『真田丸』 第26話 「瓜売」

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佐助、泣くこたぁなかろう(笑)

面白エピソードのはずのやつし比べが・・・なんて虚しい結末だったでしょう。張り切る者がいて、出場できない者がいて、ともあれ皆社長のの接待パーティのつもりだったのに、接待されている本人が実はその虚しさ徒労を悟りきっていた。

「士気などとうに下がっておるわ」 この一言の威力! けれどどうすることもできない。天下統一、虚しい。虚しすぎる。もはや誰もが・・・秀吉本人さえも、「天下統一された世界」に身を捧げるしかない。その中身はほとんど虚構というか空っぽというか。秀吉政権が過渡期であることを強く印象付ける。

足掻きながらもたくましく生きる人間たちの姿が描かれるドラマだけど、同時に「時代」「時代の移り変わり」を描こうとする意思も強く感じている。信長が滅び、大坂にこれまでとまったく違う秀吉政権が樹立して、やがて北条が滅び千利休が滅んで天下統一が成っている。時代は着々と移り変わっている。しかし未だなお、過渡期である。という今。

時代の激動が描かれていく中で、信繁兄弟の祖母にして真田家のゴッドマザー・とりがこの世を去るにあたり、「そんな時代に翻弄されない個」を語った。物語に打たれた楔、ここから大きな転機だな!

武田滅亡以前の真田の興亡について、ドラマは多くを説明しない。説明せずとも、「長い激動を雄々しく生きてきた戦国の女」としての存在感を草笛光子がばっちり醸している。そのとりが、死を前にしながら(ナレーションが物語を語ろうとするのに抗して!)堂々たる立ち姿と声音で言い遺したのは、時代を超越し、物語すら超越しようとする、この物語のシャーマンのお告げのような言葉なんだろう。

人はみな、さだめを持って生まれてくる。早いも遅いもない。己がさだめに気づくかどうか。

「さだめ」とは、もともと、天から与えられるような、不可避・必然なニュアンスの言葉だけれども、ここでは同時に「自分で決めるもの」という意味合いがあるようにも感じた。時代のせいにせず、環境のせいにせず、逆境にあっても己がさだめのために生きる。「真田を守り抜け」と行ったのは、それが戦国に生きる者の自然な姿でもあり、それがとり自身の「さだめ」であったということだろう。

「見ておるぞ、ばばは。怠るな」という声かけがよかった。先に逝った人が天から見ている。その人に恥じないように生きる、というのは日本人らしい死生観で、「怠らず生きる」というのは天に恥じない・・・それは、己に恥じない誇り高い人生を示しているように思える。天と己がイコールで結ばれるような感じをイメージした。そういえば氏政も家康・景勝・昌幸に対して「見ているぞ」のようなことを言っていたね。

時代を描きながらも、時代に押し潰されない兄弟の姿が、これから描かれていくんだと思う。まだまだ、時代の波間に消えていく人人がたくさんいるけど。というか主人公こそ、そういう類の人としてこれまで認識されてきたわけだけど。

これまでにも、兄弟2人並んで里を見下ろすシークエンスが何度かあった。2人が違う道を選ぶとき、きっとまた繰り返されるんだろうね(泣)

てか、やつし比べ面白すぎたんだけど(笑)。ああいう場面は、三谷さんはさらさらっと書くのかなあ。それとも腕によりをかけて念入りに仕込んでいるのかなあ。クドカンが「潮騒のメモリー」の歌詞を5分くらいでサラーッと書いた、みたいなこと言ってて、ああいうのってセンスなんだなーと思った記憶があるけど。

作り手も、視聴者の私たちも、内野さんの見事な腹作りを声を枯らして称賛したい。そんな感じでしたね。昌幸パパの美しすぎる&美声すぎる瓜売りも良かったし、小日向さんが売り口上始めたときにはひっくり返りそうになった(笑)。見ている堺さんの表情もいいし、「殿下はご自分を見失っておられます」三谷さんのセリフも冴えまくり。

印象的だったのは、兄弟2人してばば様に向かって「時代」について問うんだけど、同じ危機意識を持つに至る過程は対照的なんだよね。信繁は、秀吉を見たり、三成や刑部と話したり、実際の仮装大会での人々の様子など「外」のいろいろを見て、感じ、判断してる。信幸の心を揺さぶったのは(家康とも話したけれども)とにかく「父・昌幸」の瓜売騒動一部始終。いつもながらにそこは徹底されてるなと思った。信繁は自分の目で広い世界を見てる。信幸はいつも、父の姿を通して世界を見てる。であれば前者のほうが断然有利っぽいのに、2人の視野の広さや見通し能力にはほとんど優劣なく、むしろお兄ちゃんはなんだかんだいっていつも時代の先を見ていて、しかも生き残るんだよね。

もちろん秀次の乱高下もつらかったけど(新納さんほんとうまい!)やるせない顔ばかりのきりちゃんもなんか切ないなー。茶々に執着される(そしてなんだかんだ言って自分も気になっている)信繁と、秀次に執着されるきりちゃん(なんだかんだいって離れられない)きりは、今んとこパラレルなんだな。となれば、本来のウザさがなりをひそめてるきりちゃん同様、秀吉や茶々のそばにある信繁もやはり本調子じゃないのかもしれない。

いや、きりちゃんの「秀次さまはご自分の話ばっかり」はさすがだったけどね。身分差考えればあったりまえだろ! しかし身分柄、自分の話をいくらでも聞いてくれそうな側室を山ほど抱えながら、きりを求める秀次ねぇ・・・。

物語が折り返しまで来たのに、主人公(今作では兄も含めていいだろう)がまだ自分の家族をしっかり作っていないって、すごく珍しい大河だと思う。信幸にも妻2人いるけどどちらともおさまるべきところにまだまだおさまってない。もちろん、意図的な作劇なんでしょう。今回、とりの逝去と時を同じくして、稲とおこうが同席し、春・たかという信繁の妻になる女たち、そして娘のすえも出てきた。これからその辺もしっかりしなきゃね!って感じに描かれるんだろうなー。楽しみ。

 

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