『不実な美女か貞淑な醜女か』 米原万里

不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)

不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)

私なんぞがあれこれ述べるのはおこがましい、敬愛すべき米原万里女史である。

衝撃のデビュー作となった本作は、彼女自身の言葉を借りれば、彼女を「15年間食わせた」通訳という職業についてのエッセイ。いや、そう一言で括っては、あまりに片手落ちですね。

通訳の姿は誰もが目にしたことがあるだろう。来日したスターがテレビ番組やらイベントやらに出演する際、たいてい隣に付き添っている。男の場合も女の場合もある。そんなに若くはない場合が多いように思う。だいたいそれぐらいの印象しかない。彼らは黒子なのだからもちろん目立つことはない。なんとなく、成績優秀で真面目で、かつ地味な人がつく職業という印象がある。だからこそ、かつて自らもエキサイトしながらトルシエの熱弁を伝えていたダバディーが、変り種として注目を集めたわけだ。

しかし、そんな「地味」で「マジメっ子」な印象はこの本を読むと一変する。文学部出身者が多数を占める通訳業界だが、その派遣先は、文学や歴史、芸術、教育といった、彼らのなんとか手の届きそうな分野にとどまらず、政治、経済といった企業の利益や国益までもが絡む世界、あるいは軍事とか宇宙開発とか医学、新素材といった、まったくの門外漢である科学技術系の世界であることも多い。しかも、そのようにありとあらゆる現場を日替わりといっていいほどの速さで渡り歩くのが常。そこまでしないと食ってゆけない過酷な稼業だという。

よって、毎回の現場に就く前に、業界周辺の基礎知識や専門用語を猛勉強しなければならないのはもちろんだが、それより何より、「怖いもの知らずで難しい仕事をホイホイ請け負ってしまう蛮勇」や、「おおらかな心意気」、「人間に対する飽くなき好奇心」をもった人物であることが、通訳としての適材ということになる。

そこへいくと、彼女はロシア語通訳の至宝であったろう。初めて日本人の宇宙飛行士が誕生する際、その選考の一環としてソ連の宇宙医学専門医が行う詳細な検査に立ち会ったときのこと。第一声で男性被検者たちに向かい「パンツを脱いでください」と言い放ち、あれこれの検査の結果、「Oさんの陰嚢の鞘膜腔を触診した結果、腫瘍らしいシコリが発見されましたので・・・」と電話で通訳するも回線の状況が悪く相手が何度も聞き返してくるので、「えーとですね、Oさんのキンタマのしわをですねぇ・・・」と怒鳴ったエピソードなんかは抱腹もの。

その度胸の良さ、毅然としたふるまいは、初訪日したエリツィンを2週間にわたってアテンドし、気難しく誇り高い彼をして、別れ際に「キスさせてほしい」と懇願させた、というから折り紙つきである。*1

「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」とは、「不実な美女=原発言を不正確に、しかしその場の雰囲気に合った聞き栄えのいい訳文」、「貞淑なブス=原発言を一字一句逃さず訳しているがいかにも響きが悪い訳文」にたとえ、常にどちらを選ぶか迫られる通訳者の苦渋の立場をあらわした名タイトルであるが、そのユーモラスな響きでは伝えきれないほどの彼女の才智と、人間性が詰まった本でもある。

珍しい職業をおもしろおかしく紹介するだけではない。言語が異なるということは、文化が、考え方が、交渉術やコミュニケーション方法が異なるということでもある。彼女ら通訳者は、それらの相互理解や円滑なコミュニケーションのために日々奔走する。ちょうど、ソ連邦が崩壊し、新たな独立国が次々に誕生するという、ロシア語通訳者は「自分も含めてすべて死に絶えてしまうのではないか」と危ぶむほど、多忙を極めた時代でもあった。当時ソ連外相であったシュワルナーゼの、グルジアなまりのロシア語による「独裁がやってくる」という辞任会見のくだりなど、激動の時代にも立ち会っている。

また、母語以外の言語に携わってきた者として「ことば」についての考察にも深いものがあり、といっても眉根を寄せてお勉強するような感じで読むことはない。なんたって、エピソードもたとえも下ネタ含むユーモア満載だから。それでいて、巻末に付録された、読者からの投書に返信した手紙の真摯さといったらどうだろう。彼女の死後、編集者(や、ご遺族?)が判断して載せたもの。つくづく、夭折が惜しまれてならない。

*1:ちなみに、このエピソードはもちろん、彼女自身によってではなく、巻末の解説で彼女の仕事仲間であった人が綴ったもの。