『社会人大学人見知り学部 卒業見込』 若林正恭
ダ・ヴィンチで連載してたもの。オードリー名義で出した本もいくつか持っているので(そう!私はオードリーのファン気味なのだ・・・! 出演番組を追いかけたりはしてないけどかなり好きな芸人さんたちの一組)、面白いだろうと確信はしていたものの、笑えるのはもちろん、感動してちょっと泣きそうになっちゃったよ。
オードリー名義の本に赤裸々に書いてあったし、テレビを見ていてもわかるけど、若林ってネガティブなんだよね。本作にも思いきり、「ネガティブモンスター」という章がある。オードリーといえば売れない時代が長くて、春日が風呂無しの安い部屋に住んで貧乏生活をしていたのを一時期かなりテレビでやってたが、春日がそうだってことはもちろん若林も同じで、
相方はコインシャワーまでシャンプーしながら歩いて、ぼくはコインシャワーの洗面台で髪を泡立ててからシャワー室に入るぐらいの差であった。
らしい。昼は牛丼、夜は100円ショップのおにぎりやパンが半額になる23時以降に買いに行くのが定番で、
「事実、30歳の誕生日「ぼくも三十かぁ・・・」と二十代を振り返っていた時に「牛丼食ってただけじゃねぇか!」と叫んだ。
あたりまえだけどプロ芸人は文章も面白いよねw
お金がない、芸は認められない、電気を止められるなんて当たり前な生活でも、一向に努力する(芸を磨く)姿勢を見せない春日に苛立って「恥ずかしくないのか」と問いつめたら、3日後電話がかかってきて
「どうしても幸せなんですけど、やっぱり不幸じゃないと努力ってできないんですかね?」と真剣に言ってきた
という「春日」の章も相当面白くてかつ最後にはじんわりくるんだけど、そんな、「売れない時期もバカ売れしてからもずっと変わらずいつも楽しそう」な春日が、ネガティブモンスターな若林とコンビを組んでいるのがオードリーの稀有さ、魅力の源泉で、やはり春日は(大して面白くなくてもw)スターなんだと思う。
私たちの多くが共感するのは若林だ。
「何者でもない自分」に自信がないから、卑屈で、他人のことも厳しく見ちゃったり、世の中に悪態ついたり、狭い考えにがんじがらめになって身動き取れなくなったりする。電気を止められた経験はなくても、そんな自分を感じている現代日本人は少なくないはず。
だから、章を重ねるごとに社会人経験を積んでいく彼の成長がうれしいし、停滞には共感する。まるで、私たちの分身みたいに思えるんだよね。若林が。
実際には、星の数ほどいる芸人志望の人たちの中からスター街道にのって安定した活躍を見せている若林は、まさに「選ばれた人間」なんだけど、そう思えちゃうぐらい文章がうまい。うまいから、「わかるわかる!」「深い。面白いっ!」と引きこまれる。そんなふうにうまく書けるのが「選ばれし人間」の証左なんだけど・・・って無限ループにww
豪華な料理の食レポで美味しさを伝えなきゃいけなかったり、有名人のお宅訪問で高価な壺を褒めなきゃいけなかったり、アイドルみたいな笑顔とポーズで雑誌の写真を撮られたりすることに、若林は葛藤し続ける。権威の言いなりになっていいのか、ある価値観の宣伝カーみたいな役割をしちゃっていいのか。お笑いモンスターたち、スター性の塊たちと一緒に仕事をして、才能の無さに悩み続ける。己の社会人としてのマナーの欠如に冷や汗をかき、後輩への振舞いに試行錯誤し、自意識過剰を自覚してさらに自意識過剰になる。
全部ひとごとと思えなくてがんばってほしいと手に汗握って応援してるんだけど、そのままの君でもいてほしいとも思っちゃう。そんなエゴに引き裂かれながら、夢中で読める本です(笑)。
若林自身も、そんな読者の存在を感じながら書いているんだ、とわかって胸熱なのが、「暗闇に全力で投げつけたもの」という章。自分は人見知りで友だちも少ないけど、
もしかしたらダ・ヴィンチにも、自分と似たような読者がいるかもしれない。そんな人に万が一にでも当たればいいなと、まるで暗闇に全力で投げつけるように書いてきた。
と若林。連載開始後、「自分もずっとネガティブで考え過ぎだと言われてきた」という手紙や「ぼくは26歳のフリーターだけどこれからがんばります」という感想を読んで、すごくうれしかったのだという。その章はこう締められている。フリーターだからなんだっていうんだ、
自分で働いてお金もらって飯食ってんだから、原始時代でいえば自分で獲物捕えて食ってるのと一緒だよ。
それを真っ当に生きてると言わずして、何を生きてると言うのだ。
その感想を読んだとき、暗闇に全力で投げた本が君に当たったその音が、ぼくの耳にちゃんと聞こえたんだ。
・・・くーっ(笑)。言葉を武器に生きてる人の言葉だよね! 一人称が「ぼく」(しかも平仮名)ってのも超ツボです。