睦月の十一 / 小澤俊夫講演会 「世界のむかしばなし」

●1月某日: サク弁、牛肉、スクランブルエッグ、粉ふきいも、ほうれんそうとにんじんと鶏ミンチの甘辛煮。サクを送っていったあと、その足でクラスのママ友と太宰府、絵本専門店「あっぷっぷ」へ!







↑「狐」の目次だけで4ページあるってことね。





そういうふうに、世界中で見られるお話は、単純な話ならば偶然の一致(多発性)だろうが、ストーリー性があるもの(たとえば狐女房も、こぶとりじいさんも)に偶然はありえないだろうと言っていた。つまり「お話が移動した」。

お話は人間と共に移動する。「伝承」や「口承」と一言でいってしまえば簡単だけど、それは膨大な数の「場面」の積み重ねであり、その1つ1つは日常である。日本であれば、囲炉裏端で親が、あるいは祖父母が、唾が飛ぶような距離感で子どもに話して聞かせるような。昔話は異なる世代をまとめ、共同体をまとめあげていくものだった。

「人間は家庭を持って以来、語ることをやめたことがない」という名言がある(誰の名言だったかメモしそこねた)。「生の声で伝える」それが昔話の基本であったが、現代の文明はそれとは逆ベクトルものも。テレビにしろスマホにしろ「間接的」に拡散していくものだから。それが悪いとはあまり言わないが、子どもに対しては…。

新しいもの、新しい知識を次々とを浴びせるようなやり方は、子どもにはそぐわない。「そういうのはケチくさい」という表現をしていたのが面白かった。効率よく多くの知識を与えようみたいな考え方はケチくさいんだって。

「子どもは、もう知っているものと出会いたがっているんです」と言っていた。だから何度でも同じものを読みたがる。絵本や昔話も、優れたものはリズムを大事にしている。同じ場面を同じ言葉で語る。3度繰り返し、3度目は長く強調する。これはクラシックでも同じ。

シューベルトの子守唄をごらん、「ねむれ ねむれ ははのむねに」。ね、3度目が長いでしょう? 同じものの繰り返しが心を安定させ、心の安定が成長につながる。うちの息子たちにも同じ絵本を何百回も読まされましたよ。次男はボロボロになった毛布を手放さなかったり(小沢健二だ!)。大人だってそうでしょう、年末になると毎年、第九を聞きたくなったり忠臣蔵を見たくなったりする人、いるでしょう。毎朝のコーヒーだってそうですね、同じ事を何度でもしたがる、それで安定するのが人間なんですね。

昔話の文章は単純でなければならないとのこと。「シンプルでクリアな文章であること。アレンジしない。手を加えずに伝える」。福音館書店の「おおきなかぶ」を持ってきてすばらしさを解説していた。 

おおきなかぶ

おおきなかぶ

 

 絵のすばらしさ。人間も動物もカブも、とても写実的に描かれている。でも、全体を見るとこんな絵はありえないよね。こんな大きなカブ、ありえない。それが肝。「部分は写実、全体はファンタジー」これが昔話。抜けたばかりのカブが真っ白とかね。これで土がついてたら台無しですよ。抽象的だから面白い。

日本の昔話の採集、再話の取り組み。日本の昔話の特徴は、「主人公が、自然の中の何かと出会って何かをする」。自然の中の何か、というのは姿があるとは限らない。声が聞こえるだけだったり。それは往々にして神さまだったりする。お堂の神、流木の神。流木の神っていうのもあるんですよ!衝撃でした。動くものの姿を獲得することもある。蛇や、蜂や、鳥、狐、地蔵・・・。

なるほどねーと思った。「かさじぞう」も、「鳥のみじい」も、「狼の眉毛」もそういうことなのね。西洋の昔話では狼は葬るべき敵だけど、日本の狼は神様なんだよね。
とにかく軽やかで自由な話しぶりと、地道で根気強く、かつグローバルな仕事ぶりに、ものすごく元気をもらったのだった。

お昼は、その近くのお店で、友だちのおすすめの「鯉のあらい」ランチを食べる! お醤油だけじゃなく、酢味噌や柚子ごしょうや赤/青トウガラシなどいろいろ用意してあって、飽きない。独特の歯ごたえと味。あら汁もめっちゃおいしい・・・! そのまま幼稚園のお迎えへ。サク、昼間、37度9分の熱を出したらしいので、すぐに帰らせようと思ったら、なんか遊びで盛り上がってる。帰宅して熱を測るともう37度未満だった。夜ごはんは、焼きそば。りんご。

 

↓ 講演会の話をしたら、どんぐり文庫の梶田さんが、小澤さんの本をおすすめしてくれた。すごく面白かったです!

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