3/19 西日本新聞 平野啓一郎 「どうでもいい」と思った瞬間に民主主義はおしまいである
3/19付 西日本 #新聞、作家・平野啓一郎の寄稿。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月27日
「森友学園問題、南スーダンでの日報の隠蔽、防衛相の国会での教育勅語擁護発言、沖縄・山城議長の不当な勾留、待機児童問題、原発再稼働、アベノミクスの行き詰まり・・・これだけいっぺんに問題が噴出すると感覚がマヒするところがある」→
#新聞「→防衛相の教育勅語擁護発言などは昔なら一発で罷免の大問題、との声もあるが、あれこれありすぎて国民の注意力も散漫になり、批判疲れも見える。政治腐敗が蔓延する他国の例などを見ると、なぜそうなるまで国民は黙っていたかと思うが、問題の数が増えれば一種の政治的無気力に陥るのだろう→
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月27日
#新聞「自分自身、毎日SNSでこれらの問題について情報共有したり批判したりしていて、気づけば投稿の大半が政府批判で埋められていて正直ウンザリする。自分だってそんなにヒマじゃないし。でも「どうでもいい」と思った瞬間に民主主義はおしまいである。日常の傍ら根気強く関心を維持すること→
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月27日
#新聞「株高こそ演出されているものの経済格差の拡大は深刻化。メディアの支持率調査結果が現在の内閣を支えているが、その理由の多くは「他の内閣よりよさそうだから」。本当にそうか? 森友学園問題は、異例の長期政権となった現内閣の是非について、いま一度立ち止まって考えるきっかけだろう」
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月27日
弥生の二
この時点で私はまだ二日酔いだと思っていたので(そしてゆうべは深刻な二日酔いになるほどの酒量ではなかったので)、予定時間を少し遅らせたけど友だちを我が家に迎える。今日は「ママじゃな」番外編で、たなかまさんが私のインタビューをしてくれることになっている。わざわざ、お仕事の有休をとってくれたのだ! いったん調子は上向いたような気がしたが、また降下。遅れて到着したちひろちゃんが「相当悪そうね・・・。写真はまた今度にしようか?」と提案するほど、といえばわかってもらえるでしょーか。そんな中でしたが、なかなか面白い記事ができそうです(まだアップできてないw)
『人質の朗読会』 小川洋子
とてもささやかだが、侵すことができない生の尊厳だと思う。
彼は当然、話された内容をリアルタイムではひとつも理解できない。それでも、人質それぞれの声音や、日本語のリズムや、小さな咳払いや拍手を、小川のせせらぎのように好もしく聞いていた。
弥生の一 / お母さん劇団 人間劇
幼稚園のお誕生会でやるお母さん劇団公演「うらしまたろう」終了。3年間同じクラスだったママ友と、たろう(友)&乙姫(わたし)ができて、気分は宝塚でしたw おひめさま役だなんて、しかもお客さんにけっこう好評だったなんて、ほんと、幼稚園だからできる(許される)ことだよなーと思うww
原作は知ってる子も知らない子もいるもようで、「決して開けてはいけませんよ」と言いながら玉手箱を渡した瞬間に「あけるとよ、これ」と言う子もいれば、村に戻って呆然自失のたろうが思わず手をかけると「あけないでー!」と叫ぶ子も。かわゆい・・・
うらしまたろう、今回は年に一度の「人間劇」で(他はペープサートや人形劇など)扮装もなかなか凝っていた。太郎は長い木の枝で作った手作りの釣り竿(節つき)をもち、蔓を編んで作られた魚籠(既製品)を下げ、腰にはこちらも手作りの腰蓑。太郎役の彼女が近所の人から藁をもらって作ったもの。
私の乙姫は、なんとクラスのママがその昔ベトナムで作った紫のアオザイをベースに、肩にショール、真珠が三重になったロングネックレス、ティアラをダブル付け、髪の髷部分にはやはり紫のオーガンジーの布を結んだ。アオザイはもちろんスリットばっちりなので、下には青のロングペチコートを。
竜宮の舞いびと4人は、上はお揃いの貫頭衣ふう。Vネックには金の布で縁取りがしてある。これは、とあるお母さんの手作り! 腰を太いベルトでマークして、下はサテンふうのロングスカート。青、赤、緑、黄色。髪の毛のオーガンジーリボンもそれぞれ同じ色。肩にはショール。
玉手箱を開けると白い煙がたちのぼって、太郎が白髪、白ひげのおじいさんに・・・というクライマックスは、黒子がお手伝いしながら。白髪はパーティグッズ(?)のカツラで、髭や眉毛はやはりとあるお母さんの手作り。
はじめに亀をいじめる子どもたちや、竜宮城から帰ったあとの村人・老人たちは作務衣や半纏なんだけど、それもそれぞれ、子どもらしかったり老人らしかったりなもの。70人足らずの園で、劇団員のお母さんはせいぜい20人くらいなのに、毎回大道具小道具扮装の類が本当にいつも凝っている…毎年…
劇のあいだ何度かサクと目が合ったけど、いつものようにニッコリするのではなく、ちょっと呆気にとられたような、恥ずかしそうな顔をしていた。劇が終わるとお母さんたちはいったん帰ります。幼稚園からの帰り道、自転車の後ろカゴから
家に着いてから、「おかあさんのふく、すごかったな」と思い出したように褒めてくれた(服をw)けど、そのあと紅潮した顔で言うには、「秋のへやのとこで、トンビのなきごえがしたな!」と。そうです、竜宮城で見る春夏秋冬の部屋の場面。春はウグイス、夏は蝉、秋はトンビ、冬は風と、それぞれにBGMを付けていたのを、サクは全部ちゃんと聞いていて、感動していたのです。
この案が出たとき、正直「そこまで凝る必要は…」とも思った私の頭を叩きたい。春夏秋冬の部屋は、福音館書店の絵本を見ながらお母さんたちで描き、竜宮城の場面ではたくさんの魚たちの切り絵を青いカーテンに貼っていたのですが、その背景もすごくサクに褒められました。
如月の十七 / 生音ってすばらしい!ミニコンサート
今日は13時から幼稚園でミニコンサートがあった。なんと、クラスのお母さんにモノホン(死語)のピアニストがいるのです! 年長さんの春に大阪から転入してきた女の子のお母さんなんだけど・・・この園を選んでくれて本当にありがとう!!
【本日のプログラム】
1.ピアノ独奏
・幻想即興曲(ショパン)
・おぼろ月夜(岡野貞一)
・オペラ「椿姫」より 乾杯の歌(ヴェルディ)
・あかとんぼ (山田耕作)
1.ピアノ独奏
トルコ行進曲 (モーツァルト)
となりのトトロ (久石譲)
「サウンド オブ ミュージック」より
・ザ・サウンド・オブ・ミュージック
・エーデルワイス
・ドレミの歌
マイ・フェア・レディより「踊り明かそう」
どうですよ、このすばらしいセットリスト。
「おぼろ月夜」はクリスマス会で年長組のお母さんたちが歌い、「トルコ行進曲」は同じくクリスマス会で年長組の子どもたちが合奏したので、チョイスされたのだと思います。
その他、オペラあり、童謡あり、ジブリあり、ミュージカル&映画あり。充実ですよね。
ピアニストも歌姫も、本当の演奏会やオペラのように、ドレスアップしてくれてた。特に歌姫はもともと上背のある方が、やはり本物の高い靴で(そういうの履くの前提に作られたドレスでしょうからね)登場して、子どもたち、そのボリューム感にびっくり・・・する間もなく、ステージ上ではなく、子どもたちのほんの鼻先まで来て歌い始める歌姫! 全園児でも70名足らずの小さな園なので講堂のサイズも推して知るべし、な会場をびんびん震わせる声量! いやー、人間からこんなに大きな声が出るのねと感じ入った。
トルコ行進曲では思い思いに、クリスマス会のときの楽器を演奏する手ぶりをする子どもたち。トトロでは、「♪となりのトトロ、トトロ」のところ【だけ】自然発生的に大きな声で歌う。「♪森の中に昔から住んでる」になると、とたんにシーンとなるのが、この幼稚園っぽかった。DVDで何回も見てる子とかあんまりいないんだなw(←基本的にテレビをたくさん見てる子が少ないの)
帰宅後サクに感想を聞くと、
「あと、おっぱいのうえのほうが見えとった」 そう、その豊かな胸元に顔をうずめたくなってたよ、お母さんも・・・。
さて、今日は午後、歌詞集に掲載するための子どもたちの写真を撮る(カメラを持ってきたのはママ友で私ともう1人でアシスタント)。今日決まったばかりの新しいグループ(生活班みたいなもの)ごとに子どもたちが園庭に出てきて、ワーッとジャングルジムやら遊具にのぼったところをちょっと見上げるようにして撮る。お天気もよくて、とてもよく撮れたような気がする。撮れたものを見ると、つくづくみんな大きくなったなあと感じる。
子どもたちがそのまま遊んでいる間に打ち合わせをして帰宅。夜ごはんは豚キムチ(もやし、エリンギ)と味噌汁とひじき。サクに「今日のよるごはんなに?」と聞かれ「豚キムチだよ」と答えると「えーっ、子どもはキムチたべれんやろ」と言われたので「子どもは豚だよ」と答えると、すごくウケていたw
サクが寝てから、本棚の整理。数年ぶりに配置を大胆に入れ替える。アドレナリンどばどば。その後、夫とちびちび飲みながら『カルテット』の録画を見る。
『おんな城主直虎』 第16話 「綿毛の案」
名作のタイトル等をモチーフ?/パロディ?したサブタイトルのシリーズ。ゆるすぎるとか寒いとか、ネットの巷で言われているのもよくわかります。でも森下さんらしいな~って思う。こんなふうに、タイトルで不必要に(?)ふざけちゃうの。森下さん&岡本Pコンビのカラーなのかな? 『ごちそうさん』もダジャレシリーズだったもんね。
ふざけてるようだけど、こういう「縛り」のあるタイトルって、続けるのって実は難しいと思うんだよね、アイデアが尽きるというか。去年の二文字縛りもそうだったけど。そこへいくと、森下さんや三谷さんは、水準を落とさず、最後までやりおおせる実力を持ってるからね*1。今作でも、既に50話までサブタイつけ終わってるんじゃないかななんて思ったりする。
何より、中身がしっかりしてるからこそ笑えるけれん味なんだよね。これで中身がお粗末だったら本当に寒いだけだw 『ごちそうさん』最終週のサブタイは「トンだごちそう」だが、今となっては、このサブタイの一言で笑い泣きのような感情になる。
さて、そんなこんなで「綿毛の案」な今回。Twitterで流れてきて知ったけど、実際に日本で綿布の普及が始まったのはこのころで、遠州は綿花の栽培や繊維産業が盛んになる地方だったそうですね。そうだ、そういえば愛知=トヨタ=豊田自動織機だもんね・・・! というところまでちゃんと歴史を読み込んでいる脚本です。
#おんな城主直虎 直虎はまだ子どもなのだと執拗に描いた回だった。男の赤ふん見ても(^^)??て反応、頼みこめば人は応えてくれる・やってみないとわからないという単純さ頑是なさ、でも但馬を拒む頑迷さ、最後は電池切れでバタンキュー。そんな直虎が、本物の幼児である虎松を後見してるわけで…
小野屋敷に戻ってきて、しっとりと力づけてくれるなつへの感想が「似てない姉妹だな」でしかないのは、但馬タンも直虎並みにお子ちゃまだってことなのだろーか? #おんな城主直虎
政次が“物見遊山”を異様に気にして、結局茶屋に張り込みまでしちゃう執念は、目付としての業務や政局に遅れるまじというのもあるし、実は次郎の身が心配なのもあるし、でも一番は案外、「おとわのことで自分が知らないことがあるのがイヤッ!」ていう子どもっぽい意地だったりするんじゃないかと思う。
先週ラストの「知っていた、昔から」といい、今週の(ベンガル禰宜との会話)「あれはそういう女子だ」といい、「俺はおとわのことなら何でも知っている(ドヤッ」て雰囲気をぷんぷん漂わせる政次。六左を問い詰めるオーバーな所作、大人げなさ全開でしたよね。
相変わらずキャンキャン吠えはするけど、直虎に忠実な子犬になった直之が六左相手に「戦になったら守れる自信がない」と口にする恐怖。それは政次がもうずっと一人で抱えているものであり、けれどそれを己の胸中ですら素直に言語化できないくらいこじらせてるのが政次で、それでいて、今や素直に直虎を慕っている六左・之の字の2人に対する嫉妬心も燃えているんだと思う。じゃなきゃ、あんなに首を傾けます? 床拭いた雑巾で人の汗拭います? ほんっと、大人げない奴! これ、「かわい~!」「面白~い!」じゃなくて、「まったく、ろくでもない奴だ!(でも人間ってそういうもんだよね)」って感じの描写だと思ってます。
ほうぼう歩き回って、体力を使い果たして、電池切れで倒れる子どものような次郎。時を同じくして倒れた寿桂尼は死に向かっている。ここからまた時代が動くんだね。
OPクレジット「旅の男」柳楽くん! 方久同様、印象的な初登場シーンでして。ありがとうございます、と一応言っておこうw 鷹揚で、直虎に対する言葉遣いもそこそこ丁寧で、決して感じが悪いわけじゃない(むしろ、赤ふん含めて私にとってはすこぶる良いw)第一印象だったけど、この初登場で「人を買う」ことをあっけらかんと提案させるのが、この脚本の油断ならないところ。
柳楽くんが「人が借りられないなら買えばいーじゃない」と言って登場したのは、方久が人間扱いされない解死人として登場したのと合わせて、記憶しとくべきなんだろーな。どちらも当時は普通にまかり通っていたけど、人を踏みにじるシステムなのは間違いないわけで。陰影の部分だよね #おんな城主直虎
「百姓」は身分こそ低いものの、当時の社会のマジョリティでもある。直虎は領主が百姓に支えられてるとは知っていても、解死人や、市で売り買いされる人のような、周縁のマイノリティについてはまだ想像が及ばない。いくつものレイヤーで社会を描いているなあ #おんな城主直虎
人の差配は我の仕事、と言う直虎は、己と百姓とは担う業務が違うだけであって上下関係と捉えてない。「百姓の心意気に応えてやりたい」がそれを表してる。柳楽くんの性的アピールに怯えず、人の売買話にも動じないのは、人間に「凌辱する/される」関係があることをまだ知らないから #おんな城主直虎
ふと、逃亡生活・日陰生活が長かった直親は、人間には「凌辱する/される」関係があることを知っていただろうなと思う。「死んだことにして一緒になろう」とかって、何も知らないからではなく、知ってて、自分も被虐の側だったからこそ、尊厳に対して鈍くなった結果なのかも #おんな城主直虎
人身売買や解死人のようなシステムが、当時は普通に行われていたものだから視聴者に何の痛痒も覚えさせないように描く、という作品ではなくて、やはりそれは人を踏みにじる制度だったのであり、そこには踏みにじられた人々がたくさんいたのだ、というのを出してくるんじゃないかと思う。そして、昔も今も、人間はややもすれば「そういうシステムだから」「こんなもんだから」と疑問を持たずに受け容れて、踏みにじる側にまわってしまったり、踏みにじられることに慣れて摩耗してしまったりする生き物なんだろうな・・・と、そんなとこまで踏み込むんじゃなかろーか?
今はまだお子様な直虎が、システムの残酷さや周縁で生きる人々について知るのと、頑なに拒みあっている鶴と心が通じ合うのとは、何か関連性を持って描かれていくのかな?
初回、鶴少年は「おまえは姫だから周りの者は逆らえぬ!そういうことをちょっとは考えろ、ばーか!」と言って、おとわをなじった。上に立つ者である直虎は、簡単に人を踏みにじることができる、踏みにじってしまう存在だ。それでいて、竜宮小僧であろうとする直虎は自分を犠牲にもしている。両方を描いているのがミソなんだろうねー。
しのさん。「無節操に噛みついたら味方をなくすぞ」と凄まれるしのさん(まったくもう、政次って奴は!)。それは真理で、しのさんの激情ぶりはウィークポイントになることもあるのだけど、そんなふうに不器用な性格なのに、虎松のためなら己の感情もどんな不条理も飲まざるを得ない、しのさんの孤独を浮かび上がらせる場面でもあると思った。
先週、「生母として直虎の後見を望まない」と一筆したためる前に、「私の意見なんて顧みられやしないだろう」と言った。それは結局、現実になった。今のところ、それがしのさんの立場。つらいよ。でも、また直虎とぶつかるの、わくわくする。
瀬戸村の百姓たちに、TKOやら山中崇やら、森下ファミリーおなじみの人間が多いのも、今後まだ何か展開があるんだろうなと期待させる。そして、之の字こと直之が可愛すぎて、彼が戦死しちゃったりしたら、わたし、相当悲しむわ!! 史実は調べないようにしてるから知らないんだけど、史実がどうあれ直之くんには末永いキャンキャン活躍を!!
*1:比べてすまんが、『軍師官兵衛』で、登場人物が「孫子」の兵法など古い文書を引用する場面は、わずか数話で途絶えたと記憶している。かんべーやんだけでなく、そういう挫折が見られる作品って結構あるもんです
如月の十六
●2月某日: サクに激しく起こされる日曜日。「おかあさーん、おきろおきろー、♪にーわーの、とりひこー ハイハイ、(以下略)
起き出すと、夫が本&CD棚を整理しており、つられたサクが自分のおもちゃ棚を整理していた。成り行き上、私もしなきゃいけない雰囲気に。いや、そもそも私が数日前、「4月から小学校の教科書やら道具類が増えるので、棚をあけたい。ついては、本やCDなどいらないものがあったら整理してほしい」と夫に頼んでいたのだよね。ええ、自分の本とCDのほうが5倍くらい幅とってるのです本当は。
ということで・・・まずは幼稚園のおたよりや、年賀状・お手紙の類から整理開始。なんかねえ、もう、すべてのものが・・・・。日ごろから、すべてのモノの置き場所をきちんと決めて使ったらそこに片付け、いらないものはすぐに処分して溜め込まないようにしている人には、なぜこんなになってしまうのかご理解いただけないでしょうが、本当になかなかの散らかしようなのです、私。汚部屋ではない(と思う。掃き掃除も拭き掃除も一応ほぼ毎日している)。でも、とにかくコザコザコザコザコザコザコザコザとしたものがいろんなところにあふれているのです。そして私がこうだからサクも順調にそんな感じに育っており・・・。
昼ごはんを挟んでおやつの時間までがんばった。サクがおやつにホットケーキを作りたいと言い、夫が世話して焼けたホットケーキを美味しくいただくという簡単な仕事をする午後3時。夜ごはんは、いわしの塩焼き、春菊と大根などの味噌汁、ひじき煮、大根おろし。ひじきに、切り昆布やられんこんやら入っていて食べごたえある。相変わらず、土日の台所の主は夫です。
如月の十五 / 小沢くんMステ
やろうと思ってたこと2つ片づけて昼ごはん食べながらスイッチインタビューの録画を見る。杉本博司×田根剛の回。田根が語る建築論、ちょうど数日前に新聞で読んだ国立競技場についての記事と重なった。
今日は今週唯一、幼稚園関係の出ごとがない日だーと思ったら、急きょ歌詞集関係でチェック事項が出る。ささっと善後策を(男前に)練って、サク&遊びに来る友だちと一緒に帰る。お母さんの迎えが来て外に出てからも、ずーっと遊びまわってる子どもたち。金曜日なので余裕のある心で見守るお母さんたち・・・ってこれ先週も書いたような?w
夜ごはんは、アンガス牛のステーキ、大根とハムのマリネ、ミニトマト、ほうれん草、りんご。夫は飲み会。国産牛を買わないところに私の夫への慎みを見てください。
さて今日の事件は「小沢健二、Mステに出演」である。あと○時間・・・と1日何度も心の中でカウントダウンをしたのは、浅田真央のソチ五輪以来だろうか。結局、子どもの寝かしつけとかぶったので録画で見たんだけど、もう何ともいえない気持ち! とりあえず胸がいっぱいで、笑って泣いた。
午後、車で某運動公園へ。ボールと自転車も持っていく。意外に広いのでちょっと散策したあと、まずは夫とサクにバイバイして、ほぼ全域を一周。それから多目的広場でサクと周回しまくった(サク自転車、私ランニング)。サク、相当しつこい。「あしがすげーいたくなってきた!」と言いながら漕ぎまくる。そして「えーい、もう はしってやる!」と最後には自転車を降りていた。完全にランニングハイに入っていたようだw おじさんが鳩やスズメにエサをやるのもたっぷり観察。子どもの時間ってのんびりだなー。
産直っぽいところで野菜や米粉パンを買って帰る。夜ごはんは、海老とほうれん草のパスタ、いわしの干物、わかめや菜の花の酢の物、トマト。「ブラタモリ」録画で「こんぴらさん」。最盛期には4社もの鉄道会社が乗り入れていたそうだ。ビールのあとワインがだいぶ進んだところでサクが「カタカナカルタ」を持ってくる。負けるっつーの(悔しい)。
サクが寝てから「精霊の守り人」。昨日のMステとニュースZERO、小沢くんリピート。
3/19 西日本新聞 書評欄 『裸足で逃げる』 上間陽子~崖っぷちを生きる沖縄の少女たち
ネットでも何度か書名を見かけた『裸足で逃げる』(上間陽子)、3/19付 西日本 #新聞 に書評が載ってた。「崖っぷちを生きる沖縄の少女たち」と書評の見出し。著者が「リスク層」と呼ぶ貧困層の生活には暴力が渦巻き、女の腹を蹴って内臓破裂させたり、顔の骨を折ったりと加減がないという→
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月21日
→彼らの暴力がエスカレートするのは、他者を殴れば社会的信用を失ったり周囲が止めたりする「暴力を防御する装置」が少ないから。一方で、育児放棄され、暴力を受けてきた女性たちは「他人に不寛容」な傾向がある。身を売ってでも生活を立ててきた彼女らは人の問題を「自己責任」と片づけがち→#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月21日
→そんな中、高校時代に妊娠出産を経験した少女の話。恋人と別れ、キャバクラで働きながら高校で学び直した。子供が入院していた病院の看護師の親切や、手弁当で勉強を教えた教師たちの応援から「誰かが助けてくれるかも」という考えが生まれ、やがて「看護師になりたい」という希望を口にする→#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月21日
→筆者は米軍基地に囲まれた沖縄の街で育った。調査の過程で信頼関係を築き、事件を起こした女性の自首に付き添い、出産にも立ち会った。「誰かが手を差し伸べることで崖っぷちの人の運命が変わることがわかるから、仲間を増やすためにこの本を書いた」という。#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月21日
如月の十四
はふ。今日もお母さん劇団の練習であった。いちお、本番前、最後。といっても本番は一週間後・・・いろいろ忘れそうな気がしてならない。それにしても、浦島太郎って子どもには悲しい話だよねえ。竜宮城での「酒池肉林」がわからないからなおさら。
昼、強風と小雨の中いったん帰り、とっておいた出汁で雑炊を食べる。最近、平日5日のうち3日は雑炊を食べてるような気がする。まだ飽きない。
幼稚園の団体割引で買ったランドセルがやってきた! サク、いそいそと開梱し、ベルトの調整を要求したあと、さっそく背負って歩く(家の中を)。ひとしきり開けたり閉めたりもして、いったん満足したようなので箱に戻しておくと、またしばらくしてから背負っている。「おれ、ランドセルきたけん、もう1ねんせいになったみたい~!」やっぱりうれしいものなんだねえ。家の中を整理・リストラして、小学校用品の置き場を作らねば・・・(頭痛)。
2018春からの朝ドラ(AK)制作発表。北川悦吏子が1971年生まれのヒロインを描くとの情報で、TLがいろいろと騒然w 夫がいろいろと仕事の話。興味深い。
さて昼ごはんを食べてからは幼稚園の仕事。歌詞集を、ページ順に並べていく作業。今日もクラスのお母さんたちにお願いして手伝ってもらった。夜ごはんは、鶏と根菜のスープ煮、ほうれん草と卵炒め、切り干し大根。冬はいろんな汁物が楽しめてよい。簡単だしね。