葉月の十七
●8月某日: 夏休み最後の2日間、のんびり過ごす。といっても朝いちばんに耳鼻科に行くためバタバタしたりしてたか…。表向き9時診療開始なんだけど8時半に行ってもすでに診療は始まっている。そして待合室にはすでに患者さんがたくさん・・・。サクは先日買って間もない「よつばと!」を持参して待合室で読んでいた。
家に帰れば夏祭りの戦利品がたくさんで、私が買った起き上がりこぼし人形ズが意外なヒット。板状のものを斜めにして滑り台様にして転がすとコロコロ回りながら転がっていくんだけど、3人それぞれ表情も違うし、手作りだけに転がり方も違ってスムーズじゃなかったりするのがまた面白く、転がしながら私とサクも笑い転げた。サクは「こぼしちゃんたちの家を作る」とブロック制作。うちの間取りや家具と同じような家が出来上がっていた。
昼はサクが次々とホットケーキを焼いて、重ねて食べたり。夜は、酒ときのこのホイル焼きや、具だくさん味噌汁や、手羽元スティックの塩焼きや・・・。
ストローを5本つないで牛乳を飲む人。
●8月某日: 今日から2学期。小学校は数日前から始まっています。周辺工事の関係で1学期の始まりが遅れたのの帳尻合わせで、例年より1日早い始園日になっております。脱ゆとりのためではありませんw
朝、久しぶりに制服の吊りズボンを履いたサクが、「なんか小さい」と言う。長かったので縫い合わせていた肩ひもをほどくと「ちょうどいい」。おお、子どもってやつの成長は・・・。つい先日夏祭りもあったので、ブランク感はなく普通に登園。そのまま私は、お母さん劇団の練習。来週はもう誕生日会なのだ。ピアノの音や歌声、足音など、子どもたちの気配を感じながらの練習は楽しい(子どもたちが気にするといけないので顔は出さないようにしている)。
午前保育なので、そのままお迎え。午後、サクは友だちの家に遊びに行く。帰宅後は「なんでも屋さん」。スタッフパスを念入りにつくり、輪ゴムを切ってつないで胸にかけていた。そのパスについている(もちろん自分で書いたもの)バーコードを、ブロックで作ったバーコードリーダーでピッと読み取ってからお会計してくれるw
夜ごはんは、皿うどん、中華風蒸しナス、焼きネギ、きゅうり。夫とちびちび飲んで夜更かし。
葉月の十六 / 夏祭り
●8月某日: 8時半からランニング。ついに秋が近づいてきた。気温、27度くらいなので7キロちょっと走る。
土曜日だけど、今日も午前中は夏祭りの準備登園で、夫が車で送り迎えをしてくれた。たまにこうして送り迎えを任せると、幼稚園生活が一歩遠く感じる。当事者の輪から一歩、離れたような。夫やサクが園での出来事を話しても、いつもよりちょっとだけひとごとっぽく聞こえる。夫は普段こんな感じなのかなーと思う。もちろん、明日着るハッピを羽織り豆絞りを額に締めて、太鼓の真似をやって見せる子どもは超愛らしいでごいす。愛でるだけって楽ちん。てか、豆絞りとか自分で上手に結べるもんだなー6歳。
午後、サクは夫と歯医者へ。もう慣れたもので、堂々と出て行った。「くるまじゃなくて、ちかてつでいこうよ」とか相談して。で、せっかくできた時間なのだがわたくし、ひどい頭痛。ちょうど1ヶ月ほど前も、こうして朝ラン後の午後に頭痛で寝込んでいた記録が。なんとなくメカニズムが分かった気がする。気をつけてみよう・・・。夜ごはんは、赤身とサーモンの刺身、唐揚げ、サラダなど。夫は18:00-20:00まで、お父さん実行委員会で夏祭りの準備へ。帰宅後、飲みながら「日本でいちばん長い日」を最後まで見る。
●8月某日: 予報通りなんだけど朝から雨で、午後になると引くぐらい土砂降り、ごろごろ雷まで。「やばい、やばいー」とサクは言うが、今は雨雲レーダーという便利なものがありますので、「だいじょうぶ、夕方には小降りになる。ていうか大概降っても決行だ」と余裕で子どもをなだめ、夫婦できなこ団子作り。サクは最後のほうチョロッと手伝って、「おれのテントできゅうけいしてくる」と消えて行った。この夏、家のあちこちにテントを張るのが彼のブームである。この日も、夏布団・バスタオル・ハンガーを、紐、洗濯バサミ、テープを駆使して繋ぎ合わせて立派なやつを作っていた。
お父さんズは準備のため15時半に集合。私とサクは16時半に行く。子どもたちのワクワクが伝わってくるような園の入り口。園児お手製のおみこしを担いで園の周辺を練り歩くのと、和太鼓の演奏が年長児の見どころ。言ってみれば担いで歩くだけだし、演奏といってももちろんさほどのテクニックを見せるわけじゃないけれども、やっぱり一人一人なんか個性が出るんだよねえ。そしてそれらを(自分の子だけじゃなく他の子も)見ていて「クス、この子らしい」とか「すごい成長したな!!」とかわかり、それを見ている親同士共有できるのが、少人数で毎日送り迎えもして3年間過ごすこの園の醍醐味かなーと思う。
出店の出店は例年通りすべて父親/母親の手作り品、「仕事会」でグループに分かれて作られたもので、圧巻である。今春、転勤で転入してきた子のお父さんが、打ち上げで「いやぁ・・・正直まだ引いてます」と言ったそうなw ガチすぎるよねwww しかし手作りのおもちゃや布製品等を10円、20円という価格でお買い物できるのを、園児はもちろん小学生たちもすごく楽しみにしてる。興奮の面持ちで買い物する姿はかわいい。
夏祭りに持って行くきなこ団子100個制作。3年目にもなるといいかげん適当…いや、慣れたもんです
幼稚園の夏祭りだった。今年もまた徹頭徹尾の手作り感。2,200個/3=733串のきなこ団子は完売。ごく普通の団子なのに、みんな、魔法にかかったかのように列に並んで求めるのはなぜだ…や、私も、自分で作っといて、買って食べたけどw
ちなみに、なんの変哲もない、普通の団子粉ときな粉で作っている。そして全園児70人にもみたない幼稚園なんである。んで、「おひとりさま最高5串まで」と制限しているのに、733串、例年、早々に売り切れるのである。狐につままれたような、とはこのこと
おみこしと太鼓が年長児の見せ場。息子になかなかのリズム感とやる気が備わっているのを確認。
出店に並ぶのはおもちゃも食べ物も全てお父さん・お母さんの手作り。10円玉×10個でどんな買い物をするか、子どもたちにすれば悩むところ。年少・年中児は予算80円なので、20円増えたのを歓喜する息子であった。
備忘メモ、今年の夜店の品物。【お父さん委員会】木工車、リング飛行機、変身バトン、くじびき、コロコロ迷路、アイドルマイク、空気砲、昆虫ペーパークラフト、缶バケツ、PPボール、貝殻ミラー、ヨーヨー
備忘メモ、今年の夜店の品物。【お母さん委員会】ヘアピン、ヘアゴム、紙指輪、小物入れ、絵合わせボックス、金魚ちょうちん、動物ティッシュケース、おきあがりこぼし人形、ランチョンマット
備忘メモ、今年の夜店の品物。【お母さん委員会:飲食物】 きなこ団子、キャラメルポップコーン、ポリポリフォー、黒糖パン
夫はお父さん実行委員会の打ち上げの2次会中。実行委員っつったら、なんかやたら中心人物みたいだけど、全園児のお父さんの7割くらいで編成されているのである
夫は12時半に帰ってきた。翌朝は週明け月曜日、「ねむい・・・」と言いつつも、お父さん打ち上げ楽しかったそうです。
『夏目漱石の妻』 1話、2話
◆第1話
ゆうべ #夏目漱石の妻 1話見た。ハセヒロの醸し出す明治の文人感! セリフ回し?発声の仕方?話し方もツボる。画作りといい音楽といい(悪い意味でなく)「お話」って感じの雰囲気なんだけど、オノマチの体温があるのがいいな。生々しい肉付きを帯びるっていうか。
漱石と鏡子を見てて、どうして惹かれ合うのかわかんないけどわかる、わかるけどわかんない、相性が良さそうで良くない、悪そうで悪くない、どっちが強いのか弱いのか判然としない・・・っていう、すべてにおけるびみょーーうな感じが夫婦の物語としてすごくいいなって思った #夏目漱石の妻 第1話。
暖かい家庭で育った鏡子のてらいない笑顔を求めて結婚したけど、家庭の温もりを知らない漱石は彼女の笑顔を奪ってしまう。愛されて育った鏡子は、熊本で1人ぽっちになり漱石にも突き放されることで、初めて孤独の絶望感を知る。そんな皮肉が結果、2人を結びつけるんだからもう #夏目漱石の妻 1話
のちに関係者や世間に「悪妻」と言われる根拠になるんだろうな、ていう描写を積み重ねてたけど、どう着地するんだろ。着物のことは全然わかんないけど、鏡子の着物がどれもすごくかわいらしかった。半襟も華やかで。#夏目漱石の妻 1話。
ハセヒロの「おバカだね」炸裂。「こんなおれなんかのために死のうとするなんて」おバカだね、の意か。
◆第2話
冒頭、第1子長女筆子の誕生。奪い合うようにしながら大真面目に初めての子をあやす夫婦がコミカル。第一話で流産が重くのしかかるのを描いただけに、どこにでもあるような家族の幸せがより尊く感じられる。イギリス留学の準備をしながらのいさかいも、夫の気難しさや妻のがさつさが前面に出ていても、本質はどこにでもある夫婦の痴話ゲンカである。鏡子は実家の父の前で「2年も行ってほしくない」とこぼして泣くが、同じ思いは金之助にもあっただろう。鏡子はすぐに次の子を授かっているのだし。
次女を産んだ鏡子からは「良家出身のお嬢さん奥様」な雰囲気がなくなり、生活感を滲ませるようになるが、娘たちと過ごす表情は明るく、これが彼女の幸せなんだとわかる。そこにイギリスでの金之助の不穏な噂がもたらされるとともに、実家の中根家に忍び寄る不吉な影も説明される。夫と実家の両方が彼女を追いつめていくのが第2話の本題で、それが同時に語られ始める脚本。
帰国した金之助がひと目で「何かおかしい」と思わせる風貌で、視聴者をドキリとさせる。あの顔めっちゃ疲れそう。俳優さんすごいね。鏡子の目には「ただただ疲れ切っているだけかな」とも見えたかも…というかそうあってほしいと願っただろう、夫の気難しさは今に始まったことじゃないし、やはり夫に会えてうれしいのだ。そんな「10万円欲しいぞ」の合唱から、すぐに事態さは判明する。幼い娘を殴り妄想を並べ立てる金之助。部屋はめちゃめちゃ、怒鳴り散らしながら女中を引きずり回し、妻も。目は血走り髪はぼさぼさ着物は着崩れ、思い余って振り上げた火鉢の粉が自分にも降り注ぐのは、暴力を振るっている彼自身がボロボロなのだと印象付ける。それでもこんなの、ええ出ていきましょう、ってなる。
孫娘たちの手を引いて帰ってきた娘への父の一言目は「いつまで置いてほしいんだ?」脚本うますぎ・・・! もはや中根家に余裕がないことが如実にわかる一言。白亜の洋館も、白スーツも今は遠く、縁側に距離をおいて座る父と娘。このときの尾野真千子のうつむいた横顔が美しい。もうお嬢さんではない。生活に疲れて、傷ついて、同時に実家に心配をかけて申し訳ないと謝りながら、悲しみを訴えて泣く女。が、父の窮状を聞いて涙も引っ込む。父に暗さはない。「次の一手を考える。おまえもそうしろ」次の一手、の両者の明暗。
鏡子は医師の言葉に吹っ切れて、家に戻る。漱石は相変わらず片眉が吊り上がっている。しかも、台所で包丁を介在したやりとり。怯える娘たちを抱き寄せながら明るく言い聞かせる鏡子。そのまま漱石に向き直り宣言する。悪態をつきながら逃げるように彼が去ると、見る間に眉宇を暗くする。彼女も怖いし、不安なのだ。でも決意したのだ。ハセヒロの圧巻な病的演技に劣らず、オノマチの繊細な演技もすばらしい。
妄想に囚われてヒステリーを起こしたり、出産直後(そう、帰国後も子どもを作ってるのだ!)の鏡子をよそに彼女の実家に米粒のような文字で大量に書いた離縁状を持って行ったり、病気の金之助はパワフルである。そのたび、いちいち真に受けてたら始まらない、というようにいなす鏡子だが・・・
寒い夜、痩せこけた体をくたびれたスーツに包み、すそを濡らしながら父が訪問してくる。家の残金が払えない、というのは嘘で、その家が借家であること、父がまた相場に手を出していることを鏡子は知っている。「私はお父様に甘やかされて育ったからお父様も甘やかしてさしあげたいけど、悔しいけど今の私にはできない」。堕ちた父をではなく、助けてあげられない自分を悔しいと思うのが鏡子の心性で、そんな鏡子を育てたのが裕福で暖かい実家だったことを思うと何とも悲しい場面。
「今も夏目と戦争をしているんです。毎日、飛んでくる玉をどうかわそうかと」 夫の奇行を慣れた様子でいなしていた裏の、妻の苦渋が語られる。鏡子がとうとうと語る間も、「この悲痛も、今の父には本当には響かないのだなあ」と思う。娘の境遇は知った上で来ているのだ、なんたって、あの尋常でない離縁状を金之助に突き付けられて、さほどの時は経っていないのだから(赤子がまだ乳児)。果たして「わかっている、でも」と言い募る父を制して、鏡子は畳に額をつけ、はっきりと「助けられません」と断る。鏡子の、その痛み。
父の去ったあと、金之助が顔を出す。翌日、鏡子の弟であり中根の跡取りを呼ぶ金之助。口調こそ穏やかに始まるが、片眉が上がっているので、鏡子の緊張に視聴者も共感する。不安に反して、「共倒れになるから義父は助けられないが、君と母上のことは私が生きている限り守る」と約束する金之助。1200円という大金は無理でも400円を用立ててやる。1万倍してみると、数字がリアル。
ここに至って「病気ってなんだろう」と思わせる。金之助はすぐさま翌日に金策に走ったのだ。片眉を上げたり、下げたりしながら。ヒステリーを起こし妻への呪詛を吐くかたわら、妻の身内の窮状を思う人間性や、情も見せる。鏡子は子どもたちを抱えながら、そんな夫と、食べたり、寝たり、本を読んだりしながら生活しているのだ。
「これで帰る家がなくなったな」という金之助の言葉は、私には残酷なだけの響きじゃないように思えた。裕福であたたかな名家に育まれた令嬢を妻に迎えた金之助は、妻が実家よりも己を選び、そして貧した妻の実家を己が意思で助けたときに、本当に「自分は妻を得たのだ」と思えたのではないだろうか。そして妻を得るということは、妻の身内という厄介なものを得ることでもある。身内からは金の問題が切り離せない。それが結婚というもので、それを含めて、金之助は夫婦を続けることを選んだのだ。
黒猫の登場と共にドラマのトーンは明るくなる。カメラが黒猫の視点から家の中を動いていく映像の面白さ。無邪気な子供たち。書斎で正座したまま脇息にもたれかかっているハセヒロの「文人の後ろ姿(白い足袋)」、くたびれる生活の合間に按摩を頼み、緊張感のない表情で堪能しているオノマチの表情、ともに最高! 相変わらず調子の悪い金之助は、虚子に言われて文章を書こうとしたとき、猫になってみる。
人間の顔の造作を変なものだといい、書生をクサし、煙草に驚く。泣く人も怒る人も、猫にとっては等しく妙で滑稽で理解できないものである。来客に茶を持つタイミングで、金之助が「ひとつ、大きな声で読んでみてくれ」と言ったのは、暗に鏡子に聞かせたかったのだよね。
喜びも悲しみもしょせん浮世さ、と、これを読んだ当時の人々もみな救われるような思いがしたのかもしれないなあ。扉を隔てて笑い転げる夫婦(扉を隔ててるのがミソよのう!)に泣けてしょうがない。鏡子のこんな笑顔はいつぶりだろうか。金之助はたぶん鏡子の笑顔に惹かれて結婚を決めて、結婚してから彼女の笑顔を奪ったけれど、今、彼の書いたものが鏡子を彼女らしく笑わせている。そして、彼に「吾輩は猫である」を書かせたのは、きっと鏡子。
漱石は孤独に生きてきた(加藤虎之介の子規は、出番が少ないので個性を確立するには至らなかったけどさすがだった)。孤独を拗らせてきた。夏目家でも、熊本でも、ロンドンでも。彼が、「孤独が当然」の黒猫の視点を獲得できたのは、孤独という病根を持つからだけではなく、鏡子という家族を得て、自分には彼女と暮らす家がある、彼女も自分もここにしか家はないという芯からの実感のようなものを得たからじゃないだろうか、それが彼の孤独を黒猫の視点に昇華したんじゃないか、劇中ではそんなふうに描いているのかなと思った。
葉月の十五
●8月某日: 今日から夏祭りの準備登園。朝、家を出るときサクに「久しぶりにみんなに会うの、なんか変な感じする?」と聞いてみると、にこにこ笑いながら「すっごくする!」との答え。午前保育なのであっという間なのだけど、久しぶりの静かな午前中で、自分のことが捗る。
昼ごはんを食べた後、クラスの友だちの家に遊びに行く約束をしていたのだが、「ひとりでいきたい(私が送っていかなくていい)」と言う。子どもの足で徒歩7-8分てところ。昼間だし(夕方になると自転車やバイクが増える)、何度も行ったことあるし、大丈夫かな、とOK。喜んで、待ち合わせ時間の15分前になると、自分で水筒にお茶を入れたりして準備していた。こういうとこ自主性のある子だ。
夕方は迎えに行く。別れがたくてはしゃぎまわる子どもたち。夜は非常に疲れた様子。久しぶりの幼稚園だったもんね。「きょうすごいつかれた。おみこしもつくったし、たいこもいっぱいしたし、ぼんおどりもれんしゅうしたし、あそぶひまなかったもん」と多忙アピールw 夜ごはんは、ドライカレー、ポテトサラダ、薬味いっぱいサラダ。
●8月某日: 近所のお友だちも一緒に連れて、幼稚園まで歩いて登園。お友だちのママ、予定日も過ぎていよいよ出産までカウントダウンといった感じである。サクと友だちは、一番に幼稚園に着きたいと狙っていたけど、到着すると6番目くらいだったかな。
午前保育でお昼を家で食べてから、お金を下ろさなきゃいけないのを思い出し、ついでに本屋でサク待望の「よつばと!」13巻を買うことにする。「重大はっぴょーう!」と、まさによつばと!風にその旨、伝えると、無邪気に喜ぶサク。私も自分の欲しい本を2冊。サク、40分ほどで読み終わると、「ほんきでそうじする!」と言い出す。そういうお話が収録されてたんですね。玄関を掃いたり、調理台をぴかぴかにふきあげたり、ありがとうございます。こういうお手伝いを自主的に自己流でやって、さほどの大事故にならず普通に助かるところが6歳だなあ。
その後、大小のブロックで作り上げたレジスターを中心に「本屋さん」開店。レジは、品物を置く台、お金を置く皿(高坏式)、金額を表示する表示板、バーコードリーダー、そしてカードリーダーまで備えた本格派であった。夜ごはん、ぎょうざ、焼きビーフン、蒸しナス、きゅうりとオクラとみょうが。妙に肉肉しい餃子になり(水が出るのが怖くて野菜より肉を多くしちゃうの)お腹いっぱい。
葉月の十四 / 『世界の友だち』 『トットちゃんとアフガニスタンの子どもたち』
●8月某日: 久しぶりに、幼稚園の預かり保育へ。ということでお弁当、ちりめんごはん、ソーセージ、卵焼き、厚揚げ煮をトースターでカリッと焼いたの、かぼちゃ煮、枝豆、チーズ。
この10日ほどお盆だったり旅行だったりパパの夏休みだったりでお休みモードをすっかり満喫していたサクだが、意外に朝の準備も順調で、「ちょっと早めに迎えに行こうか?」と言っても「ダメ! いっぱいあそぶから、ちょっとおそくきて」と言う。いってらっしゃーい。存分に遊んできておくれ。一人の昼食、久しぶりに納豆パスタを作って食べた。
迎えに行くと、つかまえたハンミョウを虫かごに入れて持って帰ると言う。エサにアリを入れている。帰り道のついでに、私の靴を修理に出し、新しいサクの長靴を買ったり。夜ごはんは、鶏とナスとピーマンのグリル、味噌汁、サラダ。サクが寝てから、夫と『日本でいちばん長い日』の録画を40分ほど見る。イマイチだという評判をネットで見たので、そこは絶品だという本木雅弘の昭和天皇だけチラッと見ようかな、ぐらいだったのだが、なかなか面白い。
●8月某日: 朝イチで耳鼻科。8時半に着き(本来の診療時間は9時から)、こないだよりはだいぶ早かったものの1時間以上は待つ。待合室の絵本、家から持って行った(図書館で借りていた)絵本など読んであげたりするけど、小さい子の大きな鳴き声が響いて来たりするので、まぁ集中できる環境ではないわな。しかし暗くも機嫌悪くもならずに待つサクの辛抱強さに親が救われるわ。鼻うがいも上手で褒められていた。子どもってポテンシャルあるなあ。
図書館とか、スーパーとかちょこちょこ寄り道して帰宅。蝉の合唱が明らかにトーンダウンしている。朝早い時間の風も少しずつさやかに。昼間はまだ暑いけど、夏は終わりに近づいている。図書館で借りた絵本、「あしのうらのはなし」「はらっぱカップ」どちらも私が目を留めたものなんだけど、サク、案の定ハマる。
その国の一人の子ども(今回借りたブラジルのミゲルは11歳だった)に焦点を当て、家族、家、学校、友だち、町の気候や風習、お祭りなどをカラー写真と文章で紹介していく大型写真ドキュメンタリー本、といったところ。URL
本で取り上げているくらいの年の子が対象年齢だと思うので、綺麗にまとめられてはいるけれど、その国がどんな気候なのか、学校は何時に始まり、どんな授業があり、昼食にどんなものを食べているのか、友だちとどんな遊びをしてるのかなど、カラー写真で具体的に見られてとても面白い。
11歳のミゲルが近くのビーチに行くときはもちろん、友だちと公園で遊ぶようなときも、大人の付き添いが必ず必要で、そのへんの路地が遊び場だったミゲル父の時代とは、リオも大きく変わっているようです。両親は離婚しているけど打ち合わせあって子どもたちに付き添っているそう。ミゲル母は公務員。
2001年7月時点、アフガンでは20年以上も内戦が続き、その上30年ぶりの大干ばつで3年以上も雨が降っていなかった。避難民キャンプには13万5千人が暮らし、お年寄りや戦争未亡人、子どもたちを含む人々が45度の暑さにじっと耐えていた。1月には零下25度まで気温が下がる(黒柳著)
黒柳「私は現場で涙を流すことはありません。でも日本に帰って、田沼さんの写真を見て、現場では気づかなかったり見えなかった「真実」を知り、涙するのです。また、人々の「心」を読むこともあります。絶望のように見えても、子どもたちの中に私は希望を見ます。田沼さんも多分そうなのでしょう」
夕方、家の近くでダッシュ。
今日も息子6歳と夕方のダッシュ十数本。右太ももにちょっと痛みがあるな…
ダッシュはランニングとは全く違う筋肉を使うから、最初にやった翌日、思いもかけないところが筋肉痛になり、「おおー」と軽く感動。続けたら、それらの筋肉が鍛えられていくってことよね。
ちなみに、内腿とハムストリングスと足首にきたのでした。
夜ごはん、ひき肉と野菜のオムレツ、とうもろこし、ツナとオクラときゅうり。夫は急きょ飲み会。
葉月の十三 / リオ五輪閉会式とか
●8月某日: サク、2種類の薬を自分でちゃんと飲んでいる。えらい。そして詰まっていた鼻水が出だした。すんごいたまってる感。熱は37度前半だけど何となくダルいのか、夫がいてもどこか行きたいとも言わず、1日家で遊ぶ。まあ夫がよく遊んでくれるからでもあるが。
夕方、夫と交代で走る。どうにか30度以下に下がってくれないかなとお天気サイトをちょこちょこチェックしていたのだが、17時でもまだ31度超。外に出てみると少し風はあった。5キロちょっと。
夜ごはんは、イカと玉ねぎのパスタ、ニラだらけのニラとじ、キャベツグリル。サクにはハンバーグ。明日も夫が夏休みなので日曜日だけど飲むんである。
サクが寝た後、『真田丸』の録画、続いてオリンピックの総集編みたいな番組。
「ようけメダルとったよねえ」
「始まってみると盛り上がるな」
「吉田・・・(涙)」
「福士、よっぱらっとるみたいやな」←インタビューを見て夫
「おっと、福士の悪口はそこまでだ」←制する私
「しかしこれ、東京五輪時はかえってプレッシャーのなるのでは」
など話しながら見る。並行して男子マラソンをちょこちょこ。猫ひろしはブービーあたりを走っているとの情報だが、ゴールする前に中継は終わった。リオ五輪ももう終わる。
●8月某日: 夫は今日まで夏休み。午前中、リオ五輪の閉会式をぼんやり見たり。
小池都知事、大会旗うけとる
なぬっ、合唱版君が代
マリオ安倍
中田ヤスタカ音楽と青森大学男子新体操さ
お、応援団
椎名林檎プロデュースか!!
スピーディーでスタイリッシュな映像にはキャプ翼やらドラえもんやらも混ざり、面白かった。土管から出てくるマリオは首相でないとダメやったんかな。まぁ首相の風貌からの連想でもあるんだろうけど。どの五輪セレモニーでも首相は出るものなんだろうけど。
たった数分間の引き継ぎセレモニーでも、かっこいい演出を見るとなんとなくナショナリズム的……というのが大袈裟でも、お祭り的な気持ちが高揚してしまう。大事なことをいろいろ忘れないようにせんとな。日本はすばらしいとこたくさんあるけど問題もいろいろある、酔ってばかりはいられない
個人的に、最後に安倍さんが出てきたとこでスッとそういう、醒めた気持ちになった。彼は私にとって、どちらかといえば演出で伝えられた日本のかっこいいとこ面白いとこではなく、それに描かれなかった日本の危うさや旧弊のほうにコミットしている人物なんだなと再確認
椎名林檎といわれてみれば全編椎名林檎だったな。君が代の合唱のアレンジからして。
@emitemit: 野田秀樹インタビュー 「エッグ」パリ公演 URL 「スポーツが国を背負った場合のナショナリズム、急に人を煽る力には異様な吸引力があります。スポーツでは理屈関係なく自分の国を応援してしまう、そんな人間の危うさが面白いとも感じています」
「どっかいきたい」と盛んにいうものの、どうもいまひとついつもの覇気に欠けるサク。やはり体調不良であろう。微熱もあるし。お出かけしたい気持ちの代わりに、我が家では珍しく宅配ピザを頼むことにした。興奮気味にメニューを選び、すっごくおいしいと食べていた。うんうん、行かなくてよかった。家のほうが、落ち着いて食べられるしね。でも結局、食べたあと夫とキャナルシティに出かけていたw 夫自身、ちょっと買い物したかったようである。めぼしいものはなかったらしく、サクがポケットトミカを何個もポケットに入れて帰ってきただけだったが。ゲームセンターで千円くらい注ぎ込んだようです。
夕方、仲良しのNくんが、ママと散歩がてら美味しい梨のおすそわけに来てくれたので、1時間ほどうちで遊んでいく。10日ぶりくらいに会う2人は一瞬照れくさそうにしたあといつものテンションになり盛り上がって、離れがたさはいつも以上のようだった。夜ごはんは、この夏きっと最初で最後のうな丼! えのきのお吸い物、オクラと厚揚げの煮物。
『真田丸』 第45話 「完封」
うう……今日が最終回じゃない悲しみ…… #真田丸
大声で下知して策を当ててゆく信繁へのカタルシスは大なんだけど、それはつまり相手の命を確実に奪ってるってことで、もちろん自分たちも命を晒してるわけで、死に様は生き様だから、知恵を用いて勇敢に戦う者を称えたくなるのだよねぇ、お屋形さま #真田丸
木村重成の役者、白石さんは、系統的に中川大志くんと似てて、現場を機動的に動けない秀頼に代わって信繁らの薫陶を受ける形代みたいにも見える。とても端正でフレッシュな役者さんですね #真田丸
信之が源次郎を心配し、力になりたいと願っているほどには……というか、源次郎のほうは兄をほとんど慮っていない様子なのが、なにげにずっと気になってる。多分わざとなんだろうけど。きっと最後に「真田はひとつ」なエピソードがあるんだろうさ……泣 #真田丸
井伊の軍を見て同じ赤備えだね、彼らにもここに至るまでの物語があったろうね、って、ここに至って来年への言及をしゃらっと入れちゃう三谷さんの遊び心とガチの大河ファンぶり。#真田丸
うう・・・。「ご公儀」(←稲の口からこの言葉が出たよね、本編で初めてだよね)の大軍相手に胸のすくような勝利なのに、なんか切ないんだよね。私だけ?
44話かかってやっとこさ真田丸も完成したし、今年は大坂方が勝っちゃうんじゃないかって気運もあるけど、でもそんなことにはならないのもわかってて。この勝利も、城も、この人やあの人の命も、遠からず失われる。「日本一のつわもの」という輝かしい称号だけを残して。そんな悲しみを底流にずっと感じていた。
頭文字「お」は織田有楽斎じゃなく厨の大隅さん(?)だったのか。だから自他ともに認める戦に不向きの与八を貼りつかせることにしたのか。「これも戦だ」。いや・・・これまだひっくり返される可能性あるな。
兵は塊じゃない。一人一人に顔があり思いがある。その重み。城の中には内通者がいる。軍勢の中にも戦ばたらきが苦手な者がいる。軽輩だけでなく、隊を率いる将にさえ。神への祈りを欠かさない者もいる。敵軍にもここに至るまでの物語がある。空堀を必死にのぼってくる、一人一人の兵にも。多くの兵に一斉に射撃させ、そんな兵たちを一人一人斃している。命を奪ってる。
勝ち戦を創作作品で見るのは気持ちいいんだけど、一人一人違う者たちをひとところに大量に集めて十把一絡げに戦わせ、死なせている苦みの描写にも、一定のウエイトが割かれている。勝ち戦の影でほとんど無駄死にのように死んだ梅のことを覚えてる。
戦場に出れば人の命はうんと軽くなるから、死に物狂いで戦わなきゃいけない。自軍を勝たせなきゃいけない。だから「日本一のつわもの」を景勝が言うのは何だか納得がいった。大身を30万石にまで減らされ、なお生き延びるために家康に従うこと汲々たある有様の上杉の目から見て、源次郎は、敵を殺し、配下を死なせ、自分も死ぬかもしれない危険を冒す価値のある戦をしているということだろう。知恵があり、勇敢で、己の意思で戦って、味方を勝利に導いている。景勝だけでなく、直江の顔もほころんでいるのが泣ける。
始終、静かに理知的に事を運ぶ源次郎が、息子がかつての己と同じ大役をつとめきったのを見ると思いきり相好を崩して快哉を叫び、再会でも手放しで褒め称える(ほっぺぺちぺち!)。この父と息子との関係は、要点は押さえたものの昌幸と息子たちほどには深く描かれることがなかったけど、さすが要点は押さえ続けてるって感じ。初陣を嘉する内記の滋味深いたたずまいもよかった。
秀忠 「大敗じゃ」
わかりやすい説明ありがとうございました(笑)。
大勝に沸く陣中で、少し声が裏返る信繁(堺さん巧い!)。こちらも興奮を隠しきれない木村長門守重成に打ち明ける。「こんな大戦は初めてで、口から心の臓が飛び出そうだった」。そう、これは私たちが見てきた真田源次郎信繁がやった戦。「日の本一のつわもの」と呼ばれても、動悸も息切れもする生身の人間。
「面白いように策が当たったな」という後藤又兵衛に、「策とはそういうものだ」と源次郎が言ったとき、すげーかっこいかったんだけど、ふと「策を当てらなかったとき、源次郎は死ぬのかな」と思った。今回の大敗を受けた家康は「次の策を考える」と言っていた。真田丸を作るまでの源次郎もいろいろな障壁を「次の策、次の策」と考えてきた。敵も同じだ。
思えば一話で、昌幸が「捨て鉢にならず最後まで策を尽くした者だけに活路はひらける」と言ったのだった。源次郎は大阪で死ぬ。大坂方は敗れる。源次郎が捨て鉢になるとは思えない。尽くした策の上をいかれて死ぬんだろうか。それとも、敗れてなお何かの活路が開けるんだろうか。
大坂に兵糧を届けたいという福島、平野。信之の願いを一蹴する稲(女の存在も気にしてる)。そっと、届けられる量を数えて告げるおこう(女の存在もたぶん・・・・気づいてるんでしょうね)。徳川方にもいろんな人間がいていろんな思いがある。
今度は茶々の侍女にされちゃったきりちゃん。きりちゃんは死なないと信じてるんだけど(きりちゃんまで死んだら全俺が立ち直れない)、茶々付きになるってことは茶々の死を見るのか。信繁の死は見られないのか。霧隠才蔵化して戦場に行っちゃうことはないのか?!
葉月の十二
●8月某日: 朝起きたサクが暗い顔で「みみがいたい」と言う。確かにここ数日、咳が出ていたり鼻が詰まっている様子だった。元気いっぱいだし機嫌がいいので軽症だとばかり思っていたが・・・。熱は37度2分程度だが、中耳炎かもしれないし、土曜日なので今日のうちに耳鼻科に行っておくことに。朝ごはんもほとんど入らないし、着替えるのも億劫がり、吐き気を訴えてトイレに駆け込んだり。
ネットで調べて初めて行った耳鼻科、8時半に着いたけど(診療開始は9時となっている)既に診療が始まっていて、既に待合室はほぼ満席…。初めの30分は車の中で待ち、それから待合室に戻るが、1時間経っても呼ばれない。それでも絵本を見たりスマホの写真を見たりしながらおとなしく待っているサクを(具合が悪くて暴れる元気がないのだとしても)いじらしいなーと思っていたら、「おかあさん、はきそう・・・」と言うが早いかリバースし始めた。ええ、咄嗟に掌を差し出したよ。立ち上がって2,3歩進んでからだったので、サクや私含めて誰にも直接はかからなかったのが不幸中の幸いでした。看護師さんたちがとても優しくテキパキと処理してくれたけど、だからって診察の順番を早めてくれたりはしないのがすごいなって思いましたw
サクは吐いてすっきりしたのか「もう、みみいたくない」「あんまりきつくない」と言うがもちろんここまで来たからには診てもらいます。診断は副鼻腔炎。レントゲン写真の副鼻腔は見事に白くなっていた(本当は鼻腔だから空洞=黒く映る)。
今日は朝から息子を耳鼻科に連れて行き、病院に着いてから薬をもらうまでに2時間半、待合室で息子が突然嘔吐するオプション付き。こういうイレギュラーな疲労時、何をお願いせずとも夫が買い物に行ったり昼ごはん作ってくれるのは本当に有難いんだけど、これがないご家庭の方が多いんだろうなー…
そしてサクは朝のぐったり具合が嘘のように元気を取り戻し、昼も夜も食欲旺盛、遊びたい欲旺盛だったので安心であった。夜ごはんは、ヒレカツ、さけかま、チンゲン菜など野菜たっぷりの焼きビーフン、サラダ。ビール、白ワイン。サクが寝た後「ゆとりですが何か」の最終回を見る。
あ、放送大学から、単位認定の旨、郵送で届きました。科目は「社会学入門」、成績はマルA、つまり90点~100点。だよね。
葉月の十一 / 下関へ
●8月某日: 夫がオリンピックの試合中継をつけたのがきっかけでサクが起きる朝6時前。すぐに消音にしようとしたらしいが慣れないリモコンなので一瞬でとはいかず、その短い時間で目覚めるのが旅行中の子どもの神経。うー。ねむい。とはいえ吉田沙保里敗れるの報にいっぺんで目が覚めたのも事実。
「とと姉ちゃん」までうだうだして、見終わってから朝食ビュッフェに行く。スパークリングワインがあったのだがさすがに自重しました。あさりのお味噌汁とか、その場で焼いてくれるフレンチトーストとか、もちろん欠かせないふぐの一夜干しとか、いろいろおいしかったです。おなかいっぱいで動けない。ぶひ。10時、チェックアウトしてまずはホテル前の旧大阪商船。関門海峡の人道口まで行って、海底トンネルを歩いて渡る。
【関門海峡うんちく】ちなみに海面下58メートルの人道トンネルは長さ780メートルです。15分弱で渡れますが汗だくでした
下関側に渡ると壇ノ浦合戦のモニュメント等がいくつかすぐ目に入った。バスで赤間神宮(安徳天皇を祀っている・・・はず)前も通り、水族館「海響館」へ。
海響館、初めて行ったけど、すごくいい水族館だった。そこにいる生き物たちを見ておおっと思うのはもちろん、水族館って、どこも本当に海や川の生き物たち(および海や川そのもの)に対する深い思いが感じられて好きだ
どの水族館もやはり、地域の海や川の説明や展示は必ずあって、ひとことで海や川といっても潮の流れや速さも水温もいろいろで、だから生態系もいろいろなんだなーと当たり前のことをあらためて感じる
海響館では今、イルカがみな育児中のためイルカショーはお休み。プールではそれぞれ今年4月、5月、6月に生まれた子イルカ3頭が、ママイルカに寄り添ったりお乳飲んだりしながら泳いでいてかわいかった。ちなみにみんな同じパパらしい。そしてパパは今、和歌山の水族館にいるらしい。パパも多忙
亜熱帯の大水槽にはピラルクやらジャウーやらがうようよいて大迫力! 先日、福岡市博物館の大アマゾン展で剥製を見たばかりだっただけに、2mくらいあるんじゃないのっていう巨大なピラルクの生きた姿に興奮
海響館、入り口付近には「繁殖賞」の盾が誇らしげにずらりと並んでいた。50くらいあったかも? 日本で初めての種を繁殖させ(自然・人工どちらでも)6か月以上育てられたら賞されるものらしい。水族館は誰でも楽しめるところでもあり、保護や研究の場所でもあるんだね
恐竜? いいえ、くじらの骨です。 URL
国内では唯一の展示らしい、シロナガスクジラの骨格標本。骨格を見ると、クジラって魚じゃなくて哺乳類なんだなあっていうのが感覚的にわかった。
イワシの大群とか、コブダイとか、サクもいろいろエキサイト続き。大きな魚から小さなエビ・カニに至るまでいろいろ楽しむ姿が年長さんらしいんかなーって感じ。水族館でこんなに喜ぶのもあとわずかの時間なんだろうね、とあとで夫と話す。
隣接している唐戸市場で遅い昼ごはん。ビュッフェであれほど朝食を食べたのにまた漁師丼とか握りとか・・・旅行先では胃が拡張してしまうです。
今度は船で関門海峡を渡り、九州に戻ります
【関門海峡うんちく】船で5分で行き来できます URL
気温35度くらいだったろう灼熱の午後2時、いろいろ歩いてさぁホテルに戻ろうと見たら、ちょうど跳ね橋が上がっていて船が通過、「おーっ」って喜んだあと「橋に戻るまであと10分以上ある。迂回しなきゃね…」って気づいたときの軽い絶望感、なかなか珍しい経験だった
展望台にのぼったり、跳ね橋を渡ったり、旧門司税関を見たり、おみやげを物色したり、楽しかったんですがとにかく暑くてですね、家族の誰も熱中症にならなくてよかったよ。帰りは小倉から新幹線に乗る。この車内で、夕方まで終始テンションの高かったサクがいきなりガクンと疲れを見せたので、帰宅後そうそうに風呂に入れてごはんも先に食べさせる。それにしたって、ここまで元気だった。旅行するたびに、子どもの体力増強っぷりを感じます。
缶ビール1本でちょっと打ち上げするはずが、なんだかんだで11時ごろまで水割りを飲み続ける。かぼちゃそぼろ、カレー豆、オクラなど冷蔵庫のタッパーにあったものの他、夫がサッと作ってくれたきゅうりの梅生姜和え・豚肉とズッキーニのガーリック炒めが美味しかったのも、食欲飲酒欲がすすんだ一因かと思われます。「ゆとりですが何か」ついに最終回を視聴。おもしろかったー。
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葉月の十 / 門司港へ
●8月某日: 夫の夏休みで小旅行。・・・の前にサクは歯医者へ。3回目なのでもう落ち着いている。夫が連れて行ってくれたので、その間に掃除洗濯などできる。こういう分担ってうちでは当たり前のように行われるけど、両方ともをこなしている妻(専業、兼業問わず)は少なくないように思う。
11時半ごろ家を出て、12時20分のソニックに乗り込む。駅弁を選ぶときの「旅が始まる」感がいい。サクめっちゃ興奮してて「すごい楽しい、楽しみ、わくわくするー」のような言葉を繰り返してる。駅弁、それぞれ交換しながら食べる。通路を挟んだ隣に2歳前かな?ていう感じの女の子がママの膝に上に座ってるんだけど何度も脱走を繰り返していたのが、途中で私たち家族とのコミュニケーションに目覚めてずーっとやりとり。かわいかった。
13時10分、小倉着。在来線に乗り換える。昭和何年代製造ですか?というような、発着時のガッコンガッコンがすごい電車だった。3駅で門司港駅到着、そうかここがJR九州の始点であり終点なんだな!と、車停めの標識を見て思う。
宿泊は門司港ホテル、徒歩5分もかからないくらいなんだけど、「門司港レトロ」というのがわかる、そして港町だなーという雰囲気がすごくある。12年ぶりくらいに来ました。推定気温35度以上、たった5分でも灼熱に晒されたあとホテルに入るとものすごい天国感。ロビーによく冷えたほうじ茶とデトックスウォーター(オレンジ、グレープフルーツ、パイナップルスイカなどの大きな輪切りがたくさん入っているのが見える)なるもののサーバーが設置されていて、天国感さらに増す。
荷物を預けて、鉄道記念館。
昭和16年製造のSL機関車を始め古い列車を間近に見るのは迫力があって、暑い戸外の展示だけど思わず見入ってしまう。で、水分をとってほうほうのていで中に入るが、ミニ列車の運転のためまた外へ。3人のりの密閉された空間はすごく暑くてまたほうほうのていで中に入る。古いものの展示がいろいろあって存外楽しめた。1時間以上いたのでは。
歩いてホテルに戻り、部屋で少し休憩。デザイナーズホテルで、いろいろ心地よい。歩いて海峡ドラマシップへ。5時の閉館まであと30分少ししかなかったので足早に見て回る。
壇ノ浦合戦図の人形を見た息子6歳が「このひと、やがいっぱいささっとう」と言うので「それで重い碇を体に巻き付けて海に沈んで死ぬんだよ。歌舞伎で碇知盛ってお話になってる。ほら、この人もこの人も矢が刺さってる。白い旗の方が勝って赤い旗の人はほとんど死んだよ」と大まかに説明すると引いてた
馬関戦争図の人形では、「これ、うるさいんやろな…」と、大砲のそばで耳を押さえている長州兵に目を留めていた。私「こっちが長州軍、つまり山口の人ね、で、あっちの大きい船が敵で、イギリス」 息子6歳「えっイギリス。むかし、いかんな…たたかいとかさ…」 そ、いろいろあって今があるんだよ
同じく馬関戦争の人形図を見た夫は「馬関の ”馬” って何?」と無邪気な顔で尋ねてきた。馬関は地名だよ、下関のことを昔は馬関ともいっていたんだよ、と優しく説明すると、へぇーっと感心してくれたので超和みました
最上階は「リアルタイム関門海峡」とあって、「なんだろう?」とわくわくする夫に「全面窓ガラスになっててパノラマで関門海峡が見られるっていうだけの話じゃない?」と答えたらその通りだったw でもちょっとした展示があって、その中の、3Dメガネ(右が赤、左が青みたくなってる懐かしいやつ)で見る日本列島と近海の模式図はすごかった。列島がプレートの上に乗っていること、南海トラフや日本海溝、相模湾トラフというのがどういうことなのか、初めて感覚的に分かった気がする。もちろん、高いところからパノラマで見る関門海峡もそれだけでやはり面白いものではある。お互いに岸に町が見えるんだよね。
夕方になり少し気温が下がった。つらつらそぞろ歩きながら帰り、ホテルでの夕食はビュッフェ。フィッシュアンドチップスのフィッシュが、ふぐですよ。スペアリブ、ホタテのパスタ美味しかった。ビールとワイン。部屋に戻って、テレビ見ながら少し飲み足す。旅先なので、サクもいっちょまえに2次会に参加。10時過ぎ就寝。