『お姫様とジェンダー』 若桑みどり / 「ママじゃな」2年半と朝ドラやなんかで、ジェンダーを考える最近
お姫様とジェンダー―アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門 (ちくま新書)
- 作者: 若桑みどり
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2003/06
- メディア: 新書
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「男らしさ・女らしさって何だろう?」と問われたら、いろいろ思いつくものだ。そういう固定的観念や、固定的観念によって築かれる性別役割分担、それらをもとに作られた通念や習慣がまかり通る社会。このような、「社会的・文化的性差」をジェンダーという(対して、生物学的な性差をセックスという)。
女子大のジェンダー学の講義をもとに編成された本。講義は、ディズニーのプリンセス・ストーリーのアニメを題材にしている。取り上げられるのは、『シンデレラ』『白雪姫』『眠り姫』。
アニメを見た女子大生たちの賛否両論の感想が、講師によって読み上げられる。
【肯定的な感想】
・女の子であれば誰もが憧れ、夢見るお話だと思います。
・美しい白雪姫に、ステキな白馬にまたがった王子さま。子どもに夢を与えるといっていいものだと思います。
・王子さまとの結婚が女の子の永遠の憧れで、これは大人になっても変わらない思いである。決して作り出された夢などとは思いたくない。
・シンデレラのように待ち続け、祈り続けるだけではだめだとわかっていても、やはり心のどこかで憧れてしまっている自分は・・・(後略)
・義理の母や姉にいじめられながらも「つらいときも信じていれば夢は必ずかなうはず」と歌い、幸せを夢見ていたシンデレラ。それは女性にうまれてきたことからくる心理であり行動なのです。私を拭埋め、多くの女性はシンデレラに共感しました。
【否定的な感想】
・私がシンデレラを見て、一番気になったのは、ハンサムでスタイルがよくお金持ちの男と結婚することが一番いいことだということが、あまりにも露骨に描かれていることである。
・白雪姫がこびとの家をみつけたとき、家のなかは散らかり放題で、洗いものもしていない状態だった。どうも昔から掃除洗濯、料理といった家事は女性の仕事で、男性は外で働くというイメージがある。考えてみれば7人のこびとはみな性格が違うのだから、ひとりくらい料理や家事が得意なこびとがいていいし、分担して家事をやればできるはずだ。
クライマックスで王子が白雪姫を助けるというのは、女性は男性に助けてもらうものだという考えをうむ。
◆
これらのおとぎ話について、講師(筆者)のまとめ。
○他律的な女性の人生設計・・・理想の男性を待ち、彼と結婚し、その地位財産を共有すること。これが女性の「幸福」。
○社会上昇志向・・・階級の高い男性との結婚によって低い地位の女性が階層を上ること。これが女性の「成功」。
○幸福になる女性の条件
・白い肌 赤い唇 黒い髪
・小さい足
・孤児(かわいそうなよるべない境遇) 男性の保護と優越性を確認させる
・働き者―――家事をよくやる
・素直 従順 明朗 やさしい という性格が幸福をもたらす
○「待つ」「助け出される」女性に対し、王子(男性)は武器を与えられ、危険を乗り切り、悪者に立ち向かって勝利し、道を切りひらく姿が描かれる。
◆
上記のような解釈・まとめ方は極端で、「こういった物語が現実の女の子~女性たちのあり方に影響を及ぼしている」というのはエキセントリックだ、と思う人も多いだろう。他愛く微笑ましい“おとぎ話”(=現実の話ではない)じゃないかと。
でも現実の社会は、また女の子や女性たちの言動はどうだろうか? 筆者は書く。
・少なくない女の子たちが、小さいときからプリンセスにあこがれて、関連商品や可愛らしい服装を欲しがる。消費社会はそのようなニーズをどんどん掘り起こし、どんどん商品を売る。少し大きくなると、髪の毛や爪の手入れをしたり、ダイエットに励むようになる。
・同時期の男の子に提示され好まれる商品は乗り物やロボットや武器であり、それらが「道具」「使いこなすもの」であるのに対して、プリンセス願望は女の子自身の顔や体、引いては心(生き方)に入り込んでしまうものである
・多くの女性はおしゃべりのような私的言語では雄弁だが、公的言語では沈黙したり、大きな声で明晰に理論的に話すことが苦手である。それはどちらかというと「男らしさ」だとされていて、女性は求められた経験が少なく、むしろはっきりと自己主張するのは女らしくないと敬遠されがちなことである。
・おとぎ話は王子さまとの結婚式で終わるが、言うまでもなくそこからの人生は長い。若さと美しさを失ってから自分の価値が失われたと感じ、年を取ることに悩み、抗う女性は多い。
・子どもや家庭という「私的領域」における幸福がその受け皿になりがちだが、それはいずれ「介護者」としての役割にもつながる。そのような「他者中心」な生き方を女性に担わせがちな社会は平等だろうか? また、そのような生き方が女性にとってスタンダードであることは、子どもや家庭を持たずに年を重ねる女性を苦しめることにもなっている。
・このような固定的なジェンダー観は、当然、男性にとっての抑圧にもなる。女性には求められない「責任感」や「たくましさ」「働き続けること」を個性に関係なく一様に期待されて、自由な生き方の可能性を奪っている。
胸に刺さる指摘が多かった。
というのは、私が「ママじゃない私、ポートレート」でインタビューを担当していて2年半、ここのところ「男女の非対称」について考えていたからだ(だからこの本を手に取ったのだともいえる)。
「たまたま同じ年頃の子どもを持っていても、“○○ちゃんのママ”ではなく、一人の人間として、みんなどれほど個性的で、どんなに多様性にみちているか」
を知りたくて、示したくて、始めた企画だった。多くの人に取材して、また、幼稚園などでもいろんなママに知り合い、それは強い確信になっている。「ママじゃな」サイトでもそれを示せていると思う。
その人数が増えていくにしたがって思うようになったのは、
「育ち方や性格、学生時代や独身時代にやっていたこと、生活スタイルやご主人の人柄などなど・・・こんなにも人それぞれ違うのに、
“結婚して(出産して)仕事を辞めた” とか、
“家事育児のほとんどを自分が担っている” とか、
“将来的に働くとしてもパートかな” とか、
そういうところは驚くほど多くの人に共通している」
ということ。
私たちは個性や価値観にかかわらず、かなりの部分で、社会の仕組み・通念の中で生きてるんだなーと思う。
もちろん、そもそも「ママじゃな」をやっている私とちひろちゃんが専業主婦で、子どもを通わせているのが幼稚園だから、フルタイムで働くママ友や(“ママじゃな”の)モデルさんが少ないんである。でも、フルタイムで働く女性が統計的に少ないのも現実だろうし、たとえフルタイムで働いていても、子どもの送り迎えや家事を担う割合が多いのは女性だろうと思う。
夫は残業や休日出勤が当たり前で、母子ですごす時間がすごく長い人も多い。たまたま夫の理解や協力が得られているモデルさんやママ友は「私はラッキー」「恵まれている」と言う(私もそう)。
女性たちが「仕事を辞めたこと」を後悔しているか? といえば、そうではない(私もそう)。それはある意味リセットになっているし、「もともとそんなに好きな仕事じゃなかった」と言う人も多い。
でも、思うのは、就職する時点で、女性は男性に比べて補助的な仕事や一時的な仕事を割り当てられることも多いのだ。社会がそういうふうになっているし、そういう社会に生きているから、男性も女性もみんな、それが当たり前で疑問を持ちにくくなっている。
「だから社会が悪い(私たちは悪くない)」と主張したいわけじゃないんだけど(いや、それも一理あるんだけど・・・フェミニストって、そういう主張が怖いなとかちょっと他力本願じゃないかと思っていた)、こんな男女非対称の社会は男性にとってもどうなのかと思う。
夫が仕事に行き、子どもを幼稚園や学校に通わせて専業主婦をやっているから、「ママじゃな」で取材したりされたりできる。私たちの夫にそういう時間はない。幼稚園の送り迎えや出ごとは大変なときもあるけど、そういう時間で子どもの可愛さ面白さや成長をつぶさに見ることができる。比べて、夫にそういう機会は少ない。結婚しても、子どもができても、男性には仕事を辞める選択肢がない(少ない)。初対面の人に「私は体が弱いから専業シュフをやっています」と女性なら説明しやすい。男性は違うだろう。
どうしてこんなに、男女は非対称なのかな?と考える。昔からそういうもんだから。ってところだろうけど、それでほんとにいいのかな?
「男性は外、女性は家。働く場所が違うだけで、仕事量はそれなりに公平なんだ」「役割分担なんだ」一理ある。
「私は外より家で働くほうが好きだし」という人もいるだろう。
でも、そういう、一見「個人の価値観」に見えるものを作るのは、おとぎ話やマンガやドラマだったり、親や周囲の大人のものの見方や考え方だったり、「これが普通」という社会通念だったりするんじゃないかと思う。
そういうものから免れ得た人が、今、社会の少数派として女性キャリアになっていたり、専業主夫になっていたりするんだろうと思う。逆に、社会が違ったら、違うライフスタイルをとっている人もとっても多いんじゃないか。
今、自分たちが「現状でいい」と思っていたとしても、やっぱり男女は対称に近づいた方がいいんじゃないかと思うのは、意識的にも無意識的にも、私たちの生き方考え方ジェンダー観が、子どもたちに伝わるんじゃないかと思うから。
社会も少しずつ変わってるとは思う。なぜなら、(詳しくは知らないけど)セーラームーンもプリキュアも、容姿がかわいくスタイルが良いのはいまだ大前提だけれど、「自分の意思で戦う」ヒロインたちだから。ディズニーやピクサーのアニメも、公平なジェンダーについてかなり意識された作品が多いと思う(20年以上前の『美女と野獣』でさえ、ベルは王子さまを待つのではなく、本が大好きで、父親を捜しに自ら危険に飛び込み、野獣の恐怖に屈しない強いヒロインだった)。
子どもたちが接するアニメや映画が変わってきているのは社会の変化を映し出しているし、接するものが変われば人が無意識のうちに身につける価値観も変わるだろう。
いっぽうで、女性向けファッション誌では「愛され女子」なんて惹句が常套で、「壁ドン」とか「俺さま」みたいなマンガが流行ったり、じゃじゃ馬なヒロインをすてきなダンナ様が後ろから支えて、世間様に生意気ととられそうなことを言えば途中で優しく口をつまんで制してくれる朝ドラが人気だったりする一面もある。
とりとめもなく書いてしまったけれど、「ママじゃな」で取材したり、朝ドラを見たり(朝ドラを見た人々が述べる感想にジェンダー観や常識とされているものを垣間見たり)しながら、自身の内面にある「当たり前」について考えてなおしたり、子どもたちの世代では何が当たり前になってほしいのかを考えている最近で、そんな私には大変面白い本だった。そしてあなたにも、誰にでもおすすめ。