男子100m準決勝・決勝!:ベルリン世界陸上 

やはり男子100mのことから書かねばなるまい。

ウサイン・ボルト君ときたら、サブトラックでの練習パートナー・ベイリー選手(決勝4位)との楽しげなウォーミングアップの様子といい(織田さんいわく、『やんちゃなギャング映画みたいですね〜』)、「On Your Mark」前の選手紹介で見せるおどけたパフォーマンスといい、フライングで騒然とする場内に、「シーッ、おさえておさえて」ってしてみせる仕草といい、まさに堂々たる王者の風格。追われる立場になってからの金メダル獲りって、ある意味、挑戦者だったときよりもプレッシャーがかかるはずなのに、とにかく余裕しゃくしゃく、陽気なのだ。それだけに、準決勝、いきなりフライングしたのにはヒヤッとした。しかし3度目の「Go!」でスタートきっちりきめてからは、やはり群を抜いた走りで「死角なし」って感じ。

それにしても準決勝ともなると、選手紹介でアップになるひとりひとりの走者の、なんと怖そうなことよ! 

みんなカメラに向かって、あるいは場内の歓声に向けて、笑顔を見せたりユニークなパフォーマンスをしたり、あるいはゲイに代表されるようにまじめで凛とした表情を見せるのだけど、大舞台で勝負をかける猛者たちの顔は、崇高なまでの闘志をたたえていて、笑顔すら怖い! 観客として見てるからこそ、ゾクゾク興奮できるんだけど、ポンとこの中に放り込まれたら逃げ足さえもすくんでしまうことだろう・・・。

この準決勝にアジア人としてただ一人残った塚原選手は、つねづねインタビューなんかを見てると、キレキレ系というかデムパ系というか、ちょっとイキ気味な人、て感じもしてたんだけど、これぐらいのテンションがないと、とてもこのツワモノたちと渡り合うことはできないよなー、なんて、妙に感心してしまった。彼、準決勝、すごくいいスタートを切ったんだよ! その瞬間を見ただけでちょっと泣きそうになるくらいの。

対照的に、準決勝でもゲイのほうはやはりスタートに爆発力は感じられなかった。走りも、破天荒なボルトに比べると、真面目というか正確というか、ちょっと優等生的な感じではある。でもこれが彼の走りなのかなー。好調そのものに見えたパウエル(この人の顔、好きです。今大会では、珍しくスタート前に豊かな笑顔を見せてくれて、見てるだけで幸せになる〜)をあっという間にとらえてたしね。2年前の大阪で見せた圧倒的な強さをしっかり覚えてるからこそ、ぶきみ。決勝戦で牙を剥くのか?!

わかっちゃいたけど、100m決勝はその日の最終プログラム。日本時間はもう朝の4時半も過ぎたことですし、筋トレしたりストレッチしたりしながら見てる私はさすがに疲れもあり、現地の客席もいいかげん待ちくたびれるのかなー・・・なんて思ってたけど、とんでもない。直前までトラックでは女子七種競技の最後のひとつ、800mが、またフィールドでは女子砲丸投げ決勝が行われており、スタートラインに姿を見せた100mのファイナリストたちが若干引くぐらいに場内はギンギンに盛り上がっていた。

会場を「あのう、これから、今日の最後にしてメイン、陸上の花形、100m決勝が始まりますからね。みなさん、忘れてないですよね? ボルトにゲイ、パウエルも出てきますよ?」なんて感じにもっていくのに、多少の時間を要するほどだった。でも、いいよねえ、この盛り上がり! すべての競技、すべてのアスリートに興奮してる観客たち!

で、ようやく場内も「そうだったそうだった、ボルトがいたんだった。そうだよ! ボルト! ウォーーーー!」みたいな雰囲気になり、満を持して100mの号砲が鳴らされ、当然ながら勝負は10秒やそこらで決着がついたわけで、その結果は詳しく書くまでもなく、自身がたった1年前に打ち立てた世界記録をコンマ11も縮める9秒58というレコードでボルトが優勝。

瞬時に喜びを爆発させてそこらじゅうを走り回るボルトだったが、これは私の記憶にある1年前の同じ瞬間に彼が見せた反応とはかなり違っていて、昨年も同じように、1次予選から圧倒的強さで勝ち上がり最後まで文句なしの1等賞をとったのだけれど、決勝を走りきった直後は、歓喜というよりはむしろ呆然とした様子でトラックに大の字になり、しばし動かなかったのがすごく印象的だった。

よく、「一度目の金メダルは笑顔、二度目は涙」なんていうもので、それは北京五輪で見せた北島康介の勝利直後のリアクションなんかにも代表されるように、チャンピオンとして追われる立場になってからの戦いというのが、いかに精神的に厳しいものかてのを表す言葉なんだと思う。

ボルトに関しては、北京からちょうど1年しか経ってないとか、まだまだ肉体的に若いっていう強みはもちろんあるにせよ、100mという超本命みたいな競技の覇者としては世界じゅうに注目される存在であることは間違いない。でも彼は、目をうるませるどころか、ゴールしたその足で興奮もあらわに、場内やカメラにアピールしまくり、
「どや! やっぱり俺が一番やったやろ! 見たか! ほら! ほらよっ、世界新だっつーの!」
的にさかんに何かを吠えていた。肉食獣のようにぎらぎら血走った目と、汗でぬらぬら輝く体じゅう盛り上がった筋肉に、感慨なんてものは微塵も感じられず、きのうの1次予選から、つねにリラックスした雰囲気で絶え間なくやんちゃな笑顔を見せていた彼は、最後の号砲のわずか10秒足らずのちの、この爆発の瞬間を確信しながらひたすらじりじりと待っていたんだな、彼にとっては当然の結果なのかも、とすら思えた。

しかし弾けまくるボルトとは裏腹に、会場や、解説者、もちろんテレビの前で今か今かとこのときを待っていた私にしても、あの織田さんすらも!見てたほうは、にわかにこの結末についていけず、異様などよめきに包まれているのだった。誰もが世界新記録を期待し、また、予選のときからボルトのじゅうぶんな余力は見て取っていたからこそ、半ば確信すらしていたというのに、いざそれを目にすると、まるでうろたえてしまった。これは、リアルタイムで、走り出す何分も前から見てたからこそ感じられた、本当に不思議なひとときだった。

解説の伊東さん、朝原さんに至っては、人類最高峰の記録、その瞬間こそ本能的に叫びをあげたものの、その後しばらくは興奮を超え、まるで完膚なきまでにたたきのめされたかのような状態。なんとかひねりだす言葉と言えば、
「これはすごい・・・」
「すごすぎる・・・」
「まさかここまでとは・・・」
「いやー・・・」
「別次元すぎる・・・」
「こんなものを見せられては・・・」
「言葉が出ませんね・・・」
なんて、まるでボキャ貧(死語)。

我を取り戻したあとも、
「だって、人間が走ってるんですよ? スピードスケートじゃないんですよ!?」
と、まさかの逆ギレ(笑)

その一方で、敗れたゲイの悔しがりようは相当なもので、常に冷静な彼が自分の手を何度も叩き、絶対shit!とかfuck!とか言ってるだろうよ、てほどにヒートアップして叫ぶ様子も衝撃的だった。彼は9秒71で走った。9秒71! ボルトさえいなければ、勝ちタイムとしてはじゅうぶんに称えられる速さ、現にナショナルレコードだったらしい。「普通の国じゃないんですよ。スプリント王国、アメリカのナショナルレコードですよ?!」と織田さんも逆ギレしていたが(笑)、まさに彼は会心の走りをしたのだと思う。

VTRを見ながら、伊東さんか朝原さん(私ももう混乱して記憶があやふや)が、
「ゲイの中盤の加速は素晴らしかった。この調子なら、前を走る人がいなければ、彼にも9秒6台が出ておかしくなかった。ただ、ボルトがいた。走っても走っても前が詰まっていかない中で進むのは、苦しかったでしょう」
と解説をしていたのも印象的。

体調が万全でなくて、とか、明らかにスタートに失敗して、とかではなく、彼は彼のベストを尽くしたからこそ、それでも埋めようもない0.1秒に、あんなにも自分で自分をもてあますような、突き動かされるような怒りの仕草が出たのではなかろうか。悔しさというよりも、やり場のない怒り、もう絶望に近いようにすら見えた。世界一になってもまったくおかしくない実力をもち、アスリートとしても脂ののった時期でありながら、ボルトという存在があるために、彼はこれから何をモチベーションにするのだろうか? と、余計な心配をしてしまうほど。

そこへいくと、ボルトのチームメイトでもあるパウエルは自然に彼を祝福していたし、今季最高の記録をたたきだしていながら、萎縮したようにすら見えた決勝の走りは、既に戦前からこのような結果をまざまざと思い描いていたのではないだろうか、なんて勝手な解釈をしてしまいそうなほど。

かなり長くなったので、とりあえずこれだけ独立した項でアップします。