『とと姉ちゃん』 第7週 「常子、ビジネスに挑戦する」 ツイートと追記

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片桐はいりの東堂先生の魅力! とびきり個性的で、とびきり深い人間性を感じさせる・・・のを、とっても短時間で演じてる。脚本家と役者の信頼関係が生み出す連携プレーの見事さに胸が熱くなります。「カーネーション」の根岸先生のように、主人公は尊敬に足る師を得ました。

私にしたら、常子が「ビジネス」に挑戦するにあたって滝子やまつを頼らなかったのは当然と思えるんですがね。常子は東堂先生および青鞜に感化されて、「自分で仕事を成したい」と思ったのだから、暖簾を守るための知恵はたくさん持っていても起業のノウハウをもっているわけじゃない彼女たちでは相談相手に適さないのですよね。特にこの件で青柳商店に近づかないのは当然じゃないでしょうか。和解したとはいえ、君子と滝子は別居を続け、意図的に一定の距離を保っているのです。そこで自分が青柳の仕事に入り込んでしまっては、それを崩すことになります。滝子が自分を清の嫁にして継がせようとした目論見を知っているからなおのこと、小橋家のとと姉ちゃんとしては気軽には踏み込めないでしょう。

まぁそれより何より「自分の足で立ちたい」と思ったのが一番大きいですよね。それは青鞜を読みふけったあとの高揚感の描写から如実にわかりますよね。その意気は客観的に見れば未熟で危ういものでもあります。でも常子は今、そういう道のりを歩んでいるのです。若いのだから。自分で考えて動きたい性分なのだから。

そういうことを読み取らず常子の言動を批判するのは、まあ元からこのドラマが好きじゃないってことなんでしょうけどね。もちろん批判はあっていいと思います。肯定も否定も、どんな感想ツイートも多くの人に見られて、その感想についてまた感想を持たれるのがSNSという場所であるわけです。


君子や鉄郎、果ては常子を叩くTLのご意見の数々を見ると、現代は人の弱さや未熟さにものすごく不寛容な社会なんだなと思えてくる。ドラマの登場人物に対してそれほどの苛立ちや怒りを覚えるのは、自分が「こんなふうであってはならない、正しく良く生きたい、清く正しく強くなければならない。自分がそうなのだから他人もそうであるべきだ」って気持ちなのかなあ? 

元旦に立てた目標を月末には忘れて怠惰に流れるようなのが人間で、そんな人間だらけでも世界はすばらしい(ところもたくさんある)と思うんだけど、そういうのが作中のツッコミなしで描かれるのは許されないみたいだ。そうやって不寛容になり排他的になればなるほど世の中は良くなるどころか悪くなるように思えるが、この流れは止められないんだろうか? でも、そういうことを考えさせて、なおかつ希望を捨ててないのがこの物語。多少の粗削りがなんだっていうのでしょう、と思いますね。物語のホワイト・マジックを発動しようとしてるドラマはどうしたって応援したくなります。「今週、面白かったー!」という直球なツイートもたくさん見ました。