如月の十一 / スイッチインタビュー さだまさし×間渕則文
「ママじゃな」むっちゃんの記事、細かい修正や、リード文つけたり。
1時に幼稚園に行って、歌詞集の作業。1時間半ほどがんばって、あらかたの印刷を終える。次はこの紙を半分に折る作業だけど、これは係以外のママさんたちにも協力を仰ぐため、帰宅後、一斉メールを。自転車屋さんに寄って空気を入れて帰る。夫がもらってきたチョコをサクと1日1個ずつ食べる日々。夜ごはんは、チクワの磯部揚げ、フライドポテト、グラタン、大根煮。そしてお吸い物。ダメ、メニューのバランスとか気にしちゃ(定期)。
降園後、サクの友だちが遊びに来るというので一緒に帰る。家の中で遊び、外に出て、お母さんが迎えに来てからもずーっと遊び続けはしゃぎ続ける子どもたち。週末なので母たちも平日比3割り増しくらいで生暖かく見守ることができますw やっとさよならになるも、「バイバーイ!」「バイバーイ!」といつまでも言い合う。だんだん遠ざかっていくバイバイに、「とおくからいわれると、さみしくなるんだよな・・・」とサク。毎日会ってるやんかw また月曜に会えるやんかw でも、あるのよねえ、いっちょまえに、そういう機微が。
最近、幼稚園でやってる劇ごっこ「どろぼうがっこう」のセリフっぽく喋るサクである。「わっかりやしたー」とか「ごめんなせー」とか。作中の歌(先生がメロディーをつけたもの)もよく歌っては、「はっ!」として口をつぐむ。来週、参観でお母さんたちに見せるまで内緒にしたいらしい。
夜ごはんは、ホットプレートで鉄板焼き! おいしい豚バラ、ピーマン、玉ねぎ、しめじ、おもやし、最後にちゃんぽん麺をカリッと焼いて食べた。夜までものすごいテンションマックスだったサクは、最後急激に残量が減り、落ちるように寝る。そして私もサクと一緒に落ちる。
スイッチインタビュー、さだまさしの回を見た。
録画でスイッチインタビュー、さだまさし×間渕則文。間淵は日本初のドクターカー専門診療科を設立した医師。レントゲン以外の初動診療は何でもできるけれど、やはり命を繋げないことも多い。ある出動での緊急診療、懸命に力を尽くすもご臨終となり、家族にかける言葉までのVTRが流れた。
間淵はドクターカーでの出動時、常にカメラを回していて、帰院すると必ずそのVTRをチェックするのだという。診療の手立てや、患者・家族への言葉がけは適切だったか。もっとできることはなかったか、悔しくて悲しい診療でも、だからこそ、必ず見直す。こういうすごい人がいるのだよねえ…。
さだまさしも、意外にも(?)よかった。生楽器を使い音のクオリティにこだわった曲作り。一般リスナーの大半は音の良し悪しなどよくわからないし、安くあげて次の活動にいったほうがビジネスとしてコスパがいいのでは?という質問に、「そこは譲れない一線」という答えは最初は漠然としていたのだけど
被災地を回って歌う日々のエピソード。岩手の沿岸地域で、新品のさだまさし全集(CD)を差し出して「サインしてください」という女性がいた。あなた、よくこれ津波で流されなかったね、と言うと「震災の後に(注文して)取ったんです」と。こんなときに注文!この人にとって俺の歌は何なんだ?→
→自分の力以外の、見えない何かがこの人と俺とをつないでいてくれている、この信頼感をどうやったら保てるかと考えると、ライブの一生懸命さや作るもののクオリティだろう、だから一歩も引けない」って。自分の作るものが知らない誰かを支えたり動かしたりすることへの畏怖を感じる答えだと思った
そして「被災地でたくさん歌ってきて、曲作りはどう変わったか?」と聞かれると、「大きくて深い笑いがテーマになってきた」。どんなにつらい境遇でも人間には生活があり、生活の中には必ず笑いがある。泣きながら時にクスッと笑ったり、大笑いしながら泣いたり、そういう歌を作りライブをしたい、と。
それらは、いろんなところを回って被災した人々の目の前に立って歌い、語りかけてきた人の、ライブな言葉だと思ったんだよね。