3/12 西日本新聞 哲学者の鷲田清一の特別寄稿 『3・11は記念日ではない 新しい「当事者」に希望探る』
3/12 西日本 #新聞、京都市立芸術大学長・哲学者の鷲田清一の特別寄稿『3・11は記念日ではない 新しい「当事者」に希望探る』メモ。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月13日
「まる6年という日は何かを区切るものではない。大震災という共通の経験も、大きな幹が無数の小枝に分かれていくようにそれぞれの問題へと分岐している→
「→地震の後、大津波や原発事故が東北で起こったことの意味を探り始めた人たちがいる。兵と労働力と食料を中央に供給してきた東北の「歴史」を問う人もいれば、東北の「つくる」文化を見直そうという人。市場システムへの過剰な依存をやめて、暮らしの基盤を自らの手に取り戻そうという人…→ #新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月13日
「→陸前高田出身の写真家畠山直哉は「大津波や原発事故をもし <未曽有の出来事>というなら、それに対して <未曽有の物言い>が用意されなければならないはずだ」と言う。つまり文明のかたちの根本的な問い直しが、被災地か否かにかかわらず迫られていると。しかし語りには難しい点が…→#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月13日
「→被災地の外では記憶の風化がいわれるが、被災地では今も完了形で語れることは少ない。語りで難しいのは「当事者」という観念。人はつい「被害比べ」をしてしまう。より悲惨な経験をした当事者の語りの前で、別の当事者は押し黙ってしまう。この構造を乗り越えなければならないのではないか→#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月13日
「→震災遺構を巡る意見の対立(残すか残さないか)がある。遺族は遺構を見るのが耐え難い。遺族にとってそこは記憶の場所ではなく、亡くなった人を悼む場所・祈る場所。ただ、記憶の風化に抗って未来の世代に伝えねばという思いとは共通点もある。共に「不在の他者」を宛先としている。→#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月13日
「→そして6年という時間は、これまでとは違う「他者」「当事者」も生みだしている。当時はまだ物心ついていなかった人が、今は当事者として同じ場所に立っている。震災後、東北に移住してきた若い起業家やアーティスト、将来ここに住み着く人も含めて、当事者は新たに生まれてゆく。→#新聞」
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月13日
「→若い人にとって被災後の現実は結果ではなく出発点。彼らは新しい暮らしの形、仕事の形を模索している。彼らの声が震災後の語りにどのような別の風を吹き込んでゆくか。新しい「当事者」たちとの連帯のなかに、幾筋かの希望を探りたい。」#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月13日