『真田丸』 第44話 「築城」

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トンチキぶりに定評のある松姉さんが、通行止めにもめげず確固たる意思で真田の陣までたどり着くの良かったなあ。出雲阿国をここで回収。シルビア・グラブかっこよかった。先代の登場の時、まさか山三郎が出てきてあの逸話を匂わせるんじゃなかろーねとチラとよぎったけど、なくて何よりでした。踊り子の扮装で上座につく松。何をやってでも生き延びる、という真田の一族らしい画だった。しかし次世代の弟は「そんなん知らんし」と歯ぎしりする。この兄弟の帰着は、ドラマ上どうするのかな。

そのころ、姉に決死の伝言を頼んだ信之はと言いますと、沈痛な面持ちでのひとり語り…かと思いきや、お通さんいるじゃないですか。え? てか、お通さんは生粋の都人で、お兄ちゃんは体調が悪いから参陣できないっていう理屈だったんじゃ・・・は? 江戸に呼び寄せてんの?! ここにきて隅におけない流れw このこのォw 

八木亜希子がなかなか見事に年を取っていて(鈴木京香の寧と同じく、そういうメイクに徹してるのもあると思う)、内緒の女、京の雅の人といっても、生臭さがないのが信之っぽいのだが。匂いに注意するのは不倫の基本のキなのにそこであっさりバレるのも信之w さあ、「真田の女」稲は怒るかな? 九度山仕送りの件はとっくにバレてて、看過してたようにも思うし、まぁ側女の一人や二人、九万五千石の大名ですもんね。でも、手の痺れについては稲も優しくさすったりして労わる描写があっただけに、京の女に良い匂いで治されたらいい気はしませんよな。という、微妙な案件。




安定の伊達政宗と安定の上杉主従w このちょっとした出番でもクスッとなっちゃうのが三谷脚本の巧さやね。伊達なんてさほど出番ないのに、キャラの定着ぶりがw 

内野さん、メイクや動きでの老年の表現はもちろんすごいけど、老けたガラガラ声であんな大音声を張り上げるってさすがだなあ。

秀忠は、相変わらず父には頭が上がらないようでいて、ずいぶん変わっている。以前は父の前では能面のようだったのに、父のやることにいちいち慌てたりため息をついたり、「お年を考えてください」とも言ってたし、仰げと言われたら「はいはい」って返事したw 秀忠かわいいよ秀忠。将軍職十数年の自信が所帯感をw

大坂城では、又兵衛と勝永がヤンキーコンビみたくなってて、信繁を自分らとは種類が違う人間とは思いつつも一目おいてるふうなのがおもしろい。とにかく大坂城に21世紀の雰囲気を漂わせる人間がいないのがすばらしい。いや、大坂城だけじゃなくこのドラマ全般そうか。

ラスト近く、くっつき虫を宣言する木村重成を含んだ信繁・又兵衛一行が、塙やら大野弟やら明石やらと次々にすれ違い会話を交わす流れが舞台っぽくて面白かった。「スペースの節約面でも真田丸は優れている」みたいな記事が最近出てたみたいだけど、そんな中で面白い場面をヒョヒョイッと(かどうかわからないが、そう見える)書けるのが脚本家のセンスと経験値だろうね。

徳川方に情報を伝えている内通者、手紙の末尾に「お」の記名があった。「お」がつく御仁、城内に何人かいるけど、その「お」もひっかけ問題かもしれないけど、多分、あの人だよなあ・・・。



すみません。矢八じゃなくて与八やん。漆を三度塗り・・・すごいね。アレルギーの人は戦に行く前に倒れるし。

このドラマでの茶々は他人の心にも政治にも疎いし信繁を色仕掛けで落とすようなこともしないけど、それなのにというか、それだけにというか、ブラックホールみたいに怖い。






茶々は怖いけどこのドラマで一番脆い女の人でもあるし、だからこそ怖く、面白いのです。信繁とも、単純に「心の恋人」「結ばれなかった運命の人」みたいになるんじゃなく、愛憎入り混じるというか、決して羨ましくない運命の2人って感じなのがいいです(笑)。

戦国モノで茶々といえばどんな作品でもある種のキーマンで、大河だけでもこれまで樋口可南子やら松たか子やら小川真由美(!2000年よ!!)やら瀬戸朝香、永作博美にフカキョンとそうそうたる女優が演じてきたわけで、近年では宮沢りえの憑依っぷりが(脚本がアレだったのにという驚きもあるので)印象深いのだけど、歴代の中でも今後屹立して語られる茶々の一人になるんじゃないでしょうか、この茶々。竹内結子のどっしりとしてるのにホロリと崩れそうな独特の雰囲気もすばらしい。




だいたい大河の11月って、作る側も見る側もいいかげん疲れてかなり消化試合っぽくなってしまって、がんばってテコ入れしても往々にして的外れだったりするんだけど(笑)、さすが三谷さんは子どもの頃からの大河オタクだし2度目の大河執筆だしで心得てるなあ、と。2度目っていうのも大きいと思う。「新選組!」も最後まで面白かったんだろうけども。見どころのある脚本家には2度目を書かせてほしいなあ。ま、一回でもうこりごり、って作家も多いか。あと、2度目でぐだぐだになった田淵女史のような人もいるけど・・・



ことさら時代がかった言葉を使わないこのドラマで、ここでは「真田丸だ!」と言わずに「真田丸よ!」なのがまた、心得てるよねぇ!

ついに自分の城を持った、という信繁だけど、これまで経営陣の方針の中でのみ仕事してるんだよね。真田丸も、大野治長(という首脳陣)の許しがあったから着手した。最後までその「奉公人(秀吉時代)」「請負人(今)」的な立場に徹するのか、最後にはそういうのを超えた「自分のための戦」をするのか、注目してる。

 

 

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葉月の九 / アイスクリーム作り

●8月某日: なぜか6時に起きるサク。パパとママはゆうべ遅くまでテレビ見ながら飲んだりしてけっこう眠いんですがね…。「ねえ、はやくおきたら、かぶとむしとかくわがた、つかまえにいくんじゃなかった?」と、言質を持ち出して夫を起こしている。夫、眠そうながらも「そうだったね」と起き出して、2人で早朝(ってほどでもないけどさ)の虫捕りに。結果はゼロだったけど、楽しそうに帰ってきた。そして眠い目をこすりながら出勤していった夫であった。おつかれ!

そしてなぜか次には「アイスクリームつくりたい、つくりたい」と連呼するサク。「えー、ハンドミキサーないからなー。今度、パパがお休みのときに買いに行ってからにしようよ」となだめようとするも聞かず。「ブレンダーでもできるのかなー」とか言いながら私がパソコンに向かうと、「アイスクリーム ブレンダー でしらべたら?」とか検索ワードを提案してくるんだが、そんなワザをいったいどこで覚えたのだよ…。

で、結局、素直に泡立て器で作ることにする。

私「すごくいっぱいかきまぜなきゃいけんけん、手が痛くなると思うよ、初めてだから上手にできるかわからんよ、それでもいい?」
サク「いい!」
私「そうだよね、別に失敗したっていいもんね、最初からうまくできんでもあたりまえだし」
サク「そうそう!」 

で、卵黄とグラニュー糖をかきまぜ、生クリームを泡立て・・・ キッチンタイマーで測りながら、私2分→サク1分と交代でかき混ぜること4往復くらい? 「なんか、固くなってきたー!」「ほんとだー!」 ツノ立った、立った。「クララが立った」ばりの盛り上がりであったw 

で、冷凍庫に入れたのをちょいちょい開けてチェックするサク、3時間経っても「ヨーグルトやね」と苦笑交じりだったんだけど、「ま、そんなもんか。しょうがないよね。ちょっと食べてみよう」ってスプーンを奥までいれたら「?!」「こおってる!」「アイスだ」「アイスだー!」ってそのときの盛り上がりといったらクララが(ry 「おいしい」「美味しい」「アイスだ」「これアイス以外の何物でもない!」 そのときの盛り上が(ry

夕方、家の近くの道でサクと20本近いダッシュやリレーもどきを繰り広げる。

子ども元気。すごく。汗ダラダラでお風呂直行。夜ごはんは、鶏手羽のトマト煮、かぼちゃそぼろ、きゅうりとオクラと玉ねぎとミニトマトのサラダ。サク寝てから夫と飲みつつ、オリンピック女子バドミントンの準決勝。タカマツペアは韓国ペアに見事勝利! バドミントンも腕はもちろん、膝とか足首とかにも相当負担のかかるスポーツだなあ。スポーツって本当に身を削り、鋼のメンタルでやるものだなあ。その後、「ゆとりですが何か」の録画。ついに次回が最終回だ!

 

●8月某日: ちひろちゃんちに遊びに行く。もうこの夏はこれ推しだ!と決めているきゅうりとしょうが、とうもろこしの混ぜ寿司なんかをまた作っていく。ゆまちゃん、しゅーた、2人とも大歓迎してくれる。1歳半のしゅーた、年上の男の子が大好きなようで、女の子が来たときと興奮の仕方が違うそう。

しばらく前に断乳したちひろちゃんがスパークリングワインを冷やしてくれてて、おおーちひろちゃんと飲むのって久しぶりね。なんだかんだとにかく食べ続け飲み続けながらだったんだけどそこに必ず居るしゅーた! むちゃくちゃ食べる。サクの2倍くらい食べてるかも。5,6歳児、よく遊ぶ。レジ袋で作ったボールの打ち合いしたり、プールに入ったり線路組み立てて町を作ったり折り紙したり。親子とも満喫して帰宅、夜ごはんは焼きそば。きゅうり、ミニトマトなど。

 

『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』

 

村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)

村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)

 

 

対談形式で進む本。随時、両者がフットノートという形で補足説明する。

村上春樹は表だったところにはなかなか出てこないといっても、作品や心境を語るエッセイやインタビューは意外に多くて、私はそれらをかなり読んでいるほうだと思うし(むしろ小説そのものはあまり読んでいないんだけど)、この対談時期は1995年11月だから、もうずいぶん前のものなんだけど、それでも思った以上に他の本とは違う感興があった。

語り始めはコミットメント(「関わり」と本文中にカッコ書き)のこと。デビューしたころはデタッチメント(関わりのなさ)が大事なことだったけれど、今はコミットメントのことをとても考えている、と村上。外国に出て、長く暮らしたことが大きいという。

その間に湾岸戦争が起き、阪神大震災があり、地下鉄サリン事件があった。

(アメリカに住んでいると)日本人の世界の理屈と、日本以外の世界の理屈は、まったくかみ合っていないというのがひしひしとわかるんですね。ぼくもアメリカ人に何も説明できない。なぜ日本は軍隊を送らないかというのは、ぼくは日本人の考えていることはわかるから、説明しようと思うんだけど、まったくだめなんですね。

 

自分のテリトリー外に出て、初めて自分のテリトリーが相対化できるというのは、村上春樹ほどの人間でもそうなんだなと思いつつ、2人が話す日本の世界との違いを興味深く読む。「個人」や「コミットメント」という概念、「レスポンジビリティー(責任)」や、物事を言語化する態度も、日本と西欧ではまったく違うという。どちらかが優れている、劣っているという単純な言及ではもちろんない。

村上は「日本人にとって湾岸戦争とは何だったのか」という文章を、発表するあてもなく書き始めるも、「5年経ったこのときにもまだ書き終えられない、今でも小骨が引っかかったようだ」という。また、真珠湾攻撃から50年という節目もあったが、それら第二次世界大戦についてもよくわからない。考えてみると、近代の日本を戦争に導いたのは結局、湾岸戦争における日本のあいまいな態度、ずるさ、そういうものなんじゃないかと。

河合はそれを肯定しつつ、不戦憲法によって自衛隊(英語では国軍である)を派遣しない、お金だけ出すという日本の論理がアンビギュアス(あいまい)な偽善というならば、クウェートを守るためというアメリカの論理は明白な偽善だと言う。人間は(国家も)矛盾を抱えた存在で、矛盾を許容してやっていくしかない。許容とは解決したと思うことではなく、逐次“実際的解決策”を見出しながら、矛盾の存在にはずっとこだわって考えていくことだ、と。こういう考え方は私にとってとても納得がいく。

矛盾をおそれない、バランスは大事だけど、統合性や順序は主要ではないという河合の表明は村上に響く。それこそが、この当時の村上の最新長編『ねじまき鳥クロニクル』にも反映されているという(私は未読…)。そう、小説家の世の中へのコミットメントは、やはり小説にあらわれてくる。

小説家本人の言及として面白いなと思った部分。

非常に傲慢な言い方に聞こえるかもしれないけれど、『ねじまき鳥クロニクル』という小説がほんとうに理解されるのには、まだ少し時間がかかるのではないかという気がするんです。

小説にも、すぐ受け容れられるものと時間がかかるものとあるんですよね。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』、あれが受け容れられるのにはけっこう時間がかかったと思うのです。それに比べて『羊をめぐる冒険』はすぐ受け容れられたと思いますし、『ノルウェイの森』はもうアッと言う間。

 

なぜ、『ねじまき鳥クロニクル』が受容されるまでに時間がかかるのかと思うのかというと、村上自身にさえまだよくわからないからだという。「小説の中ではぼくは解決しているのだけれど、小説のほうが先へ行ってしまっている」と。井戸を掘る、というのがこの小説ではとても重要なシークエンスらしい。それがこの当時の村上にとってのコミットメントであり、オウム真理教が提示した「物語」「コミットメント」とはまったく異なるものなのだ。

小説『ねじまき鳥クロニクル』を書いてから、オウム真理教の被害者たちにインタビューしたノンフィクション『アンダーグラウンド』を書いた流れは、村上のほかの文章でも読んだことがあったけれど、彼自身の「コミットメント」との関わりという視点で読むのは新鮮だった。

オウムが提示した「稚拙な物語」、その作用がもたらした結果は小説家にとっては衝撃だったのだろう。

「現代の物語はあまりにも専門化、複雑化し、ソフィスティケートされすぎてしまっていたのかもしれない。人々は根本ではもっと稚拙な物語を求めていたのかも」

と村上は書く。河合はそれに同意しつつ、「稚拙」というよりは「素朴」な物語の再評価として、昔話や児童文学を紹介しているらしい。(その活動の一端が『絵本の力』なのだろう)

「物語とは結びつけるもの」だという河合の仮説。

 

物語というのはいろいろな意味で結ぶ力を持っているんですね、いま言われた身体と精神とか、内界と外界とか、男と女とか、ものすごく結びつける力を持っている。というより、それらをいったん分けて、あらためて結びつけるというような意識をもつのはわれわれ現代人であって、あの当時はそれらがいまのように分かれていないところに、物語はあったのです。

 

心と体とを分けてアプローチするのは近代の方法であって、だから「心が大事だということは、体は大事じゃない」のようなスタンスが、昔のいわゆる文士たちが肉体を軽視した生活(暴飲とか女性に耽溺するとか)をさせたのではないか、という説明が面白い。村上春樹が早寝早起きで規則正しい生活をする上に毎日ランニングやら水泳やら何かしらの運動を欠かさず、それが作家としての体力につながっていると自認しているのはファンには有名な話。

それでは村上がとても健全かというと、健康ではあってもそうではないのだと、「自分ではある程度病んでいる、欠落部分を抱えていると思う」とこの本ではっきり書いている。もちろん人間は多かれ少なかれそういうもので、それを埋めるためにする努力が自分の場合、三十を過ぎてものを書き始めたということなのだと。

 

ただ、埋めても埋めても、これは埋めきれるものではないですよね。だから、最初はうまく、簡単なもので埋められるのだけれど、次第に、どんどん複雑にしていかないと埋められなくなるということになってくるのですね。

 

「自己治癒のための書き物」「己の抱える欠落感」について村上がこうも語っているものはとても珍しい気がする。臨床心理学者である河合が語る診療例や箱庭療法についても、村上はことのほか興味を持って聴いている様子がわかる。夫婦についての言及にもハッとさせられる。

 

「夫婦とはお互いの欠落を埋めるものじゃないかと思ってきたけど、最近になって(結婚25年が経っている)それはちょっと違うのかなと考えるようになりました。それはむしろお互いの欠落を暴きたてる―――声高か無言かの違いはあるにせよ―――過程の連続に過ぎなかったのではないかと。


だからといって、村上は夫婦関係がうまくいっていないとか、子どもの頃にみたされなさが…とかいう短絡的な話ではなくて、村上にとって、夫婦のこともオウムのことも湾岸戦争やノモンハン事件も、すべてが「コミットメント」なのだなと思う。「一つひとつ考えていくと、真珠湾だろうがノモンハンだろうが、いろんなそういうものは自分のなかにあるんだ、ということがだんだんわかってくる」と村上は書いている。

とても抽象的で哲学的で難しいんだけれど、この本を読んでいると、なんとなく感覚的にわかる。世界のことを考えるのは、意識が高いからとか倫理観とか、まして正義感からなんかではない。世界を考えるのも、そうすると歴史に行きつくのも、物語を求めるのも、夫婦関係や己の欠落感、よい仕事をするために体を鍛えるのなんかと同じく、自分に結びついた話なのだ。それらに秩序はなく、矛盾を含み、統合されるべくもない物語。それらがこの段階で『ねじまき鳥クロニクル』に結集されているんだなと知ったとき、初めてこの小説が読みたいと思った。

 

結局のところ、僕という人間はものを書くという行為を通して、もっとも有効に外部と関わり合えるのではないかという単純な結論にたどりついてしまいそうです。“でもそれだけじゃ足りない” ということもまた確かです。まだまだ僕なりに苦労しなくてはいけないんだろうなと思います。答えはそんなに簡単には見つからない。だってそれはある意味では、自分という人間のありかたをつくりかえていくことでもあるわけだから。


コミットメントについての村上の文章に、驚いて、じんわりとした。村上春樹は世界中の読者にとって「作品を生み出し、与えてくれる人」であり、偉大な存在。自分の流儀を貫いて大成した、社会的な成功者でもある。でも、彼は私たちと同じく、自分の人生に向き合うただ一人の人間であり、そこから目を逸らさず、自分に対して深くコミットしようとしている。

そして河合は、「頭だけでなく、自分の全存在をコミットさせることを学ぶ大切さ」を語り、そのモデルとして小説家としての村上春樹のあり方を挙げている。体制に対する「反体制」のようなコミットの仕方は、表面上どんなに激しくても長続きしないし、弱いものになってしまう。村上のように、身体性を持ち、道なき道を切り拓いて、自分なりの文学スタイル、生活スタイルを築き上げていくこと、そういう静かで深いコミットメントを若者たちに期待していると。それはこの対談から20年後に現れたシールズのようなコミットを思い出しても頷けるところがあるし、現代的・社会的であるのと同時に、普遍的で個々人に適用できる考え方だと思った。

 

 

 

葉月の八 / リオ五輪男子100とか400とか

●8月某日: 




































ウサイン・ボルト、オリンピック100m3連覇! 偉大だ!! スタート前、「あー緊張するー」と言ってるとサクに「しっ!」と制された。前半、もう明らかにガトリンが速くて、あーこれは・・・と思ってる(思うまでいかず、脳が認識するくらいの)間にボルトが加速して来てぐいと追い抜くとそのまま駆け去ってゴール!


1着 9.81秒 ウサイン・ボルト(ジャマイカ)
2着 9.89秒 ジャスティン・ガトリン(アメリカ)
3着 9.91秒 アンドレ・ドグラス(カナダ)
4着 9.93秒 ヨハン・ブレーク(ジャマイカ)
5着 9.94秒 アカニ・シンビネ(南アフリカ)
6着 9.96秒 ベン=ユスフ・メイテ(コートジボワール)
7着 10.04秒 ジミー・ヴィコ(フランス)
8着 10.06秒 トレイボン・ブロメル(アメリカ)

ドグラスの追い上げもすごかった。次の五輪は彼の時代か、それとも・・・。シンビネ選手とかも大健闘やん。しかしとにかくボルト。こんなスーパースターを8年も見られて幸せに思う。

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さて、会社員時代の上司のお宅で、持ち寄りごはん会。両家とも、料理長は夫である。カレーライス、瓦そば、鶏唐揚げ、ナス揚げ浸し、小鯵南蛮漬け、砂肝と野菜の甘酢漬け、かぼちゃサラダ、タラモサラダ、とうもろこし、きゅうりと生姜とちりめんのちらし寿司、フルーツポンチ…などが食卓に並んだ。

上司には4人お子さんがいて、下の2人は双子ちゃん、サクの2級上で同じ幼稚園だった。ので、上司には会社で9年間お世話になり、奥さんとは1年間同じ幼稚園のママ友で、梶田さんのどんぐり文庫を紹介してくださったのも奥さんで、私にとってとてもご縁深いご家庭だと勝手に思っている。

思えば、2番目のお兄ちゃんが生まれたその日に私は彼の部下として配属されたのだが、そのお兄ちゃんが今や中3受験生! なかなか難しいお年頃ではないかと思うが、高校生のお姉ちゃん含めて、私たち家族との食卓にも普通に並び、気負うでも斜に構えるでもなく私たち家族とも親や弟妹たちともナチュラルに接していて、ちょっと感動した。

完全アウェーのサクはどんなリアクションするかなと思っていたら、着いてすぐにお庭の大きなビニールプールではしゃぎまくり、気さくな双子ちゃんとすっかり打ち解けたため、ものすごく楽しんで、「さくちゃん、とまっていって」「とまっていく」とすっかりその気に。「いいよー、4人も5人も一緒だもん」と鷹揚なお言葉をいただくも、さすがに突然お願いするのは気が引けて「今度ね」と言い聞かせても聞かず、帰り際、べそかいてまで泊まりたがったのにはびっくりだった。というかサクが泣く姿を見たのそもそも半年ぶりくらいだった。興奮してたのもあったんだろうけど、楽しめてよかったね。

 

 

葉月の七 / リオ五輪女子100m、女子マラソン

●8月某日: 名古屋から甥っ子兄弟が義実家に帰省してきているので、一緒に遊ぶ予定が、弟くんのほうはひどい高熱を出した直後ということで静養、夫がお兄ちゃんのほうだけ連れて来る。近くのスーパーに着いて買い物中という報を聞き、喜び勇んで迎えに行くサク。

お兄ちゃんはうちに来るのは初めてで、小5ともなるとそうそう幼くもないから、「おじゃまします」「トイレ貸してください」なんつって最初はちょっと所在なさげだったけど、そこは無邪気な6歳男児が超テンション高く絡みつくのが功を奏した感じだった。ヘリコプターや車のラジコンを出したころから大人不要な感じでよく遊ぶ2人。もちろんお兄ちゃんの寛容あってでもある。

昼は近くの店でラーメンを。やはり名古屋っ子にとんこつラーメンを食べさせたいじゃないですか。チャーハン・餃子のセットを替え玉まで含めてきっちり完食するあたり小学5年生だなあ。その後は福岡市博物館「大アマゾン展」へ。アマゾンの動物・鳥・虫・人間の衣食住までいろいろな展示。子どもたちのペースに合わせての見学だけど面白かった。アマゾンのカブトムシの大きさ・色合いの違い(隣に日本のカブトムシも展示されている)を見てサク、感嘆。4Kスクリーンでのミニ番組の上映も良かった。

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(アマゾンのヤノマミ族の酋長が頭につける髪飾り。)

喫茶店で休憩しながら甥っ子になぞなぞ算数っぽい問題を出したら、真正面から取り組む彼のかたわら、サクも食いついて食いついて「ふーってしたらいいんじゃない?」「れいぞうこにいれたらいいんじゃない?」と15通りくらい次々にアイデアを出す。もちろん全部使えないんだけどウケる。夜ごはんは、手羽元の甘辛煮、タケノコ煮、ししゃも、きゅうりとオクラの生姜サラダ。

 

●8月某日: 朝ラン6キロ。8時20分より開始でも、気温は30-31度。調子はまあまあ。無理せず戻って、ついに始まったオリンピックの陸上競技を見る、見る、見るの午前中。女子100m決勝では、ジャマイカのエライン・トンプソンが新女王に! 五輪三連覇を逃してもフレイザー・プライスは直後からずっと柔らかい微笑みで若いトンプソンに寄り添っていて、この人もう8年くらい見てるけど(って世界大会のときだけだが)絶対性格いいと思うのよ!! 銀はアメリカの21才くらい?トリ・ボウイ。

以下、情報サイトから転記。

 1位 10.71秒 THOMPSON Elaine(ジャマイカ)
 2位 10.83秒 BOWIE Tori(アメリカ)
 3位 10.86秒 FRASER-PRYCE Shelly-Ann(ジャマイカ)
 4位 10.86秒 WILLIAMS Christania(ジャマイカ)
 5位 10.90秒 SCHIPPERS Dafne(オランダ)
 6位 10.92秒 AHYE Michelle-Lee(トリニダード・トバゴ)
 7位 10.94秒 GARDNER English(アメリカ)
 8位 11.80秒 TA LOU Marie-Josee(コートジボワール)

男子10000mではファラーが転倒するアクシデント! …があったことを忘れさせるような、ラストのスプリント力であった。「きたー!きた、きたー!」と思わず家族して大声。夜中は女子マラソン。金はスムゴング(ケニア)、銀はキルワ(バーレーン)、銅はマレ・ディババ(エチオピア)。日本は、福士加代子が14位、田中智美が19位、伊藤舞は47位。












とにかく福士さんで胸がいっぱいで、余韻に浸って寝るのがついつい遅くなるという。ところで、安室奈美恵が歌うNHKのオリンピックソングのサビのとこを、サクが「♪うまれて~ もう~4,5ねん~♪」と気持ちよさそう~に繰り返し歌うのだが、なぜそんな替え歌になったのかいろんな角度から尋ねてみても一向に謎なまま。超気になる。

 

 

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葉月の六


「メールくれくれ企画」のお返事ですが、現在、メールいただいた日付から1週間遅れぐらいでお返事さしあげております。遅くなっていて申し訳ありません。そんなペースでも無問題、という方はいつでもメールお待ちしております。

 

●8月某日: サク、9時から14時まで幼稚園の預かり保育に。ということでお弁当は、ごはん、ズッキーニ&肉みそ、卵焼き、ソーセージ、ピーマンきんぴら、きゅうり、チーズ。近所の友だちと待ち合わせて一緒に徒歩通園。日なたに出ると走る子どもたち。元気。夏休みのひとり時間は貴重! やることいっぱいありますよー! 

最近、0655と2355をサクがよく見てる(2355はもちろん録画ですよ)。オープニングのアニメーションのダンスがかわゆい。それを子どもが真似するのもかわゆい。カブトムシの歌が超くせになる。夜ごはんはカレーライス、オクラ、きゅうり、みょうが、サラダ菜のサラダ。夫製作のカレーライス、これにて完売。

 

●8月某日: 朝ごはん、サクが昨日からやりたいと言ってたのでおにぎり。やり方をちゃんと説明すると、うまいこと三角になった。小さいの2個作る。「あしたもやる」と言っている。一昨日、おばあちゃんに「好きな絵本買ってね」とお小遣いをもらったサク、10時になるとさっそく「いってくる!」と張り切る。家から徒歩10分ほどのところにある書店に、一人で行って自分で選んで買いたいと言う。んー。ま、大丈夫かなと行かせる。「それかい!」ってツッコミたくなるような本を買ってきた。電車がたくさん載っている写真絵本。サクさん、そういうの、もう何冊も持ってますよね? でも自分で選んだっていうのが重要なんだよね。そして初めて一人で行って自分で選本する経験で、冒険しないで無難なところに落ち着くのはサクさんらしいかも。

その後、一緒に図書館に行く。本屋の後に図書館・・・w ごめんねw 私が行きたかったのw でも、なんだかんだで1時間くらい居座って楽しんだ。1時になってたのでラーメン屋さんで食べて帰る。サクがラーメン1杯をほぼ全部+チャーハンもかなり食べたので驚いた。6歳だもんね、もう。

夜ごはんは、刺身(タイ、ヒラス、カツオ)、空芯菜としめじと玉ねぎ炒め、茹で卵ときゅうり・オクラ・みょうがなどのサラダ。空芯菜っておいしいよねー。ウン年ぶりにゴルフのコースを回った夫が真っ赤に日焼けして帰ってきた。祝日なのにほとんどお父さんと遊べなかったことに気づいたサク、夜ごはんのとき急に不機嫌になる。

 

●8月某日: 夕方から友だちの家で持ち寄りごはん会。そのためにちょこちょこ料理したりしつつ、のんびり日中を過ごした。6時前から飲み始め、おおいに飲み、しゃべる。友だちの料理が今日もおいしい-! 仕事帰りの友だちがデパ地下で調達してきたチーズも超おいしいー 超酒が進むー 子どもたちが自分たちで遊びながら時々思い思いに喋りに来たり、ダンスやら見せてくれたりするのも、気ままで楽しい。

結局割と遅くまでおじゃまして、夫に車に迎えに来てもらう。「ごめんねー」と言うと「いやいや、楽しめるときに楽しまなきゃ」と夫の度量は今日も安定。

 

 

『真田丸』 第43話 「軍議」

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うっうっ、着々と話数が積み重なり残り少なくなってきたのが淋しい季節・・・ていう感傷を吹き飛ばすくらい、面白いのう!



「源次郎の好きにさせてやりたいのです。あれは14年間、この時を待っていた」って、信之の器どんだけ無尽蔵なのーっ!!
願わくば、その14年間の、兄弟それぞれの互いに対する胸の内をもうちょっと見たかったのだけど。てか、源次郎に至っては、挙兵決意以来、いまだに兄への思いを劇中で披瀝しないのが気になってるけど。

思えばいろんな人間に“好きにされてきた”信之である。そんな人生の中でなぜ彼が折れずに、ヒネずに、すべてを糧にしてこうまで大きくなれたのか。持って生まれた器も放送当初から描かれてきたけど、鬱屈した思いや劣等感だって描かれてきたよねえ。

信之の場合、根っこの自己肯定感みたいなものは引っこ抜かれずにきたのが大きいのかな。なんだかんだいって、昌幸は信幸の良さ(太平の世で真価を発揮する男)をわかってたし、信繁もずっと兄上が大好きだったし、病弱な嫁もツンツンした嫁もなんだかんだ夫ラブで、舅にも惚れられ、今や将軍秀忠にも心許されている様子が先週あった。周囲のそういう愛情が信幸を苦労と鬱屈だけの男にさせなかった。でも、なんで周囲に愛されるかっつったら信之のまっすぐさと器の大きさゆえだからな。卵が先か鶏が先かどっちだ!

とにもかくにも、このままいくと「真田丸」って真田幸村の日本一のつわものぶりより真田信之がいかに傑物だったかが胸に焼き付けられるドラマになりそうだ。いや信繁もがんばってるけどね。

兄上のまさかの間接的援護射撃で、最後には、「真田は兄と弟に分かれて戦った」じゃなくて、「真田はひとつ!」な戦いになりそうな気がしてきてわくわくするよ。離れていても心はひとつ、っていう美しい比喩じゃなくてね、ほんとにある意味での共闘ができそうな。だから姉上もがんば! 忘れないで、書き留めメモ落とさないで!!



茶々と武器庫 → 軍議開始、籠城案に対して源次郎「打って出る」 → いや籠城でしょ → じゃあ九度山に帰ります → 木村重成が呼びに来る → 詳細説明 → 毛利勝永以外全員反対 → 休憩 → 大野修理の根回しが判明・後藤又兵衛は信繁案に反対するの明白 → 長曾我部盛親・明石全登は賛成 → 大野治長・木村に言い含める大蔵卿 → 後藤又兵衛「天下一の城を枕に討ち死にしたい」からの「やってやるか!」 → 有楽斎「ひっこんでろ」 → 大野「おまえこそ引っ込んでなさい、決めるのは秀頼公」 → 秀頼「打って出よう!」 → 信繁「なんでここに来たかは自分でもよくわかんない → 茶々「籠城しかありえない」 → 大野「すみません籠城で」


ざっとこんな感じだったっけ? 
わくわくした。信繁のハッタリや五人衆「それぞれの思い」(←昌幸の言葉を思い出すよね)が明らかになるところ、特に勇名とどろく又兵衛こそが実は勝つ気より討ち死にする気まんまんだったと判明するところやそこからの心変わり、有楽斎が本音を出すところ、そして治長が気張った甲斐もあって秀頼が裁断を下し大坂の心がひとつになった!!!というカタルシスからの、茶々のちゃぶ台返しね! コロコロ気持ちよく転がされてもらったよ。





何が何でも籠城を、っていう親玉が茶々なのがいいんだよね。ドラマ上での、その意味付けを考えるとほんと面白い。茶々は最後には結局は秀吉を愛していたことに気づくのでは?と思ったのは、今回、「愛した人々リスト」に秀吉が入っていないことをご丁寧に描写したのでのちにひっくり返すのかな、と思ったんだけど、ともかく現時点で茶々にとって、源次郎よりも、秀吉の作った大坂城のほうを信頼してるのは明らかなわけで。

だって彼女は思い出の場所・武器庫で源次郎の背に頬を寄せた直後に、大蔵卿&大野治長に「真田が野戦を提案するから何が何でも潰すように」と命じてるわけでしょ。真田以外の浪人たちは信用できないから、って言ってたけど、源次郎の案を真っ向否定するってことは源次郎のことも大して信頼はしてないのだよ。まあ太閤秀吉(が作った大坂城)に比べたら、馬廻衆で実戦経験も乏しい源次郎ふぜいの案が信頼できないのは至極当然の結果ではあるw 

でも、ここで「実は昔から源次郎が好きだった?」とか言い出して源次郎案に心酔しちゃうような茶々像(そしてそれにクラクラっときちゃうような信繁像)じゃなくてほんと良かった。

だって大坂城にこだわる茶々が立ちはだかる、っていうのは秀吉が立ちはだかるのと似ているわけでね、ただの次男坊で馬廻衆で14年も九度山暮らしだった、ちっぽけな真田信繁が幸村になって、茶々のバックにいる秀吉と対峙し、そして家康の首をとろうとしてるってことだよね。秀吉と家康と両方を相手にするようなもんだよね!!

信繁が「どうしてここに来たのか自分でもわからない」というのも腑に落ちた。あの、九度山編ラストでの回想シーン( http://emitemit.hatenablog.com/entry/2016/10/13/205715 )
のカオス状態を思えば。そして、あまりにもいろんなことがあった過去、いろんな人々に突き動かされるように大坂に出てきたものの、その気持ちを簡単に言語化しようとしていない源次郎が、ちょっと変わったなと思った。小賢しくない。

・「勝負は桶狭間のように時の勢いを味方に」なんて言いながら、時の利があるうちに家康の首を獲ろうとする信繁案を一顧だにしない有楽斎。

・家康に懐柔されて大阪極秘情報を洩らしてしまう片桐。彼は信之と同じく、報いの少ない、周囲に振り回される人生を送ってきたけど、信之と同じ器にはなれなかったんだよね。同じように人は良いのに、その差は…って考えると、片桐はやっぱり、(決して悪気はなく、むしろ良かれと思ってなんだけど)要所要所で嘘をついたり、口から出まかせを言ったりしちゃうところがあったんだよなあ。これも、卵が先か鶏が先かわかんないけど。

・頑迷な大蔵卿。でも彼女の底にあるのは茶々への忠義なんだろうな。

・戸惑いの連続ながらも一生懸命に聞いて考えて決断した秀頼。

・大坂城で必勝案を練る父・ハッタリかます父の背中を頼もしそうに見つめる大助。

いろんな人の顔や言葉が心に残ったけど、やっぱりこれ!



やっぱりこういうとき、舞台畑の人は決めゼリフがピタッと決まるなあ、とも思うのでした。

 

 

葉月の五

●8月某日: 夜中、サクが鼻詰まりや咳でちょくちょく寝づらそうな様子を見せていた。今日は家でのんびりすることに。午前中、ブレンダーでじゃがいもやらのビシソワーズ作り。何年か前に夫が内祝いでいただいたブレンダーを最近ようやく活用し始めている。当時はまだサクが小さくて、安全性を考えて使うのをためらいしまいこんでいる間に存在を失念していたのだ。

何事も経験が必要なものでビシソワーズっていうかシチューみたいになったんですけどまあいいや(投げやり)。それと、フレンチトーストで昼食。フレンチトースト作りはサクに相当部分をやらせる。午後はサクと絵の具で絵を描いて遊んだり。遊ぶことに関する子供の集中力の持続はすごいもんがあるな。夕方やっと買い物がてら外に出る。
夜ごはんはカレーライス、きゅうり・おくら・トマト・サラダ菜。カレーライスは夫が日曜日に仕込んでいたもの。ターメリックとクミンたっぷりでホットな味! 

天皇陛下の「お言葉」。NHKでノーカットのVTRを見ていたら、サクが「ながいな!」と言った(おそらく7分くらい経った頃)。最近の彼はテレビを占拠しがちな選挙(参議院・都知事)やらリオ五輪やらにおかんむり。「こどもにとってはおもしろくない! わからん!」と豪語して憚らない。「ダーウィンが来た!」も、選挙特番と五輪番組で1か月間休止だからなw ま、「世の中にはそういうものがある」って認識する段階ですね。ぐるんぐるん回ったりひねったりジャンプして着地したりする体操は尊敬の目で見ているもよう。

 

●8月某日: サクの風邪、回復傾向。家の中が荒れているのがデフォルトなので、「おばーちゃんが来る前にちょっとは片づけないと。」と言うと、はりきった子どもがあちこちやってくれた。できるやん! 片付け、できるんやん! 

昼ごはんは、ニラとズッキーニの肉みそ、オクラ、玉ねぎ、みょうがをのっけた素麺に、タローチャーハン。早めに弁当を食べたらしい夫から「ごぼう固いかもしれん、ごめん」とLINEがきた。「いいよいいよ」と返すサク。最近、スタンプだけじゃなくて、文章を送りたがるんだよな。食べた後、くーっと眠くなって3-40分寝てたら、その間に部屋の一角にお手製テント&タープを張りめぐらし、さらにおばあちゃんをたらしこんでアイスを食べているサク。やるな・・・! 

夕方、母を見送りがてら駅まで行って、買い物したりして帰ってきてから、今度はバスに乗って夫と待ち合わせ。今夜は居酒屋メシだ。夫の会社の近くにあり、子どもができるまで共働きしてた時代はちょくちょく待ち合わせて行っていた。サクが生まれてからは初めて来たんじゃないかな。メニューは(省エネの方向に)だいぶ刷新されていたが、相変わらず美味しかったぜ・・・! 

帰宅後、サクを寝かせてからちびちび飲みつつ「ゆとり」録画、そののちチャンネル回してたらやってた福原愛の準々決勝が酔いがさめるほどの緊張感。「すごい」「すごいね・・・」みたいな単純な語彙しか出てこないw

 

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『キネマの神様』 原田マハ

 

キネマの神様 (文春文庫)

キネマの神様 (文春文庫)

 

 

初めて読んだ、原田マハの作品。ペンネーム(本名かも)と受賞歴から、なんとなく気難しさのある、爪を立ててくるような作風かと勝手に想像していたので、とても優しくあたたかく、読みやすいのにちょっとびっくりしたくらい。面白かった。

一流企業で大きな国際的プロジェクトを取り仕切っていた女性がわけあって退職し、流行らなくなって久しい小雑誌に転職し、編集部の変わり者の(でも悪い奴はいない)面々が登場する。という安心感(悪くいえば既視感)のある設定なんだけど、父と娘(裏で母と娘、母と父という夫婦)の物語に始まる前半にぐいぐい牽引された。親を疎ましく、度し難く思う気持ちと、それでも親がいなくなることが考えられない気持ちとのせめぎあいからくる言動や心情描写がうまい。重すぎず軽すぎず絶妙な質感で書かれてると思った。娘が39才、親が80才になろうかという設定に現代を感じる。1990年代までなら、親も娘も10年若い設定だよなあ。

父が、そして謎の外国人(?)ローズ・バッドが書く映画評が物語の大事なエレメント。もともと、書評やドラマ評など「評」を読むのが大好きな私にはたまらないけれど、万人がそうではないかもね(まあ読書好きの人って往々にして好きかな)。作中で評される映画が「ニューシネマパラダイス」だったり「フィールドオブドリームス」だったりと、超メジャー級のものなのは、映画評部分でお客を離さないというか、エンタメ感を損ねないようにしてる意味もあるんだろうけど、超メジャー作品を堂々と論じる(もちろん登場人物ごとのカラーを生かしながら)ことができる作者の自信と実力を感じて快かった。

読後、「キネマの神様っているのかも」と思えなかったらこの作品は失敗も同然なわけで、私は、そう思った・・・というよりは、「そう思いたくなった」というのに近いかな。神様、と言いつつ人を信じている人だと思った。三浦しをんの例もあり、まったく違う作風の作品もあるかもしれんけどねw ドラマ化とか映画化とかにとても合いそうな作風だとも思った。

 

 

葉月の四 / リオ五輪始まってる

●8月某日: 土曜日だがサクが6時半に起きる。うう・・・えらいね・・・でももう少し寝かせて・・・。サクは午後、夫と歯医者に。2年半ほど前に私とサクが自転車で車に衝突される事故があったのだが、サクの1本の歯の神経がおそらくそのときにやられていたことが判明し、そのケアをすることになった。乳歯だけれど念のため、という位置づけの治療だけどやはりショックと反省はある。がんばったご褒美的に地下鉄で沿線をぶらぶらして帰ってきた。夜ごはんは家で焼肉。野菜もたくさん。日本時間で8月6日の朝、リオデジャネイロ五輪の開会式。

●8月某日: リオ五輪、競泳男子400m個人メドレーで萩野&瀬戸が金&銅というダブル表彰台。幼いころから最大のライバルで親友だったという、マンガみたいな設定の彼らである。すごい。



さてレベルの違いすぎる話になりますが朝ラン、やっとこさっとこ5kmという感じ。とにかく暑い。いや、9時から走っていてはいかん。せめて8時、理想は7時なんだよね。



帰宅するとサクが「3にんでどっかいきたい」と言う。こんなかわええこと言ってくれるのもあと数年だろうなーと思うとどこにでも連れて行ってあげたいのはやまやまだが(嘘)、彼は鼻水&咳の風邪の症状真っ最中であんまりはっちゃけるのもどうかという親の心配(やる気のなさ)。協議の結果、昼ごはんを食べに行ってから小さいモールへ。割と家から近くて、車でよく通ってはかすかに気になっていた店、喫茶店がやっている定食屋といった感じで昭和の香りがぷんぷん。繁盛しているから活気があるんだけど、席間も、席自体も割と広くて落ち着く。しかも、大学時代に大学(と家)の近くにあってよく通っていた店と同系列だった。道理でこの既視感。箱崎店は、もう数年前に閉店しているんだよね。

食べた後、ほど近いモールでユニクロとか西松屋とかTSUTAYAとかのぞいてうろうろ。TSUTAYAは文房具とか雑貨とかいろんなもの置いてあってかなり時間がつぶせる(なんつって、本しか見てませんけど私w)。サクに『しんかんせんでゴーッ!』買う。

 

しんかんせん で ゴーッ (視覚デザインののりものえほん)

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帰宅後は絵本とレストランごっこのサク。折り紙やなんかを切ったり折ったりして、牛肉のしょうが焼き(あまり聞いたことない料理だ・・・w)からアイス、たい焼きといったデザートまでいろいろ作ってる。メニューも豊富だしお品書きも凝って書いている。圧巻はお品書きの“スペシャルセット”とやらに「こどもじゃなくてもいい!えらべるおもちゃ」という煽り文句がついていたことw 夜ごはんは、焼き鮭、味噌汁、きゅうりとツナとコーンのサラダ。