『平清盛』 第21話「保元の乱」

今から週半ばまで旅行なので、チャチャッと更新しときます。普段あれだけ書いといて、こんな大イベントの回を、チャチャッとなんて…ううう、忸怩たるもんがあるぜ。

桶狭間関ヶ原なら、民放も合わせりゃ3年に一度は見られます。川中島や吉良邸討ち入りだって、少なく見積もっても十年に一度は見られるでしょう。しかし、保元の乱保元の乱でございますよ。8つの年から大河(および歴史モノ)を見て25年、初めて映像で見るこのいくさ。次に見るのもきっと30年後くらいじゃないかと思います*1。天体ショーもかくや、というレアさなんですよ! 

そんな、私にとっては金環日食に勝るも劣らない(うそです。完全にこっちが勝ってます)大イベントですが、藤本有紀ともなると、さすがに工夫した脚本を書くなあと感心しきり。リアルな考証と、平家物語伝来の「軍記物」感、それに、この大河独自のドラマ性と、少年漫画チックなの、ちゃんと全部詰め込まれててね…!

賀茂川を挟んで白河殿と高松殿、という二陣の解説をしたアバンタイトルも良かったと思います。そうそう、正統派大河ドラマアバンタイトルってこういうものだったよね、という感じでした。OP終わって、いよいよ乱が!!!と、はやる視聴者の思いをかわすかのように、頑是ない子供の食事風景から始まるっていうのも、心憎い。『坂の上の雲』第三部の「旅順総攻撃」も、こんなフェイントっぽい始まり方が印象的でした。

この時代の戦法に「孫子」を持ち出すとは…!って、そりゃ孫先生は春秋時代の人なので、平安時代に読まれていても全然不思議じゃないんですが、新鮮だったね。

孫子といえば、まずもって思い浮かぶのは『風林火山』で山本勘助が唱える「兵は詭道なり!」。だけど、そこしか知らなかったっぽい武田家の軍師・勘助と比べて、こちらのおふたりさん…悪左府・頼長と天下の大学士・信西さんはモノホンのインテリ。「理に合えばすなわち動き、理に合わざればすなわち止まる…」とかなんとか、異様に長い引用がなされます。

それぞれの軍の首謀者たるふたりともが、同じ兵書の同じ一節を引き、そこに異なる解釈を施して戦の明暗を分ける、って、わかりやすい。負けるほうが正々堂々と戦おうとし、勝つほうが卑怯な手を選ぶってのもお約束なんだけどわかりやすい。すごーくわかりやすいんだけど、2陣を交互に映して進めていったこの一連のシーンは、数多い登場人物を把握しきれていない視聴者には、わかりにくかったそうですorz

親兄弟と敵味方になり、まさに一命を賭してという覚悟でいる義朝の、その覚悟を利用する真っ黒な信西。そんな義朝にドン引きしつつも、ちゃっかり一緒に昇殿を許されている清盛。義朝の昇殿までの経緯だけをクローズアップして、清盛は何の説明もなく昇殿している、っていう演出もすごくいい。義朝を褒め褒めして清盛には「なまっちろい都育ちめ、義朝を見習ってさっさと行けや」なんて言い放つ信西なんだけど、明らかに内心では、清盛(と平氏の財)を重くみていて、義朝のことなんか使い捨てる気マンマンだ。

常磐と由良のシークエンスもいい。殿の武運を祈る正室。「私は殿の無事しか祈ってなかった」という正直な妾。そしてそんな妾に目を細め、「なんてかわいらしいお方」と笑いかける正室。いじらしい妾と誇り高い正室。愛を前面に出す妾と志を夫とともにする正室…! 由良の田中麗奈のせりふまわしが見事。武井咲ちゃんのかわいさも見事。あの、ツンデレ娘だった由良ちゃんがこんなにも大人になろうとは。ここんとこいい女すぎて、徐々に死亡フラグが…! 由良って、叔父上・忠正ばりに描きこまれてるよね、脇キャラで。

心はもやもやしつつも、一門に的確な指示を出していく清盛。“心に弱気を抱えた”弟には、ガツンと言って戦場から去らせるあたり、棟梁の貫録。逆ギレして帰った夫は母ちゃんに泣きついてた。やめてー、もう、和久井さん怖すぎるんだから。のちに禍根が残りまくりそうだから!

あ、前後するけど、悪左府に献策するガンダム八郎為朝が、鎮西の田舎者扱いされつつも、ものすごく正しく美しい敬語を(敵方の帝にも)きちんと使っていたのが好印象でしたね。

そんで、アジる後白河の松田翔太サイコー。先週は、清盛に向かって、清盛の生い立ちをひとしきり解説し、今週は、武士たちに向かって、亡き白河院鳥羽院〜崇徳〜オレという、王家の系譜についてひとしきり解説し…と、なぜか解説担当になっている後白河さん。しかしこれが先週に引き続き、ものすごく朗々とした声音と、豊かな抑揚で、説明セリフを説明セリフと感じさせないものがあります。ものすご高貴でありながら乱世の申し子でもある、というきらきらと輝く眼光といい、翔太さんナイステクニック!!!! 声を張り上げるでも、表情をことさら変えるでもないのに、見事に士気を高めて見せました。翔太帝すてきすぎ!

ここはセリフの内容も良くて、王家のゴタゴタの代理で戦わされる武士たちに、「この戦の主役はおまえら。この戦で勝ったら新しい世の中!」と当事者意識をガツンと植えつけるわけです。「武士の力を本当にわかっておられるのはあの方だ」という先週(先々週だったかな)の清盛の洞察ともきれいに整合するセリフだった。

で、いよいよ戦の火蓋が…なんですけど、あのね、老婆心ながら書いとくけどね、源平のころのいくさは、戦国時代とは、全然違うからね。戦いぶりが。火器もないし(火矢以外)、動員数も少ないし。保元の乱が、戦い自体はわずか数時間で終わる小競り合い程度のものだった、というのも今では定説ですよね。もちろん、その戦が歴史に与えた影響を考えると、やはりすごく大イベントなんですが。

そして、矢を射る前、刀を抜く前に、「やあやあ我こそは○○に生まれた○○の曾孫で○○の孫で○○の子の○○なり〜〜〜うんたらかんたら」と勇ましく(しかしかなりのんびりと)名乗りを上げ、敵味方関係なくちゃんと拝聴するのが、この時代の戦におけるマナーであり、また、見どころでもあるのですよ。一の谷を馬で駆け下りたりしちゃう義経は異端者であり無作法者であり、同時に、だからこそ英雄たりえたわけです。

そんな、平家物語でもこれが面白いのよね〜っていう戦の前の名乗りとか、面罵合戦を、ちゃんとやってくれたのもうれしいです。弟にdisられて言葉を返しもせず矢を放つ義朝。この人、戦に臨む武士のスタンダードな精神状態からも大幅に逸脱しきってますので、マトモな発語もできないんですね。

対する、こちらも義朝の弟、上皇方のガンダムこと鎮西八郎為朝は、平家方ともきちんと名乗り合戦、面罵合戦を行ってました。ほんとに好感度高い人です。アホみたいな強弓も楽しく、鎌田親子、義朝親子との悲劇との対比も鮮やかで、メリハリきいてます。

で、清盛と忠正は、名乗りとか超えて、やっぱりベラベラ喋りながら戦うのよね。そこは「少年ジャンプ大河」「ワンピース大河」というスローガンを掲げる(掲げてませんか?)この大河、主人公が戦うときには心情を吐露するセリフが欠かせない、と。正直、ここが一番、今週のリズムを断ち切ってた気がするんですが、まあ、作り手のポリシーに敬意を表したいと思います。

忠正叔父さんの「おまえの中のもののけの血」発言、もう、この人のせりふはどこまでが本心でどこからが清盛アシストなのか、よくわかりません。でもその説明不足がいい! 戦後処理のときに明らかになる部分もあるでしょうしね。それを受けた清盛の「おれはもののふだ! おれはもののけの血に勝ってみせる!」宣言からして、ともかく結果的にはとことん清盛アシストしてる叔父上。

それを見てる兎丸が呆れてるってのも面白くて、武士たちは固唾をのんで見守っても、武士じゃない彼には理解のできない葛藤であるということ。それで「やってられねー」と戦線離脱したかと思いきや、大きな丸太を運んで来て門をぶちあける、って描写もすごく面白かったです。ぶちあけてから刀を振り回しながら、兎丸(なにげに兎ウサギ書いてるけど加藤浩次さんですよ念のため)ったら哄笑してるのもいいよね。そう、身内同士で戦うつらい戦だけど、戦いには単純に男子を昂揚させるものもある…て面を、為朝や兎丸で表現してくれたのが良かった。

鎌田親子(泣)、敵方についた息子をかばって矢を受け、瀕死の重傷で己の主のところに戻って主を最後まで励まして息絶える通清(泣)。それで悪左府を勇ましく怒鳴りつけ、義朝にはもう、どうしようもなくわめきながら襲いかかる為義(泣)。「友切」を抜きながらも、一言もなく、父の太刀を受けることしかできない息子・義朝(泣)。鸚鵡の歯の浮くような褒め言葉がむなしく響く悪左府(泣笑)、生足が見えた悪左府(笑)。

火に包まれる御殿で叔父を探す清盛を、忠清が静かに止めるのもいい。この忠清が、平時は完全なおバカさんでコメディ担当なんだけど、こと、戦となると、ものすごく頼りがいのある、しかし筋肉バカって感じでもなく、静かな腹の据わり具合を見せてすごくいいですね。しかも、今回は、わざわざ伊勢から出てきた仲良しの弟が、討ち死にしたばっかりだったのに、あの落ちつきようってのが泣ける。

保元の乱で落とされた白河殿を、亡き白河院の世の終焉であるとする脚本には背筋がぞくぞくするほどでした。「わかったか、清盛」と挿入される回想シーンの、なんと効果的なこと。うまいっ! うますぎるっ! 「武士の世はそう簡単には来なかった」という頼朝のナレーションで引き。毎回の幕を引く頼朝のナレーションにも、毎回のようにぞくぞくさせられてます。視聴率は絶不調でも、内容が絶好調すぎる…!

あら? チャチャッのつもりが、書き始めたら、けっこうこってりしちゃったわね。水でも飲んで寝る。数時間後には南の島行きの飛行機に乗ります!

*1:こんなにも視聴率が悪い悪いと言われてるんだもん。どう考えても向後この時代の作品ってそうそう作られないよな。50年後くらいかも