『父として考える』(東浩紀・宮台真司)

父として考える (生活人新書)

父として考える (生活人新書)

社会学専攻の友だちから借りた本・第4弾は、これまでに借りた本の著者、宮台真司東浩紀の対談。2010年の出版なので、まさにふたりの最新の思考の一端が収まっている本ではないでしょうか。

特に宮台の主張は『日本の難点』(2009 幻冬舎新書)とかぶっていることもあり難なく飲み込めたし、それに対して東が疑問を呈したりすることによって、さらに重層的に考えられた。というと、なんかむちゃくちゃ真剣に読み込んだみたいだけど、そういうわけでもありません。

おしゃべり感覚で進んでいく本なので、するすると滑らかに速いスピードで読みました。まえがきにあるとおり、いわゆる“育児本”ではないんだけど、いずれも興味深いトピックばかり。子どもをもつと世界の見方ががらりと変わるのは私も既に感じていて、そういう人が共感できるだろうことはもちろん、いつか子どもをもちたいと思っている人や、子どもはいなくても、今の社会、これからの社会について考えてみるのもいいかな、ぐらいの感覚のある人にはきっと面白い本だと思います。

とかく、子どもをもつことがいかに大変かということ、あるいは逆に、我が子がいかにかわいいか、子育てがいかに楽しいかということを喧伝する情報に触れることも多い中で、こういう本は貴重かもしれない。数々の問題を指摘しながらも、ポジティブなイメージの本であることもオススメの理由です。人間は、知恵や勇気や優しさでさまざまな問題を乗り越えていける。そう思える気がしてくるのです。

以下、面白かったところ共感したところ抜粋。長いです。

  • (東)育児か仕事か、というのはあまりにも単純な二項対立です。現実に目を向ければ、仕事でも人生は充実するが、育児でも充実するし、そもそもどんな人生でも何かしら充実は達成できる、それが真実という他ない。(中略)結局、問題は、それぞれが選んだ、あるいはたまたま選ばされてしまった人生に応じて、どれだけそれぞれの能力を社会に還元できるかということです。勝ち組・負け組の議論はいかにも貧しい。
  • (東)たとえば六本木ヒルズ東京ミッドタウン。いっけん都市再開発の似たようなビルに見えるわけですが、子どもを連れていきわかったのは、じつは六本木ヒルズのほうが子連れ家族にやさしいということです。ぼくはよく買い物に行くのですが、そういう差異はベビーカーを持って出かけなかったら気付かなかったかもしれない。かつて三浦展さんがショッピングモールに覆われた風景を「ファスト風土化」と批判しました。似た問題意識を持つ方は多いですが、僕はその見方はあまりに一方的だと思う。実際、若い子連れの夫婦があまりお金をかけずに一日遊べて、買い物もできるという意味では、ショッピングモールほど便利で快適な場所はない。
  • (東)たとえば昔の団地は、それこそ部外者でも簡単に入れたし、屋上にも上がれた。(中略)ひところで言えばセキュリティがゆるかった。いまはそういう空間はない。その変化は確実に犯罪の減少に寄与しているはずです。(中略)しかし、それが子どもにとって遊びにくいこともたしかなんです。(中略)しかし親には同じ空間が安全な空間に見える。このギャップが本質だという感じがします。親になるというのは、そのギャップに自覚的になるということです。
  • (東)彼らヤンキーの間に相互扶助が発達しているのは、みな地元に職をもっていて、同じくらいの歳に子どもをつくったからなのだろう、ということです。ひるがえって考えてみるに、僕の場合はそういう条件がそもそもない。いま育児の相互扶助をおこなううえで大きな障害は、そもそも子どもをつくる年齢がみんなばらばらになっていることではないでしょうか。たとえ子どもの年齢が近くても、親の社会的地位や経済力は離れている。
  • (宮台)こうして東さんと一緒に会っても、家まで30分で帰れます。(中略)その意味で、「ひとり一部屋」の子ども部屋のために遠くに住むのは本末転倒。部屋数が少なく、子ども部屋を共有したとしても、都心に住んで家族と交わる機会を減らさないほうがずっと重要です。
  • (東)仕事か育児か、公か私か、ゼロサムのバランスで考えている限り、子どもをつくることはコストとリスクだけ高くてベネフィットが見えない愚かな選択とならざるをえない。
  • (東)本当は子育てなんて、準公的どころか公的活動そのものです。子どもがいなければ、そもそも社会が存在しないのだから。それがなぜか、「お前が好き勝手に子どもを育てているだけだろ」といういびつな感覚が、若い世代を中心に蔓延している。それは変えていかなければならない。
  • (宮台)「困ったときに助けてくれるひとがいるかどうか」なんです。「だれかに助けてもらえるかどうか」は、「だれかを助けてあげられるかどうか」と表裏一体です。「愛されるかどうか」は「愛せるかどうか」と表裏一体です。
  • (宮台)複雑な社会システムにおける人間関係を実り多きものとして生きるために必要な構えは、「期待水準の低下にもかかわらず、願望水準を高く維持すること」です。それには、実部に虚部を重ね焼きして体験する、複素数的な意味加工の訓練が必要です。それがないと、コミットメントも絆も生まれない。