つまるところ、私たちは共犯者どうしなのだ / 『ブイヨンの気持ち。』(糸井重里 ほぼ日ブックス)

トイレ・洗面など、必要最低限以外は絶対安静を言い渡されている夫。
まだ2日目だからいいけど、ゆくゆくはヒマ対策がもっとも重要な課題になるのかな、という気がしている。
その一環というわけでもないけれど、「食事内容を都度メールするように。」と申し付けておいたところ、さっそく3度、きちんと届いた。いい子だ。

【タロー、今日の病院食】

  • 朝:ごはん、玉葱と南瓜の味噌汁、牛肉と白菜の煮物、漬物、のり
  • 昼:ごはん、吸い物、塩さば、きゅうりとマロニーの酢の物、ヤクルト、たくわん
  • 夜:ごはん、ロールキャベツ、ごぼうサラダ、ほうれん草と卵の炒め物、漬物、マドレーヌみたいなやつ

あたりまえですけど、私なんかの食事よりも数段、栄養価に優れ、かつヘルシーですよね。

ちなみに私の今日の食事

  • 朝:バターロール
  • 昼:会社近所の弁当屋の弁当(ごはん、和風おろしだれカツ、厚揚げとフキの煮物、ほうれん草胡麻和え、マーボーナス)
  • 夜:焼鮭、コンニャクとニンジンのピリ辛煮、きんぴらごぼう、発泡酒×2


さて・・・・。

昨日の日記で、「ちょっと泣きそうになった」なんて書いたけど、
病院でいちばん涙腺がゆるんだのは、手術が終わるのを待っている間の読書でした。

糸井重里事務所によるHP『ほぼ日刊イトイ新聞』の人気コーナー、糸井重里樋口可南子夫妻の家で一緒に暮らしている犬のブイヨンちゃんの写真日記、『ブイヨンの気持ち(未完)』が、満を持して、刊行されましてね。
ブイちゃんの大ファンたるわたくし、さっそく、ほぼ日通販で購入したのですよ。

ブイヨンの気持ち。 (ほぼ日ブックス)

ブイヨンの気持ち。 (ほぼ日ブックス)

刊行に際して、ブイヨンにまつわるエッセイを糸井重里が8本くらい?書き下ろしてるんですけど、そのひとつひとつが愛情にあふれてて・・・。
それは、直接的にはブイヨンに対する愛情を綴ったものなんだけど、犬と一緒に暮らすってこと、引いては、生きとし生けるものに対する愛情、みたいなものが感じられるんですよ。

こういうのは、明らかに著作権の侵害なんだろうけど、いつものことですが、ネットという大海の隅っこにある小島に過ぎない、アクセス数もわずかな私のブログですので、思い切って、エッセイのひとつ、全文掲載しちゃうぜ。

『犬がぼくらを咬まないということ、そして、犬がものを言わないということ』

犬とボールなどで遊んでいるときに、
興奮した犬の歯と、自分の指がぶつかってしまうことが
たまにありました。
ほんのちょっとしか触れなくても、
ぼくの指は、その衝突を感じとりますし、
犬の歯も、同じようにそれを察知します。

その瞬間から、犬は、いままでのはしゃぎぶりを忘れ、
ぼくから目をそらし、少し離れたところに立って、
じっと許されるのを待っています。

ぼくは、それほど厳しく躾けたおぼえはないのです。
しかし、犬の歯が人間を傷つけることがあったら、
犬と人との関係は、とても難しいものになることは、
よくわかります。
ぼくだけでなく、犬のほうもわかっているらしい。
人を咬もうとして咬んだわけでなくても、
犬は、それがいけないことだと知っているようです。

あの、叱られるのを覚悟したときの静けさは、
逆に、ぼくの父親な部分を強く刺激します。
「さぁ、いまあったことは忘れて、もう一度ふざけようぜ。」と言って、
元気を戻してやることになります。

これは、ぼくと、うちの犬との間の話なのですが、
ぼくらの祖先たちと、犬の祖先たちとが、
長い長い時間をかけて築いてきた友好の関係が、
こんなときに見えるような気がするんです。

犬と暮らしていて、
ぐっと愛情が深まったような気がするのは、
「犬がものを言わなかった」ときです。

なにか誤解されても、強く訴えない。
手助けが欲しいときでも、じっと黙って待っている。
・・・・・・なんてことがあると、
犬が言わなかった分まで、
人間がわかってやらなければと、強く思うようになります。

たぶん、人間と人間のコミュニケーションにも、
そんなふうなところがあって、
「ものを言わないこと」の価値は、
「じょうずにものを言う」よりも、
深いところで相手に伝わるように思います。

「ほぼ日」=ほぼ毎日、更新されるブイちゃんの生き生きした写真日記を、もう1年以上も見ているので、ブイちゃんがかわいくて仕方ない私は、このエッセイに書かれたブイちゃんの、殊勝な、しんとした姿をまざまざと脳裏に思い描いてしまって、いじらしさに涙が出そうになったのです。

そして、これは、一見、全然関係ない話みたいだけど、これを読んだとき、ブイちゃんの姿と同時に、何かぼんやりと、でも確かに、夫のこと、私の彼に対する気持ちが浮かんできたのですよねえ。

ゆうべ寝る前に、夫不在のため、ひろびろとしたベッドに横になって、この本をぱらぱらとめくり、このエッセイをもう一度読んだとき、アルコール(=発泡酒)が、疲れた体に効いてたのかもしれないけど、やっぱり涙が。
誰に憚る必要もない時と場所だったので、けっこう盛大に泣いた。

だって、涙が出ちゃう。女の子だもん。
と、古くは鮎原こずえ(だっけ?)も呟いているとおり、女に涙はつきものですよね。
というか、オンナって、泣いて浄化するみたいなとこ、あるけんね。
あ、関係ないけど、アイブサキさんがやってるOCNのCM,アタックナンバー1の実写化は秀逸ですよね。

私と夫は、まだまだ新婚さんだからってわけもあるでしょうが、ふだんから、つまることつまらないこと会話しまくりだし、腹蔵ない会話あってこその人間関係、夫婦関係だと思ってる。
でも、人間関係って当然、それは夫婦関係であっても、だからこそだったりするけど、いちいち言葉にしなかったり、あえて言葉にしないことも、たくさんある。

このエッセイ読んで、入院する前の日、「もうこういうこともしばらくないさねぇ」なんて、いつものように寝る前にいろいろ話してるときに出た、夫の言葉のいくつかや、その日、病院でも交わしたことば。
家族らしい素っ気なさと、入院っていう非日常による特別な雰囲気とが、ないまぜになった会話を思い出した。

そして、同時に、言葉にはしなかったけど、一緒にいて感じられた夫のたたずまい、それで感じた、私も言葉にしなかった気持ちなんかが、ばばばーっと非言語で頭を流れて、しかもアルコールINだし、なんかすごく、どばーっと感情メーターが振り切れてしまったのでしょう。

私と夫とは人間どうしなので、いろんな言葉を交わすけど、「もの言うこと」「言わないこと、なんとなく言えないこと」の両方から、いろんなことをお互いに感じとる部分、そして感じ取れない部分の両方があって、そのことが、とても切なく、だからこそ愛おしいことのように思った。
なんとなく。


それにしても、こともあろうに腰の骨に菌が入り込んで繁殖を始める、だなんていう、いっぷう変わった病気に何でかかってしまったのか?
というのが、現状を知る周囲みんなの疑問であるわけだが、これについては、私と夫の間では、ある共通見解がある。

でも、それは、もっとも心配しているだろう、私たちの両親にも言わないの。
当分、ふたりの秘密だ。
まさに夫婦は一心同体なのだ。