『平清盛』 第22話 「勝利の代償」

映像化の超レアな保元の乱を見るのは楽しみだったんですけど、いたましい戦後処理を見るのにはちょっとした覚悟のようなものも必要で(20話もかけてたどりついた乱だからってのもあるけど、大の大人にそういう感情移入をさせるぐらいのドラマということだ)、リアルタイムではサッカーを見て翌日に録画を見たら、見たら…なんと予想の斜め上。

戦後処理には2週かけるんですね!泣

うん、確かに、あっちもこっちも、そっちもどっちも、いろいろあるからねぇ…。

しかし、ぶっちゃけ、叔父上には今週で死んでほしかった!(爆) 

や、わかる、わかるよ、ここのドラマを盛り上げるために、叔父上のキャラや、彼と清盛との関係は、第1話からやたら描きこまれてきたわけですよ。先週も目一杯、心の叫び満載の1対1の戦いを繰り広げたわけですよ。それでもう、十分なんじゃないかな、と思ったけどな。先々週の「絆など、ハナっからないわ(微笑)」が、彼に関する感動のピークなんだから、あとは、ずんずんと疾走してほしかった。ちょっともう、お腹いっぱいです。竹馬の「また作ってやる」のくだりとかさ、もうそういうのやめてください、悲しすぎるから(泣)。

源氏のほうは今週もすばらしい描写が続く。父を亡くした鎌田正清の肩をひとつ叩く義朝、見つめ合うだけで言葉はかわさない乳兄弟。そこにもっともらしく出てくる長田忠致! 歓喜して義朝を迎える由良御前、祝辞は言わされても、父の膝の上で仏頂面のままの鬼武者(=頼朝)。会いたいだろうけど表には出てこない常磐

ハイライトはもちろん、由良御前と義朝の問答。敗走した舅を探した理由を、「あなたが不孝者では鬼武者(=頼朝のことですよ、念のため)に示しがつきません!」と声を励まして言ってのけたあと、舅と対面し、戦功をあげた夫が出世して殿上人となったことを、この上なく優しく切ない口調で述べる由良御前が素敵過ぎた。最初はどうなることかとも思ったが、田中麗奈のメリハリの利いた演技にすっかりやられている。てか、由良御前がこんなにおいしい役だったとは。もちろん、為義さんにもウウッな場面でした。コヒさんのなんともいえない表情、値千金。

さてこちらは悪左府頼長、やっぱり、巷間伝わっている「首に矢が刺さる」場面は外せないよなーと思いながら見ていましたら、ああ、すばらしかったですね。先週からの「刀とか血とかこわいこわいこわい、ヒーッ!」モードはいや増しに増しているのに、根っこは天下の大学者。逃走中を襲われ、駕籠から雪崩をうって落ちてゆく書物たちを慌てふためいてかき集めているときに、ピュッと。この突き刺さり方、そのリアクション、山本耕史すばらしかったです。こんな場面に対する感想として変かもしれませんけど、ほんと、いいもんを見た、って感じがしました。

その後、息も絶え絶えに奈良まで行って、父に助けを求めるも門前払いをくらい…ていうのも、わかっちゃーいる場面なんだけど、感動的でねぇ。あれだけかわいがってくれた父にすら拒まれ、真の孤独の中でハラハラと涙を落とし、「父上」と一言つぶやくと、失血で紫色に近くなった顔から真っ赤な舌が…うわーここはちょっと衝撃だった。

あ、今、真の孤独と言いましたが、オウムだけは頼長さんに最後まで殉じたのだった。その翼の最後の力を振り絞って邸宅の中へと入り込み、「父上、父上」と繰り返してその骸を父上の胸の中に預けていました。ここまできたら、絶対オウムの件にもケリをつけるんだろうとは思ってたけど、まさか頼長さんの化身にまでなるとはねぇ。このオウムさん、兎丸にはまったく感化されなかったのにねえ。この放送中に、まさかの“オウム違い”で大きなケリがついていた(でもNHKは速報テロップ出さなかったね)ことは、大河ファンの中で末永く語り継がれることでしょう。

でね、わたくしとしては、悪左府さんは(オウム除く)真の孤独の中で落命した、ってことでいいと思ったんですよね。その孤独とは、彼のありあまる才からくる苛烈さ、増長が招いたものである、と。それが自業自得っていうわけじゃなくて、人の運命っていうのはそういうハカナイ、ワカンナイもんだよね、ということこそが、平安末期の物語の主題じゃないかと思うんですよ。一言でいうと諸行無常

だから、頼長横死の報を受けて彼の邸宅に足を踏み入れた信西が、かの『台記』を見つけるのはいいんですけども、それで読んだ記事が、彼の赤裸々なセックス日記じゃなくて、国づくりに殉じる覚悟を示した部分で、そうよね頼長って高尚な人間だったよね…っていう印象を視聴者に与えるのは、いかがなもんかと思った。

あたしゃ忘れていないよ、悪左府さんが恐怖のあまり四つん這いで逃げる家盛を後ろから羽交い絞めにして“しかとつながって”いったことも、その事実を彼の実父の貴一・忠盛に洗いざらいぶちまけていびり倒してたことも、自分をちょっとdisったからといって、鬼若ことのちの弁慶を100叩きから200叩きに増刑したことも! 人間にはさまざまな面があって、それを肯定も否定もせず、比較的ありのままに描いてるのが、このドラマのいいとこじゃないですか。死んだからっていきなり「いい人でした…(すすり泣き)」みたいなのはねぇ。

話の展開上、必要だったってのはわかるんだけどね。いずれ劣らぬ才をもった頼長と信西は、本当はお互いこそが真の理解者で、頼長を追い詰めた信西には彼の志がいたいほど沁み、そして自らも…という筋書きは、確かに面白いのだよ。

ぽんぽんぽーん!と言葉を連打して上皇流罪を決め、それ以下の武士たちにはもちろん極刑をと言い渡した、彼の能面のような顔。この苛烈さは、このところブラック化の甚だしい信西がハナから腹案としていたものだったのか、それとも頼長の日記を見て何か胸に期するものがあってのことなのか…。そのあたりが、これから描かれていくことになる。それはとても楽しみだ。

ハラハラと涙を流すといえばこの人、上皇さまでもあります。お付きの者たちにお暇を与え、ただひとり残った教長(残ってくれてよかった、よよよ)に「出家したい」と望むもかなわずに、思わず笑っちゃったあとハラハラ泣く姿のなんと哀切であったこと。答える教長のセリフがよかったね。「出家しようにも、僧も、剃刀すら今は自由になりません」っての。あれは、『保元物語』を引用したのかしら。原典にあっても少しもおかしくない名台詞でした。大河ドラマを始め、テレビドラマでは本当によくお見かけする矢島健一さんですが、この藤原教長役は、私が見た中で抜群にいいです。これを(勝手に)彼の代表作とします。

そんなこんなで、あっちゃこっちゃが大変なことになっているのに、ご寵愛のデブ頼と呑気に双六に興じ、最強の女・得子に「いい気になってんじゃないよこのクソガキ、あんたなんか所詮、つなぎで即位させてやっただけなんだから」と正面切って喧嘩を売られて「ゾックゾクするのう、ふはははは…」と父譲りのドMの血を騒がせて喜んでいる翔太の帝に和みます。松雪さんのド迫力も快感ですな。

息子に「大叔父上を探さないのですか」と言われると、「棟梁としてそれはできぬ」とキッパリ言いつつも、実際に彼が捕縛されてくると「俺が探せと命じた、残党狩りにあうかもしれぬと思うと放ってはおけなんだ」と言ってしまう清盛。失意のうちにある叔父を励ますようにこれからの夢を語り、「きっと助けてみせる」と信西を信用してしまう清盛。そしてあっさり裏切られて、絶句し唇をわななかせるしかない清盛を見て、ほれ見たことか、甘っちょろいなという感想も出てはくるんだけど、それって俯瞰してるからこその感想だからね。

このドラマでは、とにかく誰もが己の生を一途に生きている。生きてる最中って、何が最良の道か、何をあきらめるべきかなんてわかんない。己を平清盛と思いさだめ、武士の世を願いつつも、そのためにはまだこの試練が、て感じなのね。

しかしだね、上皇様の悲哀とか、あれだけブイブイ言わせてた(笑)頼長の無惨な最期とか、そういうシーンはもう、まるで歌舞伎の名場面のような感じで見られるので純粋に面白いんですけど、この、叔父さんまわりとか、オウムの骸を抱きしめて泣く忠実、っていうのは、あまりにウェットになりすぎている気がして、来週もちと不安です。

広げた風呂敷はきっちりたたむ、というか、伏線をはって回収していくのはこの脚本の美点なんだけれども、オウムや竹馬に至るまで…って、ちょっと作り込み過ぎているかな、という気がしないこともないときがある…と、奥歯にものの挟まったような文章。や、ここ数年を思えば、月とすっぽんなんだけどね、もちろん。

友切→髭切のエピソード、好きでした。あと、乱から帰ってきての親子での食事シーンもおもしろかった。棟梁の妻スキルの上がった時子が、きちんと尾頭つきの鯛を膳に並べているんだけど、二男・基盛はウップ、むりむり、って退席しちゃうのね。長男の重盛は、たぶんホントはつらいんだけど、つらいというのは武士として恥ずかしいと思って、じっと耐えている。「初陣ってそんなもんだ」と言いながら、自分はもうパクパク食べてる清盛、っていう。