『夜中の薔薇』 向田邦子

 

新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)

新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)

 

 

向田邦子の脚本作品は見たことがなくて、小説も3年くらい前に読んだ『阿修羅のごとく』だけ。生前の彼女の記憶もないし、あまり良く知らない。私の中で向田邦子と田辺聖子ってなぜかごっちゃになる傾向があって、この本も始めの20ページくらいまで、田辺聖子の著だと思い込んで読んでいた。ははは。あれ?なんか文章が違うな、って気づきました。

向田さんはもともと小説家というか文筆家を目指していた方じゃないから・・・かどうかはわからないけど、「うまい文章・うまいエッセイを書いてやろう」という感じが全然ない、気がする。もちろん文章は上手です。でもなんというか、すごくさっぱりしていて、潔い印象。

昭和50年前後に書かれたものが多く、40年昔になると暮らしの様子や社会通念的なものもだいぶ現代とは違うもので、それが面白くもあり、時に興ざめでもあった。「男とは、女とは、家族とは」のようなところのベースが、なんとも古いステレオタイプなのだ。一言で言えば多様性の許容度が非常に低い。それは向田さんがよくない、というのではなく、この頃はそれが一般的な考え方だったんだと思う。逆に言えば、40年でだいぶ変わった。それは、今後はきっともっと変わる、という希望でもある・・・はず。

そして、そういう古い「男とは、女とは」の社会の中で、向田さんは青春期を送り社会に出て、女ひとり仕事をしていたのだよなあとつくづく思う。今よりもっともっと厳しい覚悟が常に必要とされていたはずだ。そう痛烈に感じさせるのが、終わり近くの「手袋をさがす」で、これは向田さんがいわゆる「普通の、かわいげのある、女らしい道」とどう訣別し、今に至るかという自叙伝的なエッセイであり、現役バリバリの40代後半のころに書かれたものだから回顧録というにはあまりに色鮮やかで、肩に力も入っていて、その他のエッセイと比べるとかなり異色な色合いがある。それだけに、生々しく胸に迫ってくる。これを読んだあとで、最後の「女を斬るな狐を斬れ」を読むわけで、私は思わず泣いてしまった。潔く、厳しく、クールな人だったんじゃないかと思う。でもやっぱり優しい人だったんじゃないかと思う。

女学生時代は戦時中である。スカートの寝押しの話から始まる『襞』は、とりわけ心に残る一遍。

工場動員中に施盤で大けがをした友人もいたし、爆弾でうちも親兄妹も吹きとばされた友だちもいたが、だからといって笑い声がなかったかといえば、決してそんなことはなかった。
(中略)知っているくせに困った質問をしてオールドミスの家政の先生の顔を赤らめさせ、私たちはよく笑っていた。校長先生が、渡り廊下のすのこにつまずいて転んだというだけで、明日の命も知れないという時に、心から楽しく笑えたのである。女学生というのはそういうものであるらしい。

 

戦時中にも日常があり、日常には襞があったのだ、それらを奪うのが戦争なのだと思う。