皐月の十
●5月某日: 今日は夫が午後休をとれたので、自由登園期間中のサクは午前中だけ幼稚園へ。なんとなく体が重い。夫も同様だったようで、ゆうべ飲みすぎたかね、と話す。
12時前、サクを迎えに行く。午後までいる子たちがもうお弁当を食べ始めていて、あららサクはどうしてるかなと思ったら、先生におみかんをもらって食べていた。かわゆ。先生、ありがとう。「お父さんが帰ってくるんですってねー。いいわねー」と、先生。幼稚園でもそういう話してるんだね。サクがカバンを持って出て来るまで待ってたら、年少の子たちが5,6人たむろっていて、のぼる→飛び降りるをするので褒めると、みんな次々にのぼって飛び降り、のぼっては飛び降り。かわゆ。いろいろ買い物があってお腹ペコペコで、ひっさしぶりにほっともっとで弁当を買うと、サク、ロースかつ弁当(おかずだけ。ごはんは家にあったので)を全部食べた・・・。驚き。
午後、サクと夫は博多方面へ。鉄道模型の店で、新幹線をNゲージで走らせることのできるコーナー(有料)があるのを友だちから聞きつけたらしく、そこがお目当て。平日なので空いていて堪能できたらしく、ほくほくで帰ってきた。夜ごはんは、焼き鮭、味噌汁、小松菜おひたし、とまと。サクが寝てから、女子バレー(リオ最終予選・タイ戦)の最終セットを夫と見る。大逆転勝利。
●5月某日: サク弁、さつまいもごはん、冷食のしゅうまい、枝豆入りスクランブルエッグ、さつまあげと糸こんにゃくの炒め煮、にんじん煮物。ほとんどがゆうべ仕込んでおいたもの。弁当作りは小さな努力が大事ですね…。登園途中、さくらんぼゾーンでクラスの女の子が採集してる。ちょっと話して、追い抜いて行ってたら、「さくーーーいっしょいこーーー!」と、その子が走って追いかけてきた。微笑ましいのう。
お母さん劇団の活動、次の誕生日会でやるペープサートの制作。器用だったり創作のセンスある人がいっぱいいるなあ、って、過程を見てるとすごく面白い。自分は粛々と(嘘だ。くっちゃべりながら)単純な仕事をこなしておりますw 降園後、サクは友だちの家へ。自転車に乗っていくというのでいったん帰ってから送っていく。そしてもちろん帰りも迎えに行くのです…。今日も暑いわ。そう、今週はずっと、25度とか27度とかまで気温が上がっている。体が水分その他を求めている感じがして、スーパーで甘夏を買った。
夜ごはんは、唐揚げ(専門店で買った)、焼きビーフン、さつまいもごはん、コールスローとトマト。夫は飲み会。サクを寝かせた後、片付けその他をやって私も10時前に寝てしまった。みょう~に疲れていた。
皐月の九
●5月某日: 今週も4日、サク弁日となるので、今日は趣向を変えてサンドイッチにしてみた。ツナ、卵、リンゴジャムの3種類。おかずに、ソーセージ、きんぴらごぼうin ちくわ、きゅうり、りんごを少しずつ。
ていうか、登園時、すごい雨である!! 近所のママさんが乗せて行ってくれたんだけど、そちらのおうちまでの徒歩3分ほどでびしょぬれに・・・。大きなステップワゴンに子どもが5人、ちょっとした園バス状態で登園。行ってらっしゃーい。ありがとう。
さて今日は年に一度の家庭訪問なので、気張らないなりにもそれなりに掃除・片付けして、サンドイッチ作りで出た耳をラスクにしようとオーブンを予熱し、同時に私の昼ごはんにトーストを焼いていたら、プチンと電気が落ちました。電灯パソコンなどは生きてて、レンジ・炊飯器・トースターという台所回りのコンセントだけが死んでいる。書くのも疲れるので以下は割愛しますが復旧までいろいろ試みて疲れました。そして家具の裏に引っ込めてたコード類を引っ張り出すと当然埃ちゃんたちも一緒にやって来るのでまた掃除しました。しくしく。
幼稚園から帰ってきたサクに、そんな話をつらつらすると、「たいへんやったな」と夫のような相槌を打ち、夜、帰宅した夫に、上手に今日の事件を説明していた。ありがとう・・・わかってくれて・・・。そんなこんなで家庭訪問は無事に終わりました。今年は、この道20数年の、優しいベテラン先生。安心です。
夜ごはんは、皿うどん、きんぴらごぼう、きゅうり&ツナサラダ。なみなみとビールを注いだコップを夫が倒し、カーペットがびちょぬれになりました。あーもったいない(こぼれたビールが)。
●5月某日: サク弁、ごはん、豚&玉ねぎ炒め、卵焼き、ピーマンきんぴら、ツナきゅうりサラダ。本人の希望により、今日から久しぶりに2段弁当。冬からこっち、アルミの弁当箱を使っていた(冬場はストーブであたためて食べるので)ところ、今日から少し容量が増えます。帰ってから聞くと、「おかずもうすこしおおくても だいじょうぶだよ」と。昼間はしこしこ地道に。昼は久しぶりの納豆パスタ。最近、スーパーに納豆の在庫が切れていることがしばしば。こちらくるのは、熊本で作る納豆が多かったらしく、工場が再開していないということだろう。
幼稚園の帰り道、桜の木に生ったサクランボの熟したのを友だちと探してちょい食べ(笑)するのが今の季節のお楽しみ。まだピンク色の、熟してないのを小枝ごと折って、家に持ち帰って水に挿すのも楽しみ(実が1つ2つついてるだけのほんの小さな小枝なのでお許しください・・・てか市の元・沼地に生えてる桜だけど)。2日くらいで真っ黒に熟して食べごろ(?)になります。そのまま友だちがうちに遊びに来て、たいそう楽しげに遊んでおった。
夜ごはんは、鶏肉のクリーム煮(ピーマン、エリンギ、玉ねぎ)。厚揚げグリル(しょうがとネギをたっぷり乗せていただく)。キャベツときゅうりの酸っぱいサラダ、ミニトマト。サクが寝た後、夫と飲んで夜更かし。Eテレの「きょうの料理」の録画を、夫が厳しい目で見つめてぶちぶち言う(笑)。
蜷川幸雄、告別式。弔辞は、平幹二朗、大竹しのぶ、吉田鋼太郎、小栗旬、藤原竜也。それぞれに心のこもった・・・というか熱い文章だった。彼らにとっては本当に蜷川が見ている舞台に立つようなもんだったろうな。まぁ演出方法は昭和のアレだったんだろうけど、彼に壊された人もいっぱいいるだろうけど、そもそも舞台演劇というものがそういう非人間的なものを含んでいるんだろうなとも思う。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160516/k10010523131000.html
(リンク切れるかもしれないけどいちお貼ってみる)
『とと姉ちゃん』 第17週 「常子、花山と断絶する」
普段は口下手で思ったことがスッと言葉にならない常子が、切羽詰まったときや心の準備をしてきたときは、まるで本の文章のように滔々と語るの、初期は「セリフなのにこなれなさすぎ」と引っかかってたけど今は常子がそういう人だとわかってるので親しみ深く見てる。 #とと姉ちゃん
人生一教師、あと50年!と意気軒高な東堂先生に比して、おそらく戦争により仕事ができなくなっただんなさんか。「あと50年!」も、常子が来て久しぶりの楽しい時間だから堂々と言えたことで、ご主人との生活では自分だけが志ある仕事を続けていることにも胸苦しさがあるかもだね #とと姉ちゃん
同じ空襲を経験しても、家が焼けたか、家族を失ったか等でその後の暮らしは大きく違う。現代もそうだね。大地震や大不況による被害や経験は、人によって大きく違う。そんな中で、かつての友人知人が自分より苦境にあると知ったとき、私たちには何ができるだろうか? #とと姉ちゃん
同じ戦中戦後を生きてても家族を失った人そうでない人、焼け出された人と焼け出されてない人、とか境遇にレイヤーあるよね #とと姉ちゃん
RT そのレイヤーをとても意識的に書いている感じ。常子たちも食事はまだ素うどんと副菜だけ。真面目に働いていて自営だから安定性も高くない。でもそれより貧しい生活も少なくない。そのまま現代にスライドできる図かも。衣食住が足りている私は綾でも先生でもなく常子たちより裕福 #とと姉ちゃん
そんな私自身、自分より貧しい暮らしをどれだけ知り、思ってるか。苦しい暮らしのために何かできるかというと…。自分の家が無事なら住むし、うどんが手に入れば食べるよね。ドラマ見てるから、家の部屋を貸せばとか会社で雇えばとか簡単に提案できるけど、現実にはどれも難しいよね。#とと姉ちゃん
「東北発☆未来塾」 映像のチカラ 〜是枝裕和 - moonshine URL 一年ほど前に書いた記事。是枝さんの「私はあなたではないし、あなたは私ではない。という考え方はドキュメンタリーの一番大事な考え方だ」という言葉が印象的。
このときの、是枝監督を講師に迎えた「東北発☆未来塾」。同じく被災して同じ高校に通っていても、親を亡くした子、仮設に入った子、家族も親も無事だった子などレイヤーがあり、それは断絶で、断絶を日常として生きている様子がレポートされていた。#とと姉ちゃん の戦争描写にも似た視点を感じる。
「私はあなたではない、あなたは私ではない」。そうである以上、私より困窮しているあなたに対して痛ましい表情を見せたり気遣った言葉をかけたりして「共感していますよ」ってサインを送ることに本質的な意味はないんじゃないかな。暮らしの手帖にジャーナリズムの血が流れている以上。#とと姉ちゃん
是枝監督は「断絶」を見つめ続ける仕事を選んだ、って先のRT記事に書いたんだけど、それがジャーナリズムの1つの形なんだろうと思う。悲しみに寄り添って悲しみでくるむのとは違う表現。花森さんもジャーナリズムの人だったようだ。#とと姉ちゃん で常子や花山の造型がああなるのもわかるな。
三姉妹で訪問したとき、鞠子美子が「それなのに3人で来てしまって」「お友だちを招けるようになるといいですね」的な(うろ覚え)ごく一般的な受け答えをしていたので、やはりこういうときに常子が並外れて寡黙なのは常子の性格なんだよね、とあらためてわかりました。#とと姉ちゃん
経済資本があっても(綾さん)文化資本があっても(東堂先生)平等に苦難が降りかかるのが戦争で、貧乏で勉強もあんまり得意ではなかった常子がたまたま空襲が避けてくれたおかげで彼らを救う立場になってるの皮肉だけど、でも彼らを知っているからこそ取り戻してあげたいんだよね。 #とと姉ちゃん
RT 戦争や天災はもちろん、夫の死(君子)や解雇(多田。回避したけど)で、誰の人生だって思わぬ苦境に陥る可能性はあるんだよね。常子は自分たちにもその経験があるのと同時に、その苦境を滝子や隈井、森田屋などなどに助けられてきたから、今また自分たちにできることをと考える #とと姉ちゃん
共感や気遣いするからこそ足が動かなくなることってあるよなあと思う。知人友人の苦境を知っても「私で良ければ話を聞くよ」とか「できることがあれば言ってね」と言いつつ、大変な時期のお邪魔にならないようにと少し距離を置いてしまったり。失礼は免れても助けにはならないパターン #とと姉ちゃん
プライドを傷つけるかもしれない旧知の人より、知らない人を取材した方が無難かもしれないけど、そこで踏み込めるのは常子たちが自分たちも助けられてきた経験があるからかもなあ。当たり障りのない気遣いの言葉や距離をおいた振舞いよりも踏み込んでこられるほうが有難いときもある #とと姉ちゃん
そもそも「役に立つ雑誌」という思い自体が、いろんな人に助けられて何とか生活してこられた経験あってこそかも。綾やバラックのような苦境を見たからといって、自分に彼らより少しばかりの余裕があっても「彼らの役に立つ仕事を」って発想に誰でもがなるわけじゃない。#とと姉ちゃん
常子は父の死後、とにかく家族を守りたい、生活を立ちゆかせたいと必死だったけど、子どもの自分にできることはごく限られていて、いろんな人の支援や親切で何とかやってこられたんだよね。けれど助けてくれた人たちは戦争で離散していった、自分はそれをどうにもできなかった。#とと姉ちゃん
で、戦争が終わった今は、自分たち家族の経済のためにしっかり稼がなきゃいけないんだけど、その手段として「誰かの役に立つ仕事」を選んだんだよなあ。その仕事のために旧知の人に取材という形で助けてもらう、同時に彼らも助けられるかもしれない。支援の交換は続くね。#とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん 東堂夫妻がお茶を飲みながら夫婦で語らう時間を、お互いを思い合う気持ちを表現し合えることを取り戻せたのが本当にうれしい回だった。戦争という集団の愚行がさまざまなものを奪っても、個人の尊厳は潰されない、取り戻せる、暮らしを大事にするとはそういうことなんだね
この女性にしてこの夫あり(逆も真)、という夫の造型、キャスティング、演技、そして夫婦の関係性が短い時間で描かれていてすばらしかったよね。あれだけ高らかに青鞜を謳い上げた先生がこういう素敵な夫婦関係をもっていたことが、意外なようで逆に納得できるっていう。#とと姉ちゃん
女学生編で先生が既婚なのか未婚なのか作中一切触れなかったのもわざとだよね。「先生は独身なのかしら?」「そうじゃない?だって…」「ご主人いらっしゃるらしいわよ」「えーどんな方かしら!」みたいな、いかにもありそうな噂話をね、させそうなところなのに、させなかったよね。#とと姉ちゃん
で、既婚であるという説明がない状態で、なんとなく「独身なんだろうな」って思ってた自分自身の中にある先入観に気づくところから始まって、「東堂先生にふさわしい素敵なだんなさん、すてきな夫婦関係じゃないか」って思えたことで、なんかすごく世界が広がって希望が持てた気がする。#とと姉ちゃん
あと、美的感覚が鋭いはずの花山が箱の装飾に思い至らなかった・東堂先生もささやかな心がけの余裕をなくしていたこと。人間、ずっと完ぺきでいられるわけじゃないけど、そんなときは、覚えている誰かが教えればいいんだよね。それは特別じゃなく普通のこと、簡単なこと。#とと姉ちゃん
常子が「先生、忘れてたんですね…」って先生の境遇を思って悲しい顔をせず、「うふふ」といたずらっぽく笑ったのはそういうことだと思う。生活に追われて心がけを忘れるのはしょうがない。覚えてる人が実行したら思い出してもらえる。ことさら反省も同情も必要ない。いい関係。#とと姉ちゃん
君子もだけど、宗吉に照代、老け方のビジュアルがすごく自然でびっくりする。すごく自然。#とと姉ちゃん
意気揚々な宗吉に、微妙な表情の照代。森田屋も資金繰りの目途が立ってないのかな? #とと姉ちゃん
「読者でもできることを念頭に置いてるのに現場まで詳細を秘密にした挙句、編集部員を締め出して編集長が大工に作らせる」「雨漏りがひどいことを知ってるのにリンゴ箱の収納家具にノリで紙を貼る」「一番肝心な、実際に使って暮らした上での検証を完全スルーで雑誌完成」など #とと姉ちゃん
RT それ昨日すごく気になった。特に花山と常子が互いに方策を内緒にした、先に内緒にしたのは花山のほう、しかもワンピのときは縫製を君子にさせたのに、今回の花山は大工を使い、そのことを東堂夫にわざわざ言及させた。断絶エピの前フリ的なものかなと思うけどいかに。 #とと姉ちゃん
視聴者はそれぞれ「朝ドラはこうあるべき」をどんだけ主張してもいいし、それ基準で批判する権利もあるけど、それは決して視聴者の総意じゃないし、それに関係なく「自分らが作りたい朝ドラ」を作る権利が作り手にはある。そうして提示されたものを批判する権利が視聴者にはある。以下ループ
批判が多い作品が駄作とは限らないし、多数の支持を集めた作品が秀作とも限らない。「自分にとっては名作(駄作)」ってのはあっても。
東堂宅では常子が花山の意を汲み装飾を加えた。表紙絵を見た瞬間の反応で常子が本当に感動しているかどうか花山にはわかる。2人が言葉なく通じ合える例。でも、こと会社の経営方針(宗吉の言葉で家族経営の拡大だと示唆)という現実的かつ思想の根幹でもある話で話し合わないのは無理 #とと姉ちゃん
普段は部屋に籠もるか不在がち、大声で結論を繰り返すだけ。黙って進めて事後報告。そんな不誠実さでうまくいくわけないけど、相手を良く知ってて近しい間柄だからこそ誠実さを軽視してしまうってあるあるだ。で、「どうしてわかってくれないの」と思う。私はこんなに頑張ってるのにと。#とと姉ちゃん
彼らの会社は家族の拡大版で、まず社員全員食べていかなきゃいけない。花山と常子は会社の両親のような2人のリーダーだけど、夫婦じゃないから抱き合って睦み合って何となくいい感じに着地させることはできない(夫婦ならそれでOKなときもあるよね)。言葉を使って話し合うしかない #とと姉ちゃん
あらためて、広告を載せないって本当にすごいことだよね。現実的に考えれば、やはり「雑誌の内容に口を出さない、良心的で安定性のある企業を見つけて信頼関係を築いて…」って路線になりそうなところ。その一歩がなあなあに繋がっていくのも多くの現実で。#とと姉ちゃん
配給を待って餓死する時期は過ぎたけど、回ってくるのは輸入小麦ばかりで米はない(うどんの量はだいぶ増えている)。とはいえあるところにはあって、洋裁学校やら料理学校やらが盛況でもある。自由な経済活動の活発化で小資本は淘汰されていく。やはりレイヤーを意識的に描いてる #とと姉ちゃん
RT 「滝子VS君子、弁当誤配で激怒の五八さん、制服盗難、おやつ二重取り、女学校シカト、タイピスト室いじめ、すき焼き独占、乳繰り説教おじさん、ビアホール大乱闘、多田の裏切り、キャラメルおじさん、キヨシに介護丸投げの深川編。滝子の臨終シーンなくしてまで必要だった?」
RT 「加えて、浜松の大人総動員の桜、ピカッツア贋作問題、玉置三兄弟のいじめ、長男陥落、かか妾問題、とか必要だった?そもそも、あんなに騒いだ家訓どこいった?と考えていくと、むしろ必要だったエピの方が見当たらない」
#とと姉ちゃん で少なくない批判に「いろんなエピソードがつながってない=必要ないエピの散発」的なのがあるんだけど、RTしたエピたち、私は全部つながってる=必要と解釈してる。この違いが(理解力がないとかじゃなく)ほんと不思議で興味深い。朝ドラ見慣れてるかどうかの違いじゃないんだよね
この作品のエピソードの「つなぎ方」がスムースじゃないのもわかるけど、そこで視聴者全員がわかんないと言ってるわけじゃなく、うんうん同じ解釈ですってツイもたくさん見るからね。エピソードがつながってないと思えば、登場人物たちも使い捨てに見えるだろうなーとは想像できるんだけど。
エピソードが繋がっていないと思うのは、各々のエピを理解(消化)できないからじゃないかな。なぜ理解できないと思うのか、それは各エピソードが「不快」に感じるからなのかなーと。やはり、理解力とかの問題ではなくて、視聴者の「心の中」の問題、各人が内面化してるものの違いじゃないかと思う
君子は母親失格なのか? 常子が星野より家族を選んだのは呪縛か? 長谷川と富江のデキ婚はありえないか? 甲東出版を辞めた経緯や「お金を稼ぎたい」発言は? 綾を雇ったり家に呼び寄せたりしないのは薄情か? さまざまなエピソードに対して、視聴者が内面しているものが感想として表れる。
脚本家が意図的に視聴者の内面を炙り出してるのかどうかはわかんないけど、長丁場の作品には作家の内面が表れるもので、それを肯定的に捉える解釈としては「フラット&小さな物語志向、個の尊重、普通の人々」、否定的解釈としては「無礼、薄情、恩知らず、社会性無し、ヒロイン様」 すごい幅だわー
これはそのまま、現実世界の断絶にもスライドされるのだろうか?
されると思う。人間、内面化しているものを普段は意識していない。意識しないままに、あるいは「個人の主観」として、物事を感じ、考え、判断する。確かに個人の主観だけど、それを育むのは環境や社会だったりする。そして個人の主観が束になって社会通念や常識が作られるが、それが正しいとは限らない
常子から間をおかず希子に戻るわけだけど、希子もほんとによかったんだけど、常子を見た今となっては、高畑充希には希子じゃ物足りないかもって思う。歌はうれしいけどさ。…って、どうせBS映らないから見られないんだってばw #とと姉ちゃん #ごちそうさん
高崎移転を相談なしに決められたまつ、陸軍からの請負を清に内緒にされた滝子。信念に拘泥して聞く耳を持たないからと大事なことを秘密にされて、結局は家族のために折れざるを得なかった2人を見てきた常子が、同じように花山に黙って広告を載せようとするのはよくわかりますよ。 #とと姉ちゃん
花山はもともと属性で人を見ないし、黙ってしたことでも結果がよければ潔く認めて評価する人ですよ、というのを東堂先生のお宅で家具にきれいな紙を貼ったときにやってるから、常子は「約束を取り付けた上で広告を出す」という解決策を理解してくれると思ってるってことかな。 #とと姉ちゃん
常子の口下手で察しの悪い部分と、花山のワンマン気質で経緯を口にしない部分がバッティングしてるんだよなー。ふたりとも相手に理解されなくても平気な性分(だからメンタル強い)なんだけど、一緒にものづくりする上ではダメよねー #とと姉ちゃん
君子滝子のときといい、昔の常子美子のときといい今回といい、このドラマの対立描写は見事だな。どっちにも短慮があるけどどっちにも一理あり、こういう状況って往々にしてそうなっちゃうよねーorz って感じがすごいわかって、痛い。#とと姉ちゃん
花山は昔の仕事から広告の威力を知り抜いてるし、常子は昔から家族を食べさせることが至上命題で、2人が今まで各々培ってきた人生観のぶつかり合いなんだよな。相思相愛で結婚しても新婚時代はケンカするやん価値観の相違で。新しい「私たちの」暮らしを作ってる最中なんだよね #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん に限らず、誰かと誰かが対立したり(ex千代とあさ)、客観的に見ると愚かな行動をしたり(ごち悠さんやらめ以子やら)、事態が停滞したり(マッサン無職)という展開のときは、タグはよく荒れますのでね。
とにかく次週が楽しみ!
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皐月の八
●5月某日: 思いつきで油山自然の森。行こうとなると素早く弁当作りにとりかかる夫がエラい。「え?おにぎりして卵焼き焼いて、ミニトマトとか果物とかあるもの詰めてるだけやん」うん、そうだけど、そうなんだけどね、それがめんどくさいなって思うダメ人間がここにいるではないか(笑)。夫がもっとエラいのは、自分が簡単にできることを妻に求めない点である。「こんな簡単なことぐらい、やれよ」って言っちゃいそうだよね。
(写真、やたらけむってる・・・)
さて油山、自然の森のほうに来たのは、少なくとも大人になってからは初めて。とても広い。地図を見ながら、なんとなくの目的地を決めてブラブラ歩く。歩き始めてから間もない場所に小屋があって、入ってみると、油山で採集したという蝶やカブトムシやクワガタなど昆虫類の標本、鳥たちの羽やら、もちろん写真もたっくさん展示してあって、サク釘づけ。確かに見ごたえあった。そして整然と並べられた標本って美しいんだなと思った。執念に近いような情熱が伝わってくる。
さてルートに戻って小一時間、きつい山道ものぼって、とりあえずの目的地にさだめた吊り橋へ。思ったよりかなり立派なもので、建設の経緯を刻んだ碑みたいなものまであった。吊り橋然り、この自然の森自体、当時の福岡市長進藤一馬の肝入りで始まったようで、ここに限らず市内のさまざまな施設や銅像なんかには、必ずと言っていいほどこの人の名前がある。長期政権だったのも含め、時代なんだろうなーと思う。40年くらい前の話ね。
これからどうしよう、って地図や案内表示を見て話して「とりあえず展望台目指すか」となる、やっぱり人間(バカ?)は高いところを目指したがるものですね…。展望台は376mだったか、かなり高かった(注:途中までは車でのぼってきています)。とても良い天気で暑いくらいだったんだけど、なかなかけむっていました。お弁当を食べて、道々に点在しているアスレチックで遊びながら降りる。翌日の昼、ふいに二の腕に鈍い筋肉痛を覚えたのは、このときの疲れだったのだと思われます。
夜ごはんは、もつなべ。酔っぱらいつつサクとオセロをしたら、そりゃ全力でかかったわけじゃないけど、思わぬ大敗を喫して目が覚める。サクが寝てから、とりためてた録画を夫と消化。
●5月某日: 午前中、ランニング8キロ。暑い。11時ごろにはもう25度超だったのでは。帽子はかぶっていってたし、つとめて日陰を探しながら走っていたけど、すごく暑くて、夕方近くまで頬がポッポと火照ってる感じがあった。午後からサクと近くでボール遊びやらした夫も、3,40分で帰ってきたけど、「なんかちょっとヤバかった」と夜になって言っていた。暑さに慣れてない時期は熱中症に注意ですね。
さて博多駅近くに最近できたKITTEが今日のランニングの目的地で、外から見ただけだけど、あまり人がいなかったような・・・? 午後、明日に備えてちょこちょこ掃除したり、そのついでに断捨離したり。サクも厳寒の掃除など手伝う。夜ごはんは、さば、大根おろし、小松菜おひたし、きんぴらごぼう、味噌汁。
皐月の七
●5月某日: サク弁、ごはん、ひき肉とひじき、キュウリのカレー炒め、ソーセージ、のり卵焼き、りんご、パプリカ。登園路、ちょっと前から計画してた、近道を通ってみる。というのは某小学校の中。けっこう、そこ通ってきてる子たちもいるようで、行ってみたいとサクが言う。手を繋いで裏門から入る。「うわー、どきどきするー」とサク。折しも、運動会の練習を始める体操服姿の小学生たちがわらわらと校舎から出て来るのとすれ違うことになり、ドキドキも最高潮だったようです。幼稚園の、こちらも裏門から入って先生に「おはようー」と声をかけられるとホッとしたようであったw
今日は夕方、どんぐり文庫へ。冬の間、体調不良だ極寒だなんだでご無沙汰していて、久しぶり。サクも行く前から楽しみにしていて、「どんぐりぶんこって、すごいよね! あれが、いえなんやもん。きで できとうとよ?! おみせみたいに えほんがいっぱいやし」と力説していた。木のすがすがしさにみちた家、今日も心地よく、梶田さんはあたたかく。お話(語り聞かせ)は「世界で一番きれいな声」、猫や犬やあひるや牛の鳴き声が素敵だなーと思って真似をしてもすべてうまくいかない鴨の子が、やがてお母さん鴨の鳴き声を上手に真似てハッピーエンド。鳴き声のたびに子どもたちから笑い声。サクに絵本5冊、私も1冊、絵本関係の雑誌を借りて帰る。
夜ごはんは、親子丼、キャベツとミョウガのごまだれ和え、きゅうりとひじきの酢の物。昇級の面接を受けた夫、ストレスは溜めやすいほうか?という質問に「はぁ、よくわかりませんが、家族によくしゃべって寝つきがよいと言われます」と答えたそうな。
●5月某日: 自由登園期間中につき、今日は午前中だけ園に預かってもらって、昼に母を呼ぶ。サクには朝告げた。喜んでた。12時前に迎えに行くと、園でも話していたらしく、先生に「おばあちゃんがいらっしゃるんですってね。楽しみね」と言われた。子どもたちは、昼ごはんの準備をしているところ。テーブルをわっせわっせと運ぶ子、ふきんを濡らしに行く子など、みんなで動いてる。一緒の部屋で食べるらしい年中さんは、壁際にカバンを持って並んで座って待っている。どちらもかわいい。
さて母も、頼んでいたピザも無事に到着し、昼ごはんー。サク、ひとしきり食べて「もうこれぐらいでおなかいっぱーい。ごちそうさまー」と言ったあと体重計に乗りに行き、大台まであと一歩という計測結果が出ると「やっぱりもうちょっとたべる」と食卓に戻って来る。なんかの選手みたいw 母とサクが遊んでいる間に家事雑事も多少片付き、駅まで送っていった帰りに買い物を。夜ごはんは、豚バラ、キャベツの千切り、ズッキーニとトマトのマリネ、きゅうりの浅漬け、トマト。
皐月の六
●5月某日: サク弁、炒り卵と唐揚げの照り焼きごはん、チクワ入りきんぴらごぼう、さつまいも煮、りんご。自由登園期間は正式な保育期間ではなく、よって給食もないので、預けるときは毎日お弁当持参になります(泣)。でも正式な保育期間ではないから、冷凍食品も果物も入れちゃうぞ!!という私はお気楽人間。
迎えの時間は雨で、近所のママが数人を一緒に車で連れて帰ってきてくれた。帰宅後、サク、「おにたいじゲーム」を一生懸命工作。そりゃもう力作なので、夕方の忙しい時間だけれども付き合わないわけにはいかない。
夫が飲み会なので夜ごはんは簡単に。ピザの具と台が残っていたので、ピザにした。大根と鶏ハムのサラダ、トマト、さらし新たまねぎにポン酢(私だけ)など。夫は博多駅に開業したばかりのKITTEでもう2度目の飲み会。好きよのうw 帰宅後、2次会と称してちびちび一緒に飲みながら、東出くんの「家族に乾杯」の録画を見る。
ゆうべ、飲み会帰りの夫とちびちび飲みながらでーさんの家族に乾杯の録画見たんだけど、最高に癒されたよね。
先週末のスマステにゲストで出てたのも最後のほうだけ見たんだけど、ワイプの中にいるだけで癒してくるんだから、でーさんの私への訴求力なんなのw
焼酎のお代わり注ぎにいってたら、夫が「おい! 東出くんが今から琉球民謡に合わせて踊るってよ!!」と慌てて呼んでくれたんだけど、どんな事故の予感がしてたんだと、その認識をたたえたw
しゃべくりに出たときの東出くんラップ(?)の破壊力を見たらもう忘れられないよね・・・(笑) あれyou tubeにあがってたりしないかな、検索してみよ
●5月某日: 夫が有休をとれたので、サクも幼稚園を休ませる。昨日のログにも書いてるけど、今週・来週は工事の関係で自由登園期間なので。今日はお母さんもお弁当を休むのだ(この期間は給食がない)。朝起きたら、昨日から引き続き雨降ってる。
放送大学の学習センターに所用を足しに行くついでに、近くのラーメン屋で昼ごはん。とんこつ原理主義の福岡には珍しい味噌ラーメンのお店だが、夫のリサーチ通りたいそう繁盛していた。味噌といっても、北海道・信州・名古屋・関西(?)そして九州と5種類の中から選べる。味噌の効能についての説明も豊富で、並々ならぬこだわりの店らしい。私と夫は北海道の、サクは甘いのがよかろうということで九州味噌を選んだ。麺は(たぶんスープも)同じなのに、味は全然違いました。どちらもとても美味しかったです。人気のはずだ、ズズー(スープすする)。
さて放送大の学習センターは、私が学生時代に通っていたキャンパスとは違うけど、九大の施設の中に間借りしているので、懐かしい感じがある。謎の施設(炭素なんちゃら研究センターとか、国際アジアリーダーなんちゃらとか、とにかくいろいろ)がいっぱいあるのも、建物や内装が非常にそっけないのも(笑)。夜ごはん、鶏手羽の照り焼き、アジ南蛮など。ビール、白ワイン飲み、家族して早寝。
【“ママじゃない私” ポートレート 更新情報】
(あらっ。こちらでの告知、またまた忘れてたわ。1ヶ月近く前にリリースしてましたの…)
こんにちは、外は梅雨空が続いていますね。(※梅雨空が続いてくる頃にfacebookで更新告知してたのデスw)
どうぞ、「ママじゃな」で初夏の空と緑を感じてください♪...
私(インタビュアー・エミ)の幼稚園のママ友で、
ポートレートのvol.17に登場してくれた茉莉子ちゃん。
彼女が、長男を出産した産院で出会って仲良くなったのが今回のモデルのみどりさんです。広がる人の輪がうれしいです(^^)。
私はプロセス(過程)やディテール(詳細)のお話が好きなんだなー、
とあらためて感じた今回の取材でした。
みどりさんにしても、
小さい子が3人いる中で、バランスボールの資格を取って教室で教えていて・・・
「すごい人だなあ、特別な人なんだなあ、私なんかと全然違う」
って思いがちじゃないですか。
でも、「すばらしい結果」だけを見るんじゃなくて、
それが達成されるまでのひとつひとつのプロセスを聞いてると。
ひとつひとつは、私にもできるかもしれないって思えてきます。
小さな決断、小さな勇気、小さながんばり。
できることから、ひとつずつ。
そんなプロセスの積み重ねが、何か大きなものにつながっていくんですよね。
mamajanaiwatashi.hatenablog.com
>>うそ! つらい生理痛が?!
鎮痛剤、飲みすぎかも・・・痛みを自然の力で緩和しよう。詳しくはコチラ
皐月の五
●5月某日: 午前中、走る。ゆうべはあまり飲まなかったし(当人比)、なんだかやる気で、今日はちょっと遠くまで行ってみようと目的地をさだめる。結果。遠かった~。復路も、家まで遠かった~(笑)。10キロ以上走ったのは3か月ぶりくらいかな、しかもそのときとは気温も10度以上違うしね。でも心地よい疲れと充実感。精進しましょ。
夕方、サクが「おかあさん、ふろそうじ、やってあげる。」と申し出てくれる。「よつばと!」のよつばちゃんの真似っこでやりたがるようになり、何度かやってもらったんだけど、まぁ正直まだ力不足(比喩的な意味でなく、こする力が弱い)だし、必要以上にびしょびしょにしたり自分もなったりしてちょっと面倒だったりもするんだよね。もちろんそのプロセスを経ないと上手にならないんだけど、ちょっと急いでたのもあり「いいよ、今日はお母さんがするよ・・・」と逸らそうとしたら「いいよいいよ、やってあげるよ、”ははのひ” だし」と説得されたのでやってもらったお母さんです。
夜ごはん、あじの塩焼き、わかめの味噌汁、大根おろし、たけのこ煮、トマト。『真田丸』ついに昌幸が上洛!!
●5月某日: サク弁、ごはん、しゅうまい、ピザの具、卵焼き、鶏ハムときゅうりのサラダ。ピザの具は、ひき肉や野菜をトマトソースで煮たのに、チーズをかけてトースターで焼いたものです。
今日から2週間、幼稚園は今学期2度目の自由登園期間。園のすぐ横(ぐるりと団地に囲まれた園なのだ)の棟を壊す工事をするので、粉塵や埃がNGな人もいるので、正式な保育期間には含めない。でも大丈夫な人は預かりますよ、という期間。たとえば料理とか、工作とかみたいな保育活動はないけど、先生たちはみんな来ていて一緒に遊んでくれる。今日はサクのクラス(年長さん)、6割くらいの登園だった。一日中、小雨が降ったりやんだりな日だったけど、広い部屋でやった大がかりな「電車ごっこ」がものすごく楽しかったらしく、帰宅後サクから詳細な報告があった。
帰宅後、週末にNHKでゲットした「真田丸」のポストカードで私が友人にハガキを書いていると、サクが自分も書きたいという。ちょうど同じものがもう1枚あったので(というか1枚を私が、1枚をサクがとったのだった)あげると、おばあちゃん(私の母)に出すという。
ずいぶん時間をかけて書いたのを完成後見せてもらうと、よく電話で話してるけど真田丸を見てること、NHKに真田丸(の巡回展)を見に行ったこと、それから大濠公園に行ったこと、よつばとの絵などが書いてあった。切手を貼って、ポストに投函。「いつ、ばーちゃんちにつくの?」「明後日かな」「あさってつくよ、って、ばーちゃんにでんわしよう」そして「てがみだしたけん、ついたらでんわしてね!」と言っていた。ほう・れん・そう完ぺき。
夜ごはん、ドライカレーふうのもの(ひじき、豚ミンチ、たまねぎ、えのき、きゅうり)、焼きネギ、トマト&パプリカ、アジフライ(スーパーのお惣菜)。夫に、「えみの料理でこれが一番好きだなー」と言われ、やや憮然とする。超手間のかからない料理なんですけど・・・・。まあ、確かに美味しくできたけどさ。
『真田丸』 第29話 「異変」
小日向さんの腰の曲げ方が重版出来のときとはまた違うすごい #真田丸
様々な異変が描かれて「もういいよお腹いっぱい!」ってなってるところに兄弟の異変の萌芽で戦慄、三谷さんのしてやったりな顔が目に浮かぶ…。しかし今回はただの「異変」、つまり表層が見えただけであって、大地震のあとに本当のカタストロフィーがやってくると思われ、ゾゾー #真田丸
「真田に利するなら徳川につく」と同様、「豊臣に深入りしすぎたようだな」もその通りだろう。信幸はいつも正しい。でも秀吉を三成を茶々を近くで見て、権力者としてではなく彼らの人間としての不安や切実さを知っていたら、老いというプライベート情報を提供したくないのも人としてまっとう #真田丸
「真田に利するなら徳川につく」と同様、「豊臣に深入りしすぎたようだな」もその通りだろう。信幸はいつも正しい。でも秀吉を三成を茶々を近くで見て、権力者としてではなく彼らの人間としての不安や切実さを知っていたら、老いというプライベート情報を提供したくないのも人としてまっとう #真田丸
「真田のために」という信幸の言葉は戦国武士としてぐうの音も出ないほど正しいんだけど、「己のさだめを見つけて生きよ」というグレートマザー・とりさんのお言葉があるからなあ。すべての民のため祈る美しいマリア様ではなく「己のさだめ」を掲げるのが #真田丸 の母だよなあ
しかし今の信繁が「己のさだめ」を生きているかといえば疑問で、近しい人(家族や豊臣家)に心を寄せてる気持ちで動いてるけど、本人もよくわかってないんじゃないかなあ、何のために働いていて何がしたいかは。でも人間そんなもんだよね、パキッとした目的意識で生きてる人のほうが少ない #真田丸
息子たちに先んじて「己のさだめ」が見え始めたのは昌幸。完ぺきな城を作ってみたい、そんな「己の欲」をみたすべく作った伏見城が地震で崩れ去ったのは、己の欲に対してますます貪欲に執着する動機になりそう。いつも己の欲しかない薫様との関係やいかに #真田丸
今の秀吉の一番の叫びは、己亡き後の息子や豊臣の行く末ではなく「死にたくない」なんだろうな。大河の近作の秀吉は必ず呆けや失禁などの「老醜」が描かれるのだけど、願わくばそれを超えるものを見たい。人間、長く生きれば誰でも老いる、そして死ぬ。因果応報や絶望だけの死はやりきれない #真田丸
寧、三成、茶々、信繁、刑部…秀吉を思う人間は複数いて、皆、異変に気付いているのに、どうもうまく連携できないまま事態が進行していく。それを見るのがもどかしくてたまらないのだけど、リアル。リアルだからつらい。でもきっと何かを見せてくれると思う、老いと死が絶望だけではない何か #真田丸
大蔵卿局がダメ押しのように「茶々は拾が一番大事」と言ったのが、むしろ違和感のフックになる。茶々は悲しむのをやめた人だから。両親や義父の滅び、そして捨の死、愛する人の死を数々見てきた。秀吉の老いや死を見るのが怖いのは茶々だ。それは秀吉を愛するからじゃないのか #真田丸
仕事に関する判断はずっと冴えに冴えまくっている信幸だが、プライベートではずっとダメダメである。結局、稲ちゃんもおこうもつらい思いをしながら信幸と関係を結んでる。それでも2人共に、しかもほぼ同時に子ができるなんて、持ってる感すごいけどさ。もうちょっと、しゃんとせんかね #真田丸
信繁は信繁で、初夜の閨で初恋の女への愛を語るという、軍師官兵衛さん並みのろくでもなさを披露。しかし三谷脚本ではちゃと「ろくでもなさ」として描写されてるだろうし、春ちゃんもちゃんと曲者らしいから安心できますね。きりちゃんのことといい、信繁ももうちょっと、しゃんとせんかね #真田丸
戦国時代は大地震の記録が実際に多い時代だと思うけど、#真田丸 の中で地震が起こると「彼らもこういう経験をしたのだなあ」と身近に感じるし、復興優先のため戦がやめになったり、地震後に人生観が変わったりするのも、説明されるまでもなく納得がいく。そんな時代に生きてる私たちだなあと思う
秀吉の異変を知った家康がどう振る舞うかが見もの。#真田丸 の家康はラスボスにふさわしい大物だけど、黒狸なだけじゃなくて、情も深い。勝頼の死を悼んだり、大政所と旭の再会に涙したり、氏政の救済に力を尽くしたり。秀吉に対しても何らかの情を見せるかどうか
昌幸が伏見で作った出城は、もちろん、のちの「真田丸」に呼応するんだろうけど、その威力を(信繁だけじゃなく)信幸も叩きこまれてるんだよね、しかも「思いつけなかった自分の未熟さ」を思い知らされる形で心に刻んだはず。あー着々と仕込まれてるのに実際どう作用するのか全然読めない #真田丸
もちろん面白いんだけども、実はけっこう視聴ストレスをかける回だったなーとも思う。カタルシスがないのはもちろん、思いきり感情移入できる人物(たとえば前回の秀次のような)もいない。不穏な秀吉、不穏な豊臣家、かわいいけど謎な新妻、子を授かったものの2人とも幸せなのかな?ってな信幸の妻たち、不穏な真田家、なんといっても信幸・信繁兄弟。これがピークじゃなくてこの後にどんどん不穏を増しますよーっていう作りなのが何とも重い。そんな内容だけど、TLに視聴ストレスを訴える声は少なくとも私は見なかったのが、すんごいなーと思う。
大坂編(秀吉編?)もラストに近づいてきて、多様な登場人物の影にややもすれば隠れがちだった信繁に、私の中でぺかーっとライトが当たった。兄信幸の重ねての質問に、同じ答えを返す信繁。秀吉の容態を伝えない信繁。
かつて「真田のために働きたい、叔父上のように兄を支えたい」とキラキラした目で語っていた少年が、こうなったんだなーと。でも、そうだよねって思う。秀吉の周りでいろんなものを見ていろんな人と接して仕事してきたわけだから。何も知らなかったころと同じじゃいられない。「真田のため」という目的意識に立てば、つまびらかに情報開示すべきだけど、その目的意識がそもそも正しいのかどうか、っていう話、何のために働くのか、それは上(父や兄)から決められるべきことなのか、それが唯一無二なのか。
一方で、今の信繁が秀吉に(豊臣に)心酔しきっているかといえば全然そうではないわけで、秀吉の残酷さも、茶々の危うさもよくよく見てきているし、豊臣の中で出世したい!というような願望もなさそうに見える。
信繁は何となく「場当たり的」に見える。茶々を怖いとは思いつつ、固辞せずに一緒に武器蔵に入ってやる。三成にも刑部にもある種の敬意を抱いている。秀吉の振舞いがおかしいと思えば策を講じてみたり度胸よくぶつかったり(前回のたかの件)、利休に相談してみたり、けれど利休の所業を告発したり、家康に頼まれれば氏政の説得にも全力であたり、秀次付きになれば力を尽くして支えようとする。
いっぽうで、家族に対する愛情が変化したわけではなく、父への真心もあり(「瓜売」)、兄に子ができたことも心から喜んでいる。真田を飛び出したいなんて気持ちは毛頭なさそう。
で、きりに対する態度はどうだろう。いくらきりちゃんがうざいとはいえ、ひどいよね。って思うよね。
仕事熱心で正義感も責任感もあり、度胸や知恵もある。気が優しくて、人の痛みを感じ、人のために動くことができ、でも他方では近しい人(きり)に残酷な態度をとってたりする。「真田のため」という目的意識や「あわよくば独立したい」みたいな大志は、ない。
信繁って、「仕事ができてそこそこモテてコミュ力もあって、要するに光るものがあるけどイマイチ突出できないサラリーマン。人を平気で傷つけている部分もある」って感じの造形だなって思えてきた。その場その場の仕事には一生懸命だけど、跡取り息子とか起業家みたいな強いものはない。それって、視聴者の平均像かも。その彼が、いかにして「己のさだめ」を見つけ、動くか。って話なんだなあ。梅のハリキリワーキングウーマンみたいなのも、秀次の合わない仕事で発したうつも、秀吉ほどの人物でも老いて認知症に至る姿も、いろいろが現代に似てるよね、っていうツイートを見た。だからこそ、信繁がこういう造型なんだな。
それにしても兄弟そろって周囲の女に甘え過ぎなんじゃないのかな、って状態でかなりの回数が過ぎてるのが、そろそろ気になる。稲が自分からガバーッていったのも、尊厳を尊重された真田丸の女らしい行動だったけどさ、お兄ちゃんあんまりなし崩しじゃないのかな。きりちゃんのキリスト教傾倒、そんなのきりちゃんらしくないよって思って見てたしゆうべもそういうツイートしたけど、もしかしたらきりちゃんの己のさだめは「祈る人」になるのかな。そう一筋縄じゃいかないとは思うけど・・・。春と話して「私とお梅ちゃんのいいところを併せ持ってる!」って、ちょっとそんじょそこらでは出てこない名言でありました。
『とと姉ちゃん』 第16週 「『あなたの暮らし』 誕生す」 ツイートと追記: 間違っても貶されても駆け続ける人
さっすがに闇市の女性の内面吐露は作為にあふれていて「とほほ」感ありましたが、ここで綾が借金に来るのは、おお!と。「女の人の役に立つ雑誌」を興すために貯金+借金で大金を動かそうとしている常子が、最低限生きるためのお金を求める女の人(しかも友人)に、ここで相対する流れ。#とと姉ちゃん
一方で、常子が社長で花山が編集長というバディ関係の在り方もまだ見えていない。「雑誌作りに命を賭ける」覚悟で会社を興した常子が誌面のあれこれを決めるのが普通に思えるけど、巨大すぎる花山の存在はいわば船頭みたいな状態なわけで、航海はスリリングなものになりそう #とと姉ちゃん
「自分本位」を大事にする波がきてる?朝ドラ、大河、ライフイズマイン? URL 書きました。
常子社長+花山編集長では、一歩まちがうと「船頭2人」みたいな状態になりかねない、の意。船、山をのぼらなければいいけどw #とと姉ちゃん
女子校に行くと、男の人がいなくても何でもできるんだと実感する。それって一応平和だからだよね。今イラクやシリアのような紛争地域に行って、身の安全と衣食住を確保しようとしたら、やはり男がいたほうが、また丸腰より武器を持っているほうが安心だし狙われにくいと思うだろう。#とと姉ちゃん
より力の強いものが先んじて食料を手に入れ、敵を追い払って生存できる。それが自然界の摂理で、だからこそ平和が大事なんだよね。力の弱い女だけでも安心して生活できるように。「一人一人が暮らしを大事にすることで平和な世を作る」花森さんのポリシーだと何かで読みましたが #とと姉ちゃん
「食べてないだけ」と言ったら「いずこもおんなじね」と返された綾さんの気持ちを考えると胃がきりきりしてまいりまする…
常子は割烹着を着ているしおそらく調理の匂いも着いていただろう。綾さんは何日食べていないのだろう。何度見ても「いずこも同じね」でヒッとなるけれど、でもここで常子に、或いは私なら、他に何と言えただろう。 #とと姉ちゃん
綾の「食べてないだけ」に「いずこも同じね」って答えちゃう常子が通常営業で。“雑誌を作って庶民の生活を変える戦い”に挑む彼女はこれからも沢山考えなくちゃいけないんだろうなぁ。。 #とと姉ちゃん
そんなに「なんだかお疲れ」「いずこも同じ」ひどいかな…? 綾はプライド高めだし、ただでさえ惨めな立場なんだから、気心が知れた人にかけられる言葉は深刻にならずにさらに一般化してくれた方が気が楽というか、「人の仲それぞれ」レベルの話では #とと姉ちゃん
鈍感なようだけどそんな常子だから友情が続いたのもある。最初に訪ねてきたとき、鞠子は綾の落魄をつらいと言った。そういう感情が言動に滲んだら、たとえ気遣いでも綾には酷だったんでは。あの家と暮らしを見ても態度を変えない、同情してしまわない常子だから綾は付き合えた #とと姉ちゃん
常子からすると、綾の暮らしを知ってはいても、青鞜を支えに生気を失っておらず、その後に訪ねたときも明るい様子だったのも知っている。そして彼女は同情や共感から遠い性分。予告を見たり、お話として俯瞰してる視聴者と違って、即座に「綾に危機が」と捉えなくても不思議じゃない。#とと姉ちゃん
家も焼けず家族も死なず、銀座に事務所を…という常子と衣食住全てに困ってるだろう綾では客観的に見て全然違うけど、常子は今んとこ本気で「いずこも同じ」つまり自分たちも庶民=戦後の弱者側の生活者だ と思ってる。上から教えてあげるんじゃなく同じ目線からの雑誌作りを志してる #とと姉ちゃん
でも、客観的に見たら常子と綾は全然違うわけで、「雑誌で間接的に多くの人の役に立つ」ことと「目の前で窮乏する人を直接的に助ける」ことを天秤にかけて考えるための綾の来訪という作劇だろうから、「いずこも同じね」と言った常子が明日以降、何を思うのか注目するよ #とと姉ちゃん
今日、家賃だの、雑誌作りのための固定費だの、やたら事業にかかるお金の話をしたのもその前フリで、「でもそんなお金あったら目の前で餓えてる人をだいぶ助けられるよね? それでも雑誌作るの?」っていう問題提起だよね。サンデル先生の白熱教室的というか。あなたならどうする… #とと姉ちゃん
闇市のショバ代も払えなかったのに月1,400円の家賃。でも非現実的な数字じゃない。第2号を7円で1千部刷って(1号でも刷ろうとしてたからあり得る)完売したら7千円。経費は紙代と印刷代と1人分(花山)の人件費。家賃はこの時点で発生してないからけっこうな粗利が出てる。#とと姉ちゃん
一発あてやすいご時世だし、第2号ヒットの実績や、花山の名やキャリアも融資には良く作用しただろう。2号の利益と借金に蓄えを加えれば、何か月かは毎月1,400円払えるはず。もちろん、新しい雑誌を売って資金繰りしなければたちまち首が回らなくなるのも明白。至極現実的な計算 #とと姉ちゃん
蓄えがいくらあったかは謎だけど、青柳の遺産的なものがある可能性も。ただ戦中戦後を通じてモノがなく、配給は回らず闇市はインフレしすぎだから食に困る。妹の職もない。当時に生きていたらその状況が何年後に緩和するかは全く読めないから小規模出版社を辞めるのも無くはない判断 #とと姉ちゃん
だからといって、私なら会社を辞めるなんてできないけど、それやっちゃうのが起業家マインドなんだろうね。甲東だって永続的企業かどうかは誰にもわからないしね。常子はスーパーウーマンじゃないけど生活雑誌という新しい事業を成した人だから、やはりどこか突出した部分もあるよね #とと姉ちゃん
「自分本位」を大事にする波がきてる?朝ドラ、大河、ライフイズマイン? URL 書きました。エゴじゃないよ、個の尊重。集団とか空気とか共感とかに囚われないようにしようよ、と。危ないよ、と、長い物語が語ってるような。
取材に行くのか、朝ドラとしちゃ斬新な展開だなw しかし作品としてはとても自然な流れ。そうだよね取材は大事だよね #とと姉ちゃん
取材対象に対する過剰なリスペクトも、過剰な好奇心や哀れみも記事には出ちゃうもので、ある種の冷静さフラットさが必要。でも取材者が取材対象者や作成する記事に対して思い入れがなければ読み手には響かない。常子、試されるなあ! 文芸誌ではやらなかったことだろうし第一歩だね #とと姉ちゃん
常子新会社の資金問題については今までドラマで出てきた数字を考え合わせれば割と妥当な状況が展開されてる、つまりちゃんと数字ありきで作劇してると思います。 #とと姉ちゃん URL
てか花山さん、ほどけた知恵の輪をまた嵌めようとしてたよねw #とと姉ちゃん
常子の、他者への踏み込み方や線引きって一見無神経で無遠慮に見える部分もあるけれど、よくよく見ていくと個を尊重してフラットに接する…というととから受け継がれたものが軸にあって、優しさや誠実さってなんなんだろうなと色々と考えさせられます。 #とと姉ちゃん
唐沢さんのスタパ、最初のほうだけ見たけどやっぱりすてきな人だ。三姉妹がVTRで「唐沢さんの生放送は心配」と言ってたのが面白かったw 撮影現場でも面白いんだろうなw でも、実際ちゃんとジェントルだよね、スタッフもとても大切にしてるイメージ #とと姉ちゃん
充希ちゃんを「芝居のことをよく考えていて、(芝居で)いい表情をする」と言ってたのが印象的。役者さんはどんな場面でも自分の役の芝居をしなきゃだけど、相手が良い表情・良い芝居することで引き出されるものってやっぱりあるだろうな。たとえ唐沢寿明でも。#とと姉ちゃん
唐沢寿明プレゼンツの焼肉弁当が演者スタッフ全員に差し入れられた日、たまたまヒロイン充希ちゃんの初めての撮休だったという奇跡w 「唐沢祭り」という垂れ幕がかけられていたらしい。ちなみに唐沢さんがうっかり小道具を壊しちゃったお詫びの差し入れという趣旨だったとか #とと姉ちゃん
常子、綾の件を妹たちには黙っていたのに、会話の流れでとはいえ花山には堰を切るようにベラベラ喋っちゃったんだな。そして全く驚かない花山。すでにバディな2人 #とと姉ちゃん
綾の仕事を知ったときはショックで身動きとれなくなっていたのが、取材に行って生の声を聞いたから、気づいた。「いずこも同じね」じゃない。「大したものじゃありませんから」じゃないんだよね。聞こうとして、見ようとして、主体的に接したから。#とと姉ちゃん
「戦争で死別して/嫁き遅れて 気が付けばこの仕事に」「女の雑誌のことは殿方に聞いたら?」「殿方の好む献立とか服装とか」 現代批評そのままみたいな直接的なセリフでもあったけど、男性の相手をする仕事の彼女たちが批評性のある視線を持ってるのは自然でもあるし面白かったな #とと姉ちゃん
「女の人の役に立つ雑誌」「庶民に届けたい」なんてぶち上げつつ、彼女たちのニーズも実状も諦念も、本当にはわかっていなかった。でも雑誌のため行動したから気づいたし、気づいたことをもとに考え、動けるようになった。未熟なままでも思いをもって行動を始めることが大事なんだよね。#とと姉ちゃん
わかったようなこと言うのは簡単だけど行動は大変。未熟さやミスを何もしない外野が責めたてて思いきって行動した人を潰してしまうのは、本当に現代の悪習だと思う。行動する人を減らして素人批評家増やしても何にもならない。未熟で失敗しながらも雑誌作りを続ける三姉妹がんば #とと姉ちゃん
たぶん常子達はずっと普通だった。これからもずっと普通だろう。戦争で世の中下がったちゃったから普通が上になってしまったが、これから高度経済成長時代を迎えて世の中が上がってきてもずっと普通だろう。 #とと姉ちゃん
「とと姉ちゃん」では戦後直後は貧しい人が多いといっても、戦争で家が焼けてしまったかどうか、夫が戦地で亡くなったかどうかでその貧困の度合いにも大きな差が出ている。同じ暮らしが豊かではない人で一括りにせず、その中に差を設けている。#とと姉ちゃん
「とと姉ちゃん」の主人公たちは父親を早くから病気で亡くし、男性よりも遥かに安かった女性の稼ぎだけで生きてきた家庭なので、標準よりも貧しい部類に入る人達である。だが、それよりも貧しい人がゴロゴロでてくるので視聴者にはむしろ豊かなほうの家庭にさえ見えるという罠。#とと姉ちゃん
家庭環境と、ととの不在から常子たちは経済的な自立を目指すことが当たり前だったけど、当時の多くの女性は綾さんたちのようによい妻になる技術だけを身につける努力をしていたから、レールから外れると稼ぐ技術がなく水商売一択になってしまうという現実。 #とと姉ちゃん
月曜、火曜と何が始まるのかわからないで見ていたら、本当に貧困の中にある綾さんや同僚たちが、常子たちを裕福だと言い、洋服なんて余裕はないと言い切った。こういう主人公の階層の相対化はカーネーションでもなかった。貧困が見えるようになってきた「今」らしい描写。 #とと姉ちゃん
お金を貸したときより、ずっといい笑顔で、晴れやかな気持ちになってくれた綾さん。そのことが心底うれしい常子。そういうことなんだよね。うちに間借りしたらとか水商売よりまともな仕事紹介するわよとかじゃなくて、常子は雑誌を届けることを通じて、こういう笑顔になってほしいんだ。#とと姉ちゃん
「寒い季節に半袖ワンピースって?」と季節感を疑ってるの散見するけど、確か4月号って言ってたような。夏に向けての服装としてぴったりなのでは? #とと姉ちゃん
脚本家が美子の裁縫好き設定を忘れてるわけじゃなくて、美子は曲がりなりにもプロのはしくれ(洋裁屋バイト歴もある)だから、君子に頼んだんだよね。君子が言われたとおりにやってうまくできれば、雑誌の装丁読者層である庶民の女性にも作れることが確かめられるという暮らしの手帖流 #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん 今作で、カフェの女性たちが一張羅を着たきりすずめにしてて臭いという表現があったのは重要なことと思います。大半の人は、清潔に身を保てないのに自分自身に誇りを持つことなんか出来ない。洗い替えして、清潔な身なりで仕事を出来ることがどれだけ大事なことか。
RT相手の苦しみや悲しみに無関心なのは言うまでもなく、過剰に反応して憐れむのも無関心と同様に対等さがないことだ。そこって履き違えやすいところで、そういう場面を実生活でも見るにつけ、本当の優しさや公平さって?と考えてしまう。だから常子と綾の関係がとてもいいなと思う #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん は常子が男前ヒロインじゃないところがいいと思っている。それは男くさい花山の中にフェミニンさが息づいていることにもかかっていて、人は多面体で、男らしさ女らしさなんて取るに足らないんですよというメッセージになってるのよね。
花山が母代わりに暮らしの色々をやってきた(生活の実践者である)から知っている、のは納得だけど、今は普段の生活でやっている描写がない(奥さんが全部やってる)ので、ちょっと弱かったかなーと思う。まぁ史実の花森さんとこも奥さんがやっていたなら変えにくいだろうけど #とと姉ちゃん
直線裁ちワンピースvs洋裁学校は序盤からの「本物偽物論争」からの繋がりっぽくて面白かった。直線裁ちワンピースは洋裁学校で習うような本物の洋裁ではないけど綾さんが笑顔を取り戻せたから村野家にとっては本物以上の価値があるんですね #とと姉ちゃん
常子新会社の資金問題については今までドラマで出てきた数字を考え合わせれば割と妥当な状況が展開されてる、つまりちゃんと数字ありきで作劇してると思います。 #とと姉ちゃん URL
RTした通り、今日の話も、1冊50円なら1万部といわず3,000部売れただけでも売り上15万で、写真やカラーの印刷費がかさんだとしても広告費2,400円は無茶な数字ではない。当面の資金は「借金した」と言っていたので、売れれば資金繰りは回っていく。しかし!(続 #とと姉ちゃん
承前)雑誌50円・新聞広告2,400円と出てきたことで、銀座の家賃が月1,400円なのは如何なものかという疑問に囚われてる私であるw 陽当たりも悪くなさそうだし、銀座の隅の隅かすごくガタがきた建物か、いや契約時より家賃もインフレしてるのか。終戦後のご時世だからして #とと姉ちゃん
校長への態度が本当に常子らしかった。「営業妨害のつもりはない、自分たちの雑誌作りもやめない。」上手い修辞や理論武装のない、シンプルな意思だけ。口下手だけど強い意思を、激せず臆せず静かに語る。相手の瑕疵も突かない、帰ったあとも悪口言わない。「自分本位」常子ここにあり。#とと姉ちゃん
辞めるときの「大金持ちになれるかも」は甲東の堅実さ(でも将来にわたって絶対安全とはいえない)より博奕性ある起業を選ぶことの説明で、大金持ちの妄想では「あんまりいいの出なかった…」と言ってたので、大儲けしたい願望は実際はないんだよね。わかりにくい描写だったのかな #とと姉ちゃん
甲東の給料ではギリギリの暮らしで先細りであり、もっと家族に(特に母に)楽をさせたいという意味での「稼ぎたい」であって、「大儲けして贅沢三昧の暮らしがしたい」じゃないんだよね。食物・文学という妹たちの具体的な妄想に比べ常子は空虚だったし、妄想した後しょんぼりしてたし。#とと姉ちゃん
twitter:756303331488731136:detail
常子は社長なんだから、彼女のやることはお金のことを考え社の方針を考えいい人材を揃えて「いいですね」とGOサインを出すこと。常子の今までの経験と積み重ねはそこに出る。稼ぐとか女性のための雑誌を作ろうとか、表紙絵への感想とか。 #とと姉ちゃん
今までのところ、何より大きな仕事は、花山という最高の人材を口説き落としたことだけど。それぞれがそれぞれの能力と経験を元に、それぞれの仕事をしている。#とと姉ちゃん
講座の件、どうしても歯磨き作りとオーバーラップするもので、あのときは常子が一番に笑い出し、「家族ではない」森田屋も一緒に笑ってくれて終わったけど、今回は厳しい表情で自分の失敗を認め頭を下げる姿が印象的。でもこれをどう糧にすればよいかはまだ見えていないだろう。#とと姉ちゃん
また、「食うためにやったこと」という花山の言葉は、多田や早乙女を思い出させる。そして、やった本人ではなく「時代を恨め」と。時代はこれから高度経済成長に向かい、雑誌は商品テストを始める。歯磨き時代からの常子の成長やこれまでのエピソードと共に、今後を感じさせる土曜日 #とと姉ちゃん
「恨むなら時代を恨め」は、「時代を恨まないためには、どうしたらいいか」と考えることにつながりそうだなあ。意地悪や理不尽に対して恨まず「自分はどうするか」という自分本位の態度に徹してきた常子が、どう会社を守っていくか、雑誌を通じて変わりゆく時代とどう対峙していくか #とと姉ちゃん
んで、「時代を恨め(キリッ」なーんて言ってくれちゃった花山は、「時代」に加担した過去をあれだけ悔やんでいたからには、ご自分の考えもおありなんでしょうね、時代とどう対峙していくか。でも社長は常子だから顔は立てるというか常子を育てる側面もあっての今回の対応ということか #とと姉ちゃん
来週さっそくやるみたいだけど、常子と花山が、ぶつかり合ったり協力したりしながら雑誌作りをしていくの、楽しみ。家族を含めた「内の人」常子が、「外の人」とそこまで深い関係性を築くのは初めてだね #とと姉ちゃん
常子と花山は夫婦でなく家族でなく、社長と編集長で、年上と年下で、男と女で、とと姉ちゃんとかか兄ちゃんで、推進力と頑固一徹で、求めた者と求められた者で、いろーんな関係性が見られるよね。こういうバディは朝ドラでは異色だし、楽しみー #とと姉ちゃん
あの焼け跡のバラック街で、「もう、間違えないようにしませんか」と常子は言ったけど、それは「間違えないために行動しようじゃありませんか、立ち止まって後悔しているばかりではなくて。」ということだったんだろうと思う。
実際に行動すれば、人は細かく間違う。迷惑かけることもある。どうしても、何度でも。それでも凹んで反省して失いながらも行動することをやめない人だけが為せるものがあるんだと思う。正しく空気を読み間違いを避け、危ういものには寄らず触らず、それだけでは事態は何も変わらない。何もしないくせに人のことにツッコミ入れたり批判したりすることだけはいっちょまえなのは世の中悪くするだけ。
ここ数年そんなふうに思って生きてるので(大げさ)、常子たちのこと超応援したくなるし励まされる。何やかんや難癖な勢いで批判され貶められているのを見ればみるほど、「それでもがんばって」って思うし実際がんばってくれる常子たち超尊い。物語に対する視聴者の反応(の一部)が現代の世界を炙り出してて、炙り出しながら物語は自分たちの道を進んでいって、ほんと面白い作品になってる。10年後に再放送したら全然違う反応に・・・って、そんな世界になるといいな。