『源氏物語』熱、再燃中

図書館で、田辺聖子さんの源氏本を探したんだけど見当たらなくて、かわりに目に入ったこれを借りた。

紫式部の欲望

紫式部の欲望

  • 女とくれば手当たり次第の光源氏だが、血のつながった母娘には決して手を出さない(ex.六条御息所−秋好中宮、夕顔−玉蔓)
  • 関連して、紫式部は、母と娘を描くとき、娘のほうがみんな幸せになっている。女の子を産んだ式部の母親としての願いを感じる
  • 光源氏との仲が切れない朧月夜をずっと待っている朱雀院、なよなよしてイヤだったけど、この年になるととてもいい男に思える
  • 「世のおぼえ」「世の聞こえ」「世語り」など、この時代の人は世間体というものを現代以上に気にしていた

など、ふんふんなるほどな〜と。しかし、同じ作者の枕草子本に比べると、どことなく掘りが浅いように思えてしまうのは、酒井順子=女流随筆家という先入観が強いからか、あるいは、源氏物語には田辺さんにせよ瀬戸内さんや円地さんにせよ、“大家”と呼ばれる作家や学者が多くいて、無意識のうちに比較してしまうからか。ま、そもそもこの本は、どっぷり源氏ファンというよりも、ライトな読者層に向けて書かれているわけだからね。

何にせよ、私の源氏愛が久々に目覚めて読み足りない気分になったので、家にある源氏関連本を再読する日々。その中のひとつ、近藤富枝という人の『読み解き 源氏物語』に

いくら読んでもあきるということがなく、探れば探るほど宝物の現れる大蔵をもっているような気分でいるのがおかしい

という一節があって、わが意を得たり!と思った。

この本には原文や作中の和歌にも多く触れてあって、今までになく「し、式部、うまいぞ!」と膝を打ったりじーんときたりすることが多かったのは、今さら私の文章力、古文力が伸びたのでもなかろうが、年を経るにしたがって感覚が変わってきたというか、「いと、をかし」が身に沁みるようになってきたというわけだろうか?

源氏スキスキと言いながら、原文で読んだことはない。酒井順子さんも『紫式部の欲望』を書くにあたり、三十路を過ぎて初めて原文に対峙し数年かけて読み終わったらしい。確かに仕事でもなければ全文を読破するのは難しそうだけれど、私もいつかチャレンジしてみたいなあ。物語の筋は隅々まで知ったつもりでいるけれど、また全然違った感興を得るに違いない。

ちなみに私がこれまで読んできた源氏物語(周辺本ではなく物語本編)は、円地文子訳とか(私が読んだのは単行本版もおんなじ装丁。お習字の先生に借りたんだけど、子ども心になんてきれいなんだろうと思った)

源氏物語 巻1 (新潮文庫 え 2-8)

源氏物語 巻1 (新潮文庫 え 2-8)

瀬戸内寂聴訳とか(単行本版は違う装丁で、これまたすんごくきれい。これは持ってるので、今、再読中です。しかし買って20年も経つとさすがに表紙が擦り切れた感)、
女人源氏物語〈第1巻〉 (集英社文庫)

女人源氏物語〈第1巻〉 (集英社文庫)

あとなんといっても「あさきゆめみし」ですな! もうね〜これは少女のころから、何十回、何百回と読んでいて、セリフからコマ割からだいたい眼裏に思い描けるくらい。多少、大和和紀さんの脚色もあるけれど(桐壺と帝の出会いとか)、実はかなり原作に忠実に作ってあるのを大人になってから知って感動しました。これぞ金字塔、という大仕事だ!

文庫版とか愛蔵版とかでなく、発刊当時の講談社コミックスで全巻持ってたんだけれど、6巻だけをどこかに失くしてしまっていたのよね。今回のブーム(ってマイブームね)再燃で、ネット書店(中古)で仕入れました! 

この装丁のは多分とっくに絶版なのにね。んふふ、ありがたい時代ですこと。