『とと姉ちゃん』 第14週 「常子、出版社を起こす」 ツイートと追記:共感しない、されないヒロイン
闇市のセットやエキストラ、すごかったですね。過去作をいろいろ思い返しても、やっぱり朝ドラは予算の使いどころをはっきり決めてるんでしょうね。分散ではなく集中な感じで。#とと姉ちゃん
新世界は文芸誌。しかしこれまで描かれてきたとおり、文字の力や人々の“知りたい欲”を徐々に感じ、雑誌作りへの意欲が上がっても、常子は文学に深い興味があるわけではない。彼女が情熱を持って取り組むのは…そうして作る雑誌は・・・という話に、徐々になっていきそうですね。#とと姉ちゃん
戦時中から引き続き鞠子が心配になる描写。ここへきて五反田が小説書き溜めてた設定まで! 世の中、並みならぬ才能や情熱で成功するのはごく一握り。そうじゃない大多数の人々も食べるために仕事が要るし、平凡なりに美点や適性もあるはずだよね。現に常子は鞠子に何度も助けられてる #とと姉ちゃん
鞠子は神経細めで体力もないけど、玉置兄弟・三宅の事例に見る通り、怒りのガソリン注入したら爆発力高いよね。戦時中も弱ってたのに鉄郎登場で減らず口が復活。逆境に弱いけどとことん追いつめられたら力を発揮しそう。…って鞠子本当に(常子以上に!)普通の人設定。だから気になる #とと姉ちゃん
RT 高畑さん、ごちでスタパに出たとき、ピーターパン公演が今までで最も体力を酷使する仕事だったと言ってた。自信につながる大きな仕事だったろうね。タフなヒロインなのは間違いないよね。朝ドラ終わったら、どっちが(いろんな意味で)きつかったか、ぜひ聞いてみたい。#とと姉ちゃん
「女たちが生き生きしてる。やりたいことやれるチャンス」と鉄郎に明るい(無責任な)セリフを言わせながら映る闇市に、逞しい女だけでなく暗い目で働く女も映り込むのが印象的。そして綾の窮状。男はカストリ雑誌、女は口紅を求める姿といい、希望も絶望も欲望も混沌とした描写がいい #とと姉ちゃん
やさぐれ鞠子がちょっとツボに入ってきた。もともと神経細め、バイタリティ少なめタイプな上に、大学出てなまじ世の中を俯瞰で捉えきれちゃう面倒さw そんな鞠子も常子に必要な相棒ってのが #とと姉ちゃん のいいところ。君子も鉄郎も皆フラットな存在、その時々でお互いさまなのが体現されてる
綾さんの人生はもし星野と結婚してたらなifかもしれないな。 #とと姉ちゃん
綾は自分から会いに来たし、再会の瞬間いたずらっぽいくらいの良い笑顔だったから、まだ気力があるんだよね。でもそのうち絶望にのみこまれてくかもしれない。間借り先さえ失いかねない状態…。そうよね、食べ物はもちろん、おむつも要るよね、洗っても永遠に使えるものじゃないしね。#とと姉ちゃん
「人はパンのみにて生きるにあらず。こんなときこそ文学だ!」て真理だけど、パン無しでは生きていけないのも事実。口紅とは程遠い生活の人や、物質では自尊心を充たせない人もいる。戦後会社を興した大橋さんには「こぼれ落ちた人」への視点があったのかなと思う。掬い上げ一緒に働く #とと姉ちゃん
好もしく思う人の求婚を断るほどに家族第一、一貫して「内向き」の常子だけど、自分の暮らしを大切にしただけではなく、「暮らしを大切にしようという雑誌を作る」という、ものすごく「外向き」な事業を興した人だ。内から外へ。内があっての外。そこが鮮やかにつながった感動! #とと姉ちゃん
歯磨き作りや鳥巣商事での経験、森田屋や青柳を見送ったこと、五反田との約束、ままごと供出、戦時中の暮らし、三宅、お竜、鉄郎、そして綾。すべてが今日の決断の背後にあり、ととの写真が「自分で考えて動くのはすばらしいことですよ」と背中を押してくれる。他の家族も同じだろう #とと姉ちゃん
青鞜がここで綾から出てきた! 正直、常子は青鞜を直接的には忘れてたと思う(笑)。借りて読んだから手元にもないし。でも苦労を重ねている綾が青鞜をずっと大事にしてきた事実。文学そのものよりも、「言葉が人をどれだけ力づけるか」という実存的なものに感動するのが常子だなと #とと姉ちゃん
常子の「自分本位」は人と自分を比べないところにもある。共感すら常子には遠い感情のような。富江の花嫁姿やまつの涙、滝子の決断、今日の綾。安易に羨まない、同情しない。ただ見つめ自分の糧にするしかない。高畑充希の深遠な表情がすばらしい URL
「共感」が至上の価値のように思われてる現代日本で、こんな共感型でない、いい意味で自分本位なヒロインの「見つめる」姿、そしてそれを糧に考えて行動する姿って、本当に大きなメッセージだな。綾はつらい境遇にあるが彼女の姿が常子の背を押した。人が生きる姿にはそんな力がある #とと姉ちゃん
息子の件もあり三宅さんも気の毒なんだ。そんな優しい共感や同情が、彼の横暴を許してもいた。共感するから動けない、そんなことってあるよね。常子の行動原理にそれはない。かわいそうな人のために、ではなく「自分はこうしたい」、そして「大金持ちになれるかも」w あくまで自分の問題。
ととの代わりになって家族を支えたいという、一見、自己犠牲的なヒロインが、その利他的な生き方を貫くために揺るぎない自己を確立していって、自分(と自分のすべてである家族)を大事にしながら広い世界に打って出るって、すごい話だな。#とと姉ちゃん。大橋鎭子さんすごい人だな。
そんなパワーに人は巻き込まれていくんだと思う。今日の常子のプレゼンは魅力的だった。力があった。社長が思わず「失敗したら戻って来い」と言ったのも、生き生きと語る常子の姿とそのビジョンに魅了されたんだと思う。史実のぐっさん(違)が好意的だったというのも頷けるような。#とと姉ちゃん
もちろん、何か行動すれば人に迷惑かけることもある。失敗したり嫌われたりもある。迷惑や失敗を最小限にと心がけながら汲々と生きるか、「失敗しても何とかなる!迷惑かけた分をいつか取り返す!どんとこい!」と思ってどんどん行動するか。どんな生き方をするかは自分次第。
そして、本当に人に優しくできる人、大らかに受け止められる人って、行動派の人に多いような。それは、行動することによって、たくさん失敗したり人に助けられたりしてきた経験値からじゃないだろうか。感謝や、行動することの有意義や、失敗なんて些細なことさ、ってのをよく知ってるから。
とにかく口下手だし、共感を集めやすいヒロインじゃないし、常子って本当に難しい役だと思う。私も、高畑充希が豊かなキャリアと感性でニュアンスあふれる演技してるから、常子を理解できている(ような気がする)かも。#とと姉ちゃん 見て、高畑さんと仕事をしたいという作り手はますます増えそう。
「女はもともと太陽だった」という「言葉」が綾さんに元気を与え拠り所になっているんだ。「すすめ一億火の玉だ」と人々を狂わせたのも言葉なら、「原始女は太陽であった」と勇気を与えるのも言葉。 #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん 今日の回好きだなぁ。一見山師的行動だけど、見て知って考え悩む常子を丁寧にずっと描いていたからこそ、リスクも分かっていての敢えての行動なんだと分かる。もちろん社長への口頭の発言でも分かるのだけど、そこはおじさんに似て?軽いとこがまた好き(笑)
#とと姉ちゃん 走り出すと決意するまでの常子の静かさ、そして大胆な行動。常子って魅力的な人だな。明日から苦難の連続だとしても(笑)、わくわくする!
>RT パズル。ああ、これはすばらしい読みだなあ! 常子は「家を建てる」を目標にしてきた。自分たちの暮らしが大事にできる家。でもこれからできあがるのはきっと、多くの人の「あなたの暮らし」を大事にできるような、編集部なんだね。それが常子が建てる家なんだ。#とと姉ちゃん
正直、常子に雑誌作れる気がしなくてホント面白い。文学好きでもない。成績や記憶力もイマイチ。特別センスがいいわけでも、カリスマがあるわけでもない。そこで花山を始め、いろんな人の力が必要なんだね。一人じゃ解決しない #とと姉ちゃん ワールド。編集者、社長としての常子の描き方が面白い!
#とと姉ちゃん 名前が会社名なんて……と、歯磨きの頃から成長したかと見せかけて、恥ずかしがったの一瞬だった(笑) さすが常子。
#とと姉ちゃん 風来坊なおじさんに負けず劣らず山師体質の常子、そんな娘に負けず劣らず調子の良い母。スピンオフは、君子と竹蔵の出会いから三姉妹生まれるまでの純愛と見せかけてドタバタストーリー希望だな。あるいは「今、竹蔵が生きていたら」
#とと姉ちゃん 昨日の回で綾に会って「女の人の役に立つ本を作りたい!」とぶちあげたのに、蓋を開けたら外国人女性を参考にしたスタイル画オンリーという、吟味した様子のあまりない内容で嬉々として作ってるのは、花山参画までの溜めでもあるんだろうけど、常子らしいっちゃらしいんだよな。
五反田が長年書きためていた小説をやっと世に出すときの挿絵。花山はそれを断って、常子と雑誌を作るんだな。いや、そこまでにはこれからいろいろ経緯があるんだろうけど。五反田さん切ないな。花山のすっかりくたびれたおっさんぶりも切なかったけど。#とと姉ちゃん
スタアの装いを見た甲東の面々が「わからない」と言うの、よかった。暮らしの手帖って(まだ暮らしの手帖じゃないけど)ずっと昔からあって、いわば「大切なものを変わらず守り続けている」存在だけど、その始まりは、誰もやったことがない新しいものだったんだね。 #とと姉ちゃん
三姉妹の大金持ち妄想パート2。妹たちは以前とほぼ同じ、常子金歯になったw お金に苦労してきたからなあ。それ以外は以前と同じく「空っぽ」な妄想で、常子が本当に欲しいものはお金じゃない、お金は「大事な自分たちの暮らし」を守るための手段でしかないんだなと納得なんだけど→ #とと姉ちゃん
→かかの妄想がここで闖入! しかも何ぞ、あれ(笑)。子育ても終わり、君子の人生、新たな局面に入っていくのかなあ。なんか妙に不吉だったけどw 昨日の力説といい、ずっとおっとり気丈にしてたようで、君子も戦時中は本当にしんどくて、今すごい解放感を感じつつあるんだなあ #とと姉ちゃん
鉄郎はまあ今後も通常運転だろうからな。妄想もいちいち映す必要ないんだよね(笑)。それにしても向井さんが随所で良い演技するようになって、うれしいやら淋しいやら…何様な視聴者の勝手な親心だわー。 #とと姉ちゃん
妄想シーンに代表されるように、三姉妹(+母)を清く正しく美しく…に描かないのはほんといい。それやったら暮らしの手帖って聖人が作った宗教チックな思想になっちゃう気がする。聖人じゃない欲も得もある普通の人にも、その事業にも、私たちは敬意を抱くことができるよね?(続 #とと姉ちゃん
(承前)聖人が清く正しく作ったものを有難く押し戴くって、勇ましく美しい煽り文句で突き進んだ先の戦争と同様の状況になりかねない。もちろんお金儲けだけで人の心を掴むことはできない。その辺り、花山に絡めて描かれる萌芽は既にあり、モチーフに対して理解と敬意ある作劇だと思う #とと姉ちゃん
私は暮らしの手帖にもこの脚本家の仕事にも詳しくないいけど、だいぶ前にkanadoramaさんが暮らしの手帖関連本に寄せた西田さんの文章を読んで「この人にならついていける」とツイートされてたのが心に残ってて、#とと姉ちゃん 見てるとその気持ちが何となくわかるんだよな。
筆力がまだ足りないのかなとか、編集や演出が汲み取れてないのかなと思うとこはあるけど、西田さんは暮らしの手帖の思想(それは聖人の思想じゃなく普通の人の思想)にすごく共鳴して惚れこんで、これこそ今の時代に自分が書く朝ドラだと、魂込めて書いてるのが伝わってくるんだよね
創作作品の感想って、個人の価値観や好き嫌いだけじゃなく、価値観や好き嫌いのさらに底にある、道徳観とか「その人が思う正しさ」が表れると思う。それは、時代や家庭や環境などによって無意識のうちに刷り込まれている部分も多々あって、そういった内面化を含むのが個人の価値観や好き嫌いなんだよね
たとえば「多様性はすばらしい」とか「職業選択の自由、辞める権利」とか「どんな人の人生も保障され尊重されるべきだ」とかいう文言をダイレクトに聞けば、殆どの人は是と言う。それがポリティカルコレクトネスと知っている。でもそんな社会の実現が難しいのは、それを阻む内面化が私たちにあるから
母親がこんなに頼りないのは悪だ、実家の家族より伴侶との結婚のほうが幸せで選ぶべきだ、(ちゃんと退職願を出し理由も説明し雇用主が了解しても)世話になった会社に恩返し(?)しないうちに辞めるのは非道だ、金儲けのための起業は美しくない(からモデルはそんな人じゃなかったはず)etc・・・
目の前の友人や知人がそういう人だったり、そういう人生を選ぶのはたぶん許せるんだよね。でも一般論としては眉をひそめる、不快にすら思う。ある程度の道徳性が担保されてきた「朝ドラ」だからこそ、「一般的にはこうあるべきなんだ論」の内面化が感想として次々出て来る。とっても根深いなーと思う。
あさ来たが人気を集めたのは、もちろん脚本・俳優はじめ作り手のすばらしい仕事があったからだけど、視聴者が無意識のうちに内面化している「あるべき論」の中で作られていたからというのも大きいと思う。それが「朝ドラだから不快感を与えないように」ってこと。それも1つのポリシーだけど
その「あるべき論」に疑義を呈すことができるのも創作の役割の1つ。根深く内面化されている「あるべき論」・社会規範・「これでがんばってきてるんだからこれでいいんだよね」っていう気持ち…そこから踏み出して違うものを示す。その過程が気持ちいい物語になるはずはないから批判が出るのも当たり前
家族にしても、ジェンダーにしても、お金や仕事へのスタンスにしても、私たちは結局、いま内面化しているものを拠りどころに生きている。それが揺さぶられると足元がぐらつくような不安を覚え、それが忌避感、不快感につながる。とと姉ちゃんへの感想を見ていてもそれをすごく感じる。
いろいろ指摘されているように、とと姉ちゃんには物語としての弱さや不備もあるけど、「小さな物語」「普通の人々」「弱くても偏っててもみんなフラットな存在」「言葉を大事に」等の指向が明確にあって、現代人の内面化を超えていく意思を持っている。それは多分暮らしの手帖の原点に通じるもの
そしてそんな指向を、作り手は「いま大事なのはそれなんだ、そっちに変わっていったほうが結局楽で、みんな幸せになれるんだ」と思ってるんだろう。とと姉が青臭いほど理想主義だなと思うのはそこ。でも青臭いままでの挑戦、とてもいい。西田さんにはまた10年か15年後にも朝ドラを書いてほしいな
で、私はゲゲゲから朝ドラ見てきて(脱落もある)、朝ドラには巧さとか完成度、気持ちよさよりも、長い物語の根っこにあるもので好き嫌いを判断してるなーと思う。その根っこには、普遍性(人間の強さ弱さろくでもなさすばらしさ)を前提に、現代への批評性つまり未来志向があってほしいな…
と思ってて、その点、私も西田さんのこと言えないくらい青臭いんだろうw
さっき1つのポリシーと書いたけど、私はそういう「内面化されたあるべき論」に沿って、その範囲内にとどまる物語を朝ドラという国民的な枠でやるのには批判的だなと前作で自覚した。見てるときは気持ちいいけど、気持ちよくさせることで、問題を先送りにするどころかエスカレートさせるような…
人々が内面化している「あるべき論」が問題を含んでいたとしても、それを打破したほうがより良い社会になるとしても、現状の「あるべき論」に沿って創作したほうが・仕事したほうが、売れやすいし、支持を集めやすいよね。戦時中の新聞や雑誌、作家や画家たちもみんなそうだったように。
それに迎合した反省をもった人が(花山のように?)戦後のメディアや作家たちにもいただろう、でも経済発展という次の潮流に乗って売りだした人も大勢いただろう、そこには貢献もあり反省もある。では今は?今の潮流は? 今私たちが本当は手放すべき「あるべき論」は?ってのを書いてる物語、好きだ。
自己責任を厳しく貫くべき。人に迷惑をかけてはいけない、かけた人は袋叩きにする。母親は母親らしく、女性は女性らしく。弱い人貧しい人は相応に大人しく、へりくだりなさい。強いものには何となく巻かれる。難しいことは考えない。白か黒かの二項対立。私も苦しいんだからみんなガマンすべき。etc
今の潮流、日本人が内面化している「あるべき論」ってこういうのかなと思う。いかにも日本人的でもあり、日本人の特性に乗っかってまたグローバルな潮流とも相まってここ10?20年ほどでものすごく加速したともいえるかな。この流れを変えるのは本当に容易じゃないと思う。明後日、選挙だけど。
それでも「物語にできること」を考えてやっちゃう作家や仕事人たちもいて、というかそういうこと考えてなくても、そういう物語になっちゃう、そういう物語が頭から出てきちゃう作家もいて、それが彼らの業でもあるのかなと思う。クドカンや三谷さんや…。村上春樹もそういうことによく言及している
クドカンや三谷さんや村上春樹が支持を集めるのは、飛びぬけた巧さでもあるけど、やはりそういう「良き物語」が根っこにあるからだと思うし、西田さんがタイバニ?とか何か(良く知らない)でファンがたくさんいるのも基本同じなんじゃないのかなと、とと姉ちゃん見てて思ってる。大成してほしい作家
とと姉には定期的?に「行間論争」が起きるけど、それも「内面化された規範」への意識の有無の話かなーと思ったりする(無いから劣っているという話ではない)。内面化されたものに沿って作られたお話は、行間を読まずというか、すーっと入ってきて疑問なく楽しみやすい。自己の安定を脅かさない。
Twitterで朝ドラ感想を呟くタグが広まったのはゲゲゲの女房だと思うんだけど、あれが2008年?8年前か。なんか段々「これは叩いて良し」「これは褒めるべし」って二極化してきた気がするなぁ。
失敗すること、未熟なことがこれだけ叩かれる(ドラマの主人公が成長してゆくことを描こうと思えば、至って当然の描写に思えるけどなー)ってことは、仕事はナレでとんとん進み、新事業の話も優秀な人材も向こうから寄ってきてくるあさ来たはそりゃ人気出るよな〜。世のニーズに合ってたんだろうな。
この流れで行くと、製作者サイドに相当な気概がない限り美男美女がイチャイチャするキャラ萌え重視の、ストーリーは当たり障りのないものが主流になるんだろうな〜と思ってる。まぁ、大多数がそれを歓迎するならそうなるのも必定なのかな。ドラマはアーティストじゃなくて組織が制作している以上は。
#とと姉ちゃん に出てくる人たちは、こうあるべきやこうしたらいいのになどから少しズレた部分があって、途中それがモニョった時もあったんですけど、今はそれが身近に感じて愛おしい。気が利かなかったりズレた言動をしたり、こういう人いるいる、こういうことあるあるに、頑張れーってなります。
前作はそういうことがあっても即座にフォローしたりツッコミを入れる人がいて、それでバランスをとっていたと思うんですけど、現実問題、そんな都合良い人が周りに何人もいるなんてなかなかない訳で。途中からは雲の上の天人たちのラブの物語になっちゃったなぁ…と。それはそれで好きなんですけど。
でも、女性教育が必要だと思って人生をかけることになった経緯と、女性のやらかい力がなんだったのかは私にはついに最後まで分からなくて、そこは本当に今でも残念に思っています。私が女性のやらかい力を感じたのは、新次郎さんや亀助さん、正吉さんあたりの男性陣だったので……(笑)
あさ来たの「やらかい力」は第1回冒頭でぶちあげて主題かと思わせといて、最終的には完全にお題目状態だったもんなー。放送終了後の作家インタビューでも一度も触れてるの見たことない。
谷編集長。常子の退職プレゼンを意気に感じて「失敗したら戻ってこい」と言うも、仕事回さなきゃいけない現実に立ち返り新人を雇って、常子が来たら申し訳なさげにし、その相談じゃないとわかるとホッとする。女性のことはてんでわからない。とっても普通の、良い人。花山との対比だね #とと姉ちゃん
とっても普通で性格の良い、文学ひと筋できた男たちが、徴兵され戦争を経験して、文字の有難みをあらためて感じ、今また文芸雑誌を再興しようとしている。「新世界」も成功するといいな。#とと姉ちゃん
スタアの装いの類似誌たち。本物も贋物もごった煮になってる闇市。いや、本物はすべて失われたのかもしれない。常子たちだって粗悪な紙に外国人女性の服装をそのまま写しとって載せていた。失敗したご時世で何も持たないことを強みに、何が本物なのか、追い求める日々が始まるのかな #とと姉ちゃん
戦後には新しい希望もあるけど、それだけじゃない。カーネーションでは孤児たちや奈津、安岡家(周防家もだね)を通じて。ごちそうさんではかっちゃん戦死や米兵との対峙で、戦後にも戦争を振り返る優れた描写があった。#とと姉ちゃん では綾に続き花山の過去がその役割を担うし物語の肝にもなるね。
1年一緒に暮らして、鉄郎のほうも今まで以上に姪たちに情が移ってたんだろうね。でも新しいビジネスを追いかけたい欲が勝る。1回も成功したことないのに(笑)。鉄郎の「業」なんだろうなー。その姿を見て「もう一度」と奮起した常子にも同じ血が流れてるんでしょうなー #とと姉ちゃん
「男がいると安心」は自然界の現実だよね。力の強い者が先に食物にありつき敵を追い払える。でも小橋家は男がいないのがデフォルト、綾やお竜の家もそうだし、早乙女や多田も広義ではそう。そんな人たちでも安心して暮らせる平和な世の中を志向して作られるのが暮らしの手帖なんだろう #とと姉ちゃん
とと姉が、詰めの甘さ描写の足りなさのような点で批判されることはわからなくないのだけれど、常子の言動が批判されてたりするのみると、なんかちょっと怖いなと思う
チーフ演出、大原拓がプロポーズ週以来の登板! 戦時色深くなってから、深川も目黒もとにかく人がいないゴーストタウン的な様相を呈していて、非常に朝ドラ的(=予算が厳しい)でもあったんだけど、ここに予算を使うと決めていたんですねー。確かに戦時中より戦後を作りこむのが相応しいドラマだ。闇市も綾の家周辺もすごい。戦時中の虚無から戦後のカオスへ。劇的な変換が目に新しくて面白い。
五反田たちと再会する常子、綾の家に会いに行く常子、甲東出版を辞める常子、スタアの装い作りで浮かれる常子、そして花山を紹介される常子。高畑充希の演技がすばらしい。
そして脚本。ツイートもしたけど、「自分本位」「共感型でない」「普通の人々」「小さな物語」「言葉を大事に」っていう明確な志向、暮らしの手帖の思想を今やろうと思った作り手いいなと思う。全然違うっていう声もTLでは散見するけど、草創期に、同時代の人間として読んでいた読者はTLにはまぁほとんどいないだろう。読者には読んでいた時代や個人の環境に応じて「自分にとっての暮らしの手帖」があるんだと思う。それは人それぞれなんだと、あなたのも誰のも否定しないし比べないよね、っていう脚本。今大事なのはそういうことだよね、と。
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