『いだてん』ストックホルム編つれづれ

facebookより)

『いだてん』がめちゃくちゃ面白くて、だからこそああいう形でピエール瀧を失ったのが痛恨。でも幾多の敗者落伍者を出しながらも、大河ドラマ『いだてん』はこれからも走り続ける! 近代日本人のように。

…なんて書きたくなっちゃうくらい、「近代日本」を感じるドラマだ。

3月7日付の朝日新聞連載【ありふれた生活】にて、同じく大河ドラマの脚本を書き(真田丸)、同じく「大河ドラマらしくない」というお決まりのバッシングを受けた(笑)三谷幸喜が、『いだてん』について

「人間を描くことで時代そのものを描くという大河ドラマのもっとも大事な部分を含めて、宮藤さんはとてもいい仕事をしている。間違いなく彼の代表作になると思います」

と絶賛していたのだけれど、この記事の中にはさらに興味深い言及もあった。いわく、

『僕の脚本は、政治の世界でいえば保守系の左派。宮藤さんは革新系の右派』

すっっっっっごいわかる!!
さすが、名作家の表現はすごい!!!!!

今どき、右か左かなんてナンセンスだとは言うものの(立憲民主党あたりでは、左右ではなく上からか下からか(トリクルダウンかボトムアップか)、というテーマを掲げていますよね)、そう書かれるとやっぱりわかりやすさがある。セオリー通り、保守=右派、革新=左派としないところにも納得。

どちらも心から楽しんでいるけれど、
真田丸』ではまったく感じなかった微妙な感情を『いだてん』を見ていると覚える。それがなぜなのか、これを読んで合点がいった。
この視点でいくと、『おんな城主直虎』や『ごちそうさん』の森下佳子はまさに伝統的左派ですかねw(大好きでしたw) で、そんな彼女が書いたからこそ『天皇の料理番』が貴重な…って延々と話が逸れ続けるのでやめますねw

そう、『いだてん』の話です。

1912年(明治45年)
日本人として初めてオリンピックに臨む代表選手として
帝政ロシアが敷いた大シベリア鉄道に揺られること17日間、
海と大陸を隔てたストックホルムに渡った金栗四三三島弥彦
あ、中村勘九郎生田斗真ね。

情報量も、国際社会での日本の立場も今とはまったく異なる100年前、
初めて白人社会に出た四三と弥彦が味わった疎外感、劣等感。

田舎出身の素朴でまっすぐな四三青年だから、列車の中で白人に対して感じる敵意や憤慨も混じりけがなく、強い。

日本では負けなしだった名門の御曹司 弥彦は、世界に出れば自分がいかにちっぽけな存在か、トラック練習だけでなく「便器の高さ」を通じてまで、日々つきつけられる。公衆トイレで欧米人と横並びでおしっこするとき、自分だけが爪先立ちをしなければならない屈辱!

病弱な体で先んじてアメリカへ渡り、当時は死病だった結核を患ってなお、初めての五輪に帯同して命を燃やす大森兵蔵竹野内豊)。

日本にいたときは気軽に口にしていた「大和魂」とは何なのか? 
四三は日の丸を前に沈思黙考する。

やがて、
綾瀬はるかへの仄かな恋心を胸に、赤面して流行歌を歌っていた可愛い青年は、
直立不動、謹厳な面持ちで、スウェーデン人のパーティで下手な『君が代』を熱唱し、
筆がないから指で黒々と「日本」と墨書して、
開会式のプラカードにはJAPANでなく日本を! でなきゃ出場しない!
と言い放つ。

栄光の大日本帝国だから誇るのではない。
欧米人の圧倒的な肉体と人数の多さ、黄色人種への蔑視、
自分たちの劣勢を嫌というほど思い知らされたから、
「日本人」を誇りとするのだ。

まさに保守ではなく「革新系の右派」の描きっぷりで、ある種 衝撃的だった。
人間の心理の動きとして、とても自然なのだ。
ナショナリズムに目覚めていくさまが。

ただ、その場面の四三の顔の暗さがとても印象的だった。
役者の表情はもとより、画面作りや光の当て方も暗い。

国家を拠りどころにせざるを得ない状況だった四三たちの苦悩と、
国家を背負い矜持とするのは危うさも孕んでいることを
表現していた暗さだったと思う。
わかって作ってる作品だと思う・・・!

続く昨日の回、ついにオリンピック本番@ストックホルム
100m、200m、400mと三島弥彦は圧倒的な差で負け続ける。

大国の選手も小国の選手も、偉大な記録を持とうと泡沫選手でも、
プレッシャーに押しつぶされそうなのは、みな同じ。
「人」と競い合っているのではなく、タイムを争っているだけ。

そこまで理解しながらも、三島の屈折は最後まで続いていた…という描き方だったと私は思う。
日本での「痛快男子」の笑顔とは全然違って見えた。

「戦意喪失」だけど「命を賭して走ります」
「日本人に短距離は無理」だけど「明日も走れることがうれしい」。
「楽しかった」し「また明日も走る資格がある」けれど「明日は棄権する」。

アンビバレントの連続、それが三島弥彦のオリンピックであり日本人の第一歩だったんだなあと思わせる。人の心は、わかりやすいドラマみたいに単純じゃない。すばらしかった。こんな複雑さを描いてくれる大河ドラマは、意外に少ないw

名門一族のはみ出し者を自認していた弥彦が、三島家の誇りのために走ると書く。
四三は日の丸や君が代に、故郷熊本や、高等師範学校の人々の姿を思い浮かべる。

「個人」に目覚めるのが近代であり、
相互理解と平和の祭典がオリンピックの理念でも、
人は大切な誰かを思うからこそ頑張れる生き物。
それはきっと、時代を超えて人間の普遍。

そのすばらしさを感動的に描けば描くほど、一方で不安の芽も伸びてゆく。
“ 大切な誰か ” の集合体が「国家」や「民族」という形になって、不幸な道を歩んでしまった歴史があるからだ。
その不安は、今この日本にも、西欧社会にも再び蔓延している。

というのが、私が『いだてん』に感じてる、大河ドラマへのかつてないハラハラドキドキなのだ。

いよいよ、主人公 四三のオリンピック。
史実はもちろんわかっているけれど、ドラマではどう描くのか?
そして、やがて忠君愛国と全体主義がすっぽり覆っていく時代は、どう描かれるのか?
目が離せません!!

それにしても、出発前のあれこれからずっと、三島弥彦に心動かされっぱなし。こんないいキャラになるとは・・・「エモい」って言葉はこんなときのためにあるんだろうと思う!