね。中学、高校生だと、まだ「社会のなんたるか」とか「○十年後の社会への不安」なんて肌で感じることはなく、どうしても、テストや受験のための単なる知識の詰め込みに終始してしまいがち。

ただ、大人になると、人間、忙しいからね〜。仕事だの家事だの育児だのに忙殺されていれば、おのずと、読む時間も考える時間も限られるし、まったくの畑違いをどこから耕していいものやら、ってなったりする。だから、やっぱり、若いときに齧っておくこと、できるだけ多くの人が、それなりの土壌を一度作っておくことって意味があるんじゃないのかな〜と思ったりするわけで。

車の乗り方って、一度マスターすると、ブランクあっても思い出すっていうじゃないですか、そんな感じで(と、ピッカピカのペーパードライバーの私が言ってみるテストwww)。あるいは、先週の襄@八重の桜的に、「一粒の麦を」できるだけ多く蒔いておくって感じでしょうか。