本気で本気を引き出す人よ・3
とはいえ、自分は当時も今も確かに母校を愛している。そして高校時代の思い出、イメージと分かちがたく結びついていることのひとつが、このラグビー部の西村監督…西村先生だ。ドキュメンタリー中には、先生の自宅にカメラが入るシーンもある。かわいい奥さんや子供を見たときに思わず身を乗り出し、「まあっ」と胸をいっぱいにしたのは、懐かしさや珍しさだけではなく、先生への思い入れあってこそだと思う。そう、特に近しくかかわったわけでもないのに、私の中には先生への慕わしさのようなものがあるのだ。
「人間は甘えの動物だから、厳しいことを言わないと、逃げてしまったり妥協してしまったりする。自主性の前に、猛練習で実力と自信をつけるのが最優先」
ドキュメンタリー中の言葉より。ラグビーの監督としてだけでなく、一高校教師としても、彼はこのモットーを常に貫く。必然的に怖いし、時に鬱陶しい。声はでかいし、ジェントルからは程遠い言葉遣いだし、実はかなりつぶらな目をしてることを感じさせないくらい眼光鋭く、ネズミ一匹も見逃さない雰囲気だ。彼が姿を見せると、体育の授業も学年集会もにわかに緊張感に包まれたものだった。
それにしても、私が高校生だったころ、彼は27,8歳…一般的に考えれば、ようやく一人前の社会人になったかどーか、という年ごろであったのだ。しかし彼がドキュメンタリーの中で語る指導スタイルは、このころ既に実践されていた。20代の青年をしてそこまで完成させしめるのがラグビーというスポーツなのだろう。
迷いなく、揺るぎなく、いっさいの妥協をしない。自分のモットーを生徒たちに遵守させるためには、まず教師である彼自身がもっともストイックでなければらなかった。私たち生徒はそのことを肌で感じていたと思う。へらへら人気取りをしたり、波風立てない授業に終始したりする教師より、生徒のことを考えているのは誰なのか、ということ。先生自身もドキュメンタリーの中で語っている。「自分の指導スタイルは、とにかく真正面から全力でぶつかること。このやり方は、時間の長短はあっても、必ず生徒に通じるという確信がある」。
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私個人の中には、体育会系の血と、それを嫌悪する血とが半々に流れている気がする。というのは別に親からもらった血の話ではなく、自分は中学時代はバリバリの体育会系の部活に入っていたし、もっというならそれよりも前から、「真の楽しさ、喜びを得るためには、苦しんだりもがいたりする必要もある」という人生の一面を身をもって知っていたと思う。一方で、顧問や先輩が専制君主のように振る舞ったり、無意味な規律ばかりを重んじて一寸の虫にも五分の魂があることが忘れ去られがちだったりする体育会系的気風は大嫌いだった。まあ、そういうことが好きな人間もそうそういないだろうが、必要以上にそういうものに対して反抗してしまう面があった。よせばいいのに「出る杭」になってしまうのだ。
そういえば西村先生に対しても妙な反抗心を示したことが一度だけあった。先生が体育の授業中、「女子の着替えが遅い」的なことを例の激しい調子で徹底的に説教した、という、当時のわれわれにとっては何の変哲もない日常のひとコマ。それは女子全員に向けられた説教であり、何も私一人が怒られたわけでもないのに、明らかに周囲より抜きんでて猛烈に腹を立てた私。もちろんその場で「先生はおかしい!」と声をあげるような勇気はなく、女子を代表してやる〜!というほどの気概あるいはがめつさもなく、どうしたかというと、当時、授業が終わるごとに提出を義務付けられていた「体育ノート」的なもの(その日の目標と実践したこと、反省を書く)に、密かにしかひモーレツに、先生への不満をぶちまけたのである。
いわく、教室でそのまま着替える男子に比べ、女子はいったん更衣室まで行く手間がかかること。それでチャイムが鳴ると同時に私たちは教室から疾走しているのであり、その勢いは前の授業の先生に対して礼を失するほどであること。音楽室、理科室などでの授業のあとに体育があるときは、全員が前の授業にも体操服や靴を持参する(教室に取りに戻る手間を省いている)ほど、体育の授業に対して真摯に取り組んでいること。それらの努力や工夫を知らずして単純に男子と比べられるのは甚だ理不尽であり、これ以上、どのようにして急ぐべきか良い案があったら具体的に教えてほしい…。そう、当時から長文を書くことは苦でなかった。ただし当時も多分に駄文であったが…。(つづく)