長月の四

●9月某日: 午前中、連続講座『未来ラボ』第4回。NPO法人ドネルモの山内さんが講師。魅力的な人だった。ケーススタディとからめたグループワークは初めてでおもしろかった。
 
その足で天神へ買い物に。カーディガンが欲しかったけどしっくりくるのがなく、やっとしっくりくるのに出会えたボーダーシャツと、使い勝手の良さそうな紺ニット。夫とサク、興奮気味に帰ってきて、アイスを食べながらいろいろ報告。
 
夜ごはんは、サンマ、みそ汁、ポテサラなど。『いだてん』を見ながら、サクが「なんか最終回みたいだな」と言う。うんうん、そうなんだよ。そのわけは、大人で歴史を知ってる私にはわかるんだけど、大人なのでネタバレ慎んだ。
 
●9月某日: インタビューの聞きおこし、原稿作成、来週のスライドづくり。どんぐり文庫の本を返しに行く。ビーザスとラモーナ、おもしろかった。

 
月曜日から6時間でご不満とはいえ、学校というところは行けばいろいろと刺激があるらしい。夜ごはんは豚となす、ピーマンのみそ炒め。もやし。五目豆。食べながら、窓ガラス(外側)にカマキリが止まっているのに気づく。よくここまで来たな。
 
9月某日: 今日も暑い! N事務所出勤。電話、来客ぽつぽつ。Tさんのライフヒストリーを聞く。『八重の桜』で中村蒼やら柄本時生やらがやっていた “ 熊本バンド ” の話まで出てきて驚愕そして納得。夕方、サクが何やらいそいそと風呂場で作業しているなと思ったら、習字道具を洗っていた。それ1学期の仕事だよな?w 
 
夜ごはんは、三色丼(そぼろ、卵、レタス。大人はミョウガとネギもたっぷり)、五目豆。

『沖縄・先島への道 街道をゆく』 司馬遼太郎

街道をゆく 6 沖縄・先島への道 (朝日文庫)

夏の沖縄旅行とその前後で司馬遼太郎の『街道をゆく』の沖縄編を読んでいた。昭和40年代後半に司馬が沖縄を訪ね、ほぼリアルタイムで書いた紀行文。本土復帰してまだ間もないころで作中には戦時中の体験談等も少なくない。その中に、
「軍隊というものは自国の住民を守らない」
 
という文章があった。関西出身の司馬は、昭和18年に学徒出陣。終戦間近、所属していた栃木の戦車部隊で、会議で本土決戦に向けての話を聞かされる。司馬は上官にたずねた。
 

「敵が沿岸から上陸したら我々は応戦すべく(戦車で)向かうが、その際、おそらく家財道具を大八車に積んだ住民が大量に関東北部に向かって逃げてくるのとカチ合うだろう。どのように交通整理をすればよいのか?」

 

温厚な上官だったが、司馬の質問に対しては、押し殺したような声で
「ひき殺してゆけ」
と答えたと言う。
 
司馬は、「驚きとおびえと絶望感、そして何もかもやめたくなるようなばかばかしさ」を覚えたと書いている。
 

『軍隊とは自国の住民を守るものではない。
 軍隊が守ろうとするのは抽象的な国家もしくは宗教など、より崇高な(←エミ註:皮肉として表現ね)ものであって、具体的な国民ではない。
 たとえ国民のためという名称を使用しても、それは抽象化された国民である』

 

『私もそうだったが、兵隊にとられた学生は何のために死ぬのかと悩み、ほとんどの学生は、父母の住む山河を守るためだと自分に言い聞かせたものだった。
 私の世代の学生あがりの飛行機乗りの多くは、沖縄戦での特攻で死んだが、たいていの者は、母国の住民というイメージ上に自分の肉体を覆いかぶせて自分が弾よけになるというつもりだったはずである』

 

『しかし軍隊というものは違った。
 あれほど島々で千単位、万単位の玉砕が相次ぎ、沖縄は県民ぐるみ全滅したという情報もあり、広島と長崎は原爆によって壊滅し、わずかな生存者も幽鬼のようになっている状態の中で、まだ本土決戦にこだわっていた。
 軍隊が見ているのはただ敵の軍隊のみ。だから軍隊の論理では「まだ本格的に戦っていない」ということになるのである』

 

『小さい言語学者の冒険 ~子どもに学ぶことばの秘密』 広瀬友紀

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子どもの言語習得がどんなにクリエイティブかっていう本。

私はこのテーマをもっとめちゃくちゃ細分化した卒論(学部卒なのでそんなものです…w)を書いたので、最近ちょっと評判になっていたこの本を手に取ってみた。

子どもはまわりの人間がしゃべるのを聞いて、自分でも話すようになっていく。
けれど、子どもの発語を聞いていると、どう考えても大人のマネではない言葉が頻発する。

本書で紹介されているのは、子ども独自の「死ぬ」の変格活用(笑)。

「これ食べたら、死む?」
「ほんと? 死まない?」
「死めばどうなる?」

大人はこんな言葉を発することはないのに、子どものこの誤用は全国的に数多く報告されている。

子どもはおそらく、「飲む」「読む」などマ行の動詞の活用を「死ぬ」に対してもあてはめているのだろうと思われる。そして、ことさら意識的に訓練させなくても、数か月から数年でその誤用は自然と消え、正しく活用させるようになる。

つまり、子どもは実際に聞いたことのある言葉だけを単に真似しているのではなく、
「耳でインプットする」
 ↓
「知っている法則を自分なりに適用する」
 ↓
「アウトプットする」
 ↓
「修正する」

という段階を踏んでいるのだ! 自然に! 勝手に!
たった2歳や3歳でも!
子どもおそるべし!
人間の脳、SUGEEEEEEEE!
というのが私が大学で学んだこと(の1つ)です。

どうでもいい話のようで、私の子ども観、人間観にけっこう影響しています。
ちまたでよく見る早期教育に意味はない。
幼児に文字を教えることの不合理。
個体差は優劣ではない。
子どもは段階を踏まなければ成長しない(一足飛びは危険)

また、
日本語でも英語でも中国語でもスワヒリ語でも…(以下略)
同様の現象が見られるわけで、
日本人SUGEEEEEとか
日本語は世界でもっとも難しい…とかも からきし間違いで、
スゲーのは人間の脳です。
言語や人種に優劣はまったくありません。

うちの子もよく言っていた。

・ふたなどが「開かない」とき「あからない」
・私が選んだ服を着たがらないとき「きらない!きらない!」と絶叫
・「おむつ替えるよ~」と言うと「かえらない!」と言って脱走

全部、誤用である。
でも、「閉まる」は「閉まらない」と活用するから、
「閉まる」の対義語である「開く」について
「あからない」と言いたくなるのもわかるし、
「切る」は「切らない」と活用するから、
「着る」を「きらない」と言いたくなるのもわかるし、
「帰る」は「帰らない」と活用するから、
「替える」を「かえらない」と言いたくなるのもわかる。

むしろ、なぜ
「切る」と「着る」
「帰る」と「替える」
は同じ発音なのに、活用が違うのだろーか?

その違いを、なぜ私たちは当然のように受け入れ、
学齢にもなると、間違えずにしゃべれるようになるのだろうか?
外国語の不規則動詞や、男性名詞/女性名詞なんかも同様。
やっぱり、脳ってすごいよね。

子どもが言語習得中だったり記憶に新しい人は、とりわけ楽しく読めると思う。一般向けに書かれていてとてもわかりやすいです。

私も子どもが小さいころ、習得過程をよく記録してました~
● サクことば(11)満2才3か月 「じゃない」
http://emitemit.hatenablog.com/entry/20121108/1352379363

●サクことば(19)満2歳6か月 否定「〜〜ない」の誤用など
http://emitemit.hatenablog.com/entry/20130203/1359895886

●サクことば(33)満3歳0か月 ニュアンスの言い回し
http://emitemit.hatenablog.com/entry/20130822/1377170021

こういうのを面白いと思った中高生は、進学の際、言語学を選択肢にどうぞ。
一緒に写したのは、私の大学時代に超売れたMITのピンカーの本。これだけは今も本棚に残してる。

ちいさい言語学者の冒険――子どもに学ぶことばの秘密 (岩波科学ライブラリー)

長月の三 / 松武さんインタビュー、懇談会

●9月某日: 今日もまたまた猛暑!
キュリアス・マインズ代表取締役、松武さんにインタビュー。

note.com


今月、たくさんインタビューさせていただけることになっている。ありがとうございます! とても楽しみ。
今日も、うわーと歓声を上げたり、胸がギュウッとなったりするお話を聞いた。ガンバロウ、女子! あ、男子もがんばってください。
帰りも本当に暑くて、20分ほど自転車をこいで帰ると気分悪くなるほど。
 
午後は読み聞かせボランティアのミーティングに顔だしののち、クラス懇談会。
29人中、出席はのべ9人。小3でもこんなもん?という感じではある。
 
先生より 「夏休みの宿題の量はどうでしたか? ドリルもけっこうたくさんありましたが」 「3年生は初めての自由研究でしたが(※2年までは工作や絵などでOK)、大変じゃなかったですか?」と質問。その場のお母さんたち「しーん」。これこれ、これなんだよね(笑)
 
「自由研究のテーマはやっぱり理科がいいのですか?」と聞いてみた。
 
先生 「そうですね、学校の方針で…私も最初に(この小学校に)来たときはびっくりしたんですが」
私  「子どもの興味関心はそれぞれなので、できれば本当に自由なテーマにしたほうが、取り組みやすい子もいると思うんですが…」
先生 「そうですよね…個人的には私もそう思います」
そうですよね…個人的にそう思ってくれるだけでも…いやしかし。
 
夜ごはんは、豚の冷しゃぶサラダ、野菜と大豆のトマト煮、ピーマン炒め。森山未來ミステリーハンターをつとめる「世界ふしぎ発見」を見る。イスラエル森山未來も本当にすてきで家族で見入る。
 
●9月某日: 朝、廃品回収の当番。夕方、夫とサクが義実家へ。亡くなった叔父さんの件であれこれとあって、別の叔父さんが宿泊中、義両親も疲れているようなので、今回わたくしは遠慮することにした。夫、朝からせっせと料理して持っていってた。えらいのう。私の分もちゃんと取り分けていってくれてサンキュー。せっかく一人だから誰か誘って飲みに…とチラリと思ったが、まあ急な話だし、仕事も立て込んでるし、PRODUCE48が見たいし(←これ一番!)。結局深夜2時まで見てたよー。
 

長月の二

●9月某日: N事務所へ出勤。Tさん一緒。Tさんが話す地域の歴史を思わず書き留める。夫が午後休をとり、所用ののち、サクの鉢植えを学校まで運んでくれる。夜ごはんはダッチオーブンで作ったチャーシューと、某社の株主優待で(!)もらった牛タンという肉の2本立て。『ラピュタ』の後半を見る。サクも食いつく。最近ガマンしてたPRODUCE48を見進めて、遅くなる。
 
●9月某日: 寝不足。明日行く中学校へ下見。夜ごはんは、下見の帰り道で買った、美味しい専門店の唐揚げ。大豆と野菜のトマト煮。レタス。もやし炒め。飲み会帰りの夫と明日の件でいろいろ話すが、奴は翌朝になるとさっぱり覚えてなかった! わかるけどさ~w
 
●9月某日: 市内の某中学校でキャリア授業のお手伝い。今日も残暑が厳しく体育館も暑くて学年主任の先生は恐縮されていたが、市の消防局員の女性の話が興味深くてあっという間の時間だった。生徒たちのアンケートを見せてもらえるのが楽しみ。
 
夜は夫の親戚のお通夜に3人で。親族のつながりを感じたり、生の貴重さを感じたり、宗派による(?)お坊さんの違いを感じたり。
帰りに浜勝でごはんを食べる。

葉月の十六・長月の一

●8月某日: 土曜授業。「親子草取り」なるものには夫が参加。わたくしは下校に合わせて登校し、校区の運動会のリレー選手決めのお世話。すごいよね。校区の運動会のリレーの選手を決めるために選考会をやるのだよ!!! 暑かった…。そうそう、体育館で、自由研究(1,2年は工作等)の一斉展示も見た。うちの学校の自由研究は理科系のテーマを設定するのが伝統となっている。見るのはおもしろいけど、言いたいことはいろいろある。
夕方、来週の廃品回収のお知らせビラを町内に掲示して回る。
 
夜ごはんは、ステーキ、野菜の素揚げ、小アジの唐揚げ、枝豆、トマトなど。サク、途中まで私が読み聞かせてた『冒険者たち』の続きを自分で読破。すっごくおもしろいと言っていた。うんうん、そうであろう、そうであろう~。
 
●9月某日: これはずーっと前から判明していたことですけど、我が子って、ちょっと離れてから再会するとむちゃくちゃかわいく見えますよね。ずーっと一緒にいるときついですけどね。
 
夕方ランニング32分、貧血ぎみ。でも20分すぎくらいから、ちょっと体が軽くなった感じがした。
 
『いだてん』が始まると、「おれも見る」とサクが隣にスタンバイする。うんうん。おもしろいもんね~。阿部サダヲ@田畑、サイコーだもんね。
夫、新調したダッチオーブンでチャーシューを作る。
 
●9月某日: 月曜の朝から雨。上靴とか体操服とか、荷物をいっぱいもち、傘をさして登校していく子どもたちを見送る。午前中、Eさんに呼ばれてお茶。メインは仕事の話なんだけど、周辺事項もおもしろかった。
 
 
木曜の仕事のことで某中学校に電話かける。教頭の感じの悪さよ!  慇懃無礼とはこのこと。対照的に、折り返してくれた学年主任の先生はめっちゃ感じいい。
夜ごはんは鶏手羽と野菜の煮物。ネギと卵炒めなど。

葉月の十五 / 「こんなに縛るって変じゃね?教えて子どもの権利」/ ゆるマジ・オリンピック

●8月某日: 午前中、吉塚へ。
「こんなに縛るって変じゃね?教えて子どもの権利」勉強会に参加。弁護士の後藤富和さんのお話。
 
【中学校はストレスフルな場所】
先生が生徒を呼び捨てにする。大声で怒鳴る、命令する。ひどい言葉で罵声を浴びせる…
学校を一歩出たら、ふつうあり得ないことが、「学校だから」「先生/生徒の関係だから」ということで当たり前になっている。
 
「PTA会長という敬意を払われる立場であっても、学校に1時間もいると気持ちが塞がるものだった」と後藤さん。
 
誰にでも人権がある。
「義務」とのセットなんかではなく、
赤ちゃんだろうが、外国人だろうが、障がい者だろうが全員にある。
人権とは「自由である」ということ。
 
中学公民の教科書より
「人権とは、人が生まれながらにして持っている人間としての権利のことです。人間はだれでもかけがえのない個人として尊重され、平等に扱われ、みずからの意思にしたがって自由に生きることができなければなりません。」
 
学校で、人権は保障されているか?
制服、校則、部活動、宿題、PTA…ひとつひとつの事例を「人権」という観点で考えてみることが大事。
 
先生たちは忙しい。まじめで、サボらない。
1対1で話すと、仕事の愚痴もけっこう出てくるけれど、職員室では言えないことがいっぱいあるみたい。いろんなことに気を遣っている。
先生たちにも、のんびりコーヒーを飲む時間があるといい。
先生たちにも自由になってほしい。
職員室の風通しが良くなれば、先生と生徒、親…いろんなことが変わってくるだろう。
 

 
上記のような後藤さんのお話があり、後半はグループディスカッションやシェアもした。会はとても盛況で、想定よりたくさんの人が見え、椅子をいくつも追加で出してありました。
 
思うに…
こういうお話はもっともっと、現役の小中学生の親たちでシェアしたい!
・2分の1成人式
(小2でも、「こんなに成長したよ発表会」というのがあって、子どもたちが1人ずつみんなの前で、親に感謝と反省(!)の言葉を述べたりしてた…)
・自由研究。
・連帯責任。
・ケンカの解決の仕方。
・図書室、開いてなさすぎ問題
・実質、全員加入&ポイント制のPTA
などなど…
 
小学校にも、「うーん、どうなんだろう」と思うことはいろいろある。中学校はもっと心配。
 
でも今、小学校には住所録も連絡網もない。
PTAは決まった仕事をこなすため。
親同士が子どものこと、学校のことをシェアできる場がとても少ない。
シェアする場がないと、関心も育ちにくい。
子どもが表立って荒れたり、学校に行かなくなったりしない限りは、「特に問題はない」ととらえている親も多いように思う。
ちょっと困っていること、ふんわりモヤモヤしていることがあっても、個人の問題として片づけたり、世間話的な愚痴として、ガス抜きだけで終わってしまうことも多々。
私は、懇談会やら連絡帳なんかでちょいちょい発言するようにしてるんだけど、なかなか…。
facebookをやっている人はかなり限られるので、LINEのタイムラインにレポートをあげてみようかな?
 
呼び捨てや命令、罵声について、
「自分たちの頃もそんなものだった」
「適当にやりすごす能力も必要」
「ある意味、社会に出る前の訓練(免疫)になる」
という考えもある。
 
確かに、社会に出てからも理不尽はある。理不尽だらけかもしれない。
でも、学校がその「予行練習」になっていいはずはないと私は思う。
実際、子どもたちの過半数は適当にやり過ごしてるだろう。
(私もそうだった。とはいえ、小3のときにはすでに、権威や同調圧力が大嫌いな自分を自覚していた。やっぱりこういうのは生まれもった気質なんだろうか?)
 
でも、
「上下関係による大声や命令は当たり前」
「立場が下の者は、みずからルールを作ったり異議を唱えたりする権利はない。どうしてもしたいなら、ボコボコにされる覚悟でやれ」
「何もしない・言わないのがうまくやる秘訣」
なんてメッセージを学校から受け取った子どもが、将来どういう大人になるか…
というか、私たち自身がそういう学校で育ち、こういう大人になったから、今の世の中が(そして学校が)こんなふうに閉塞しているんじゃないか?とも思う。
子どもたちのために、まずは大人が変わらないといけないんだよね。

 
後藤さんが、警固中学校のPTA会長として取り組んだ新しい制服についてのお話のレポート。以前書きました。
興味のある方、こちらもご参照ください!
http://emitemit.hatenablog.com/entry/2019/07/31/002826
 
夜は、「ゆるマジ」の夜バージョンつまり「夜マジ」を開催~! テーマはオリンピック。そして終わった後、そのままカラオケに突入~! 楽しかった。
 

葉月の十四 / 熊谷寧子さんインタビュー「いつかまた飛んでいく日がくる」

●8月某日: 寧子さんのインタビューをリリースする。
昼、Nさんとランチ。昨年の「ママじゃな」のワークショップで知り合い、その後市議会の傍聴でも何度かお会いした。
 
サク、上半身裸(下校後、「あつい!」と言って脱いでいた)でズボンのベルト穴におもちゃの剣をさし、頭にバンダナを巻いて「パイレーツ!」と言って見せてくる。子どもって知らない間にいろんな文化を覚えてるのね。夜ごはんは、焼き鮭、豚汁、キュウリとオクラ。来月の予定がどんどん埋まっていく。インタビューもたくさん入っている。どきどき。

葉月の十三

●8月某日: 夏休みの最終日。宿題の丸つけ(サクはもうずいぶん前に終わらせていたのだが、親が丸つけを溜め込んでいるw) 
 
3年生の今年から自由研究やコンクール応募など新たな宿題が始まったのもあり、思うところあってfacebookでみなさんの子どもの学校の宿題はどんななのか聞いてみたりした夏休みであった。まず、親が、出された宿題を「当たり前」だと思う感覚から脱していったほうがいいんじゃないかなーと思うけど。
 
夜ごはん、とうもろこしごはん、豚としめじのみそマヨ炒め、きゅうり、トマト。安いとうもろこしで作った炊き込みご飯。うまかったー!
 
●8月某日: 始業式。初日の朝からけっこうな雨で、帰りもかなり濡れて帰ってきた。おつかれさーん。校区の運動会のリレー選手選考会(!)も中止になった。9月にとある勉強会でゲストティーチャーをつとめることになり、スライドづくりを始める。スライド…私の脳内から、AIがぱぱっと作ってくれたらいいのに…。
 
夜ごはんはちゃんぽん。ナスの揚げびたし。明日の準備をしながら、「えーっと、国語ってどんな教科書だったっけ…」とかすっかり勘が鈍っている様子のサク。そして夜9時前、大雨のため、明日は全市の小中学校が臨時休校と決定。喜び勇んで夜更かしモードに入る子ども。私は夜半3時近くまでまでスライドづくり。きりのいいところまで…とやってたら、すっかり遅くなってしまった。
 
●8月某日: 昨夜のうちに通達があったとおり、大雨で臨時休校。しかし電車は動いていて、夫は通常通りに出て行った。こちらは昼前には近所のスーパーに行けるくらい小雨になったもののの、佐賀のほうはすごい。半月前に降りた佐賀駅も浸水。夕方、サクのスイミング。帰りに焼き鳥のテイクアウトを買ったら、「今日は早く締めるので」と10本で500円にしてくれた。さんきゅーです!! オクラとキャベツ。

葉月の十二 / 西欧音楽史からの「世界を認識する手がかり」

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8月某日:(facebookより)
 
ワークライフバランスプレゼン勉強会、今回のプレゼンターは、ギター・リュート奏者の太田耕平さん。
ヨーロッパの音楽史を中心としたお話はとても新鮮で刺激的で、「世界を認識する手がかり」を示してもらった思いです。
 
【西欧音楽史キーパーソン】というスライドをごらんください。「ん? ピタゴラス? プラトン? えーっと…音楽家でしたっけ?」…と思いますよね。
 
驚くなかれ。西欧音楽史を学ぶ教科書全3巻のうち、最初の2冊は左側半分の音楽家たちで占められるそうです。
クラシック、と聞いて私たちが思い浮かべるバッハやらベートーベンやらの歴史は1冊に収まっちゃってる。
 
さてピタゴラスは、といいますと、彼の名言に
「宇宙のすべては数によって成り立つ・解明できる」
があります。『万物は数なり』ってやつですね。
つまり音楽も数なのです。
 
ピタゴラスさんは「オクターブ」を始め、音律というものを発見しました。数学によって!
当時はまだドレミファソラシドのような名前はないのだけれど、音律はとても美しい数式で表現することができる
(音の周波数の比をとっていくというか…)。
ただし、それは完璧に円環するようで、ほんのちょっとだけズレる。
…というところまでピタ氏は解明していて、そのズレが「ピタゴラスコンマ」と言われるそうです。
 
これ、読むだけでは何がなんやら…でしょうが、太田さんに説明してもらうと「おお~!」でした。
 
このように、ヨーロッパでの「音楽家」は、もともとは
「音楽を奏でる人・作曲する人」
ではなく、
「音楽のしくみ・成り立ちを考える人」
のことを言いました。
大工さんではなく設計する人のほうを「建築家」というのと似てるかも。
 
もちろん、ピタゴラスプラトンも音楽のこと「だけ」を考えていたわけではなく、哲学者であり数学者であり天文学者であり…。
音楽はそのような中に含まれるものだったのです。
 
古代から中世になっても、
「実際に耳に聞こえる音楽自体は取るに足りないもの。
 その背後にある秩序や調和のほうが大切」
という考え方でした。
 
その後、時代が下ると、ルターの宗教改革ルネサンスなど、西欧音楽もさまざまな政治・社会状況からの影響を免れなくなり、やがて古典派、ロマン派、印象派など、現代でも耳にする音楽につながっていくのですが、
それらすべての源には やはり、ピタゴラスからの流れをくむ
「不変の音の原理」
があるのでしょう。
 
「衣食住に劣後するもの」「生活のおまけ」としての音楽ではなく、人間と深いところでつながる、人が人であるために必要なものとしての音楽。
その背後に、数学・哲学・天文学・文学などが相互にかかわりあい混然一体となって構築された膨大な理論があることが(なんとなく 笑)感じられて、圧倒されました。
 
この話を手がかりに、
「良い音楽、悪い音楽とはどういうものか?」
「西洋人の価値観、日本人(東洋人)の価値観」
現代社会の仕組みについて」
「いま、世界を牛耳っているのはだれなのか?」(笑)
などなど、ランチタイムまで含めて、話はどこまでも広がってゆき、そのひとつひとつが本当に刺激的でした。
 
太田さんは学生時代から15年ほどにわたってイタリア・ドイツで音楽の勉強やお仕事をしてきて、結婚や子育ても外国で経験されています(4人のお子さんのパパです)。
 
「日本に帰ってくると、育児にせよ生活にせよ、とにかくいちいちお金がかかると感じる」
というお話も印象的でした。
学校や、習いごと、「共働き」の感覚も、日本とはかなり違うようでしたよ。
 
みなさん、機会があれば、ぜひ太田さんのお話を聞いてみてください!
ご依頼があれば応じてくださるんじゃないかな?
私もまた聞きたいです!
 
 
夕方から、校区の運動会の会議。今年、子ども会で担当になっている。たっぷり2時間半! うう。つらい。帰って連絡事項いろいろ。
 
ごはん食べながら(そんな出ごとから帰ってきてごはんができている喜びよ)『いだてん』。笑った、笑った。「独裁者」というサブタイトルにふさわしい喜劇。時代のきな臭さと裏腹の滑稽さ。現代もそのように捉えられるのだろうね。