『西郷どん』 第15話 「殿の死」

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何がどうしてそうなってるのか、歴史好きや大河マニアでもなければサッパリわからんのじゃないだろうか。一橋派と南紀派とか。「江戸ではなく京」とか。月照さんってそもそも何?とか。

でも、サッパリわからんくてもまぁいいや、というか、感情的にノレる人って多いんじゃないかなと思う。うちの親もそんな感じで熱心に見てる(思えば『篤姫』のときもそうだった)。

私はといえば、幕末の基本的な流れは把握してる上にいろんな小説やら映像作品で繰り返し見てる。映像の中で何が起きても、「あー、はいはい知ってる」ってなもんである。それなのに、何か感動して思わず泣いてしまった・・・・! なんか、ある意味すごいもんを見せられているw

順を追って書くと、前々回くらいにやっと結婚したと思ったらあっというまの家定の死。枕頭にはべった井伊掃部頭が瀕死の家定を抱きかかえて筆をとらすので、「おいおい、この状態で一筆書かせるなんて、いくらなんでも『真田丸』からたった2年しか経ってねーぞ」と震えましたが(そんな人多かったよね?w)、上様が書いたのは柿だったーーーー! やられた。

家定―篤姫カップル、ほんとに描写は極小だったんだけど、あの又吉の上様が柿の絵を描いて死んでいく、っていうのは非常に納得感あったのよ。

で、南紀派が勝利して本寿院とかが勝ち誇ったり月照さんとかが打ちひしがれてるのは何かよくわかんないんだけど(このドラマだけを見てるとね)、ようはそれで、殿の心がポッキリ折れちゃったってことで、吉之助さぁは解雇されちゃったもんだから、そりゃむさくるしい髭面にもなりますよね、と。

そこで、夜中にこっそりやってくる正助どん。どうでもいいけど、この人たち、やたら夜中に2人きりのランデブーしますよねw それで思い余って痴話げんかになったりしてw これは明らかにBLを意識してるんでしょうね。しゃらくせえw まあそれは置いといて、このベッコリへこんでる吉之助さぁに「やっせんぼ」と言い放つのが正助どん、っていうのがやっぱりエモいんですよね。「吉之助さぁは昔から誰にもできんことをやる人だ」とか、そのへんのセリフには、いかんせん脚本の蓄積が甘いので説得力がないんですが、殿のお庭方にまで成り上がった西郷に対して「やっせんぼ」と言える正助の信頼度と自負心に泣けるわけですよ! 瑛太の「やっせんぼ」の一言が値千金だったのですよ!!

で、そのあとの西郷家のごはんの風景ね。さつまいもと汁。かつおぶしを有難がって食べる弟。昔と何も変わらない家族のあたたかさ、一方では長兄・長姉が家から出たため次男の吉次郎や次女(名前がわからん)が頼もしくなっていることで流れた月日も感じる。そして、ああ、こんな家族にもトリクルダウンの恩恵が降り注ぐようにと殿の下でがんばってきたのに・・・という痛恨とともに、家族の穏やかさが荒ぶる心を癒していく様子も感じられて、すばらしい映像表現になっていたと思う。

だから、吉之助が再び立ち上がり、お許しもなく殿のところに凸するという「荒ぶる牛」みたいな行動に出るのも割とすんなり納得がいくのだ。「戦をするのではない。江戸ではなく京」とかいう説明は、このドラマだけ見てても全然わかんないんだけど、意を決した吉之助の頬には眩しい光が当たり、精悍でかつ若々しい。

吉之助の腕をつかんでひっぱりあげ、対等な目線で「あのやっせんぼに言われるとはな」と言う斉彬の表情は、西郷を見ているようでいて、その実、流れた月日を見ているようでこれもまたさすがの名演。「おまえが、わしになれ」も簡潔でいいセリフだった。そして殿に称賛されると吉之助の表情が一変、子どものようになるのも見もの。間違いなく、斉彬編(あ、違うかw)の名場面の1つに数えられると思う。

この西郷がどう成長していくか・・・・脚本による歴史の説明はともかく、鈴木亮平の芝居を堪能したい!!