『百合と腹巻』 田辺聖子

たぶん30年とか40年とかも前に書かれたものを、いろんなとこから集めてきて再録した短編小説集。図書館で何の気なしに手に取ったんだけど、すごくよかった! 貸出期間に2度も3度も読んだんだけど、あらためて買ってもいいな、と思うくらい。

この本の印象は「まあるい」。生きること、恋をすることに関する根源的な懐疑がない。人と人、男と女の交わりや喧嘩、歩み寄りや別れが、肩に力の入らない筆致で、ごく自然な営みとして描かれる。

時代背景ってものも関係しているんだろうとは思う。29歳とか32歳とかで独身で、大阪の真ん中で働いていてる女。なんてのは、当時では「きわどさ」を表す設定だったんだろうが、今では「あらー、楽しい年頃ね」ぐらいにしか思わないし、このころって、日本の社会そのものが、まだ閉塞していないんだよね。

今、リアリティーのある恋愛小説を書こうと思ったら、メールやネットは欠かせないし、そう景気のいい職業は多くないし、世の中には、誰がいつどうなってもおかしくない、という気分が蔓延…やっぱりギスギスしてはくるよなあ、と、あらためて思う。

でも、昭和40年代、50年代にだって、暗い小説はあったのだ。この、「まあるさ」は、やっぱり田辺聖子の持ち味ってもんでもある。

特に美男でもエリートでもない、むしろ「金時人形のような顔の下に猪首」だったり「ぼこぼこした顔に細くつり上がった眼」だったりするけれど、小説の中の言葉を借りるならば、「清らかな血が肌の下を流れているというようあ、清潔ななまめかしさのある」男たち。女と寝るだけじゃなくて、会話でも楽しめる男たち。どの短編の男も、すこぶる魅力的だ。

もちろん、男と会話して楽しめるだけの魅力が、女にもあるということ。「○○と話してると、おしゃべりがおもろいんで、つい時間がたってしまう」なんて男に言われるのって、なんて素敵なんだろう。洒落のめして気取った会話をするんじゃない。他愛なく、下品にもなれば哲学的にもなる、自由自在の会話は、読んでいてもとてもおもしろい。しかも大阪弁

最後の『薔薇の雨』が特に良かったなあ。このタイトルを冠した小説集もあるから、やっぱりもとから人気作品なんだろうな。物語のラスト、こうと決めた提示を作者はしていない。むしろ、男はすぐに追いついてきた、という終わり方。でも、あの二人は、やはり、別れに向かうんだろうな。切ないぜ。守屋さん超かっこいい。付き合いたい。

男と女の鷹揚な親しさを書いた小説たちの中で、『大阪無宿』だけは色合いが異なる。1作はこういうのを入れたくなる編集者の気持ちはわかる。陰影をつけたくなるんだよね。あじけなさ、孤独、そういうものも書く人なんだな、と素直に思ったし。会話文がうまいことで有名な作家だと思うんだけど、地の文ももちろんいいよね。余白がある。

巻末の作者インタビューは近年のもので、確かにお得感もあるのだけれど、なんだか種明かしされてしまったようで、余韻を損ねるような気もする。作者も、書いてから何十年も経ったからこその饒舌さなんだろうけども。