『魔女の1ダース』 米原万里

魔女の1ダース―正義と常識に冷や水を浴びせる13章 (新潮文庫)

魔女の1ダース―正義と常識に冷や水を浴びせる13章 (新潮文庫)

頭の良い人の著作を読むと、自分まで頭が良くなったかのような気がする、単純バカなあたくしである。この、知性、感性、教養、論理的思考力、国際経験、文章力、構成力…。すばらしい切れ味。こういう人を才女というのであろう。

そんな米原さんが、猥談にしろスカトロにしろ、とにかくシモの話がお好きなことは、これまで拝読したほかの著作からも存じ上げていたのだが、「あまりの聡明さをオブラートで包む、一種の隠れ蓑かしら」とか「並みの下ネタ好きでも、卓越した知性が並々ならぬ表現をしてしまうのかしら」ぐらいに思っていたわたくし。今作を読んで、わかった気がした。並外れた、国境や文化を超える多彩な経験を積んだ人だからこそ、「人種や職業や立場にかかわらず共通する性欲や排せつ欲・・・特に、貧富の差や文化・嗜好の違いにより千差万別だろうインプット(食)に関わらず、ほぼ同じ(であろう)アウトプット(出すもの)」という深遠な普遍性に惹かれたのだろうと。そこには何にも属さず、どんな権威にも屈しない、日本人離れした強烈な個人主義精神が感じられる。や、私のこんな文章読んでも、全然わかんないでしょうけど、米原さんのそのあたりの記述を読むと、大変、腑に落ちるのです。

そんな、誇張ではなく数えきれない笑い話をとりあげながら、言語学、心理学、文化人類学的な気づきを提示し、さらにはそこから、人類のもつ残酷さや、それと紙一重の希望にまで発展していく論の展開は圧巻。特に心に刻まれるのは第7章、第10章、第12章(タイトルから、当然、全12章かと思いきや、“魔女の”1ダースは13から成立するのである)。文化的・歴史的無知の傲慢や経験主義の限界が旧ユーゴ内戦の悪しき引き金となってしまったこと。マルマルマル語など、ロシア語に近いロマンス語系の母語を話す学生よりも、初歩をしっかりとやらざるを得なかった日本人がロシア語を極めたことなど、「近きは遠く、遠きは近し」の例は、さまざまな物事への警告と同時に、希望や激励でもある。

そして12章「人間が残酷になるとき」で挙げられるエピソードの一部はゾッとさせられるものだが、それは真理であり、心に留めておきたいものだ。「愛国主義はゴロツキの最後の隠れ屋」というサムエル・ジョンソンの言葉に対する、アムブローズ・ビアスの「いや、愛国主義はゴロツキの最初の隠れ屋だ。野心家なら誰でも転化したがる代物で、点火しやすく、すぐ燃え上がるガラクタ」という定義、そして愛国者についての「政治家にはバカみたいに騙され、征服者には手もなく利用される人間」という定義…。ちょっとした右巻きの方は烈火のごとく怒るかもしれないが、このあとに続く説明や、前後のエピソードを見ると、右とか左とかにこだわるのって井の中の蛙だな、って感じが、すごくする。7

米原さんを通訳の世界に導いた人物として、彼女の著書の読者にはおなじみの徳永晴美さん(男性です)による解説、

通訳、異文化コミュニケーション論、IMF・ロシア国際経済論、人類史、宗教、文学、読書、教育、ハンサム、恋愛論、アリストテレス以来の政治学など、目が回るほどのテーマ展開で、逆転の発想を披露する。宝石箱と汲み取り式便槽の中身を一挙にぶちまけたような、おぞましい知の万華鏡の世界だが、恐れてはならない。

って文章がものすごくて、さすがは米原さんの師だと思ったw