葉月の十七

●8月某日: 夏休み最後の2日間、のんびり過ごす。といっても朝いちばんに耳鼻科に行くためバタバタしたりしてたか…。表向き9時診療開始なんだけど8時半に行ってもすでに診療は始まっている。そして待合室にはすでに患者さんがたくさん・・・。サクは先日買って間もない「よつばと!」を持参して待合室で読んでいた。

家に帰れば夏祭りの戦利品がたくさんで、私が買った起き上がりこぼし人形ズが意外なヒット。板状のものを斜めにして滑り台様にして転がすとコロコロ回りながら転がっていくんだけど、3人それぞれ表情も違うし、手作りだけに転がり方も違ってスムーズじゃなかったりするのがまた面白く、転がしながら私とサクも笑い転げた。サクは「こぼしちゃんたちの家を作る」とブロック制作。うちの間取りや家具と同じような家が出来上がっていた。

昼はサクが次々とホットケーキを焼いて、重ねて食べたり。夜は、酒ときのこのホイル焼きや、具だくさん味噌汁や、手羽元スティックの塩焼きや・・・。


ストローを5本つないで牛乳を飲む人。

 

●8月某日: 今日から2学期。小学校は数日前から始まっています。周辺工事の関係で1学期の始まりが遅れたのの帳尻合わせで、例年より1日早い始園日になっております。脱ゆとりのためではありませんw 

朝、久しぶりに制服の吊りズボンを履いたサクが、「なんか小さい」と言う。長かったので縫い合わせていた肩ひもをほどくと「ちょうどいい」。おお、子どもってやつの成長は・・・。つい先日夏祭りもあったので、ブランク感はなく普通に登園。そのまま私は、お母さん劇団の練習。来週はもう誕生日会なのだ。ピアノの音や歌声、足音など、子どもたちの気配を感じながらの練習は楽しい(子どもたちが気にするといけないので顔は出さないようにしている)。

午前保育なので、そのままお迎え。午後、サクは友だちの家に遊びに行く。帰宅後は「なんでも屋さん」。スタッフパスを念入りにつくり、輪ゴムを切ってつないで胸にかけていた。そのパスについている(もちろん自分で書いたもの)バーコードを、ブロックで作ったバーコードリーダーでピッと読み取ってからお会計してくれるw 

夜ごはんは、皿うどん、中華風蒸しナス、焼きネギ、きゅうり。夫とちびちび飲んで夜更かし。

 

葉月の十六 / 夏祭り

●8月某日: 8時半からランニング。ついに秋が近づいてきた。気温、27度くらいなので7キロちょっと走る。

土曜日だけど、今日も午前中は夏祭りの準備登園で、夫が車で送り迎えをしてくれた。たまにこうして送り迎えを任せると、幼稚園生活が一歩遠く感じる。当事者の輪から一歩、離れたような。夫やサクが園での出来事を話しても、いつもよりちょっとだけひとごとっぽく聞こえる。夫は普段こんな感じなのかなーと思う。もちろん、明日着るハッピを羽織り豆絞りを額に締めて、太鼓の真似をやって見せる子どもは超愛らしいでごいす。愛でるだけって楽ちん。てか、豆絞りとか自分で上手に結べるもんだなー6歳。

午後、サクは夫と歯医者へ。もう慣れたもので、堂々と出て行った。「くるまじゃなくて、ちかてつでいこうよ」とか相談して。で、せっかくできた時間なのだがわたくし、ひどい頭痛。ちょうど1ヶ月ほど前も、こうして朝ラン後の午後に頭痛で寝込んでいた記録が。なんとなくメカニズムが分かった気がする。気をつけてみよう・・・。夜ごはんは、赤身とサーモンの刺身、唐揚げ、サラダなど。夫は18:00-20:00まで、お父さん実行委員会で夏祭りの準備へ。帰宅後、飲みながら「日本でいちばん長い日」を最後まで見る。

 

●8月某日: 予報通りなんだけど朝から雨で、午後になると引くぐらい土砂降り、ごろごろ雷まで。「やばい、やばいー」とサクは言うが、今は雨雲レーダーという便利なものがありますので、「だいじょうぶ、夕方には小降りになる。ていうか大概降っても決行だ」と余裕で子どもをなだめ、夫婦できなこ団子作り。サクは最後のほうチョロッと手伝って、「おれのテントできゅうけいしてくる」と消えて行った。この夏、家のあちこちにテントを張るのが彼のブームである。この日も、夏布団・バスタオル・ハンガーを、紐、洗濯バサミ、テープを駆使して繋ぎ合わせて立派なやつを作っていた。

お父さんズは準備のため15時半に集合。私とサクは16時半に行く。子どもたちのワクワクが伝わってくるような園の入り口。園児お手製のおみこしを担いで園の周辺を練り歩くのと、和太鼓の演奏が年長児の見どころ。言ってみれば担いで歩くだけだし、演奏といってももちろんさほどのテクニックを見せるわけじゃないけれども、やっぱり一人一人なんか個性が出るんだよねえ。そしてそれらを(自分の子だけじゃなく他の子も)見ていて「クス、この子らしい」とか「すごい成長したな!!」とかわかり、それを見ている親同士共有できるのが、少人数で毎日送り迎えもして3年間過ごすこの園の醍醐味かなーと思う。

出店の出店は例年通りすべて父親/母親の手作り品、「仕事会」でグループに分かれて作られたもので、圧巻である。今春、転勤で転入してきた子のお父さんが、打ち上げで「いやぁ・・・正直まだ引いてます」と言ったそうなw ガチすぎるよねwww しかし手作りのおもちゃや布製品等を10円、20円という価格でお買い物できるのを、園児はもちろん小学生たちもすごく楽しみにしてる。興奮の面持ちで買い物する姿はかわいい。











夫は12時半に帰ってきた。翌朝は週明け月曜日、「ねむい・・・」と言いつつも、お父さん打ち上げ楽しかったそうです。

 

『夏目漱石の妻』 1話、2話

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◆第1話




 ハセヒロの「おバカだね」炸裂。「こんなおれなんかのために死のうとするなんて」おバカだね、の意か。

 

◆第2話

冒頭、第1子長女筆子の誕生。奪い合うようにしながら大真面目に初めての子をあやす夫婦がコミカル。第一話で流産が重くのしかかるのを描いただけに、どこにでもあるような家族の幸せがより尊く感じられる。イギリス留学の準備をしながらのいさかいも、夫の気難しさや妻のがさつさが前面に出ていても、本質はどこにでもある夫婦の痴話ゲンカである。鏡子は実家の父の前で「2年も行ってほしくない」とこぼして泣くが、同じ思いは金之助にもあっただろう。鏡子はすぐに次の子を授かっているのだし。

次女を産んだ鏡子からは「良家出身のお嬢さん奥様」な雰囲気がなくなり、生活感を滲ませるようになるが、娘たちと過ごす表情は明るく、これが彼女の幸せなんだとわかる。そこにイギリスでの金之助の不穏な噂がもたらされるとともに、実家の中根家に忍び寄る不吉な影も説明される。夫と実家の両方が彼女を追いつめていくのが第2話の本題で、それが同時に語られ始める脚本。

帰国した金之助がひと目で「何かおかしい」と思わせる風貌で、視聴者をドキリとさせる。あの顔めっちゃ疲れそう。俳優さんすごいね。鏡子の目には「ただただ疲れ切っているだけかな」とも見えたかも…というかそうあってほしいと願っただろう、夫の気難しさは今に始まったことじゃないし、やはり夫に会えてうれしいのだ。そんな「10万円欲しいぞ」の合唱から、すぐに事態さは判明する。幼い娘を殴り妄想を並べ立てる金之助。部屋はめちゃめちゃ、怒鳴り散らしながら女中を引きずり回し、妻も。目は血走り髪はぼさぼさ着物は着崩れ、思い余って振り上げた火鉢の粉が自分にも降り注ぐのは、暴力を振るっている彼自身がボロボロなのだと印象付ける。それでもこんなの、ええ出ていきましょう、ってなる。

孫娘たちの手を引いて帰ってきた娘への父の一言目は「いつまで置いてほしいんだ?」脚本うますぎ・・・! もはや中根家に余裕がないことが如実にわかる一言。白亜の洋館も、白スーツも今は遠く、縁側に距離をおいて座る父と娘。このときの尾野真千子のうつむいた横顔が美しい。もうお嬢さんではない。生活に疲れて、傷ついて、同時に実家に心配をかけて申し訳ないと謝りながら、悲しみを訴えて泣く女。が、父の窮状を聞いて涙も引っ込む。父に暗さはない。「次の一手を考える。おまえもそうしろ」次の一手、の両者の明暗。

鏡子は医師の言葉に吹っ切れて、家に戻る。漱石は相変わらず片眉が吊り上がっている。しかも、台所で包丁を介在したやりとり。怯える娘たちを抱き寄せながら明るく言い聞かせる鏡子。そのまま漱石に向き直り宣言する。悪態をつきながら逃げるように彼が去ると、見る間に眉宇を暗くする。彼女も怖いし、不安なのだ。でも決意したのだ。ハセヒロの圧巻な病的演技に劣らず、オノマチの繊細な演技もすばらしい。

妄想に囚われてヒステリーを起こしたり、出産直後(そう、帰国後も子どもを作ってるのだ!)の鏡子をよそに彼女の実家に米粒のような文字で大量に書いた離縁状を持って行ったり、病気の金之助はパワフルである。そのたび、いちいち真に受けてたら始まらない、というようにいなす鏡子だが・・・

寒い夜、痩せこけた体をくたびれたスーツに包み、すそを濡らしながら父が訪問してくる。家の残金が払えない、というのは嘘で、その家が借家であること、父がまた相場に手を出していることを鏡子は知っている。「私はお父様に甘やかされて育ったからお父様も甘やかしてさしあげたいけど、悔しいけど今の私にはできない」。堕ちた父をではなく、助けてあげられない自分を悔しいと思うのが鏡子の心性で、そんな鏡子を育てたのが裕福で暖かい実家だったことを思うと何とも悲しい場面。

「今も夏目と戦争をしているんです。毎日、飛んでくる玉をどうかわそうかと」 夫の奇行を慣れた様子でいなしていた裏の、妻の苦渋が語られる。鏡子がとうとうと語る間も、「この悲痛も、今の父には本当には響かないのだなあ」と思う。娘の境遇は知った上で来ているのだ、なんたって、あの尋常でない離縁状を金之助に突き付けられて、さほどの時は経っていないのだから(赤子がまだ乳児)。果たして「わかっている、でも」と言い募る父を制して、鏡子は畳に額をつけ、はっきりと「助けられません」と断る。鏡子の、その痛み。

父の去ったあと、金之助が顔を出す。翌日、鏡子の弟であり中根の跡取りを呼ぶ金之助。口調こそ穏やかに始まるが、片眉が上がっているので、鏡子の緊張に視聴者も共感する。不安に反して、「共倒れになるから義父は助けられないが、君と母上のことは私が生きている限り守る」と約束する金之助。1200円という大金は無理でも400円を用立ててやる。1万倍してみると、数字がリアル。

ここに至って「病気ってなんだろう」と思わせる。金之助はすぐさま翌日に金策に走ったのだ。片眉を上げたり、下げたりしながら。ヒステリーを起こし妻への呪詛を吐くかたわら、妻の身内の窮状を思う人間性や、情も見せる。鏡子は子どもたちを抱えながら、そんな夫と、食べたり、寝たり、本を読んだりしながら生活しているのだ。

「これで帰る家がなくなったな」という金之助の言葉は、私には残酷なだけの響きじゃないように思えた。裕福であたたかな名家に育まれた令嬢を妻に迎えた金之助は、妻が実家よりも己を選び、そして貧した妻の実家を己が意思で助けたときに、本当に「自分は妻を得たのだ」と思えたのではないだろうか。そして妻を得るということは、妻の身内という厄介なものを得ることでもある。身内からは金の問題が切り離せない。それが結婚というもので、それを含めて、金之助は夫婦を続けることを選んだのだ。

黒猫の登場と共にドラマのトーンは明るくなる。カメラが黒猫の視点から家の中を動いていく映像の面白さ。無邪気な子供たち。書斎で正座したまま脇息にもたれかかっているハセヒロの「文人の後ろ姿(白い足袋)」、くたびれる生活の合間に按摩を頼み、緊張感のない表情で堪能しているオノマチの表情、ともに最高! 相変わらず調子の悪い金之助は、虚子に言われて文章を書こうとしたとき、猫になってみる。

人間の顔の造作を変なものだといい、書生をクサし、煙草に驚く。泣く人も怒る人も、猫にとっては等しく妙で滑稽で理解できないものである。来客に茶を持つタイミングで、金之助が「ひとつ、大きな声で読んでみてくれ」と言ったのは、暗に鏡子に聞かせたかったのだよね。

喜びも悲しみもしょせん浮世さ、と、これを読んだ当時の人々もみな救われるような思いがしたのかもしれないなあ。扉を隔てて笑い転げる夫婦(扉を隔ててるのがミソよのう!)に泣けてしょうがない。鏡子のこんな笑顔はいつぶりだろうか。金之助はたぶん鏡子の笑顔に惹かれて結婚を決めて、結婚してから彼女の笑顔を奪ったけれど、今、彼の書いたものが鏡子を彼女らしく笑わせている。そして、彼に「吾輩は猫である」を書かせたのは、きっと鏡子。

漱石は孤独に生きてきた(加藤虎之介の子規は、出番が少ないので個性を確立するには至らなかったけどさすがだった)。孤独を拗らせてきた。夏目家でも、熊本でも、ロンドンでも。彼が、「孤独が当然」の黒猫の視点を獲得できたのは、孤独という病根を持つからだけではなく、鏡子という家族を得て、自分には彼女と暮らす家がある、彼女も自分もここにしか家はないという芯からの実感のようなものを得たからじゃないだろうか、それが彼の孤独を黒猫の視点に昇華したんじゃないか、劇中ではそんなふうに描いているのかなと思った。
  

 

葉月の十五

●8月某日: 今日から夏祭りの準備登園。朝、家を出るときサクに「久しぶりにみんなに会うの、なんか変な感じする?」と聞いてみると、にこにこ笑いながら「すっごくする!」との答え。午前保育なのであっという間なのだけど、久しぶりの静かな午前中で、自分のことが捗る。

昼ごはんを食べた後、クラスの友だちの家に遊びに行く約束をしていたのだが、「ひとりでいきたい(私が送っていかなくていい)」と言う。子どもの足で徒歩7-8分てところ。昼間だし(夕方になると自転車やバイクが増える)、何度も行ったことあるし、大丈夫かな、とOK。喜んで、待ち合わせ時間の15分前になると、自分で水筒にお茶を入れたりして準備していた。こういうとこ自主性のある子だ。

夕方は迎えに行く。別れがたくてはしゃぎまわる子どもたち。夜は非常に疲れた様子。久しぶりの幼稚園だったもんね。「きょうすごいつかれた。おみこしもつくったし、たいこもいっぱいしたし、ぼんおどりもれんしゅうしたし、あそぶひまなかったもん」と多忙アピールw 夜ごはんは、ドライカレー、ポテトサラダ、薬味いっぱいサラダ。

 

●8月某日: 近所のお友だちも一緒に連れて、幼稚園まで歩いて登園。お友だちのママ、予定日も過ぎていよいよ出産までカウントダウンといった感じである。サクと友だちは、一番に幼稚園に着きたいと狙っていたけど、到着すると6番目くらいだったかな。

午前保育でお昼を家で食べてから、お金を下ろさなきゃいけないのを思い出し、ついでに本屋でサク待望の「よつばと!」13巻を買うことにする。「重大はっぴょーう!」と、まさによつばと!風にその旨、伝えると、無邪気に喜ぶサク。私も自分の欲しい本を2冊。サク、40分ほどで読み終わると、「ほんきでそうじする!」と言い出す。そういうお話が収録されてたんですね。玄関を掃いたり、調理台をぴかぴかにふきあげたり、ありがとうございます。こういうお手伝いを自主的に自己流でやって、さほどの大事故にならず普通に助かるところが6歳だなあ。

その後、大小のブロックで作り上げたレジスターを中心に「本屋さん」開店。レジは、品物を置く台、お金を置く皿(高坏式)、金額を表示する表示板、バーコードリーダー、そしてカードリーダーまで備えた本格派であった。夜ごはん、ぎょうざ、焼きビーフン、蒸しナス、きゅうりとオクラとみょうが。妙に肉肉しい餃子になり(水が出るのが怖くて野菜より肉を多くしちゃうの)お腹いっぱい。

 

葉月の十四 / 『世界の友だち』 『トットちゃんとアフガニスタンの子どもたち』

●8月某日: 久しぶりに、幼稚園の預かり保育へ。ということでお弁当、ちりめんごはん、ソーセージ、卵焼き、厚揚げ煮をトースターでカリッと焼いたの、かぼちゃ煮、枝豆、チーズ。


この10日ほどお盆だったり旅行だったりパパの夏休みだったりでお休みモードをすっかり満喫していたサクだが、意外に朝の準備も順調で、「ちょっと早めに迎えに行こうか?」と言っても「ダメ! いっぱいあそぶから、ちょっとおそくきて」と言う。いってらっしゃーい。存分に遊んできておくれ。一人の昼食、久しぶりに納豆パスタを作って食べた。

迎えに行くと、つかまえたハンミョウを虫かごに入れて持って帰ると言う。エサにアリを入れている。帰り道のついでに、私の靴を修理に出し、新しいサクの長靴を買ったり。夜ごはんは、鶏とナスとピーマンのグリル、味噌汁、サラダ。サクが寝てから、夫と『日本でいちばん長い日』の録画を40分ほど見る。イマイチだという評判をネットで見たので、そこは絶品だという本木雅弘昭和天皇だけチラッと見ようかな、ぐらいだったのだが、なかなか面白い。

 

●8月某日: 朝イチで耳鼻科。8時半に着き(本来の診療時間は9時から)、こないだよりはだいぶ早かったものの1時間以上は待つ。待合室の絵本、家から持って行った(図書館で借りていた)絵本など読んであげたりするけど、小さい子の大きな鳴き声が響いて来たりするので、まぁ集中できる環境ではないわな。しかし暗くも機嫌悪くもならずに待つサクの辛抱強さに親が救われるわ。鼻うがいも上手で褒められていた。子どもってポテンシャルあるなあ。

図書館とか、スーパーとかちょこちょこ寄り道して帰宅。蝉の合唱が明らかにトーンダウンしている。朝早い時間の風も少しずつさやかに。昼間はまだ暑いけど、夏は終わりに近づいている。図書館で借りた絵本、「あしのうらのはなし」「はらっぱカップ」どちらも私が目を留めたものなんだけど、サク、案の定ハマる。





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夕方、家の近くでダッシュ。





夜ごはん、ひき肉と野菜のオムレツ、とうもろこし、ツナとオクラときゅうり。夫は急きょ飲み会。

 

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葉月の十三 / リオ五輪閉会式とか

●8月某日: サク、2種類の薬を自分でちゃんと飲んでいる。えらい。そして詰まっていた鼻水が出だした。すんごいたまってる感。熱は37度前半だけど何となくダルいのか、夫がいてもどこか行きたいとも言わず、1日家で遊ぶ。まあ夫がよく遊んでくれるからでもあるが。

夕方、夫と交代で走る。どうにか30度以下に下がってくれないかなとお天気サイトをちょこちょこチェックしていたのだが、17時でもまだ31度超。外に出てみると少し風はあった。5キロちょっと。

夜ごはんは、イカと玉ねぎのパスタ、ニラだらけのニラとじ、キャベツグリル。サクにはハンバーグ。明日も夫が夏休みなので日曜日だけど飲むんである。

サクが寝た後、『真田丸』の録画、続いてオリンピックの総集編みたいな番組。

「ようけメダルとったよねえ」
「始まってみると盛り上がるな」
「吉田・・・(涙)」
「福士、よっぱらっとるみたいやな」←インタビューを見て夫
「おっと、福士の悪口はそこまでだ」←制する私
「しかしこれ、東京五輪時はかえってプレッシャーのなるのでは」

など話しながら見る。並行して男子マラソンをちょこちょこ。猫ひろしはブービーあたりを走っているとの情報だが、ゴールする前に中継は終わった。リオ五輪ももう終わる。

 

●8月某日: 夫は今日まで夏休み。午前中、リオ五輪の閉会式をぼんやり見たり。












「どっかいきたい」と盛んにいうものの、どうもいまひとついつもの覇気に欠けるサク。やはり体調不良であろう。微熱もあるし。お出かけしたい気持ちの代わりに、我が家では珍しく宅配ピザを頼むことにした。興奮気味にメニューを選び、すっごくおいしいと食べていた。うんうん、行かなくてよかった。家のほうが、落ち着いて食べられるしね。でも結局、食べたあと夫とキャナルシティに出かけていたw 夫自身、ちょっと買い物したかったようである。めぼしいものはなかったらしく、サクがポケットトミカを何個もポケットに入れて帰ってきただけだったが。ゲームセンターで千円くらい注ぎ込んだようです。

夕方、仲良しのNくんが、ママと散歩がてら美味しい梨のおすそわけに来てくれたので、1時間ほどうちで遊んでいく。10日ぶりくらいに会う2人は一瞬照れくさそうにしたあといつものテンションになり盛り上がって、離れがたさはいつも以上のようだった。夜ごはんは、この夏きっと最初で最後のうな丼! えのきのお吸い物、オクラと厚揚げの煮物。

 

 

『真田丸』 第45話 「完封」

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うう・・・。「ご公儀」(←稲の口からこの言葉が出たよね、本編で初めてだよね)の大軍相手に胸のすくような勝利なのに、なんか切ないんだよね。私だけ? 

44話かかってやっとこさ真田丸も完成したし、今年は大坂方が勝っちゃうんじゃないかって気運もあるけど、でもそんなことにはならないのもわかってて。この勝利も、城も、この人やあの人の命も、遠からず失われる。「日本一のつわもの」という輝かしい称号だけを残して。そんな悲しみを底流にずっと感じていた。

頭文字「お」は織田有楽斎じゃなく厨の大隅さん(?)だったのか。だから自他ともに認める戦に不向きの与八を貼りつかせることにしたのか。「これも戦だ」。いや・・・これまだひっくり返される可能性あるな。

兵は塊じゃない。一人一人に顔があり思いがある。その重み。城の中には内通者がいる。軍勢の中にも戦ばたらきが苦手な者がいる。軽輩だけでなく、隊を率いる将にさえ。神への祈りを欠かさない者もいる。敵軍にもここに至るまでの物語がある。空堀を必死にのぼってくる、一人一人の兵にも。多くの兵に一斉に射撃させ、そんな兵たちを一人一人斃している。命を奪ってる。

勝ち戦を創作作品で見るのは気持ちいいんだけど、一人一人違う者たちをひとところに大量に集めて十把一絡げに戦わせ、死なせている苦みの描写にも、一定のウエイトが割かれている。勝ち戦の影でほとんど無駄死にのように死んだ梅のことを覚えてる。

戦場に出れば人の命はうんと軽くなるから、死に物狂いで戦わなきゃいけない。自軍を勝たせなきゃいけない。だから「日本一のつわもの」を景勝が言うのは何だか納得がいった。大身を30万石にまで減らされ、なお生き延びるために家康に従うこと汲々たある有様の上杉の目から見て、源次郎は、敵を殺し、配下を死なせ、自分も死ぬかもしれない危険を冒す価値のある戦をしているということだろう。知恵があり、勇敢で、己の意思で戦って、味方を勝利に導いている。景勝だけでなく、直江の顔もほころんでいるのが泣ける。

始終、静かに理知的に事を運ぶ源次郎が、息子がかつての己と同じ大役をつとめきったのを見ると思いきり相好を崩して快哉を叫び、再会でも手放しで褒め称える(ほっぺぺちぺち!)。この父と息子との関係は、要点は押さえたものの昌幸と息子たちほどには深く描かれることがなかったけど、さすが要点は押さえ続けてるって感じ。初陣を嘉する内記の滋味深いたたずまいもよかった。

秀忠 「大敗じゃ」
わかりやすい説明ありがとうございました(笑)。

大勝に沸く陣中で、少し声が裏返る信繁(堺さん巧い!)。こちらも興奮を隠しきれない木村長門守重成に打ち明ける。「こんな大戦は初めてで、口から心の臓が飛び出そうだった」。そう、これは私たちが見てきた真田源次郎信繁がやった戦。「日の本一のつわもの」と呼ばれても、動悸も息切れもする生身の人間。

「面白いように策が当たったな」という後藤又兵衛に、「策とはそういうものだ」と源次郎が言ったとき、すげーかっこいかったんだけど、ふと「策を当てらなかったとき、源次郎は死ぬのかな」と思った。今回の大敗を受けた家康は「次の策を考える」と言っていた。真田丸を作るまでの源次郎もいろいろな障壁を「次の策、次の策」と考えてきた。敵も同じだ。

思えば一話で、昌幸が「捨て鉢にならず最後まで策を尽くした者だけに活路はひらける」と言ったのだった。源次郎は大阪で死ぬ。大坂方は敗れる。源次郎が捨て鉢になるとは思えない。尽くした策の上をいかれて死ぬんだろうか。それとも、敗れてなお何かの活路が開けるんだろうか。

大坂に兵糧を届けたいという福島、平野。信之の願いを一蹴する稲(女の存在も気にしてる)。そっと、届けられる量を数えて告げるおこう(女の存在もたぶん・・・・気づいてるんでしょうね)。徳川方にもいろんな人間がいていろんな思いがある。

今度は茶々の侍女にされちゃったきりちゃん。きりちゃんは死なないと信じてるんだけど(きりちゃんまで死んだら全俺が立ち直れない)、茶々付きになるってことは茶々の死を見るのか。信繁の死は見られないのか。霧隠才蔵化して戦場に行っちゃうことはないのか?!

 

葉月の十二

●8月某日: 朝起きたサクが暗い顔で「みみがいたい」と言う。確かにここ数日、咳が出ていたり鼻が詰まっている様子だった。元気いっぱいだし機嫌がいいので軽症だとばかり思っていたが・・・。熱は37度2分程度だが、中耳炎かもしれないし、土曜日なので今日のうちに耳鼻科に行っておくことに。朝ごはんもほとんど入らないし、着替えるのも億劫がり、吐き気を訴えてトイレに駆け込んだり。

ネットで調べて初めて行った耳鼻科、8時半に着いたけど(診療開始は9時となっている)既に診療が始まっていて、既に待合室はほぼ満席…。初めの30分は車の中で待ち、それから待合室に戻るが、1時間経っても呼ばれない。それでも絵本を見たりスマホの写真を見たりしながらおとなしく待っているサクを(具合が悪くて暴れる元気がないのだとしても)いじらしいなーと思っていたら、「おかあさん、はきそう・・・」と言うが早いかリバースし始めた。ええ、咄嗟に掌を差し出したよ。立ち上がって2,3歩進んでからだったので、サクや私含めて誰にも直接はかからなかったのが不幸中の幸いでした。看護師さんたちがとても優しくテキパキと処理してくれたけど、だからって診察の順番を早めてくれたりはしないのがすごいなって思いましたw 

サクは吐いてすっきりしたのか「もう、みみいたくない」「あんまりきつくない」と言うがもちろんここまで来たからには診てもらいます。診断は副鼻腔炎。レントゲン写真の副鼻腔は見事に白くなっていた(本当は鼻腔だから空洞=黒く映る)。



そしてサクは朝のぐったり具合が嘘のように元気を取り戻し、昼も夜も食欲旺盛、遊びたい欲旺盛だったので安心であった。夜ごはんは、ヒレカツ、さけかま、チンゲン菜など野菜たっぷりの焼きビーフン、サラダ。ビール、白ワイン。サクが寝た後「ゆとりですが何か」の最終回を見る。

あ、放送大学から、単位認定の旨、郵送で届きました。科目は「社会学入門」、成績はマルA、つまり90点~100点。だよね。

 

葉月の十一 / 下関へ

●8月某日: 夫がオリンピックの試合中継をつけたのがきっかけでサクが起きる朝6時前。すぐに消音にしようとしたらしいが慣れないリモコンなので一瞬でとはいかず、その短い時間で目覚めるのが旅行中の子どもの神経。うー。ねむい。とはいえ吉田沙保里敗れるの報にいっぺんで目が覚めたのも事実。

「とと姉ちゃん」までうだうだして、見終わってから朝食ビュッフェに行く。スパークリングワインがあったのだがさすがに自重しました。あさりのお味噌汁とか、その場で焼いてくれるフレンチトーストとか、もちろん欠かせないふぐの一夜干しとか、いろいろおいしかったです。おなかいっぱいで動けない。ぶひ。10時、チェックアウトしてまずはホテル前の旧大阪商船。関門海峡の人道口まで行って、海底トンネルを歩いて渡る。



下関側に渡ると壇ノ浦合戦のモニュメント等がいくつかすぐ目に入った。バスで赤間神宮(安徳天皇を祀っている・・・はず)前も通り、水族館「海響館」へ。






国内では唯一の展示らしい、シロナガスクジラの骨格標本。骨格を見ると、クジラって魚じゃなくて哺乳類なんだなあっていうのが感覚的にわかった。

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イワシの大群とか、コブダイとか、サクもいろいろエキサイト続き。大きな魚から小さなエビ・カニに至るまでいろいろ楽しむ姿が年長さんらしいんかなーって感じ。水族館でこんなに喜ぶのもあとわずかの時間なんだろうね、とあとで夫と話す。

隣接している唐戸市場で遅い昼ごはん。ビュッフェであれほど朝食を食べたのにまた漁師丼とか握りとか・・・旅行先では胃が拡張してしまうです。





展望台にのぼったり、跳ね橋を渡ったり、旧門司税関を見たり、おみやげを物色したり、楽しかったんですがとにかく暑くてですね、家族の誰も熱中症にならなくてよかったよ。帰りは小倉から新幹線に乗る。この車内で、夕方まで終始テンションの高かったサクがいきなりガクンと疲れを見せたので、帰宅後そうそうに風呂に入れてごはんも先に食べさせる。それにしたって、ここまで元気だった。旅行するたびに、子どもの体力増強っぷりを感じます。

缶ビール1本でちょっと打ち上げするはずが、なんだかんだで11時ごろまで水割りを飲み続ける。かぼちゃそぼろ、カレー豆、オクラなど冷蔵庫のタッパーにあったものの他、夫がサッと作ってくれたきゅうりの梅生姜和え・豚肉とズッキーニのガーリック炒めが美味しかったのも、食欲飲酒欲がすすんだ一因かと思われます。「ゆとりですが何か」ついに最終回を視聴。おもしろかったー。

 

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葉月の十 / 門司港へ

●8月某日: 夫の夏休みで小旅行。・・・の前にサクは歯医者へ。3回目なのでもう落ち着いている。夫が連れて行ってくれたので、その間に掃除洗濯などできる。こういう分担ってうちでは当たり前のように行われるけど、両方ともをこなしている妻(専業、兼業問わず)は少なくないように思う。

11時半ごろ家を出て、12時20分のソニックに乗り込む。駅弁を選ぶときの「旅が始まる」感がいい。サクめっちゃ興奮してて「すごい楽しい、楽しみ、わくわくするー」のような言葉を繰り返してる。駅弁、それぞれ交換しながら食べる。通路を挟んだ隣に2歳前かな?ていう感じの女の子がママの膝に上に座ってるんだけど何度も脱走を繰り返していたのが、途中で私たち家族とのコミュニケーションに目覚めてずーっとやりとり。かわいかった。

13時10分、小倉着。在来線に乗り換える。昭和何年代製造ですか?というような、発着時のガッコンガッコンがすごい電車だった。3駅で門司港駅到着、そうかここがJR九州の始点であり終点なんだな!と、車停めの標識を見て思う。

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宿泊は門司港ホテル、徒歩5分もかからないくらいなんだけど、「門司港レトロ」というのがわかる、そして港町だなーという雰囲気がすごくある。12年ぶりくらいに来ました。推定気温35度以上、たった5分でも灼熱に晒されたあとホテルに入るとものすごい天国感。ロビーによく冷えたほうじ茶とデトックスウォーター(オレンジ、グレープフルーツ、パイナップルスイカなどの大きな輪切りがたくさん入っているのが見える)なるもののサーバーが設置されていて、天国感さらに増す。

荷物を預けて、鉄道記念館。

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昭和16年製造のSL機関車を始め古い列車を間近に見るのは迫力があって、暑い戸外の展示だけど思わず見入ってしまう。で、水分をとってほうほうのていで中に入るが、ミニ列車の運転のためまた外へ。3人のりの密閉された空間はすごく暑くてまたほうほうのていで中に入る。古いものの展示がいろいろあって存外楽しめた。1時間以上いたのでは。

歩いてホテルに戻り、部屋で少し休憩。デザイナーズホテルで、いろいろ心地よい。歩いて海峡ドラマシップへ。5時の閉館まであと30分少ししかなかったので足早に見て回る。





最上階は「リアルタイム関門海峡」とあって、「なんだろう?」とわくわくする夫に「全面窓ガラスになっててパノラマで関門海峡が見られるっていうだけの話じゃない?」と答えたらその通りだったw でもちょっとした展示があって、その中の、3Dメガネ(右が赤、左が青みたくなってる懐かしいやつ)で見る日本列島と近海の模式図はすごかった。列島がプレートの上に乗っていること、南海トラフや日本海溝、相模湾トラフというのがどういうことなのか、初めて感覚的に分かった気がする。もちろん、高いところからパノラマで見る関門海峡もそれだけでやはり面白いものではある。お互いに岸に町が見えるんだよね。

夕方になり少し気温が下がった。つらつらそぞろ歩きながら帰り、ホテルでの夕食はビュッフェ。フィッシュアンドチップスのフィッシュが、ふぐですよ。スペアリブ、ホタテのパスタ美味しかった。ビールとワイン。部屋に戻って、テレビ見ながら少し飲み足す。旅先なので、サクもいっちょまえに2次会に参加。10時過ぎ就寝。