『平清盛』 第15話「嵐の中の一門」

これまで見てきていると、今週の流れにはひとつも無理がない。

悪左府頼長に何もかも差し出してしまった(!)家盛が失意のうちに落命するのも、母・宗子が亡骸に触れようとした清盛を激しく制するのも、堪えてきた義姉が取り乱す姿を見て、身内に情の深い叔父・忠正が清盛に「おまえが死ねばよかったんだ!」とまで言ってしまうのも、「心の軸を乱された」状態にある忠盛が、その座にありながら制することすらできないのも。

そして、一門の衝撃、憎しみを一身に受けた清盛が、何ひとつ言い返さず、屋根にのぼって豪雨に打たれ悄然としている姿も。ここまで丁寧に描かれてきた各人の状況、心情を思えば、この大事件にあってのそれぞれのリアクションが、当然のこととしか思えない。

安いドラマであれば、ここで、奥さんの心をこめた励ましで感動的なシーンを作ろうとしたりするんだが、このドラマはその手は使わない。時子は心から清盛を慕っていて、清盛もその気持ちを得難く思っているのは、すでに先週示されていて、今回はもう繰り返さない。時子のいたわりも、清盛を芯から癒すには至らないのだ。

この大河は主人公を徹底的に孤独に追い込み、容易に安息を与えない。それは、見る側の閉塞感にもつながり、日曜8時のお茶の間にしてはカタルシスが少なすぎるということから、視聴者が与しにくい面もあるのだろう。

興味深くも気の毒なのは、宿命を背負う主人公に対して、「あれほど孤独な人は見たことがない」という妻・時子の限りなく同情的な目線よりも、「騒々しくしでかしたかと思えば、そのあとはくよくよ悩む」というポッと出(笑)の末弟・頼盛による評のほうが、視聴者に受け容れられている点である(笑)

しばらく前から登場しながら終始うつろな目で己の何たるかを見せなかった頼盛は、今回、意外に冷静な観察者ぶりを見せたわけだが、これは当然、後年の彼の運命を視野に入れたうえでの、藤本有紀らしいキャラクター付けだろう。

ともあれ、つねに渦中にあって拙いながらも己の意志で行動し、だからこそ懊悩する主人公よりも、もっともらしいことを口にするだけの傍観者に票が集まるというのは、現代ニッポンの風潮として象徴的にも思えるなあ。

頼盛の清盛評はあくまで限られた機会における観察からくるものであって、本来、視聴者のほうがよほど俯瞰した視点を持ち得ているのである。私は思う、清盛は成長しない主人公ではない。

“無頼の高平太”時代なんてもはや遠く思えるし、一門にもこれまでの年月にさまざまなことが起きた。完ぺきとまでは言い難くとも、脚本・演出はそれをきちんと描いてきたし、松山ケンイチも、ストレートなようで実は繊細さも兼ね備えた確かな演技で表現してきたと思う。

家盛の変化によって揺らぎ、その死によって折れる寸前まできていた心の軸を、頼長によって完膚なきまでにボッキボキに折られた(舞子の形見たる鹿角も、宗子にボッキボキに折られてましたね…)忠盛の血の叫びは、まさに清盛の額を割って鮮血を滴らせる。つねに寡黙で偉大な存在だった平氏の棟梁が、絶望しあきらめる姿を見せたとき、少しずつ成長してきた清盛は、ついにそれを受け止めて一歩も引かない。激することも拗ねることもなく、傷をも厭わず、ただ己の意志、弟を思う気持ち、かつ、前に進もうとする気持ちを貫く。

老いの色も濃くなってきた父は、遠からず世を去るようで、彼のみは息子の飛翔を確信して逝くのだろうが、おそらく一門が清盛を疑いなく棟梁と仰ぐのはまだ先だろう。鬼っ子扱いがこんなにも長く続くのは、脚本に芸がないからじゃない。こんなにも乗り越えることの困難な歪みを抱えたまま、清盛と平氏はこの先の激戦に突入していく、というふうに描く、という意志なんだと思う。

そして平氏だけでなく、源氏も、王家も、藤原摂関家も同様に、一門の中に容易ならざる歪みがあって、そんな彼らが、近いうちに刃を交えることになるのだ。というよりも、それぞれに抱える火種があまりに大きいからこそ、分裂し、他の閥と結びついてはまあ離れ…という怒涛の歴史の展開が生まれるんだろうし、その中で、数奇な星の下に生まれた清盛が一度は栄華を極めることのドラマチックさも際立つんだろう。

どこもかしこも身内でコチャコチャやってばかりでスケール感に乏しい、という批判も見かけるが、ここをしつこいぐらいに描いているのは布石だと私は思っている。だから、途中で安易なカタルシスを与えるわけにはいかないのだ。その代わり…ではないが、それぞれの登場人物に非常に人間くさい(または物の怪くさい笑)味付けをしたり、さまざまな(刺激的すぎる笑)ネタを提供したりという工夫が凝らされているから、飽きずに楽しめる視聴者もいる一方で、しょせんそういうのは小手先でしかない、と見ている人も少なからずいるもよう。

ま、感想は人それぞれで当然なんですけどね。

今回は特に、嵐の中の平氏一門のみなさんが熱い演技を見せてくれた。これまで徹底して大人だった和久井さんや貴一の激昂は大迫力でした。最後、血曼荼羅を見ての宗子の翳りのない笑いは、「え、いいの?これで癒されたの?」と思わんでもなかったが、一年経ち、清盛の弟への思いの真なるところを見て、家盛が遺した「笑ってほしい」という最期の言葉を思い出したんだろう…と補完する。そういう補完が苦にならないくらいの、三者(忠盛、宗子、清盛)の演技ではありました。てか、それまでつらすぎたから、宗子さんの笑顔が相当な救いに感じたよ…。

そもそも、宗子さんは悪左府・頼長のサイテーなネタバレを聞いてないんだしね…。いやーあの場面。松の廊下の浅野内匠頭もなんのその、の忠盛の可哀そうさ加減だった。底意地の悪さランキング、完全に、頼長>吉良上野介だよ。

「少しばかりおだててやると、何もかも差し出しおった」「家盛と私はすべてにおいて、しかと結ばれた仲であったゆえ」(新しい愛人を振りかえって)「なんじゃキミハル、死んだ者の話じゃ(気にすることないんだぜウッフン)「家盛、天晴じゃ。さすが武士の子。見事なる犬死じゃ」 

このときの悪左府さまの目の輝き〜〜〜ってか飛び出し具合〜〜〜! 許し難い悪魔なんだけど、あまりに嬉々として演じる山本耕史に惚れ惚れしてしまう。

それに、「身の程をわきまえぬ野心を持つ者は、苦しみ抜いて死ぬということよ」というセリフは、もちろん彼自身の運命を念頭において言わせているわけだよね。相変わらず、細かい。

清盛が神輿に矢を射て始まったような一連の事件が、清盛自身が曼荼羅に筆を入れる(しかも己の血で)ことでひとまずの終焉を迎えるのも面白いし、のちの運命を念頭にといえば、義朝が常磐に言う「親の役に立てるのは何よりうれしいことだろう」のセリフも同じですね。常磐ちゃんのメタモルフォーゼや、第一話以来となる、妖艶な夜の入内の儀式など、映像的にわくわくさせられるシーンもあって、わたくし今回も楽しませてもらいました。