皐月の四 / 「真田丸」 巡回展
荒天。雨はさほどでもないが強風ってか立派な暴風で、人力自転車の親子2人乗りで登園するにはやや危険な環境であった。
28日に雨天延期になった親子歓迎遠足が今日になるはずだったんだけど、この荒天じゃ海辺でカニとかヤドカリと遊ぶのは無理だわな。
今回はもう延期じゃなく中止、残念がってるだろう子どもたちの気持ちを先生たちが楽しく切り替えさせてくれることを祈ろう。むしろ今日何したか聞くのが楽しみ。
帰ってくると、「きょうのようちえん、たのしかったー!」とサク。聞くと、初めてのゲームをみんなでやって超盛り上がったらしい。さすが、先生。遠足中止の残念さを払拭してくれる。やり方を説明して、家でもやってみた。夜ごはんは、麻婆豆腐、カツオのたたき、いわし南蛮、ニンジンツナサラダ、トマト、赤ピーマン、きゅうり。それに、安くなってたからと夫が握りまで買ってきた。
サクが寝てから、夫と、囲碁の井山裕太名人のプロフェッショナル仕事の流儀を見る。2年くらい前にやったののアンコール放送だったみたいだけど。26才で七冠を達成した記念だったらしい。囲碁ってやったことない。面積を競うゲームだというのも初めて知ったけど、面積の測り方がまったくわかんない。将棋以上に難しいんだろうなー(頭の悪い感想だw)。すごい。すごすぎる。でも、甥っ子にちょっと似ててかわいい。井山さん。これから注目するだろう。
店は2Fが猫カフェになっていて、1Fからは大きなふさふさの猫ちゃんが1匹、座布団のように丸まって眠っているのが見えました。「いや、あれはおざぶやろ」「ぬいぐるみやない?」と議論沸騰、サクが罪の無い子どもの顔でギリギリまで近づいて、「あそこがしっぽ、あっちがて。にくきゅうがみえた」と報告。
真田丸巡回展、無料で入れるギャラリーなので、お宝ザクザクってわけじゃないけど楽しかった。信繁・信幸・昌幸が実際に撮影で着た着物や、扇子や櫛などの小道具がありました。着物は麻っぽく、通気性良さそうだった。昌幸のモフモフの上衣と、モフモフのカバーに包まれた剣もありました。
メインキャストのサイン色紙も陳列されていた。20人分くらいあったんじゃないかな。「大河ドラマ真田丸巡回展おめでとうございます ○○(名前) サイン」て感じに、みんな同じ形式で書いているので、比較しやすくて面白かった。役者さんの筆跡を見る機会もなかなかないしね。内野さんが群を抜いた達筆で、堺・大泉の兄弟は共に実直そうな文字。小日向さんと黒木さんは、ちょっとデザインちっくな、個性的ですてきな文字だった。
で! その展示とは別の場所で、常設されているらしいお宝を発見!!
→それは、NHKドラマの台本!! 無作為に20作品くらいおいてあって、朝ドラはちりとてちんとか純情きらりとかどんど晴れ、大河は篤姫や官兵衛、そしてそして、『風林火山』があったー!!
風林火山、「信虎追放」の回のが置いてあって、家族を待たせてたんでぱらぱらとしか見られなかったんだけど(閲覧用に置いてあるんです) 、感動ーっ!!
亀ちゃん晴信が父を放逐して自らが武田の当主になることを決めて、弟信繁に「わしに従ってくれないか」と頼むのね。弟は父のお気に入りで、晴信を廃して家督を継ぐのではという空気になってて。
だから弟に自分に従えというのはすごく賭けだったのよね。そしたら信繁が「自分もみくびられたものだな」って。弟も父を苦々しく思いつつ、兄が立たないのであれば自分が継ぐしかないと思いさだめていた。
で、「兄上よくぞ立たれました」って。「今日からは晴れて兄上に従います」って。晴信は弟の気持ちに初めて気づいて、「わしは今日ほど己を恥じたことはない」って言うの。兄弟ともに、涙なみだでね。ああー名場面だわああ!
その様子を受けて、重臣・甘利が「甲斐は変わるのですな……」って複雑な表情でしみじみ呟くの。ああー、名場面だわああ!
サクが寝た後、プロフェッショナル仕事の流儀、スーパー高校生特集とやらを見る。ピアニスト牛田智大くん、ボクシングの松本圭祐くん、すてきだった。まず顔つきがもうプロフェッショナルだし、言葉もとてもわかりやすく、深い。
松本くんのコーチでもあるお父さんも印象深かったなあ。茶髪で眉毛の細い、元ヤンの雰囲気ぷんぷんのお父さん。もちろん一生懸命教え、相手になるけど、いわゆるスパルタお父さんではなくて、しばしば「大丈夫か? もう少し○○するか?」とセーブを持ちかける。子どもを心配するお父さんの顔をいつも見せていて、それで松本君は、「お父さんはああ言うけどストイックにやらなきゃ」「(試合前)お父さんはああ見えて繊細だから、大丈夫だと伝えるためにミット打ちしよう」なんて思ってるんだって。番組スタッフが、試合後(その階級の高校生クラスで日本一になった!)そんな松本くんの言葉をお父さんに伝えると、「そうですか」と笑った後、目頭を押さえて沈黙し、「いや、そんなこと考えてるなんて、思わなかったもんですから・・・」と声を詰まらせていた。
皐月の三
●5月某日: 午前中、走る。5.5キロくらい。日陰を探して走る季節になったが、11時にもなるとすっかり日も高くなっている。所用ついでに自転車散歩をしているサクと夫に途中会う。昼ごはん、チャーハンとミニうどん by 夫。部活を終えた学生みたいなメニューを食べてしまった…。
昼下がり、夫の実家に出発。途中運転していく。今日は車が少なめ。だが、風が異様に強くてちょっと怖い。着くと、家でたくさん印刷してきた写真を1枚1枚解説しながらじぃじ・ばぁばに見せるサク。夜ごはんは今回も義父の振舞いで、おなかいっぱい。アジ刺がとても新鮮、かんぱちのアラ煮も超おいしかった。サクは鶏の唐揚げをバクバク。
義父は4月から、地区の区長をつとめることになったそうで、先月はたいそう忙しかったそうだ。義母いわく「何でも真面目にする人だから」わかる。ここ何年も、中国・韓国からの団体観光客が大挙していた近くの南蔵院(巨大な涅槃像がウリ。)だが、熊本大分の地震以来、彼らを乗せた大型バスがぱったり姿を見せなくなったという話が印象的。
●5月某日: 朝ごはんを食べるとさっそく庭でシャボン玉、広場で自転車やボール遊びをするサク。よく晴れて、今日は風も弱まったようだ。ここからほど近い「樹芸の森」に行ってみようということになり、義父の車にみんなで乗り込む。結婚して8年になるけど初めて行く場所。篠栗耶馬渓、ともいわれている豊かな森林公園で、途中の広場に駐車。バーベキューをしたりテントを持ち込んだりしている人たちもたくさん。巨大な鳴淵ダムも一望できた。
そこから「展望台」という矢印に沿って登り始める。特に距離が明示されていないのはすぐそこだからかと思ったら(広場でもかなりの高台なのだ)、えらく先が長く、ちょっとした山登りになる。義母が大丈夫かなーと、進むべきかあきらめるべきか迷い迷いだったけど、マイペースでゆっくり上ってこられてよかった。サクはひょいひょい。坂道や階段になると子どもは強いですね。体重も軽いしね。道はかなり手入れされていて、その分ワイルドさは減じるけれど、足に心地よい芝も敷いてあり、快適なハイキングだった。3,40分で展望台に着いたかな。これはすばらしい景色で、一同感嘆。海ノ中道とその向こうの志賀島。能古島、奥には糸島半島も見える。眼下の町並みは久山、その向こうは箱崎と香椎。「篠栗から海が見えるなんてね」と義母。
降りて、昼ごはんを食べにいくついでにと、萩尾地区というところに寄った。
山からの帰り、まだかなり高いところに突然、小さな集落があった。今では10数件かな。中山間部と山間部の中間くらいか(わかりにくい)。斜面にきれいに、段々に整地された田んぼが。昔は、この田んぼではなく林業がメインの集落だったらしい。
集落緒中に小さな学校があった。小学校の分校で、今年、義父は入学式に出席したらしい(この集落ではなく自分の居住区での区長をしているので、来賓として)。新入学生1人に対して教員や来賓が30人くらいの式だったそうな。(それが良いとか悪いとか言ってるわけじゃないですよ、念のため)
夫の祖母、つまり義父の母は、この集落よりもさらに高いところにある集落から嫁いできたそうだ。当時「へりやま」といわれていた地で、たぶん漢字は「縁山」。当時の若宮町、今は合併して宮若市に入ってるのかな。義父も子どもの頃、彼女の郷里まで歩いてのぼっていってたらしい。
今、民俗学関連では芳賀日出男の『日本の民俗?祭りと芸能』をメインに、沖浦和光の本を副読本に読んでるんだけど、今猛烈に、宮本常一の『山に生きる人々』が読みたくなってる。まだ読んだことなくて。
そういえば・・・連休中はスキマ時間に、上橋菜穂子のエッセイ「物語ること、生きること」もちょいちょい読んでる。「守り人シリーズ」の文庫版、巻末の鼎談で、上橋さんが藤沢周平を好きなことは知っていたが、「物語ること、生きること」では宮本常一の話も出てきて、わーやっぱり、てなもんだった。
しかも、宮本さんの数ある著作の中でも、『忘れられた日本人』の中の「私の祖父」の章を引いているのが、「そうよね!」感すごくて。上橋さんの本って大人になってから初めて読んだファンタジーなんだけど、ハマったのはやっぱり必然だったなあ
数か月前、松っちゃんとパンクブーブー黒瀬が番組で来たという定食屋で遅い昼ごはんを食べる。義父は昔からの馴染みで、例の日、店がわは、黒瀬(この町の出身)がもう一人芸能人を連れて来るとは聴かされていたけど、それが松っちゃんだったとはびっくり仰天だったとか。
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『とと姉ちゃん』 第15週 「常子、花山の過去を知る」 ツイートと追記 :ついにどでかいカタルシス
まだまだ終戦直後しかも貧しい人々が暮らす町なかに、あまりにも趣味の良い珈琲店。花山こそ、いったいどこを向いてるんだ?と言いたくなるわけで。でも無意識の直感で「スタアの装い」を作った常子と似たとこがあるのかもね。#とと姉ちゃん
あまりにも趣味の良い珈琲店に常子がおそるおそる入ってきて、ちょっと目を瞠りながら店内を見回し、出てきた花山と緊張しながら話して、すとんと座ってまた立って必死に言葉を重ねて…。高畑充希の長い芝居は一挙手一投足に見ごたえあるなあ。堂々たる唐沢さんとの対峙。 #とと姉ちゃん
今はペンを折っていても、娘のために暮らしを良くしなければとは思っている花山。常子、森田屋、青柳、多田やお竜も、みな守らなければいけないものがあるからこその強さと弱さを持っている。3歳ということは、常子と内務省で会ったときまだ娘は生まれていなかったね。(続く)#とと姉ちゃん
承前)「読者を想像できてない」指摘は、「今ここで珈琲屋って?!」だけでなく、かつて戦争標語作りに携わっていた頃へのブーメランにもなるのかも。娘という、自分が直接的に守らなければならない存在をまだ持っていなかった花山。誰のため、何のための仕事だったのか?って反省に。#とと姉ちゃん
ゆうべも書いたけど、過去を知るのは、振り返る・立ち止まることじゃなく、未来のため。安倍さんは昨夏の談話で過去に区切りをつけたと言いたいだろうけど、政治がそうでも、市民はずーっと先の戦争や近現代史を学ばなきゃいけないと思う。そこにある数々のことが、過ちだったのか不可抗力だったのか?
なので今このタイミングで #とと姉ちゃん が戦争を振り返るのはとても興味深い。何なら「経世済民の男」の高橋是清と小林一三をさくっと再放送してほしいなあ
#とと姉ちゃん で、共感できない・下品・謙虚さがない的な感想をよく見るんだけど、裏返すと「共感」や「上品さ」「謙虚さ」が大事だという内面化があるんだなあとつくづく思う。一見なんの問題もないようだけど、もの言う人に対して、その内容や背景を斟酌せず挙措で忌避するのにも繋がるような。
ドラマの作風や脚本演出に対する嫌悪感が先に立っているとしても、お金持ち妄想シーンに対する不快感が多かったのも、内面化のあらわれだなあと思った。「お金持ちになれるかも」って発想自体が不愉快だという人も。そういう妄想をしない人だからこそ尊敬できるのに、というような。
清貧を尊んでガツガツしたものを嫌う価値観って日本人の普遍な気もするけど、でもやっぱりそれとはなんか違う感じがする。うまくいえないんだけど…。ここ10年か15年くらいでずいぶん階級感覚みたいなものの受容が進んでいるような・・・
常子たちって、いわゆるDQNっぽく見えるところがあるんだろうと思われ、DQNへの忌避感と共に「暮らしの手帖」との食い合わせの悪さで批判されているところが大きいと思うんだけど、脚本演出は少なくともある程度は意図的だと思うんだよね。#とと姉ちゃん
DQN的なものに対するネットの朝ドラ視聴者層の忌避感ってすごく大きいんだよね、その対極にあったのが前作のアッパークラスな人々。育ちが良く品が良く、落ちぶれても心は錦。良い家庭・良い親という生得的なものから得た美徳が尊ばれ、毒親とその子どもは叩きのめされる。現代の厳しさだよなあ。
どこに生まれても同じように教育が受けられ、まっとうに働き暮らしていけるための知識や経験や人間関係が得られる、そんな社会を指向するのが当たり前だったのが、変わってしまったような。毒親やDQNがなぜ生まれるか、その構造を俎上に乗せないといけないけど不快って感情論だけで終わることが多い
上品に謙虚に、人から反感でなく共感を持たれるように。そういう生き方で、小林一三が言った社会の活性化の必須条件、「我欲」を持ち、アウトプットすることはできるんだろうか? 謙虚さや共感や自己責任を大事にする感覚は、むしろ我欲を抑えるために作用しているんじゃないだろうか?
常子はもちろん、花山すら自分たちの「今より良い暮らし」への指向を示したのはすごく説得力あると思ったんだけど(これからの仕事が志のためだけではないというのが)、現代では「今より良い暮らし」という願いすら抱かなくなってるかも。そんなの大それた願いになってるというか(続 #とと姉ちゃん
承前)今より良くなるなんてあるわけない、と若い人すら思ってそうだし、下品で傲慢で叩かれるもの、というような感覚からも、また被災した人や貧困状況にある人々に対する思いからも、上昇指向とか持ちづらい。でもそんな共感や諦めが小さな優しい社会に繋がってるわけじゃなくむしろ同調圧力の強さ
共感や自律心はとても大事だけど、そこに傾きすぎると日本人の性質的に、同調から逃れ得ず萎縮したり逸脱者への排斥を強めたりにもつながる。#真田丸 で「己のさだめを生きる」、#とと姉ちゃん で「それぞれの暮らしの尊重」とどちらも自分本位を打ち出してるのは今を生きる作家の感覚なんだろうな
花山と常子の対峙がいい。緊張感があるのにどこか息が合ってて息苦しくない。雑誌作る前からこんなに面白いなんて、雑誌作り始めたらどうなっちゃうの。楽しみ! #とと姉ちゃん
まだ何の関係もできてない人の、しかも戦争に関わる過去を聞きだすなんて相当な行為で、常子も緊張してる。でも迷いはない。常子の強みだなあ。それがいかにも朝ドラヒロイン的のようで、ちょっと違うと感じられるのは、これまでいろんな人と出会い別れてきた描写が効いてるなあと思う。#とと姉ちゃん
やっぱり共感型ヒロインじゃないんだよね。話を聞いて、我がことのように泣いたり怒ったり一緒にするのが朝ドラヒロインの典型だけど常子は違う。相手(←家族以外ね)と自分との間にくっきり線を引いてる。常子って本当に内と外との境界線がはっきりしてるんだよね #とと姉ちゃん
それが冷たいとか何考えてるかわかんない、共感できないと捉える人もいるようだけど、何かがあってもその線を越えて入ってこないし離れてもいかない、距離を変えないフラットさがあるから、相手は安心して付き合えるんだろうな、とだんだんわかってきた。早乙女も、綾もそうだと思う。#とと姉ちゃん
その姿は、絆や共感を大事にしたり、空気を読んだり(読んだつもりで読み間違えたり、過剰に読みすぎたり)、相手だけじゃなく集団を取り囲む空気までもを自分の言動の判断材料にしたり、「空気を読める人=偉い、読めない=ダメ」みたいな現代の風潮とはまったく異質で、とても新鮮。#とと姉ちゃん
以前も、常子は靴が壊れたことには驚いたけど、どうしましょう恥ずかしいわー的な態度がまるでなかったんだよね。「じゃ裸足で」とパッと判断して撤収。それまでの問答でも、偏屈な男に対して過剰な怖れも媚びも卑屈もなく、素の自分で相対してた。花山の記憶「素足」はそんな象徴 #とと姉ちゃん
それにしても、靴こそ割と揃えるものの「暮らしの手帖モチーフなのに常子ったら大雑把すぎ」的な批判もされてきたけど、ここへきて、「縦横きっちり1mmも揺るがせにせず!」な花山ありきでの常子描写だったのねー、と。#とと姉ちゃん
確かに、すっごく細かいところにまで神経ゆき届かせる編集長だったら、社長は割とゆるいくらいじゃないと下の人間はきっついよなーと思うので、実際の花森―大橋コンビが几帳面さの点でどうだったかは知らんけど、相互が凹凸になってた部分は何かしらあるんだろうなー #とと姉ちゃん
「一銭五厘の命」考が、花森さんの思想でとても大事なものであったのは、TLに流れてきたリンク等で見ていただけに、寺田農がひと息に喋ったのはちょっと意外。まだ何かが残っているということだな。しかしそのときのバックの映像はなかなかインパクトあったな。#とと姉ちゃん
鳥巣商事で「女は産む機械」「代わりならいくらでもいる」的な発言があったけど、男性の方も「一銭五厘の旗」のように誰でもいい道具のように使い捨てられていたんですよね。それが戦時下の体制だったということ。 #とと姉ちゃん
常子の押しの強さが一部でブーイングを受けてるけど、花山伊佐次の場合、踏み込まれたくはないけど、吐き出したくて仕方がないという狭間にいると思うので、常子の図々しさが初めて人の役に立ってる感はあるのよね。破れ鍋に綴じ蓋感というか、花山伊佐次の誘い受けというか。#とと姉ちゃん
そっかー、確かに「ご老人」は現代では言わないもんね。まったく違和感なかったわ。時代考えたら全然失礼な表現じゃないと思うよ。「させていただく」は時代考えたら「え?」ってなるけどw #とと姉ちゃん
標語作りにいそしんだのも、共にいた二等兵の戦友たちが心を占めていたから。落ちた財布を見れば面倒くさい女の家にも届けずにはいられない、傷んだ天井を見れば直さずにはいられない、花山は「言葉」という記号を扱っても、観念ではなく実存に生きる人なんですよね。#とと姉ちゃん
「女の人の役に立つ雑誌を作りたい」その心は本物で、会社辞めて雑誌作る実行力や花山への突撃力があっても、常子から出てくる雑誌はあのボロボロでピントの外れたスタアの装いだもんなあ。そのうえ母思い、娘思いの花山が小橋家まで見ちゃって。そりゃほっとけないね参画しちゃうよね #とと姉ちゃん
絵や言葉の技術が一流でも意外に実存的な花山に比して、思いや行動力はすごいけど技量に乏しい常子ってバディなのかなあ。常子は文学の造詣も編集技能もイマイチで、三大目標を始め観念は強いけど、実際にやるのは歯磨き作りにタイピストそしてスタアの装いといつもイマイチだった #とと姉ちゃん
焼夷弾で具体例が挙げられたのが印象的。この花山の反省は、暮らしの手帖が商品テストに代表される科学的実証主義をとるのにもつながるね。終戦後の昭和天皇が疎開先の皇太子に宛てた手紙で書いた敗戦の理由も、1つは「精神に重きをおきすぎて科学を忘れたことである」だった。#とと姉ちゃん
女の人の役に立つ雑誌を作りたいのも、家族に楽をさせるためたくさんお金を稼ぎたいのもどっちも本物の思いなんだよね。どちらかに偏るのでなく両方やりたい!となるのが、社会システムがめちゃくちゃになってる時代ゆえでもあり、起業家マインドでもあるんだろうなあ。#とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん 常子の押しの強い性格とか鞠子の頭の切れるところとかが、時代や環境や自分もしくは相手の状態によって吉と出ることも凶と出ることもあって、その最たるものが「花山のペン」なんだろうなと。性質や才能に良いも悪いも長所も短所も無く全て使い方次第、というフラットなとこがいいな。
手伝ってやる、1回きりだぞ、売れるに決まってる、と超俺様でサポート気分全開な花山さんですが、やってみると超俺様で徹底的にこだわり抜き、あげくいつのまにか真ん中で自らペンを握ってるんでしょうねわかります(笑) #とと姉ちゃん
「女の人の役に立つ雑誌」って言い方が覆い隠してたけど、暮らしに不自由してるのは常子も同じ。当事者なんだよね。#とと姉ちゃん として養ってもいる。花山は、常子の志の背後にある小橋家の暮らしを見て、その背後に自分の妻子そして世の女性たちの暮らしを感じて、常子の志を捉え直したんだろう
ああいう暮らしの中で作られたと思えば、「スタアの装い」を見る目も少し変わっただろうな。読者層がどうのとか用紙が型紙がとか、いろいろ粗はあるけど、常子たちが「世の女性」の当事者としてあれを素敵だと思ったのは事実だし、一番手だったときは飛ぶように売れたのも事実。#とと姉ちゃん
違和感嫌悪感が物事を曲解させるんだなーとよくわかる。数か月にわたって曲解に次ぐ曲解を積み重ねてきてるから、そりゃ今やどんな描写がきても納得できないよねっていう。いいんだよー個人の自由だから。個人的にはそうやって時間と労力費やして何を得るのかな?と思うけど。人生は短い。
花山は情にほだされて承諾したのかな? 常子は金儲けのためだけに雑誌を作りたがってるのかな? 私にはかなり明快な脚本演出に見えたけど、その辺の解釈は結構わかれてるんだね。あと立ち戻って、お金を稼ぐための雑誌作りは不純? またそのために退職するのは恩知らずなのかな? #とと姉ちゃん
とことん実存の人だなあ、花山。ダメだしもいちいち具体的。「帰る」も言葉だけじゃなくて具体的なポーズをとらずにはいられないのねw #とと姉ちゃん
何から何まで手を入れたようで、洋服という題材そしてタイトル「スタアの装い」には不可侵なのが、三姉妹(+鉄郎)のセンスの良さを表しているようでもあり、けちょんけちょん言っても人の根っこは尊重する花山の人間性を表しているようでもあり。鉄郎どこかで第2号見つけるといいな #とと姉ちゃん
花山の小橋家の評、よかったなあ。彼女たちのフラットな関係を把握しつつ、母親の君子が与えたものの大きさを語る。花山自身も、生活は苦しかったとのことだけども、絵や文章やめんどくさい性格・・・ありあまる個性や才能を潰されずに、のびのびと育てられたんだろうなあ、母親に。#とと姉ちゃん
創作作品において、芸術的才能に恵まれた人は現実関係にはめっきり疎いような描写をされることも多いけど、花山はとことん実存の人・具体的な人だから、人物の評価も的確なのだなあ。#とと姉ちゃん
逆に意図的にモヤッとザラッとされるのが純愛、まれ、とと姉だけど、そうすると視聴者には「嫌な感情」だけが残って蓄積されていくから、作品の印象も悪くなる。今の時代では「感情コントロール」的には失敗ということになっちゃうのかも。
RT ふむふむ。感情コントロールね。気を遣ってるよね、作り手。ドラマ作品への肯定的な感想として「不快感がない」てものすごく良く見るもんね。だから逆に不快感を与えるものは意図的にそうしてるものもあるんだよね。
ヘイトが高まって「叩いていい存在」という共通認識ができて袋叩きになだれこむ…っていう流れは非常に感じるなあ。昨日話した友人(朝ドラを見てるわけじゃない)は、この風潮を「逆スタンディングオベーション」と言っていた。
作品について「不愉快・理解できない・嫌い」っていうのは個人の感想として普通としても、それが「作者は欠陥人間」「反省しろ」と言いながら見続けるっていうのはヘイトの高まり・連帯感による現象だなあと思う。自分が多数派(少なくとも少数意見ではない)と思うから出てくる言葉なんだよね
自分がその作品を嫌いでも、それは多種多様な中の一意見であって、作品を好きな人もいる、楽しんで見ている人もいると思えば、作品を「誤り」と断じて作り手の反省を促したり、作り手の人格を疑ったりはしないと思うんだよね。
負のラベリングがエスカレートしていく現象は外から見ていると異様なんだけど、人を陶酔させるものがあるんだろうなとも思う。戦意高揚して戦争になだれ込むのもこういう感じなんだろうなと。そういうのに巻き込まれ流されないこと、流れを堰き止めようとすることが大事な時代だなと思う
で、とかく同調性の強い日本人ですから、流されないために大事なのが「自分本位」なんだろうなと、奇しくも、#とと姉ちゃん でも #真田丸 (己のさだめを生きよ!by おばば様)でもそれをやってるなと思う。絆じゃなくて、共感じゃなくて、己を持つってこと。
花山さんが指摘した常子の雑誌の問題点。これまでtwitterのとと姉ちゃんハッシュタグのツイートを見ても指摘されていなかったことが多かった。素人ができる批判には限界があり、プロでしか気づけない問題点というものはたくさんあるのだということを改めて痛感させられる。#とと姉ちゃん
いやいや、たとえばあの絵はダメだって多くの人が指摘してたよと思う人も多いと思う。しかし、それはパッとしない、プロの雑誌っぽくない、同人臭いぐらいの印象論で、なぜあの絵がダメに見えるのかという技術的な話ではなかった。 URL #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん 下着!わわわ!わかる!私、初めて和服を着ようとしたした時、独力でいろいろ調べて「長襦袢のことがよく分からない!どのくらいのレベルの価格のものをどうやって買えば?誰か!教えて!」って思った。和服や帯の情報は溢れているのに!って。
#とと姉ちゃん 常子たちも買い手の視点で欲されているものを考えに考えて「スタアの装ひ」を作ったけど、真のニーズ、金を払うに足る情報はその半歩先、買い手自身すら未自覚な領域にある。一目見て「それが知りたかった!」と膝を打つような。花山氏はその領域までを見る、鳥の目線の人。
花山さんを大工だと間違ったり常子への縁談を常子を縛っていると勘違いして家出したり早とちりな君子の性格は、よくすると口頭説明だけで鳥居とわかったり常子がやりたいならやってみなさいという理解力の早さという美徳になるのね〜。花山さんによるこういう反転の仕方面白かった。 #とと姉ちゃん
RTs 今回、第1号へのダメ出し(内容&ダメ出しの仕方)といい、花山の人物評といい、面白いだけじゃなく何だかとても鮮やかな回だったなあと。しかし花山が再び「ペンを握る」までにはまだ何かがあるのよね #とと姉ちゃん
大金持ちになれるかもとはいうものの、金歯(金に苦労しない象徴)になるぐらいで「あまり良いの出てこなかった…」な常子。家族(特に母)に楽をさせたいだけで、大金をもって自分が何をしたいというのはないんだよね。女性の役に立つ雑誌を作りたい意志のほうがはるかに凌駕する。#とと姉ちゃん
父との暮らし、父を失った後の生活、早乙女や多田の生き方、森田屋や青柳の終焉、戦争、お竜に綾…。駆け抜けてきた常子が花山に共鳴するのがわかる。どんな人のどんな暮らしも大事。自分とは違う様々な人の様々な暮らし、それを失う絶望の淵まで見てきたからこそ。#とと姉ちゃん
闇市シーンもそうだったけど、こういう焼け跡のあばら家でのいきいきした人々の暮らしの描き方が本当に巧いなあ。それこそが人間にとって一番大切なものだというお話なのだよね。#とと姉ちゃん
「焼け跡から始まる」のはセオリーだけど、ダイレクトに胸に迫るものがあったなあ。花山も常子も焼け跡の住人ではないけど、思いはそこにあるんだよね。多くを失くした人々の何もない中での暮らしを少しでも豊かに、役に立つように、もう間違えないように。それが原点なんだね #とと姉ちゃん
常子がずっと「人の役に立つこと」「収入が得られること」をしたいという二本立てできたのは、実際にペンを握り雑誌を作るのは花山の役だからなんだ。常子の「出来ますよ、私となら!」は「私ならあなたの作りたいものを作らせます」という宣言なのね。 #とと姉ちゃん
常子の、自信はあると言っておきながら「根拠はない」と言い切るところが良かったな。大抵の場合、「自信」に「根拠」なんかないんだよね。根拠があって自信になるんじゃなくて、根拠のない自信が実績を作り上げちゃう。
RT 根拠が無くてもできそうな気がする時って、人生に何度か来る気がする。私はそうだったな(笑)。直感って侮れないものだ。そして、その直感に突き動かされた時って、なんとか成し遂げてしまうものだ。 #とと姉ちゃん
戦争が終わっても、復興の旗印の下に名もなき人々がまた集団の論理の犠牲になろうとしている、そこで常子の「間違えないようにしませんか」。進んでいく世の中、悔いるだけで何もしないのはまた集団につく=間違えるのと同じ。無根拠に「できる」と信じられる強さが花山には必要だった #とと姉ちゃん
現代も仕事やプライド、人によっては国などを、暮らしを犠牲にしても守らねばならないものと思い込まされている人が多くいて、特に家父長制の名残で男性への圧力は大きい。比較的圧力のない女性が暮らしを何より大切にするのは女性ならではではなく、人間として当然の視線なのでは。 #とと姉ちゃん
花山が大人として荷担した戦争と、その犠牲から得た個を大切にする視線を、若い常子が持ちうるには、対等なとと、押しつけず見守る天然のかか、マイペースで図太くチャレンジングな生まれ持った性質が必要だったんだよね。ちょっとでも筆を間違えば、そういうものが嫌悪されるのが現状なんだろうなぁ。
#とと姉ちゃん 人々の平凡な暮らし以上に守るべき価値のあるものなんかない、は、「誰の人生も等しく尊い」だと思う。優しくてシンプルだけど、孤独で怖いことでもある。誰もが尊いと思うことは、結局、特定の党派に寄れないということだから。
全てはこの時の為に。震えが来るようなバディ誕生回だった。丁寧な暮らしも、うるさい暮らしも、一人の暮らしも(早乙女さん)、大家族の暮らしも、皆大切なそれぞれの暮らし。混沌としたバラックから、それら全ての大切な暮らしがより豊かになる事を求めて、新雑誌が立ち上がる。 #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん は、「より豊かになりたい」という普遍的な願いを否定しないで書き続けていた。今日、バディ誕生の記念すべき回に、その「より豊かになりたい」という願いの陰で犠牲になる人達が初めて書かれた。これは高度成長期までやらないと終われない話だ。どう収集するのか改めて楽しみ。
とと姉ちゃん 達は結局男性に救われている、て感想をいつしか読んで疑問に思っていた。なるほど『あさが来た』から抜け出せない視聴者は違和感を覚えるかもしれない。でも、#とと姉ちゃん の話の筋は「常子」という名前に込められてる。当たり前な暮らし、当たり前な日常がこの話の大きな柱だ。
女性が活躍し、自立してく話じゃないんだよ。暮らしを丁寧に過ごす、ていう考えを根っこから理解していたのは女性だった。本当は性別に関わらず(ととや、花山さんのように) 大事にしなければならないものなのに。それを生まれつき理解し、実行してきた女性は、原始太陽だった。#とと姉ちゃん
まるで男性を支えるためにしているとされた女性の仕事(家事)は、人として大事な行為だった、と言い切っていいのかもしれない。それに自覚的になれない女性は月になってしまう。でも違うんだよ、て気づかせてくれたのは平塚らいてふ。そして次の時代を築いていく常子。という流れか。#とと姉ちゃん
ついにやってきたカタルシスの大きさよ。常子は花山を求め、花山も常子を求めたのだと思う。常子だから再び踏み出すことができた。年齢もキャリアも違いすぎる、しかも異性の2人の、このバディ感!
もうちょっと早く花山と出会って組んで・・・って意見。うーん、でもここまで見てきたから、あの常子が奇才・花山と出会って、こんなふうに強い瞳・強い表情で説得して「常子さん」になるなんて!っていう万感があったように思う。いろいろな出会いがありいろいろな別れがあった、でもまたここで出会い(再会し)、始まる。この焼け野原跡のバラックが2人の原点。
常子と花山との対峙にとにかく迫力があって、だから高畑充希の・だから唐沢寿明のキャスティングなんだなーと。充希ちゃんの演技力は知っていてなお、「唐沢寿明とバディって、そりゃいくらなんでも年の差ありすぎでは?」とキャスティング時から思っていたものですが、唐沢相手に一歩も引かない堂々たる高畑充希の演技に感嘆。なんという女優さんでしょう。唐沢さんがインタビューで「演技も歌もうまくて、絶対的な自信を持っている」と答えていたのもわかります。若い娘さんの、その実力に見合った自負心が心地よく、常子にぴったりだと思います。
そして唐沢寿明ってやっぱり魅力的な俳優ですね。スターというのとはちょっと違うけど、すごい存在感だなあ。大工の場面といい第1号へのダメ出しといい、小橋家の女たちとの相性もまったく問題ないどころか楽しくてびっくりした。常子と五反田のサシ飲みとか、花山と五反田のサシ飲みとか、「このドラマはキャラ萌えを誘発しない」って思ってたのにめっちゃ萌えるじゃないですかー
皐月の二
●5月某日: 朝起きた夫、「おおおー筋肉痛がーーー」と悶える。今まさに新しい筋肉が生まれているんだよ、と適当に励ます。サク弁、ごはん、豚肉とネギのしょうが焼き、かぼちゃ煮、卵焼き、ツナと人参サラダ、ピクルスのきゅうりとパプリカ。
送って行ったあと、そのままお母さん人形劇団。今年度第1回目の活動で、新しい座長さんを中心に近いスケジュールの打ち合わせなど。降園後はサクの友だちが遊びに来る。新しいおもちゃで盛り上がっていた。彼が帰るのに合わせて私たちも家を出て、花屋さんで母の日の予約をしたり。18時、バスで居酒屋へ。夫と待ち合わせ。海老と生ハムサラダ、串盛り合わせ、餃子、牛ホルモン鉄板、アジフライなど、居酒屋らしい料理を堪能しお酒を飲む。
●5月某日: 1日雨。朝いちばんでスーパーに買い出しに行った(買い出し好き)夫、「風が強いからサクは外には連れ出さない方がいいかも」。そっかーそうだよね、と思うのと同時に、1年後にはこれぐらいの風でも小学校まで自力で歩いて行かなきゃいけないんだよなとも思う。
昼ごはん、そばと夫・作の野菜かき揚げ。ドラッグストアに行くついでに本屋に寄ってじっくり立ち読み。いったん帰ってサクを呼んで、傘をさして近くに出て、近所の川がすごく増水しているのを見る(ちゃんと安全なとこからですよ)。午後は、夫がちょっとした大掃除・・・中掃除くらいかな?をして、サクもすごく手伝ってた。そんななりゆき上、私もちょっとだけがんばって掃除しました。中の下・掃除くらい。夜ごはんは、一口カツ、あさり酒蒸し、ネギちぢみ、野菜サラダ。ビール、白ワイン。サクを寝かせながら一緒に寝てしまい、翌朝悔やむ。
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『真田丸』 第28話 「受難」
私、「真田丸」見て初めて泣いたんじゃないかなっていう第28話です。なんといっても新納慎也さんの演技がすばらしかった。優しげで、繊細で、ちょっとおバカで、これほどまでに愛すべき秀次像、そして彼が滅びていくさまの哀切は、脚本もだけど新納さんの演技によるところもかなり大きいのでは。あと、寧さまの悲しみの表現もすごくよかった。新納さんがブログに鈴木京香とのオフショットをアップしてたんだけど、すっごく綺麗で若いのね。寧さんは演じてるんだなあと思う。若くて美しい茶々との対比もあるし。
サブタイトルは「受難」で、ここでキリスト教のモチーフが出てきたのにも驚かされました。謀反人=支配者への反逆者として処刑「されたことになった」秀次ですし、本質的な意味では支配者によって滅ぼされたともいえるでしょう。引っ立てられていく妻子たちは、殉教者たちの列のようにも見えました。
秀吉が秀次を滅ぼしたのではなく、秀次が自ら出奔し死に至ったのを制度の中で正当化するための切腹申しつけ→妻子の処刑 というのは、初めて見た者にとっては大変斬新だけど、妙な説得力を感じました。実際、秀吉の年齢と拾の年齢を考えれば、豊臣政権にとって秀次の存在は大きく、彼がいなくなって得をするのは、豊臣政権よりもその終焉を願う有象無象の衆としか思えません。
いや、ドラマでは徳川や真田が「待っている」姿を描くいっぽうで、秀次の縁戚関係をまったく描かず(妻が30人もいればすごい数の縁戚がいて、そこには数多くの政治的関係があるはずよね)に済ませたから、このような感覚になるんでしょうけど、そういう「導き方」がつくづくうまいドラマであります。
本当はちょっとね、もうちょっと政権構造とか社会システムとかに触れた展開を望んでいるんだけど、まあ大河ドラマって昔から、朝ドラに負けず劣らずホームドラマですもんね・・・
しかし秀吉と秀次の心がとことんすれ違ったあげく、ポジション的に弱い秀次が心を病んでついに自死するという流れはあまりにも胸にくるものがありました。
拾を支援するために必要と思っている茶々。一度は「ありのままの貴方で」と秀次自身を肯定する言葉をかけたが、「秀次には荷が重いのだろう」と慮った寧。優しい兄を慕っていた秀保、秀俊らの弟たち。今でも孫七郎と呼んで彼の気の優しさを理解し好もしく思っていた福島正則(ほんのちょっとの彼の出番が、今回すごく大きかった)。自分なりに力を尽くした信繁。そして「かわいい甥っ子」の言葉には真情もあっただろう秀吉。
秀次の周りには現時点で彼を滅ぼしたい者は誰もいなかった、むしろみんなが彼を大事に思っていた。それでも、彼を誰も救えなかったっていうのがね・・・。
信繁はしきりに当事者同士を会わせて忌憚なく話させようとしてたけど、それが叶ったとして事態は変わっただろうか? 信繁と信幸がそれでうまくいったのは真田だからだろう。秀次は既に「もう二度と秀吉に会いたくない」レベルまでいってた。どうしてそこまでいっちゃったかというと、2人共が政権の中枢にいるから。彼らが権力という衣を着ているからだ。今さら対面して秀吉が何を言っても心には響かなかっただろうし、秀吉は秀次の心を動かせることを言える人間ではないだろう。
ただ、「1ヶ月の謹慎」 1ヶ月では短いだろうけども、そうやって職位と権力から離れて療養することで多少なりとも良い方向に向かったかもしれないとは思う。そう考えるとやっぱり、間に合わなかったのが悔やまれるし、でもそりゃ間に合わないよな秀次にとっては、とも思う。
「秀次、なぜ死んだ」という怒りにまかせて妻子を殺し、そののち泣いている秀吉という人間のメンタルが、こうして回を積み重ねてきているので大変説得力があった。あと、「重版出来」でも思ったけど、小日向さん、加齢による猫背(というか腰が曲がる)の演技が超うまいよね。
今回、非常に印象的だったのは秀次と信幸が語り合う場面で、ああこのために、先週のお兄ちゃんブチギレもあったんだなと。豊臣と真田の対比の構図は先週時点で見えていたけど、個人的にはやっぱりちょっと作為的だったかなーと思っている。
ただ、そんな作為をどうしてもやらなきゃいけなかったのは、もちろん、それが今後につながるからなんだろう。どうつながるんだろうと考えているけどまだよくわかんない。
先週あれほどブチ切れてたお兄ちゃんは、今週やはり自分から信繁に謝った。信繁にしたら、「さすが兄上、時間をおいたら本当に冷静になられた」って感じなんだろうけど、視聴者は秀次との会話を見ているわけで。
信幸は秀次に救われたのかもしれない。秀次に向かって「自分も同じように大変なんだ」と言いながら、やはり秀次の圧倒的な荷の重さを感じただろうし、それでも自分に対してはどこまでも穏やかで優しい秀次に打たれただろうし、自分は信繁には振り回されておらずただ嫉妬していただけなんだと気づいただろう。秀次のことを誰も救えなかった、でも秀次は死ぬ前に似た苦しみにある信幸を救った。
キリストの受難には「身代わり」という意味合いもあると思うんだけど、秀次の死に身代わり要素があるなら信幸かな、いや信幸は死ぬほど苦しんでいたってわけじゃないけど、今週になっても思いつめて官位返上を申し出たりはしてたわけでね。
で、信幸は秀次を救えなかった。信幸にとって「救いたいのに救えなかった」「間に合わなかった」っていうのは、今後また、大きなやつが控えてるんだよね。今回を踏まえた描写になるのか、注目であります。
信幸の「つらいのはあなた(秀次)だけじゃない」は、先週のおこうのセリフのリフレインでもある。やっぱり夫婦なんですねー。おこうさんもつらいんだ。つらいけど覚悟を決めていてかっこいいんだ。それに比べれば稲ちゃんは子どもだけど、実際まだまだ若いんだし(だよね?w)やっぱり私には稲が気の毒にも見えるなー。いまだに、嫁いできたときの寒がりな子どもなんだよね。歩み寄っても心を開かない嫁に信幸が苦慮するのもわかるけど、それで「病弱かどうか今ひとつわかんない前の嫁」を抱きに行ったのは信幸だからなー。
豊臣と真田の対比で言えば、「どうしてもやる気がおきないから、表向きは俺がやってることにしておまえやってな」と意に染まない仕事からいともやすやすと逃げ出す昌幸な、このテケトーさが必要なんですな、でも引き受けてくれる息子がいるからできることだけどさ。あと吉野太夫に脂下がってるの薫様に隠してるけどな。薫さまの出自がここで俎上にあがってくるとは楽しみ。昌幸は知ってんのかな? 家庭内で嘘がある、ってのは今後に響きそうではあるよね。
なるほど、ここで呂宋助左衛門なのか、おたかはこうなるのか、と。鬱陶しいきりちゃんは秀次にとっては聖母のような存在だったのだね。で、信繁ときりちゃんって結局最後の最後までめおと関係にはならないような気もしてきた昨今です。
卯月の二十 / 皐月の一
●4月某日: 連休中だというのに夫も子どもも朝が早い。夫なぞ6時過ぎに起きてランニングに行っていた。午前中から料理して、友だちの家で持ち寄りランチ。うちからは、唐揚げ、チャーハン、たけのこごはんのおにぎり、野菜ピクルス、赤ワイン。もちろん夫も(夫が?)もりもりがんばったメニューである。
友だち(夫)は得意の燻製料理! 燻製をやる旨、前夜に連絡を受けてガッツポーズをした私たち夫婦であるw 友だち(妻)は、豆サラダに、パンそしてシフォンケーキも焼いてくれた! 超うま!!
子どもたち、よく遊ぶ。庭に降りてブランコにも乗ったり。サク兄ちゃんはなかなか気に入られた様子。うちにまだない「よつばと!」の12巻を読ませてもらったあげくおうちのダンボー人形ももらって彼自身ご満悦であった。
赤白ワイン飲んでいい感じでほろ酔いで帰宅、しばし休憩して夜は夜でもりもり食べる。イカとみぶ菜のパスタ、ぶりのカマ焼き、野菜ピクルス、キャベツ。『ブラタモリ』熊本の回の録画を見る。水の国、熊本。今は水前寺の池が干上がったり、温泉が枯れたりしているとこともあると聞く。番組には熊本の地を愛する人たちがたくさん出てた。桑子アナの卒業回でもあった。『トットてれび』始まる。満島ひかりー!
●5月某日: GW前半最終日、ノープランの今日だったがあまりに天気が良いのでどこか行こうかという話になり、思いつきで鴻巣山にのぼることに。決まった瞬間、迷いなく弁当を作り始める夫がえらい、えらすぎる・・・。平尾霊園を通って山道に入っていく。登るといっても100mちょっとの山で、ちょこちょこ立ち止まって何か観察したり寄り道したりしながらも1時間弱で山頂とその先の展望台まで着いた。鴻巣山はマテバシイの森と呼ばれているらしい。ものすごい枯葉のじゅうたん。階段や木道が随所にあってアクセントになっている。
最高気温26度とかいう、暑くなった日なので、はじめは「どんだけあるくとー?」って感じで歩みの遅かったサクだが、山らしい景色になってくると暑さも減じるしテンション上がったらしく親の先を行く勢い。途中、ちょうど良い感じにしなだれた枝を見つけてぶら下がるとベルトコンベヤーのように横に流れていったのが笑いのピーク。
お弁当といっても、おにぎり握って、卵焼き作って、ウインナー焼いて、野菜ピクルスの残りとミニトマトといちごを詰めただけだけど、よく歩いた後に食べるとめちゃくちゃ美味しいですよね。食後はシャボン玉して遊ぶ。
帰宅後、私と夫は小一時間寝たけど5歳児は夜まで元気に遊びまくり。夕食は、いわし煮、味噌汁、野菜ピクルス、トマト。『真田丸』家康の上洛。今夜も超おもしろかった!!
卯月の十九
●4月某日: 今日も雨。今日は近所のママさんに一緒に乗せてもらった。朝から大きい病院で以前の病気の定期検診。今回、次回とパスすれば、今後は市などの集団検診でもいいだろう、と言われた。
オートフォーメーションで会計を済ませ、幼稚園近くのクラスのママの家にて、来月の保護者会総会の打ち合わせ。今年度の役員の初めての大きな仕事ということになる。といっても私は役員ではないのだが、(役員外から選出する)議長を頼まれたので出席。まぁ例年しゃんしゃんで終わる会なので気楽に引き受けた。一昨日も書いたがこういう場での雑談は楽しいだけじゃなく何かとママ業にお役立つ。それにしても、彼女(私たちのクラスメートで今年度の会長さん)の家は、おうち自体が立派で調度品などのセンスもことごとく良いというだけじゃなく、いつ来ても綺麗にしてあって心をこめたおもてなしができて、すごいなあと思う。ここにお邪魔しただけで帰る時にはいい気持ちになってる、いつも。
夜ごはん、干しヒラメ、豚テキ(玉ねぎ&大人はかいわれたっぷり)、野菜の焼きビーフン。午後休をとった夫が当たり前のような顔で作ってくれた。ビールのち、赤ワインボトル半分&白ワイン1本を2人で。連休前の解放感!
●4月某日: 県美に印象派展を見に行ったついでに須崎公園でお弁当でも、という案を立てていたが、サクに却下される。サクには昨年末、モネ展に付き合わせた経験があり、それを振り返って「えをみてもあんまりおもしろくないもん、むずかしいし」とのことでした…。まーね、子どもにも、絵画に興味の無い夫にも、強いてとは頼めない企画であるw
昼、ラーメン屋へ。最近、「新・チューボーですよ!」の皆川猿時の回の録画を見たこともあり、担々麺を頼んだ。美味しかったんだけど・・・やっぱり豚骨ラーメン屋の担々麺なんだよね。中華料理のやつが食べたい。八仙閣の担々麺、今度狙うぞ。本屋でたっぷり物色して、1冊だけ買って、ちょっといいスーパーやら100均やらぷらぷらしながら帰る。よく歩いた。暑くて、最後にはセブンイレブンでアイスコーヒーを買った。
夜ごはんは、サバ、かぼちゃ煮、味噌汁、きゅうり。休みが続くのでことさら意図的に休肝日を作らなければならない。
卯月の十八
●4月某日: サク弁、オムライス(玉ねぎ、ニンジン、ピーマン、魚肉ソーセージ)、ナスのグリル、きんぴらごぼう、キュウリのおかか和え、りんご。今週は連日のお弁当なのでちょっと趣向を変えてオムライスにしてみた。弁当箱の蓋を利用して包む。帰ってきて弁当箱を出すサク、「きょうのすごかったー! すっごいおっきいたまごやきかとおもって、ひとくちたべてみたら、おむらいすやった!」と興奮ぎみに感想を述べていた。子どもの素直な反応が、こういうときはすごくうれしくて楽しいんですよね。
さて、サクを幼稚園に送って行ったあと、今日はそのまま一室にとどまって、お母さん人形劇段の役員引継ぎだった。一応、昨年度の副&書記として出席。こういう場では雑談も多いんだけどそこから得る情報というのは園生活や育児にとってかなりお役立ちなものです。時々、窓からチラッチラッと園庭ものぞく。サクは何人かと一緒に、年長さんしか使えない大型スコップで一心に山を作ってるようだった。
幼稚園から帰宅後、珍しく昼寝をしたサク、寝起きは超悪いが、30分ほどすると超元気になってきて、夜ごはんのときなどしゃべりまくっていた。「いつもは疲れてるんだな・・・」と夫、しみじみ。夜ごはんは、小鯵の南蛮漬け、麻婆ナス(まいたけと玉ねぎでかさまし…)、水菜と薄揚げの豆乳煮。
●4月某日: 1日中、雨の予報。朝は小雨だったのでレインコート&子どもかごレインカバーで自転車登園。クラスのペーパードライバー仲間のママが車で来ていて、駐車場手前の路肩に停車して子どもを降ろしていた。「もうすごいドキドキばくばく。駐車できないからここで降ろしてる・・・」わかる、わかるよー! 気をつけて帰ってね、と別れる。
午後2時、迎えの時間には何故か雨がやんでいて、明日の遠足はいったいどうなるのか、お母さんたちの間で話題沸騰w 幼稚園がわはやはり当初の予定日に行きたいものなので、明日も雨の予報になっているが、こんな調子だったら明日の朝まで様子を見て判断されるかもしれない・・・でも親としては朝に連絡が回ってくるんじゃ遅い! 雨天延期になったら明日は午前保育(お弁当なし)だし・・・。それに明日の予想最高気温は15度、海遊びには絶対向いてない! 果たして夕方、「明日は延期です」とメールが回ってきた。メールの着信音を聞いた瞬間「きっと中止の知らせだ!」とガッツポーズ。昨今、家族や友人とはLINEでの連絡が多くてメールはあまり来ませんからねw
夜ごはんは、皿うどん(パリパリ麺)、かぼちゃ煮、きゅうりの酢の物。
卯月の十七 / スーパー歌舞伎 「ワンピース」 @博多座
●4月某日: サク弁、ごはん、鶏と玉ねぎ煮、きんぴらごぼう、じゃがいも&ピーマンのカレー粉炒め、卵焼き、りんご。きんぴらごぼうもじゃがいもも夫が作ってくれたおかずである。はっきり言ってとっても美味しそうなお弁当である。幼児らしいかわいさとかは(盛り付け含めて)ないけどね!
さて今日はサクを送っていったん帰ったら、バタバタ準備して博多座へ! 昨年10月に新橋演舞場から始まったスーパー歌舞伎Ⅱ「ワンピース」を、明日の千秋楽を前に、ついに、ついに見に行く! 到着してすぐにお弁当をゲット(鯛散らし弁当1,200円。超おいしかった)。
1幕後の幕間でそれをいただいて、2幕後の幕間に備える。出演者たちが熊本・大分地震の募金箱を持って回るのだ。もちろん亀ちゃんのところに一目散に並ばせていただきました。「すごい列になるからダッシュで行ったほうがいいよ!」と先週行った姉からアドバイスもらってたので(姉も一目散に並んだらしい)、本当に迷いなく行ったところ、25番目くらいだったと思う。最終的には亀ちゃん一人に200人は募金したんじゃないかしら。
あれだけ体力使って、まだ三幕90分残ってるのに、わずかな休憩時間じゅうずっと、客席で義援金募ってる。キャストみんな
「貢いだ」「ルフィーに全部貢いじゃったー!」「きゃーっ!」って、握手した手をさすりながら女子高生たちが歩いてく
20分の休憩時間、5分前に「まもなく始まりますので着席してください」のブザーが鳴ったあとも、まだ募金活動は続いてて、その中には亀ちゃんもいて、本当に、幕があく2分くらいにやっとこさ皆さんお帰りに。それも、ルフィーっぽくピョコッ、タタタタッ、て感じで走ってハケてく亀ちゃんで、超かわいくて超胸が熱くなるのだった。他にも、竹三郎さん、石橋直也さんの募金箱に入れさせていただきました。
終演。放心のままにグッズを買いあさりそうになるも何とか思いとどまる…… URL
この募金は、千秋楽のカーテンコールの場で福岡市長高島さんに目録が手渡されるところ、ローカルニュース等でも報道されていました。
twiter:724937285481955329:detail
肝心の舞台の感想は、こちらに・・・・
終わって、天神まで歩いて、カフェに入ってコーヒー飲みながら舞台の感想をザザザと手帳に書き留める。「すごかった」「すんごかった」って衝撃と感動が強すぎてどんどん忘れていくので・・・。で、急いで電車に乗って、自転車に乗って、延長保育をお願いしてた幼稚園にサクを迎えに行く。
そういえば歌舞伎を見に行った帰り、息子5才を迎えに行くとネックレスに目を留めた(普段つけないから)。「前にお父さん(夫)にもらったんだよ」と教えると、「へぇー、おれもおおきくなったら、だれかにあげようかな」と言うので「お、いいね」と答えると、「おんなができたら」と付け加えた…
夜ごはん、豚バラしょうが焼き(まいたけ、玉ねぎ)、水菜とチクワのサラダ、卵豆腐。サクが寝たあとビール飲みながら夫と今日の舞台の話など。彼はワンピース好きでコミックス全巻持っているのである(ワンピースが彼の蔵書の9割以上を占めると思うw)。
関連エントリ:
『真田丸』 第27話 「不信」
今日の #真田丸、落首事件のエピソードが効いてるなあと思った。秀吉はタガが外れれば一族皆殺しを平気でやるし、秀次はそれを見てた。落首事件で命を賭した諫言が容れられなかった三成はもう何も言えない。頼みの綱、寧の言葉すら秀吉を動かせない。来るべくして悲劇は訪れる。
能の極意を「後ろから己を見る」的に言ってたけど、結局宇喜多の「殿下のためにー!」宣言もあり、秀次は秀吉の姿のみを意識して舞っていたんだろうな。沼田裁定のときといい今回の叙位といい、秀吉がいなかったり源次郎を守ろうとするなどのときはとても理性的で良い判断をするのにね #真田丸
前回きりが秀次に「自分の話ばかり」と言ったけど、秀次にはそれが癒しだったんだな。いつも秀吉の目に怯えてるから。能の「己を後ろから見る」は前回のおばば様の「己のさだめを知れ」にも似ている。誰かの目を気にするより己を見つめる。「己のための戦をする」精神が大事というか。 #真田丸
しかし「人を気にしない、己を見つめる」って本当に難しいんだよねえ。信繁は兄を思って叙官を拒み、信幸は弟の言動に激怒する。でも自分で言ってたように「時間をおけば」自己解決しそうな器の大きさが信幸にはあるかも? てか対面であれだけぶちまけられる信幸OKだよ。来週が楽しみ。#真田丸
てか、嫁2人が手をつないで泣いてる様子を見ると、蚊帳の外の苦しみ味わってるの君だけじゃないよ、って感じになるね。実質的に側女として信幸に扱われていてもおこうは今もつらいんだよね。日陰の身だから。稲は妻として扱われていないと感じてるんだよね。まぁ稲も頑ななんだけども。#真田丸
おこうの「あなたよりもっとつらい者がいる」という言い方にはやっぱり引っかかるんだよなあ。自分と相手どっちがつらいかって本来判断できないししちゃいけない気が。この「人と比べた意識」は後に引きずるものなのか、それとも単に「それでも励ました、励まされた」ってことでいいのか #真田丸
何にしても、稲が嫁いできたの19話だから、ここの膠着関係めちゃくちゃ長引いてるよなって思うけど、もしかして関が原までこんな感じでいくんだろうか…稲ちゃんこのまま京住まいになって離れ離れになるのかしらん? #真田丸
おこうはどうしたて正室の稲を意識せざるを得ないし、(このまま大名の妻として京住まいになったとして)遠距離になった状態でもしおこうに子ができれば稲もおこうを意識せざるを得ない。今日も手を握ってたけど、この2人も「相手の目を意識せざるを得ない」関係として描かれるんだろーか? #真田丸
父と子。兄と弟。妻と妻。叔父と甥。相手を意識せざるを得ない関係が数多く描かれる中で「己を見つめることが大事」と変奏的に繰り返される。でも「己のための戦」をした氏政や利休は滅んだよなー。戦国サバイバル難しい。主人公は最終的に戦死だからサバイブが勝ちってわけじゃないのかも #真田丸
のちの歴史を前提に見ていると、秀秋の裏切りと共に、寧が豊臣から離れていく萌芽も感じた。家族の皆に芋を振る舞えるようなことが寧にとっては何より大事だったろうに、それが否定され失われていくんだよね。弔いすらされない秀保が哀れというのもあるけど、寧自身が傷ついてる感じがした #真田丸
立て烏帽子姿の秀次、新納さんって大和和紀の「あさきゆめみし」から抜け出たような貴公子だな。秀次の運命はもちろんわかっているわけだけど、こういうふうに描くのかーと三谷さんにはやはり瞠目させられる。能が出てきたのも面白かった。豪華な衣装! そして下手くそな源次郎w 堺さんおつかれさまです(笑)。
秀次が秀吉を過剰に恐れているようだけど、落首事件を思い起こせばやはり怖いのもわかるんだよね。そして秀吉のほうも秀次を気遣いかわいがっているようで、やはり疑心暗鬼があるんだと思う。ここは先週のやつし比べからの連続でもある。皆が政権に媚びへつらっているのを悟りながらどうすることもできず先週はへらへらしてたけど、甥っ子が自分のために上手に舞うのを見ると甥っ子だけに正直な怒りをあらわにしてしまう(ここ、酔い方といいキレ方といい、小日向さんさすが巧かった~!)。
秀次に絡めて小早川秀秋まで仕込んでるのもさすがの手練れ。秀保の遺体が運ばれていく映像のインパクトがすごかった。棺ですらないという。ああいう形のカゴって罪人を乗せて運ぶやつだよね…。
あちらこちらで滞留し、あるいは噴出する不信。正直、信幸の“不信で激おこ”は脈絡が乏しかったように思ってる。お兄ちゃんが蚊帳の外だったり信繁に劣等感あったりは序盤で触れられていたけど、ちょっと連続性が途絶えていたというか、そのフェーズはもう卒業したんじゃなかったの?というか。
お兄ちゃんは徳川の養女格の稲を娶り、沼田城のあるじになり、大名として遇されているわけで、堂々たる嫡男ぶりじゃないですか。秀吉の近くにいるとはいえ源次郎とはある意味ずいぶん差がついているわけでねぇ。その沼田の運営が叔父上のダダでうまくいってなかったり稲が相変わらずだったりが描かれてたけど、それでおこうの胸に飛び込んでいってちゃ世話無いよ、と。
でもあそこで本人に向かって怒り爆発できるのが真田家と豊臣家の違いだし、「怒っとったのうー、ま、大丈夫だ」というパパの脱力っぷりに笑わされた。それよりなにより伏見の普請なんかやってらんねー、という(笑)。あのシーンの草刈さん超よかったな。TLで、信幸のキレ方が薫ママにそっくり」っていうのを見て確かに!と思ったわ。
でも悩んでもキレても自力で解決しそうなのが信幸のこれまでの実績で、鬱屈を抱えながらもせっせと城の土仕事みたいなのしてたシークエンスを思い出すんだよね。いや、この流れで稲・おこうともちゃんと対峙するのかな。してほしいんだけど。稲ちゃんの孤立ぶりはさすがに長すぎてかわいそうな気が。浜松からついてきた侍女的な存在もないし。
おこうと稲のシークエンスには感動的というより「これ長引きそうだなー」ってちょっとゾクッとした。「知らないでしょうけどあなたよりつらい思いをしている者がいる」てやっぱり穏やかじゃない発言よ。稲のつらさをおこうには測れない。おこうのつらさを稲は測れないように。この2人の関係と寧~茶々の関係って相似・対比になるのかな。
ま、なんだかんだいって嘘のつけない信幸は、己を生きるんだろうなーという感じはする。んで、最近は切ない顔が多かったきりちゃんが、久しぶりに信繁と再会してウザさ全開だったのが超よかったですよね、「初恋の女」認識はともあれ(なぜきりちゃんが源次郎を好きになったかは描かれていない)止めてくれと言わんばかりの振り返りながらの退場、きりちゃんの真骨頂だw きりも信繁といてこそ自分らしくいられるんだろうなあ。
翻って、きりといるとものすごいチベスナ顔の信繁の「己」ってなんだろう?と考えたり。信幸は「抜け目ない」と評したけど、いろいろ気を回して立ちまわっても信繁は大して役に立ってないどころか事態を悪くしているような・・・? でもそうしながらもいろんな人間に好かれてはいるんだよね。だから、いろんなものを見てしまう。それが信繁の己であり業なのかな。ううーん。
共感や自律心はとても大事だけど、そこに傾きすぎると日本人の性質的に、同調から逃れ得ず萎縮したり逸脱者への排斥を強めたりにもつながる。#真田丸 で「己のさだめを生きる」、#とと姉ちゃん で「それぞれの暮らしの尊重」とどちらも自分本位を打ち出してるのは今を生きる作家の感覚なんだろうな