2/21 朝日新聞、新国立競技場の整備見直し提言 / スイッチインタビュー 田根剛×杉本博司
2/21付 朝日 #新聞 。2月初め、日本学術会議が新国立競技場の整備見直しを提言。内容は、
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
1.本物の森の創出。
2.渋谷川の清流復活。
3.再生会議と基金の創設。
以下、都市環境計画を専門にする中央大学教授、石川幹子へのインタビューよりメモ。
「100年先の世代へ何を残すかという長期的視野を持つべき。新国立競技場は神宮外苑の中にある。外苑の緑と水は何となく存在しているのではなく、先人たちが築いてきたレガシー(遺産)。人工地盤の上を緑地化し、立体都市公園として整備する現計画は、「ニセモノの森」で自然共生ではない→ #新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
「→人工地盤の上への植樹は技術的には可能だが、木を植えるためには通常より頑丈な地盤が必要になり、建設コストがかかる。水やりなど維持コストもかかる。そのうえ、コンクリートの地盤の寿命50年を過ぎればぼろぼろになり、公園と共に壊すことになる。つまり負のレガシーを残すことに。→ #新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
「→五輪向けと五輪後の二段構えにすればよい。五輪中は広報用の広い駐車場が必要で、観客が通るために人工地盤が計画されているが、人工地盤はとりやめて、シンプルな構造の屋根を造って仮設通路にするべき。終了後、取り払って公園にして、大地に植樹すれば、水辺と一体化した公園ができる→ #新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
「→1964東京五輪には緑地と水辺にとって正負の両面がある。プラスは緑地の整備。選手村は五輪後、日本初の森林公園、代々木公園として整備された。戦前は陸軍の練兵場として使われ、戦後はGHQに接収されていた一帯が、五輪を契機に返還された。→ #新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
「→マイナスは、川の犠牲。五輪と前後して、東京では20近い中小河川が暗渠化された。当時は生活排水がそのまま流されるどぶ川だったので、やむを得ない面があった。下水道が整備された今、次の五輪は渋谷川を復活させ、水辺と緑地を一体整備する絶好の機会である。→ #新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
「→近代化の過程で東京の緑は減る一方だと思っている人は多いが、実は明治より濃くなっている。先達が先を見据えて計画的に緑を作ってきたから。中でも壮大だったのが昭和初期にかけて作られた明治神宮の内苑・外苑。代々木&青山練兵場の荒野を、神宮建立の際、造園学者たちが杜を作った。→#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
「→百年前の明治神宮内苑・外苑整備は、総計13万本のうち、10万本近くが全国からの献木だった。今回も、神宮の森再生の基金をつくればよい。五輪を手元に引き寄せて考えられることにもなる。スタジアム周辺整備は、本体工事が済んだあとの作業なので、まだ時間はある。柔軟な検討が大事。 #新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
…と、この新聞記事を読んだ直後に偶然、Eテレ「スイッチインタビュー」で田根剛×杉本博司の回を見たんだよね。田根は1979年生まれの建築家で、2012年、五輪招致に向けた新国立競技場基本構想国際デザイン競技では、「古墳スタジアム」がファイナリストとして選出された。→ pic.twitter.com/j8SiUiF1Nk
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
→建築家としての田根がこだわるのは「場所の記憶」。建築は量産品ではない、1つだけのものだから、歴史や文化などその場所にあるものの記憶を掘り下げていく。新国立競技場のデザイン案「古墳スタジアム」は明治神宮や新宿御苑との調和を目指すものだった(最終で落選)→
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
→田根は高校時代ジェフ市原のユースチームで阿部勇樹、佐藤寿人らとプロを目指したが怪我で断念。その後、北海道、スウェーデン、デンマークにわたって建築を学ぶ。2006年、26才のときエストニアの独立後最大となる国家プロジェクト、ナショナルミュージアムの国際コンペで最優秀賞授賞。→
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
→田根が手掛けたエストニア国立博物館は、旧ソ連の軍用滑走路に建築(エストニアは92年に旧ソ連から独立)。負の遺産を利用し、未来へ向けて滑空するというコンセプト。対談相手の杉本博司(現代美術家)は「建築的というより文学的表現」と称賛していた。→
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
→日本の建築家には、そういう「建築から離れた表現」をする人が意外に多い、という感覚で杉本と田根は一致。杉本は “突拍子もなさ性” という言葉を使ってた。杉本いわく、建築は本来アート。アートから派生したものが建築なんだって。というのは、→
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
→古代ギリシャとか縄文時代とか。人類の意識が芽生えたとき、人は外界と自分の関係を壁画などに描いた。そこから神という概念が生まれ、やがて神を祀るための社を作る。それがアーティストであり建築の起源。装飾的である必要はないし、現代は神や国家のためでなく人類の魂のための建築を、と(杉本)
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
田根は、十年にわたるエストニア国立博物館のプロジェクトを通じて「何もない荒野に人の力で巨大な形が生まれる。その暴力性を含めて建築の仕事は面白い」と言っていた。暴力性への認識。この人にはそれがあるから、逆に「場所の記憶」を掘り下げたくなるのかなと思った。新国立、どうなるんでしょうね
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日