『あさが来た』 第25週 「誇り高き人生」 バッタバタたたまれています
今日ののスピーチは肝だったと思うなぁ。15分使ってもいいくらい。はつさんのことや娘のこと、うめのことなどを胸に抱えて晴れの日の壇上に立って・・・とかってことをしたくないのかもね、このドラマは。こんなに大切なことをパパっと済ませるなんてそんな意図があるとしか思えない。#あさが来た
米英のドラマはまだ見ていない人に絶対ネタバレをしてはいけないという緊張感のもと感想のやり取りをするくらいその作品自体の面白さだけでもつのだが、日本のドラマって視聴者がネタとしてイジってナンボってとこあるよね。むしろそれくらいゆるくないと嫌だと見る側が考えていそう。
朝ドラファンの人たちの感想だけで見ていると、みんなの求めているのは本当はドラマじゃなくて、芸達者な役者たちの演じるコントなんじゃないかと思えてくる。コント番組が減った現在、その手の需要をドラマが満たしてやっと視聴が成立しているような。
2016-03-21 15:28:02 via Twitter for iPhone to @papurika_dreams
>RT ちょっと極論だと感じる人もあろうが、興味深い考察。あさが来たのタグでは五代さんのラスト日や回想登場日を公式がネタバレするのを嫌気される一方、「ノベライズや次週あらすじを読んで心の準備をしたほうが安心して見られる」といった意見もけっこう見る
小芝風花ちゃんの情感ある演技に惹きつけられる。千代は一人のキャラの中で、短い期間でいろんな顔を見せる子で、風花ちゃんは若いのに芝居の幅が広いなあと思う。最終選考まで残ったって話も納得。#あさが来た
#あさが来た もあと10日。過去作のラスト近くの朝ドラタグを思い出してる。まれのときはdisが猛威を振るってたので ”まれ応援タグ”にだけpostし閲覧するファンも。花アンは私は脱落してたんだけど、「あと3日!」「終わったー!」「おつかれさまー!」って盛り上がり労い合いを覚えてる
カーネやあまちゃんやごちそうさんは、すごく入り込んで見てて余韻に浸ってたからTLでも無意識にそういう意見を追ってたと思う。マッサンは、特にエリーの描写が後半ウーン?だったけど、売れるウイスキーできた!のカタルシスはすごかったし「ここまできたかぁ…」って長丁場ドラマの感慨あるラスト
まぁなんだ、そんなこと考えてたのは、あさ来たのラストは夫婦愛がメインだそうだが新次郎(惣兵衛)がお亡くなりになっても生存してもどちらでもお好きにどうぞって感じだなー砂時計ふーんと思ってる自分がいるからで、過去作のタグにもそういう人はいたもんだよねーって思い出してウンウンと
私、合わないなーって思ったいくつかの朝ドラはリタイアしてきたので、何の感慨もなく(むしろ、今はついに終わるーって気持ちが)ラストを迎えるのってなにげに初めてなんだよねー。
#あさが来た は型破りな朝ドラと思わせる題材を選びながら、内容的には朝ドラの王道に寄せて行ったチグハグなドラマだったけど、#とと姉ちゃん はこれぞ朝ドラの王道というドラマになりそうな予感がする。楽しみ。
あさきたで明治の女は〜とか100年前の日本は〜とか語られるツイート見ると、江戸しぐさで江戸っ子を語られるくらい気持ち悪い気分になるんですよね
RT なので劇中で登場人物が歴史の総括など始めると、いやいやいやいやって気持ちになる。こういうゆるふわドラマで歴史を云々したり男女が云々とか社会的テーマに触れるのは本当によろしくないと思う #あさが来た
いやね、こういうドラマでも歴史や社会を考えるきっかけになれば意義あることなのかもしんないけど。でもなー、なんかなー、違う気がするんだよなー。はいからさんが通るとかを入り口にするのとは。誰かうまく説明してくれないかな
都合よくいいとこ取りしてるからかな。普段は実業家でありながら政治観も歴史観もまるでなさそうな顔して(それは無用な炎上を避けるためだろう)表面的な道徳や家族重視・女の柔らかい…とか言ってるのに、ところどころで国の現在未来を考えてるようなこと語ったりする。スタンスに芯がないんだよね
綺麗で楽しく心地いいのが長所の、地理も時代も題材にも必然性を感じない、家族だ女性だと言いながら何ひとつ踏み込まないドラマなのに、幕末維新を描いたとか女性実業家が主人公だったとかいって格別な朝ドラ扱いされるの、やりきれないな。たち悪いの作ったよねほんと…
ゲゲゲやカーネやマッサンの道の先にあさが来たが作られたと思うと泣けてくるもんがあるな。ごちだって徹頭徹尾の架空の庶民の話だったけど、もっと真摯に劇中の時代に向き合ってたよ。
@mela_verde 「日本すごい」、ファン層・視聴者層の心地よさを追求しているという点では、ブレないドラマなんですかねぇ。恥ずかしいぐらいですが。
@emitemit 何から何まで薄っぺらで、しらけっぱなしです。あさの功績は多岐にわたるのでしょうけど、事業か女子大かもっとポイントを絞って、深く濃く描いたドラマを見たかったです。ほんわかホームドラマでは消化しきれない人物なのでは…と思います。
千代ちゃんの言を借りれば「銀行つくろー、銀行でけへん、銀行できたー」「炭鉱安くなってるから買おうー買ったー今なら高く売れるから売ろうー売れたー」「生命保険大きくしようー大きくなった―」どこまでもあらすじドラマで主人公の事績を紹介するだけだもんね、物語として描いてない。#あさが来た
ナレで「一大事業」と紹介されるものは主人公の思いつきで周りは驚いたり戸惑ったりして主人公をアゲる描写に終始。真田丸で、1つの事件に際し多くの登場人物が有機的に関わり合い、主人公をアゲサゲするために周りを操作せず、周囲も皆優秀って作劇を見てるから尚更しんどいんよね。#あさが来た
あさが来たは、「題材は型破りなのに内容はザ・朝ドラっていうチグハグなドラマ」って昨日RTしたツイそのとおり。身の丈に合ってないんだよね題材が。地味でじっくりでザ・朝ドラでもいいから、地に足がついてるっぽいとと姉ちゃんを、今、楽しみに感じるのはそこ。
@emitemit 終わりに近づけば近づくほど、これ広岡浅子さんをモデルにした意味は…ってなっていて見るのがしんどいです。ここまで来たら最後まで見届けようとは思っていますが、大きな事業に関わった女傑の物語とは思えないほど、どの事業も「成し遂げた」感が薄過ぎるのですよね…
@tealeaf_1309 偉業がまるでヒロインとこのドラマに箔をつけるお飾りのように見えてしまいます。だから時間軸が適当なところや甥っ子への冷たさなど辻褄の合わないところ違和感を覚えるところはすべて「ホームドラマ/夫婦愛のドラマだから」で納得できればいいんでしょうが、無理です…
@mela_verde ドラマがやりたいこと(ホームドラマ?夫婦愛?)と題材との乖離が甚だしくて、こういったミスマッチは今後勘弁願いたいところです。朝ドラで敢えて明治の女実業家をやるのだから、それなりの気合をもって描くんだろうなと思っていたころが私にもありました…^^;
あさが来た、もっと商人としてのエグさや才気、豪商の家に育った人間としての庶民とは程遠い感覚とかを描いて欲しかったなという気持ちがあり、似たようなことはマッサンにも感じたのだけど、そういうのは共感あつめにくいって判断なんだろうな〜。
「わろて生きていかなあかんなあ、けど淋しいなあ、悲しいなあ」の嗚咽は少女時代の姉妹の寝床「大阪行きたないなあ、けど行かなあかんなあ」のリフレインでしたね。とすれば翌朝のはつさんはしっかり立って笑っていたでしょうか、それとも対比で落ち込んだままだったでしょうか #あさが来た
宮崎あおいが篤姫の8年後にはつを、玉木宏がのだめの10年後に新次郎を、綾瀬はるかが八重の3年後にバルサを演じてるのを見ると、役者としてだけではなく、彼/彼女の人生の道のりを見せてもらっているような感じがして、役者ってすばらしい仕事だなあと思う #あさが来た #精霊の守り人
彼らが、どんどん芝居がうまくなるのはもちろん、今日のプレミアムトークのように話しぶりや佇まいからも人間的な深みを感じさせるようになるのを見ると、なんか勝手に励まされるような気がしてくる。いろんな仕事やプライベートを通じて立ち止まったり葛藤したりしながら今があるんだなって。
お話の内容はもやもやするところが多いけど、役者の芝居を堪能できる場面は多いドラマでしたよね。#あさが来た
みかんの山を半分売ってもいいという眉山家の会話の直後に、白岡親子が芦屋に和洋折衷の素敵な別荘?を建てればなんて話をしてて、慣れてるつもりがやはりギョッとするの巻。これを「しょうがない」「形が違うだけでどちらも幸せなのだ」というのがこのドラマなんですよね… #あさが来た
あんなに仲の良い姉妹なら現代日本でもそれなりに助け合うだろうし、真田丸ワールドの真田昌幸だって甥姪のためならもうちょっとは骨を折るのではなかろーか。はつの「施しを嫌う」設定もあれど、金銭面の援助以前にあささん甥っ子のことほとんど気にかけてないように見えるからなあ #あさが来た
優しく暖かげな顔してるけど、男女や貧富の描き方にしろ、自己責任(家族責任)で貫く世界観にしろ、現代日本の悪しき風潮に追随し助長する作品だなとつくづく思う。平塚明の描き方で大森美香が最後に一矢報いるというか気概を見せてくれればと思うけど期待しない方がいいだろうなとも。#あさが来た
(ファンの方が多いのはもちろん前提として)「深い感動はないけど不快感なく見られる作品」という評価も一定の支持を得ている感があるけど、見ていてモヤモヤするところは多分にあるよね…。って感覚。#あさが来た
ドラマ展開も矢継ぎ早にたたみにかかっているので、基本的に「どうぞどうぞ、たたんでください」という感じで粛々と見ているのですが。
宮崎あおいの芝居は確かにすごくて、朝からタダで見られるなんて有難いことなんだけど、それを導き出すためのあらすじだよなー、と感じると醒めるところもあるのです。同様に、玉木宏の老け演技は驚嘆なんだけど、新次郎さんが理想の男とは思えない、いや男の好みはそれぞれですが加野屋および中の人のスペックで新次郎の弱さ狡さは包み隠され続けてきたわけで、それを公式公認で理想の男っていうのはどうなのよ、って。やっぱりこのドラマの作り手ってあれだよなと思うわけです。
なんか、こーゆー内容で「誇り高き人生」なんて週タイトルは大上段にすぎるよな、このドラマの場合「大番頭の手のひら」ぐらいの謎さでちょうどいいよなと思います。何はともあれ来週ついに終わる、やったー(個人の感想です)。でもこれが成功事例として少なくともしばらくは受け継がれていくんだよね…。