『とと姉ちゃん』 第7週 「常子、ビジネスに挑戦する」 ツイートと追記
脚本も演出もすごく良かった、第2部の初日。一見、何も変わらないような日常が続く中に現れた、鮮烈な先生。新しい出会いでアイデンティティの大きな要素を作っていくだろう主人公と、今は聞き流す程度だけどだんだん前面に出てくるだろう時代背景。新章に入った掴みは抜群! #とと姉ちゃん
常子が青鞜を夢中で読むシークエンスがすごく良かった。あの年頃ってああいうのめり込み方するよね。思いもしないところからの光に照らされたような。森の中に知らない一本道を見つけてずんずん進んでくような。読み終わるといつもの世界がまるで違って見える。そういう体験あるよねぇ。#とと姉ちゃん
女子の給料が男子の半分であると紹介され、あぐら問答の後で東堂先生が読み上げるときはテロップ付きで。2回目は常子の声だけで読み上げられる「青鞜」の冒頭。その後に補足説明はないけど、すっと入ってきたなあ。「できる限りのことをし、心のすべてを尽くして生んだのがこの青鞜」#とと姉ちゃん
あぐら問答にしろ青鞜にしろ、過激思想なんかじゃないんよね。社会で当たり前とされていることを、私たちは疑いなく受け入れて当たり前としがち。でも疑問を持っていいんだよ、そこから始まることもあるよ、と。それは常子が目を輝かせたように本来は希望になるはずだけど、ああ時代… #とと姉ちゃん
鮮烈な出会いと変わらない日常、その背後で聞き流されるラジオの不穏な内容。なんて絶妙な忍び込ませ方をするんだろう。脚本家のここからに向けての気合を感じる。戦争は命や物を奪うだけでなく、平穏な生活を、そして「自分の頭で考えて行動できる自由」を奪っていくんだね… #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん 職業婦人の給金が男性の半分以下で、自営業なのに男が休んでいるときも働く女。今と大して変わってねえ。そこに東堂先生のお話と青鞜。こういう描写を待っていたんだよ。時代が違うけど描き方で何とでもなったはずという前作(比較は本当に野暮だけど)で残った不満が今日埋まった。
RT そうなんだよね…。前作、炭鉱の女たちは、仕事のあと酒飲んでバカ騒ぎする男たちを優しく見守っていた。自分たちは炭鉱・家事育児と休むことなく働きながら、笑顔を絶やさず、常に明るく。それを「すばらしい女性たちだ」と褒め称える文脈だった。これも「柔らかい力」なのだ、というように。
あー朝から常子といっしょに清々しい気持ち!東堂先生、ありがとう!元気でた。どうしても無意識に女だからとストッパーをかけていることがある。人としてやりたいことはやればいいんだよね。 #とと姉ちゃん は本当に女の人を応援してくれているなと感じる。
片桐はいりさん、いいわぁ。この東堂先生に片桐さんをあてるキャスティングもいい。片桐さんの知性とユーモアが生きてる。 #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん これは、とても難しい役を脚本の西田さんは片桐はいりさんに託したな、と。
はいりさんが読み上げる青鞜の創刊の辞がかっこよすぎて、何度もリピートしたい #とと姉ちゃん
@emitemit 東堂先生は、なにも行儀悪くなれと言っているのではなく、思考停止せずに当たり前とされていることも一度自分の頭で考えてみて、と生徒たちに伝えたかったのですよね。この時代に女性の自立を呼びかけた人がいて、その教えが人の心を動かす描写にはワクワクが止まりません!
うちBS映らないんで録画で再見。先生のあぐら姿がかっこいい。先生の話を聞く常子の表情がすばらしい。青鞜に夢中になるうちに過ぎてゆく時間の描写と常子の少女らしい声が、'70年代の文学的少女漫画のモノローグみたい。そして千切りキャベツ持ち上げる顔がやっぱり菅田くん! #とと姉ちゃん
夜どおし青鞜を読みふける鞠子の表情もよかった。同じ雑誌を読んで同じように夢中になっていても、常子とはまた違う、静かな集中の仕方。#とと姉ちゃん
ご機嫌で鼻歌を歌うバックでナレーションが心情を説明してた常子と違って、「景色が変わって見えた。霧がサーッと晴れたような」と感動を的確に言語化する鞠子。普段から勉強家で読書好きなのがよくわかる。そんな彼女が自分の進路については口をつぐむ。悩んでるし言い出しにくいよね。#とと姉ちゃん
ととが生きていたころは万事お行儀よかったのに、今はちょいちょいラフな口調や所作が入るのは割とリアルだと思う。女所帯になると自然くだけがちになる感じ。共学より女子高のほうがあけっぴろげだったりするアレ。ざっくばらんな森田屋など家の外からの影響も昔より大きいだろうし #とと姉ちゃん
昔の「暮らしの手帖」知らないけど、常に美しくお行儀の良い暮らしをしてる人たちの雑誌だったのかな? 戦中戦後を経た人たちが作った「暮らしを大事に」という価値観は、落ち着いて優雅なというよりは、何かもっと切羽つまったものだったのではないかと想像したりする。#とと姉ちゃん
猪突猛進な常子がすぐに「男の人のようによいお給金の仕事について家族を養いたい」と言葉にできるのに対し、クールな熟考型の鞠子が言葉につまるのよくわかる。 #とと姉ちゃん
昭和11年春とテロップ。二二六事件後の戒厳令下を示す新聞記事。ここから敗戦までをどう描くかすごく興味がある。昭和6年の満州事変から数えて「15年戦争」といわれる。学徒出陣や空襲が始まってからだけじゃなく、それ以前の経緯(朝ドラならば庶民の暮らし)を描くの大事。 #とと姉ちゃん
昭和6年満州事変、昭和11年に二二六事件、12年盧溝橋事件。南洋で玉砕が相次ぐのは昭和18年頃から、本土空襲はそのあと。そこまでいく前になぜ止められなかったのか?どうしようもなかったのか、とカーネーション見てる頃もすごく感じてた。#とと姉ちゃん 昭和11年、まだまだ呑気な男たち。
花アンとあさが来たを通して朝ドラという一種のお茶の間ドラマで思想だのなんだのを描くのは難しいのかも(言葉が鋭利なためやや暴力的になってしまうのかも)と思っていたけれど秘めたる想いを持つ少女が夜雑誌を読み耽り心が解きほぐされていく描写とても良い。10代らしい。 #とと姉ちゃん
雑誌もラジオもテレビも絵画も小説も、何かを受容する余地や余白でいっぱいで、常に何か未知のものを求めていた思春期の心に雷を落としたり風を吹き入れてくれる存在であったことを思い出しました。暮しの手帖という発想が生まれてからの描写が楽しみかも。 #とと姉ちゃん
東堂先生の目がすごい。自分に注がれる色んな視線を見つめかえしてきた目だ。自分を変人とみなす人、常子の様に感化されて夢を語る人、鞠子の様に胸にひめた人をみてきた目。東堂先生が、片桐はいりそのもののように感じる。 #とと姉ちゃん
まあ、滝子やまつは、事業を興したわけじゃないからね。もともとあった店をやってる=家を守ってる感覚だから、何も持ってない常子には参考にしにくいんじゃないかしら。看板を守る苦労はこれから描かれるんだろうけど #とと姉ちゃん
「真っ赤なシャツ」が人物像につながる時代だよなー。「赤シャツ」がそのままあだ名になった時代からは下ってるけど、色とりどり(特に原色)の洋服、あふれてなかったはずだもんね。「戒厳令下で」の一言も効いてた。#とと姉ちゃん
お金を儲けるという、それがそのまま家族のためになることをやりたい常子と違って、鞠子の勉強したい欲は「誰かの役に立つ」ことに直結しないから言い出しづらいよね。 #とと姉ちゃん
次男の鉄郎は、学校どこまで行ったのかな。次女の鞠子にも何らかの、意外に役立つアドバイスくるかな。#とと姉ちゃん
繰り返し描かれる隈井の酒癖の悪さ、いずれ何か本人に返ってくるんだろうな…。いずれ、酔ったはずみで大本営の悪口とか大声で言っちゃいそうで怖い… #とと姉ちゃん
あのいい加減な鉄郎叔父をそのまま鵜呑みにしないで、踏み台にしようとしてるな常子。ちゃんと商売の「実(じつ)」を見出そうとしてる(感心) #とと姉ちゃん
そしていかにも朝ドラヒロイン的な「みんなのためになることがやりたい」常子への星野のアドバイスが「まずは自分のほしいものが何か、なぜほしいのか考えてみろ」なのが面白かった。それがそのまま暮しの手帖に結びつくのね #とと姉ちゃん
雑誌がひとを元気にする!とか、ひとの役に立つロングセラー商品とか、「暮しの手帖」にじわじわと繋がりつつある。それまで常子が迷子になったり寄り道したりはあるだろうけれど。#とと姉ちゃん
ほんと、このままいけばあと3年くらいで暮らしの手帖創刊できそうだけど、戦争があるからな。本当に多くが止められ奪われた時代だよな。#ごちそうさん で出征前の菅田くん泰介が「野球もしたいし酒も飲みたい、僕にそれを許さなかったこの時代を絶対に許せへん」と泣いたの思い出す #とと姉ちゃん
そして、不景気の影響モロに受け、バカ騒ぎもしにくいという、時代の閉そく感を強く感じている森田屋の人々は、やがて開戦や快進撃の大本営発表に手を打って万歳したという当時の世間を代表するような反応をとりそうな気が。#とと姉ちゃん
暗いご時世、自分の生活にも閉塞感…って中で胸がスッとするようなニュースにみんなが万歳、って点では、開戦の発表に大喜びした戦中の日本人と、東京五輪開催決定時の現代日本人、同じなんだろうな。蓋を開けてみればあれもこれもお粗末で、なのに引き返せなくなってるのも同じか…
大本営発表に喜んだり鵜呑みにしたりという、かつての日本人の姿を愚かで不幸なものだと見がちだけど、今の私たちも、政権が望む姿を甘受してる点では同じなんだよね。朝ドラでも、お家のために置かれた場所でがんばる姉妹、没落しても自助努力のみで頑張るはつが描かれて絶賛されてたように。
今日の #とと姉ちゃん を見て改めて2・26事件について調べてみたら思っていたより凄い内容でガクブルした。私が受けた日本史の授業では近代史のあたり割とサラッと流されてた気がする…よ?
#経世済民の男 でオダギリさんが演じた高橋是清も二二六事件で撃たれ死亡。82才で…。是清は軍部にハッキリものを言う数少ない人間で、そういう人がどんどん暗殺されていくので、どんどん何も言えなくなっていったんだよね。ちなみに妻役はミムラ。女中で妾役は松岡茉優だったね #とと姉ちゃん
シロートが思いつきで怪しげなモノ作りするの、めっちゃ朝ドラらしい風景だなあ。多少なりとも史実に準拠してるらしいし、主人公の経験値として生かせるし、そりゃやるよねぇってエピソード。#とと姉ちゃん
綾さんが青鞜をお求めになってたことにびっくり。お見合いを薦められてときめいたり、卒業後は良き殿方とご結婚するご令嬢の第一人者みたいな綾さんにも、東堂先生や青鞜の考えが響くところあったってことかなー。それを内緒にしてるとこがまた、かわいい綾さん。#とと姉ちゃん
すごいわね、と言われた常子が「性分よ。そのほうが楽なのよ」と答えるのがとてもよかった。パッと行動する人も、じっくり考える人も、どちらもそういう性格で、どちらも強みであり時に弱みにもなるんだよね。 #とと姉ちゃん
やってることは突拍子もないことのようだけど、姉妹の会話はごく何気ない普段の会話みたいで、常子の行動よりもその考え方が鞠子にも響いていく感じがとっても良いなぁ。#とと姉ちゃん
なんか泣く話じゃないけど、こういう風に伸びやかな発想が周りに枠にはめられず潰されず育まれていくことに泣きたいほど感動してしまう #とと姉ちゃん
今日の常子を見てると、「人を動かすのは言葉だけではないんだ、その人の行動そのものも強力なメッセージ」という感じがする。まりこちゃんは常子の行動を見てものすごく刺激されてる。 #とと姉ちゃん
向井理のスタイルが良すぎて全身が映ると話が入ってこなくなりそうになるときは、「リアル白洲次郎もまさにあの時代にあんな体型だったのだ」と言い聞かせてます #とと姉ちゃん
まあ、人のレシピをまるっと頂戴して小娘3人で家内制手工業。穴だらけのプランなのは当然。一応粗利ぐらいは計算してたけど、事業として継続できる見込みは薄いわな。でも若い人たちなんだし、そんな経験からでも何かを得るもので。 #とと姉ちゃん
「男並みに」とか大金持ちに…的な発想は、常子の若さゆえの浅はかさだよね。肝心なのは「女だからとあきらめないで挑戦すること」って先生の言葉に感銘を受けて実際に行動したこと。行動には、失敗や人への迷惑も必ず伴う。でもそれを含めて人は行動から多くを学ぶ、それを経験という #とと姉ちゃん
ととが生きてたころはあんなに行儀良くいい子だったのに・とと代わりになると健気に誓ったのに・それに引き換え今は…みたいな意見を少なからぬ数見ると、『流星の絆』の「遺族が笑って生きてちゃいけないのか?」みたいなセリフを思い出したりする。#とと姉ちゃん
このドラマは常子目線の撮影だから、父との思い出時代は美しく、浜松時代はロー、深川に来た頃はハイアングル。意地悪な級友たちは常子にもっと大事なことがあった(本質的に苦にしてない)ため一面的なモブ、今週はやる気満々でイケイケ状態(でも子どもだからやってることはザル)。#とと姉ちゃん
10代半ばといえばまだ子供、世間知らずで無神経で考え足らずなところがあって、人の言葉にコロッと感動しホイホイ動いて調子に乗って失敗しても、そーゆーこともあるだろうと思うし、父があの竹蔵だろうが、父を亡くした健気な #とと姉ちゃん だろうが人間そういう時期ってあっていいじゃないと
よし!やってみよう!と行動してみる主人公。当然未熟だから多分失敗しますが、長い目で見ればこれも経験だよね。というエピソードに対して、アレがコレがけしからん、って姑ちっくなダメ出しが相次いでいるのを見ると、この描き方じゃ長編ドラマの文法が全然伝わらない時代なんだなーって思う
星野母が作ってた程度の歯磨き粉なんだから、基本的に素朴な原料で、たとえ効能が無いにせよ人体に害するほどのものでもなかろうし、借財背負えなくなるほど大量生産もしないだろうから失敗もそこそこで留まるだろうし、「失敗したけど何かを得たよね」ってエピになることは明白なように見えるんだが
「女だからって諦めてしまわないで」という先生の言葉に奮起して踏み出した第一歩、ってのが大事なとこなのに、なってないとか手伝いはどうしたとかいうTL、行動する人の瑕疵をあげつらって引きずりおろす社会の縮図っぽいな。失敗してもいいじゃない、と背中を押した君子は欠点もあるけど良い母だね
ととの代わりをすると約束したけど、ととじゃなくて「とと姉ちゃん」だよね、ってことになったんだし、だからってたかが15,6歳の常子にいつも完ぺきにそれをこなせるわけない、空回りするのも時に自分中心になるのも当たり前。それをよくわかって見守ってる君子はちゃんと親してるよね
後先考える力の弱いまま行動して、転んだりぶつかったり失敗したり、人を傷つけたり迷惑かけたりもするだろう、でも行動してその痛みも味わったからこそ次に進める、何かを成す人はそれ繰り返して辿りついていくんだろうね。人生は、充分なレベル上げしてからボスキャラに挑めるゲームとは違うもん。
でも、未熟な人間がいちいち転んだり人とぶつかったりしながら進んでいく様子は現代では炎上案件でしかなくて、だから行動する主人公を描く時は、すんまへん堪忍だすと連呼したり、人間できた旦那様にお口をつままれたり、何でだす?のあとも即引き下がらないといけんのだろうなって構造わかるけど嫌だ
鉄郎がいる限り暮らしの手帖が無事に創刊されるのか不安になる流れであった #とと姉ちゃん
しっかしまさか向井さんのガマ口上聞ける日がくるとは・・・ドキドキしちまったでねーのw がんばった、がんばった。あとでもっかいリピートするわ #とと姉ちゃん
TLみたら鉄郎さんの集中砲火すごいですね。このドラマでは、君子を責め、鉄郎を貶し、常子にダメだしをする視聴者が少なくないんだなー #とと姉ちゃん
鉄郎があれぐらいクズなのはこれまでの描写で見えてたと思う。可愛げはあるよ。向井さんの演技(笑)。新しい挑戦に舞い上がってる常子(を始めとした小橋家)が鉄郎にホイホイ乗せられちゃうのはしょうがないですね。#とと姉ちゃん
弁当に歯磨き粉つけるのを渋ってた大将を酒と女の弱みで説き伏せたり、ヤクザが鉄郎の借金を口実に歯磨き事業を巻き上げたり、こういう(一部の)男社会の「ビジネスルール」に女性(や真っ当な感覚の男性)が切り込んでいくのは大変だよなぁと思うし、昔の話でもないのだろうな。 #とと姉ちゃん
RT あ、なるほど。昨日、鉄郎が宗吉を篭絡する場面、なんか気持ち悪いなーと思ったら、弱みにつけこんで巻き上げるやくざ者と同じ種類のゲスさとして描かれてたのか。#とと姉ちゃん
酒と女みたいな夜の付き合いを仕事につなげること。怪しいところからお金借りること。仕事にはいろんなやり方があるのを経験して、これは嫌だなとかこれは危ないなというのを排除し、こうありたいなというスタイルを作って、暮らしの手帖の運営の仕方につながるのかな #とと姉ちゃん
常子がなぜ叔父の借金肩代わりすると張り切っているのかというと、念願だったビジネスに参入できることになって舞い上がっているからだと思う。随分世間がわかってはきたけど、まだまだ子どもだし、ビジネスでは完全なる新参者。ととになる…という決意とは別物だと思うな。#とと姉ちゃん
今日で半ば確信したんですが、常子ちゃんと鉄郎叔父さんってあらゆる側面で正反対に描写されてて面白いなぁ、とw 利他主義な常子と自己主義な鉄郎。家を持つ夢がある常子と家を持たない鉄郎。靴をきちんと揃える常子と玄関以外から入る叔父さんw でも驚いた顔は凄く似てて笑ったw #とと姉ちゃん
鉄郎叔父さんはととや常子ちゃん達が大切にしている「何気ない日常」を全否定とまではいかなくともその対極にいる訳で。そんな人が日々の暮らしがテーマの雑誌を起ちあげるきっかけを与えるのが凄く興味深い…戦争がきっかけで考えが変わると言うより彼の根底にもあるのかも知れない。 #とと姉ちゃん
片桐はいりの東堂先生の魅力! とびきり個性的で、とびきり深い人間性を感じさせる・・・のを、とっても短時間で演じてる。脚本家と役者の信頼関係が生み出す連携プレーの見事さに胸が熱くなります。「カーネーション」の根岸先生のように、主人公は尊敬に足る師を得ました。
私にしたら、常子が「ビジネス」に挑戦するにあたって滝子やまつを頼らなかったのは当然と思えるんですがね。常子は東堂先生および青鞜に感化されて、「自分で仕事を成したい」と思ったのだから、暖簾を守るための知恵はたくさん持っていても起業のノウハウをもっているわけじゃない彼女たちでは相談相手に適さないのですよね。特にこの件で青柳商店に近づかないのは当然じゃないでしょうか。和解したとはいえ、君子と滝子は別居を続け、意図的に一定の距離を保っているのです。そこで自分が青柳の仕事に入り込んでしまっては、それを崩すことになります。滝子が自分を清の嫁にして継がせようとした目論見を知っているからなおのこと、小橋家のとと姉ちゃんとしては気軽には踏み込めないでしょう。
まぁそれより何より「自分の足で立ちたい」と思ったのが一番大きいですよね。それは青鞜を読みふけったあとの高揚感の描写から如実にわかりますよね。その意気は客観的に見れば未熟で危ういものでもあります。でも常子は今、そういう道のりを歩んでいるのです。若いのだから。自分で考えて動きたい性分なのだから。
そういうことを読み取らず常子の言動を批判するのは、まあ元からこのドラマが好きじゃないってことなんでしょうけどね。もちろん批判はあっていいと思います。肯定も否定も、どんな感想ツイートも多くの人に見られて、その感想についてまた感想を持たれるのがSNSという場所であるわけです。
君子や鉄郎、果ては常子を叩くTLのご意見の数々を見ると、現代は人の弱さや未熟さにものすごく不寛容な社会なんだなと思えてくる。ドラマの登場人物に対してそれほどの苛立ちや怒りを覚えるのは、自分が「こんなふうであってはならない、正しく良く生きたい、清く正しく強くなければならない。自分がそうなのだから他人もそうであるべきだ」って気持ちなのかなあ?
元旦に立てた目標を月末には忘れて怠惰に流れるようなのが人間で、そんな人間だらけでも世界はすばらしい(ところもたくさんある)と思うんだけど、そういうのが作中のツッコミなしで描かれるのは許されないみたいだ。そうやって不寛容になり排他的になればなるほど世の中は良くなるどころか悪くなるように思えるが、この流れは止められないんだろうか? でも、そういうことを考えさせて、なおかつ希望を捨ててないのがこの物語。多少の粗削りがなんだっていうのでしょう、と思いますね。物語のホワイト・マジックを発動しようとしてるドラマはどうしたって応援したくなります。「今週、面白かったー!」という直球なツイートもたくさん見ました。