2/26 西日本新聞・書評欄 『昭和天皇の戦争』山田朗 『思想戦 大日本帝国のプロパガンダ』バラク・クシュナー
さて、2/26 西日本 #新聞 書評欄。『昭和天皇の戦争』山田朗著。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月15日
「平和主義者であったと認識されている昭和天皇が、意外にも積極的に戦争指導に関与していた史実を実証的に明らかにする本」とある。評者は『それでも、日本人は戦争を選んだ』の加藤陽子。
昭和天皇の戦争――「昭和天皇実録」に残されたこと・消されたこと
- 作者: 山田朗
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2017/01/28
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (1件) を見る
終戦直後、現行の皇室典範の制定時も、退位規定をおく意見は有力だった。見送られたのは、退位規定をおけば昭和天皇の戦争責任論が起こりうるとの懸念から。また、当時侍従次長だった木下道雄は日記に「国家の戦争につきロボットにあらざる限り」天皇には責任がある、と書き留めている。#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月15日
本書には『昭和天皇実録』で省かれる、戦争指導に積極的に関与する天皇像があるという。1938年1月、政府の要請によって「国家の最高意思決定の場たる御前会議では天皇は発言しない」という慣例が作られた。国務に関する天皇の行為は全て国務大臣の輔弼によるとの憲法上の規定に従ったもの。#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月15日
一方で、統帥用兵の意思決定の場であり、陸海軍の将官と天皇が臨席する大本営会議では、天皇からの発言を歓迎する旨、軍部側が要請していた。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月15日
「政府の前では沈黙し、軍部の前では発言を許された、対照的な天皇像が鮮やかに浮かんでくる」と評者。#新聞
また、『実録』では1943年、参謀総長杉山元にニューギニアの戦況奏上について「杉山に謁を賜い奏上を受けられる」と淡々とした記述に終わるが、参謀本部作戦課長の真田穣一郎の日記には「米軍をぴしゃりと叩くことはできぬか」という天皇の強い言葉が書き残されている、という。#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月15日
もう1つ、#新聞 書評欄より先の大戦に関する本。3/12西日本新聞。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月15日
『思想戦 大日本帝国のプロパガンダ』著者は、イギリスで東アジア史を講じるアメリカ人研究者、バラク・クシュナー。
「戦時下日本の対外宣伝は効果が乏しかった」というのが常識だが・・・?という話。
日本軍の対外宣伝の効果。真珠湾攻撃以降の日米戦争では乏しかったかもしれないが、中国や東南アジアではどうだったか。また日本の戦後復興にどれほど寄与したか。時空を拡大してみると「ナチスをしのぐプロパガンダ」の威力が確認できる。国民は15年にわたり安定して戦争を支持し続けたのだ。#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月15日
戦中も世論調査は行われ、当局も民意の動向を注視していた。日本にはヒトラーやムソリーニのような独裁者もなかったが、独伊で発生した規模の抵抗運動もなかった。日本人は「アジアのリーダー」という自己PRに積極的に参加し戦争を主体的に選び取り、その延長線上に戦後の経済成長を達成した。#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月15日
「だとすれば、一般大衆も『大本営発表に騙された被害者』として免責されるはずがない」
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月15日
とあるのは、本書の中の主張なのか評者の主張なのかちょっと判然としないけど、たぶん両方だろう。そして、そここそが本書のキモであり現在にも通じる警句なんだと思う。#新聞