『とと姉ちゃん』 第19週 「鞠子、平塚らいてうに会う」
鞠ちゃんがはっきりとした努力を重ねてなさげだから、この悩みが等身大でリアルなんよねぇ。夢に向かってがむしゃらに努力できる人間がまずひと握り。なんとなく年月は過ぎていくもんね。。。 #とと姉ちゃん
君子にしても水田にしても、母や恋人の立場で「待つ」といえるのはなにげにすごいこと、あれほど一喜一憂するたちなのに鞠子の真意を知ったら落ち着いて受け止める水田は大した器やね。自身の体験談とかに走ってしまいそうなところ鞠子に響きやすい助言をする東堂先生もさすが #とと姉ちゃん
甚大な努力なしに夢が叶わないのは当然としても、だからってそんな人間に悩む権利がないわけじゃない。折々の節目で自分を振り返り、立ち止まって悩みながら、自分なりに折り合いをつけたり踏み出したりしてゆくもんだと思う。正解のない問題だけにどう描いていくか楽しみ #とと姉ちゃん
青鞜。東堂先生の凛とした朗読。未来はまだ何もわからない女学生常子の朗読。そして特別な何者かになれずに大人になって久しい鞠子の朗読。ひとつの文章がいろんな時代、いろんな人間に、いろんな読まれ方をする。そのたびにぐっとくるなあ #とと姉ちゃん
平塚らいてうの家のセットがすごい! #とと姉ちゃん
すごいなー、真野響子の演技の深み。「ゆとりですが何か」に続いてまた強い印象を残す役だなあ #とと姉ちゃん
平塚らいてうがお汁粉記事を寄稿したのは史実らしいけど、そこから逆算しての、常子星野のお汁粉デートだったんだろうか #とと姉ちゃん
ぶれないだけがすばらしいわけじゃない。物語の主人公たりえなくても、「あなたの暮らし」は等しく尊い。勇ましく革命的な文章を書いた人もそれに胸震わせた人も、「美味しいお汁粉の作り方」の大切さを伝える。鞠子に光を当てることでドラマのメッセージがさらに深まるなあ。いい展開 #とと姉ちゃん
んー。さらっといったな、って印象。「変わるのはいいことなのよ」の話の続きも、らいてうの言葉を鞠子が受け止める過程も、もうちょっと詳しく、突っ込んだところが見たかったなー。迷っていた結婚を決めるのも。鞠子らしいっちゃ、らしいんだけど。#とと姉ちゃん
常子は妹たちを嫁に出すと目標に掲げながらも、適齢期とか交際何年とか気にして急かしたり先回りすることなく、基本的に本人にまかせて見守ってきたよねぇ。その結果の鞠子の結婚は感無量だな。結婚がめでたいというか、自分の人生自分で決めた妹を見届けるのがね。竹蔵も喜ぶだろう #とと姉ちゃん
んで、「結婚は自分の意志で決めるけど、仕事を続けるという選択肢はまるでない」作劇は面白いなと思う。前者は、小橋家の家風によって当時の普通と違うところ。後者は当時の普通であり、鞠子の性質上もそうなるだろうなっていう。両方を取り入れたのが何か妙な説得力に #とと姉ちゃん
弾むように働く今週の鞠子を見ると「仕事辞めるのもったいないな」と思うんだけど(寿退社を迫る会社でもないしさ)、これはこれで面白いな。「それが彼女の決めた道だから最善なnだろう、私が何も言う筋合いないけど、ちょっともったいないな」って現実の友人の結婚への感想みたいな。#とと姉ちゃん
ところで「花子とアン」をサッカーW杯ブラジル大会開催を機に視聴リタイアしたの思い出す昨今。今の五輪同様、時差で早朝にやってる試合を見て、すごく興奮したり感動したあと、朝ドラでモヤモヤした気分になるのが非建設的で良くないなって思ったんだよね。で、見るのやめたら実にすっきりした。
結果的に(作家性が出る傾向にある)戦時中を見なかったのは、自分の朝ドラアーカイブ構築的に惜しいことしたかなって思うけどね。でもドラマ見ちゃったらTLに流れてくる感想にも目が留まるし、そういうの見るとどうしてもひきずってしまうので、やっぱりリタイアして時間を大切にできたと思う
高学歴の鞠ちゃんが結婚退職してしまうんだったら残念だなあと思ったけど、その問い自体が今週のテーマみたいなもんだった。(まだ水曜日だから結論は出せないとはいえこの作品の作風からして掘り下げなさそう) #とと姉ちゃん
平塚らいてうは、別に拳を振り上げて権利を主張する、ことを否定もしてないし、やめたわけでもないのでは…あくまで「あなたの暮らしにふさわしい原稿を」という事とアプローチの方法を色々身につけただけであって…拳振り上げて権利を主張することの大事さも理解してると思うけどな…
なんか「拳振り上げて戦う」こと、と「しなやかに攻撃をかわす」こと、は別に対立構造にあるわけじゃないのに、対立させて「権利を主張するフェミニスト」の方法への攻撃に転化させるようなはなしってあって、とと姉ちゃんは、それはしないんじゃないかな、と思う。ここまで見てると。
「あさが来た」は私は、宜ちゃんや平塚らいてうで「声高に権利を主張するのではなくするっとかわして行動することが大事」みたいに言っているような気がして、昨日の壇蜜さんの件みたいでもにょってたんだけど、
その平塚らいてう先生をもって「人は変わるもの、それは素晴らしいことです」と言わしめ、「あなたの暮らしに相応しいもの」としてごましるこを出したのが、今回よかったなと思ったのです。「どちらか」ではなく「どちらも」にしてると思った。
本当にいろんな意味で親は子どもを育むなあ。常子がこんなにしっかりしたのは、父の不在と母のおっとりゆえだったりする。でも常子がいつも安定していられるのは、どんなときにも承認してくれる君子の存在が大きい。君子は完ぺきじゃなくても良い母だ。完ぺきじゃなくていいんだよね #とと姉ちゃん
そして君子が「自分と違う幸せ」を生きようとする常子を自然に認められるのは、夫を亡くしていわゆる標準的な家庭でなくなったり、戦争という非常時も共に過ごしてきた経験も大きいのかもしれない。当たり前に思えることだけの中で、それを疑わず生きられる環境じゃなかったから。#とと姉ちゃん
多様なものを見る、触れる経験は本当に大事なんだね。らいてうの「変わるっていいことなのよ」にそれ以上の説明がなかったのは、今日の君子と常子の会話が答えになるからだったのか。短い会話でもすっと入ってきたもん。彼女たち親子の歩みはこれまでずっと見てきたから。#とと姉ちゃん
多様なものを見る、触れる経験は本当に大事なんだね。らいてうの「変わるっていいことなのよ」にそれ以上の説明がなかったのは、今日の君子と常子の会話が答えになるからだったのか。短い会話でもすっと入ってきたもん。彼女たち親子の歩みはこれまでずっと見てきたから。#とと姉ちゃん
今日も見かけたんだけど、#とと姉ちゃん を批判するときに脚本家が芸人として成功しなかったことを持ち出すの本当に不愉快。脚本家も芸人も大衆に見られる職業とはいえ、作品批判を超えて中傷だと思う。軽口めいたものでもやめて頂きたい、そういう塵ツモで悪質なdisまで出てこれる雰囲気になる
2ちゃんのアンチスレならいざ知らず、そういう中傷をtwitterで平然とやる人が1人2人じゃないのが、良くない傾向だなーと思う。ヘイト社会っていうか。「そういうふうにタグが荒れるのも作品の質が悪いから」と言う人もいるが、これは作り手に負わせることじゃないと思うな。受け手の問題。
ごちやカーネを見てもわかるように、のちに名作秀作と評価が定まっても、リリース時には賛否両論吹き荒れたものも少なくない。とと姉が名作というわけじゃなく、絶賛だけ集まる=名作じゃないってこと。それ以前にどんな迷作・駄作だろうが作り手を中傷したり尊厳を貶めたりが許される空気はよくない。
朝ドラが書けるなんて脚本家を志望する人全体のうち、ほんのわずかな割合。日本代表レベルだろう。書いたものがどうかはまた別の話だけど舞台に上がれた時点で転職大成功。そんな彼を嫌いなのも軽蔑するのも個人の自由だけど、「芸人で成功しなかった=しょせん失敗人間」みたいな烙印は違うでしょ
今日の息子6才と #とと姉ちゃん。・白打掛を見て 「つるがいっぱいかいてある。うすーく」 ・最後の夜の語り合い 「みずた おらんやん」「みずたまり・・・・くくく」・花嫁を見にきたご近所さんたち 「みずたが まだみてない、みずた」・披露宴「はなやま ぜんぜんわらっとらんな」
伊佐次の祝辞の異様な迫力よw #とと姉ちゃん
花山と常子、ネタかぶり(笑)。でも、おかげで常子は自分の本当の気持ちを言葉にできた。花山、ナイスアシスト! #とと姉ちゃん
国・内閣・味噌汁。文字で読んだらけっこう激烈な話だったと思うが、こういうたとえを大真面目に、言葉に力を乗せて喋れるのが花山だなあ。唐沢さんさすが。「国と国」も、列座の人々は皆戦争経験者、今聞くよりずっと重い話だったろうなあ #とと姉ちゃん
「鞠子を嫁にする君は幸せ者」結婚式でこういう親バカ挨拶するお父さん、いかにもいそうだよなあ。常子、挨拶に親父入っちゃうの安定だなw #とと姉ちゃん
常子の挨拶は、彼女らを知らない人や好意を持ってない人には、身内アゲでけしからんと思われるだろうね。時代考えると特に。でも、常子があんな挨拶する気持ちが分かるし、じんとくる列席者・視聴者もいる。常鞠コンビが好きで、思い入れをもって見てきた人間もいる。それでいい #とと姉ちゃん
同じ挨拶を聞いてもいろんな受け取り方がある。感動の大きさも違う。常鞠との関係性もそれぞれ違うし、各人が内面化してる良識や価値観にもレイヤーがある。全員に認められなくてもいい。みんなに愛されるヒロインじゃなくてもいい、理解者はきっといるから。#とと姉ちゃん はそういう話だなあと思う
変な汗かいてるのを知っても、水田にイライラしなくなったんだね鞠ちゃん #とと姉ちゃん
身内アゲは失礼かもしれんけど、「数え切れないほど幸せなことがたくさんありますよ」のとこでウルっとくる。これってホント身内的な感慨だよねw 水田が鞠子と一緒で幸せになるということは、常子たちがその幸せを失うということでもあるんだよね。常子の目標は切ないね。#とと姉ちゃん
花アンの時の加賀田Pもそうだったけど、「高視聴率の原因がわからない。意外」って(笑) AKの朝ドラはすごい高視聴率は狙ってなくて、最低限をクリアすればいいかな、って雰囲気あるよね。実験的というか>RT
とと姉ちゃん第114回。「鞠子を嫁にするのだから幸せになるに決まってる」とかなり強い「祝福」を水田に投げかける常子。あまりに強い祝福は「呪」に転じてしまった場合が怖いが、水田も同等の気合で受け止めた。
常子は「愛する妹をよろしく頼む」という気持ちとともに、やはり「娘を嫁にとられた」的な父親の悔しさも少しにじむところが複雑で良いね。「とと姉ちゃん」としての見せ場だったと思う。
常子にとって鞠子は歳も近く陰に日向に支えてくれる自分の「分身」「相棒」のような存在であると同時に、自分が働いたお金で食べさせたり学校行かせたりする「娘」でもあったわけで、まあ、複雑で外野にはよくわかんない関係だよね(笑) そういうわかんなさが、常子のスピーチの演技に表現されてた。
でも、そういう外野にはよくわからない関係性って多分どこの家庭にも多少なりとはあるはずで、それが「味噌汁の味」ってことなんだろうな。
鞠子の話をここでやることで、女性の生き方の難しい部分と多様性を描いてるんだけど、そこに平塚らいてうを介在させ、同時に善意の人(水田父)のまったく無意識なデリカシーのなさも描きつつ、結婚しない常子の姿も通底音として流れ、星野登場までの前奏曲にもなっている。やっぱり、いろいろ練られた脚本だと思う。
弾むように働き、花山にダメ出しされて凹み、らいてうに相対し、花嫁姿になる鞠子=相楽さんの大活躍も良かったし、やはり今週の常子=高畑充希もすばらしいのだった。鞠子を見守る姿。仏壇の前での君子とのシーンはこのドラマの名場面のひとつに数えられるだろう。そして披露宴での豊かな表情! 脚本演出と役者の芝居とがすごくいい相乗効果になってると思います。木村多江の君子もいつもとってもキュート。伊藤淳史の芝居ってこんなにいいんだな、と初めて知った。