『あさが来た』 第21週「夢見る人」(下)女傑とホームドラマは並立するか? / 類型的な作劇の弊害
ちょっと豪腕すぎてコントロールめちゃくちゃな球をあちこちに投げ込んでこられてどこから突っ込んでいいかわからないんだけど。千代が語る女子論とそれへのリアクション、昭和40年代くらいですかね? 明治風味の味付けの朝ドラとわかっちゃいるけど違和感ありすぎてめまいが #あさが来た
「男は女にはちょっと下でいてほしい」なんて、わざわざ言われるまでもなく当然のこととして体にしみついてるのが当時の女性で、あさだって婚家でも出しゃばらず理論武装もせず言われるがままに口をつぐみ謝って波風立てずにきたんだけど、あさ女史そのことはどうお考えですか? #あさが来た
もっと勉強したかった、誰にでも良い環境を、良妻賢母に至る道、世間との繋がりや居場所作り、家政学・・・後出しジャンケンのように素敵な理由をいろいろ出して補強しようとしてるけど、あさの情熱の源も、思い描く女子高等教育の姿も根本的に軸が見えず輪郭がゆるいんだよね…。#あさが来た
今まさにあさが刺されてまで「すんまへん、でしゃばったうちの自業自得や」って言ってて加害者男性を気遣っているのになんであさがでしゃばり女性の代表みたいになってんの?そこまでしおらしくしていないとみんなに嫌われるって身を持って体現してるみたいじゃん。 #あさが来た
勉強させてもらった環境に感謝、出しゃばるような事したら反省反省って、ものすごく従順に生きてきたのが今までのあささんなのに。 #あさが来た
男はうまれつき女にちょっと下でいてほしいものねえ。素直で謙虚で可愛くて知識をひけらかしたり立場を利用したりせず、ちょっと目立つと謝るヒロインを是とした話がこんなに愛されてるんだから、千代ちゃん正しいよねと思わされてしまうのまじつらい #あさが来た
萬谷の逆恨みは融資をにべもなく断られ続けたり新次郎に恥かかされたりしたのとアル中による狂乱が原因だったと思うけどね。周囲が被害者を軽く責める(←ありえない)ことで「刺されるほど女子教育に猪突猛進した」印象を補強しようとしてるのも狡いなあと。 #あさが来た
あさがどんな言葉を並べ立て、刺された後もへこたれなくても、やっぱり情熱が感じられないんだよね。これまでの積み重ねがないからしょうがないんだけど。不世出のファーストペンギンを、現代の(しかも旧い感覚の)ホームドラマの価値観の枠におさめて描いてる窮屈さがたまらんなあ #あさが来た
とても矛盾を感じるんよね。既存の価値観を破って事を成した人を、既存のしかも古くて保守的な価値観の中で綺麗に類型的に描いて「素敵だね」って言うこと。モデルやその事業を軽視してるし、ファーストペンギンとは真逆の価値観を再生産する物語になってるなと思う。これが朝ドラなのね #あさが来た
女学校や高等女学校をより広めていくのでなく、その上の女子大を作るって、超エリート養成だよね。その辺には決して触れないよなあと思う。山王寺屋で孤独だった頃や、今、代筆や筝の教授で喜ばれてるはつも、それは女学校の範疇で賄えることだから高等教育へのうまい回収とはいえない #あさが来た
超上流階級の出身の主人公だけど、「上から目線」にならないよう、ものすごーく気を遣ってるよなあとずっと思ってた。まぁ無理もないけど、そのせいで下の階層の人たちと多く触れ合いながら彼らの環境に何の言及もしないあさたちがすごく無神経に見える皮肉。または時代感がゼロになる #あさが来た
ま、何もかも文末に「朝ドラだからしょうがない」って付けたらそんな気にもなるんだけど、あれやこれや面白くてすばらしかった朝ドラ作品たちを思い出すと悲しい気分にもなるなあ。たかがドラマだけど、物語だと思うとね、物語の力を思えば。
当時の女性の中の0.001%以下程の人しか受けることができない女子高等教育、つまり受けられるのは「ごくごく、数少ない人」って意味で超エリートという言葉を使ったけど、専門教育と普通教育の違いにも作中できちんと触れられるといいなと思う #あさが来た
@mela_verde 根拠なく突然熱く語っているという感を受けるので薄い綺麗ごとみたく見えるんですよね…炭鉱の女性や生活に苦しんだはつが被った不利益を何とかしなきゃ、みたいな具体的な方向にもってくと「上から目線」な印象になるので避けているのではないかと想像してるんですが…
@mela_verde 踏み込んで物語に説得力を与えるのと、不快感を与えず耳障りのいい言葉や描写で手っ取り早く感動させるのとで、後者を選んでるドラマだなあ…と思います。朝ドラだからしょうがないのかもしれませんけどねー…
「男よりでしゃばりするなんてあかん」なんてまさにあさが身に付けてきた生き方なのに、あさがそれを出来てないみたいに言われるのが腹立つんだよなー。どんだけ口つぐまされて来たかっつうの。 #あさが来た
ずっとこんなんだけど、明らかにゆるふわに描かれているのに、周囲の扱いがまるであさが糸ちゃんばりの豪傑であるかのようなのがすごく変。 #あさが来た
でも、どーせ来週もあさは、刺されたのは自分のせいだって謝るだろうな。予想がつきすぎるな。あさ来たは、古い価値観の良い所を見直して、高齢者や男性や子供に共感を得、元気を届けてる良いドラマ。視聴者の高齢化で、働く女性への応援歌を、朝ドラがやる時代じゃなくなったんだと思う。#あさが来た
安い! やはり山屋からふってくる生命保険会社話、さも苦労してきたかのような会話、瞬時に集まった署名…「ホームドラマですから。仕事? 添え物なんだから工夫とか必要ないでしょ?モフモフの茨の道、上等ですよ」って悪びれない、作り手の剛腕が今日も炸裂。いっそいさぎいいです #あさが来た
新次郎っていわゆる男性的な魅力とはかけ離れた持ち味が売りのキャラクターだと思ってたけど、いつの間にか「お前は俺が守る」風味に変わってるよね。いまの彼はベタな完璧超人ヒロインだよなー。
亀助呼び戻すのもいいけど最近相談役は何してるんだろーか? やればできる子設定だし仮にも役員待遇なのだから、榮三郎やあさが抱えすぎている仕事にしろあさのガードや女子大の補助にしろ率先してやってくれていいのよ?…とは言っちゃいけないんだよね新次郎の仕事はそれじゃないのね #あさが来た
新次郎の責任感の無い仕事(?)ぶりが余裕で素敵に見えるのは、先日渡邊さん(@ynabe39)がツイートしてた「環境が変えられない時代には遺伝論がヒューマニズムに」だよなあ。「生まれつき」「血統」が現代のキャラの大いなる力。 #あさが来た がファンタジー時代劇である必要もそこにある
RT @ynabe39 ”昔は「教育を受ければ貧乏から抜け出せる」が環境論、今は「貧乏に生まれたら教育も受けられない」が環境論” ”環境が変えられない時代には遺伝論がヒューマニズム” ”アニメや漫画の主人公の持つ力も努力や根性から生まれつき・血統・前世などにシフトしたのでは”
夫婦や家族などプライベート部分を丁寧に描写してるからこそスーパーウーマンあさにリアリティがあるという意見。やっぱりいろんな見方があるのね、と。私的な部分の描写が人物の厚みを増すのは理屈だけど、実際に放送されてる描写ではあさにリアリティがなさすぎてびっくりぽんなので #あさが来た
批判の大半は史実重視じゃなく「ホームドラマ(朝ドラ)に説得力を持たせるための仕事描写」を求めてるよね。過去の名作朝ドラだって仕事ドラマじゃない。でも糸子の洋裁、悠太郎の安全頑丈な建築、マッサンのウイスキー、どれも迸る情熱や過程の描写があったから見てて入り込めた #あさが来た
>RT そうなんだよねー、理屈じゃないんだなっていう、視聴者も「おいおい」って軽く引くくらいの情熱があって然るべきだと思うんだよな。それでこそ血が通うし、引きこまれる #あさが来た
前にも書いたけど、仕事人として・家庭人としての側面は分離するんじゃなく、どちらも当人を構成する必須要素で、互いが互いに影響を与え続けるもの。なのに仕事面の描写がゆるふわ過ぎたから、必然「明治の女実業家」というあさの個性や魅力がすごく薄くて、矛盾して見えるんだよね。 #あさが来た
個人商店規模くらいの経営、昭和ぐらいの働く母の悩みや娘との葛藤、綺麗な夫婦愛、 #あさが来た に満足してる人はそういう描写に「あさに血が通って親しみを感じる」とおっしゃっているのだから、最初からそれぐらいの舞台でやってほしかったよね。明治の女実業家なんて過大な風呂敷広げずに。
朝ドラの枠でだって、違う作家とPだったらこの題材をどう料理したかなあ、と思う。叶わないのが残念。ほんと、大河とまではいわずとも『経世済民の女 広岡浅子』やってほしい。五代友厚も。もちろん妾もOK。妾に何人子どもがいても高橋是清と妻は血の通った良い夫婦だったよ #あさが来た
あれは要するに「あさを妬む人がいっぱいいて敵だらけなんだけどそれでも仕事に命かける女だよ」っていうエピになるはずなんだろうけど(原案小説はそういう意図なんだと思うけども)、それを表現するのに必要なディテールがないんだよねえ。
金融業ゆえの非情な判断や落ちぶれた人の逆恨みを買うなど、女ながらに目立った成功者のヒロインの周りは敵だらけなのよってやりたいのかもしれないけど、その直後にあさちゃんファンクラブ会員みたいなオッサンがわらわら集まってきてなんじゃそらっていうな。
要するにテーマ的なものは体裁整えるために掲げているだけで、本音はどーでもいいんだろうなーとは思ってるからあんな感じなんだと思っているけど。
逆に、仕事の奮闘がちゃんと描かれれれば、それが私的な面にも作用してそちらにも深みが出たと思うんですよね。「あの」糸ちゃんの恋とか。政春はエリーがいたからあれほど熱狂的なウイスキー人生歩んだんだな、とか。#あさが来た の場合、結局どちらも中途半端な印象で… @mela_verde
@satsuki_h_0129 あらっ。発信をホッとすると言ってくださってありがとうございます。楽しさや感動を呟く方が楽しいし気持ちいいけど、違和感や批判も自分の正直で大事な感情だと思うので…。大げさだけど、おかしいよって思って言う人がいるから何事も変わっていくんだと思ってます
2016-02-26 12:58:36 via Twitter Web Client to @satsuki_h_0129
作品タグでファンが多数派なのは当たり前だけど、説得力のあるものならば批判ツイにもたくさんのRTやfavがつく一方で、口汚く批判ツイート主を貶す批判への批判ツイはほとんどスルーされてるから、 #あさが来た のタグはよく機能してますね
あさちゃんの周りの人はとってもあさちゃんに甘えてるよねえ あさちゃんはどんなこと言っても受け入れてくれるみたいな安心感から物を言っている気がするよねー
>RT 以前にもあったよね、忙しい合間を縫って料理をしているあさの顔がおかしいって言って、本人のいないところで顔真似して笑ったり。家でも外でも働かない人が中心になって揶揄してたよね・・・「愛があればいい」っていう古い価値観での描き方が多すぎるのも #あさが来た の特徴
#あさが来た 目立ったことをしたから憎しみを買って結果刺されたのだみたいなのはやめてほしい。どんな理由があろうと刺したやつが悪いに決まってる。千代があさに自業自得と言ったのがとてもつらかった。被害者の落ち度を見つけ出して責めるなんて。まるで今の時代そのものじゃないか。
千代があさにツンデレ続行中みたいなのを表現したくて「自業自得」はつお姉さんはあさの保護者だから「叱ってやらないと」悪意はないのだろうが、あさに向けられる身内の言葉は被害者を責めるものばかり目につく。作り手の人権意識が薄いドラマだな…と、もにょってしまう #あさが来た
時代劇だもの、今の私から見て嫌な表現があっても不思議ではないんだけど、それが肯定されているように見え、更に妄想すれば今見ているご年輩層が「そうそう女(男)ってそう」となって終わってしまっている感が、ラストの写真の女性たちを後ろから撃っているように見えて辛い。#あさが来た
犯罪に遭った被害者への接し方にしても、「がんばる女性を応援」するやり方にしても、#あさが来た でデリカシーが欠如してるのは、一番には、作り手なんだよね。
今日の大隈夫人「男性は立場でコロコロ変わるけど女は違う」もホトホト引いた。昨日の「男は女がちょっと下のほうがいいと思ってる」にしても、どうしてわざわざ、そういう類型的に断言するセリフで男女の違いに言及するの? 「そーだ、そーだよね」って視聴者に言わせて楽しい? #あさが来た
類型的な作劇の罪について脚本家・木皿泉の著述。過食症の子どもや独居老人、非コミュのオタクを「淋しい人」として描く映画に憤った木皿泉。「そういう、描くのが簡単でわかりやすい表現こそが人を孤立させていく自覚が作り手にまるでない。それで淋しさに寄り添ってると思いこんでる」 #あさが来た
類型的作劇について、著作で脚本家・木皿泉wrote「人を安易に括ってみせると、見てる人は自分がそこ(弱者側)に入ってるんじゃないかと思って、ますます無理せざるを得ない。おまえら自己疎外しろよ、と言ってるようなもんだと思う」 #あさが来た にも通じる批判なあとかねがね思ってる
→ #あさが来た の男女の描き方にもあてはまると思う。あさが女だから出る杭は打たれる、男は女が下のほうがいい、男は豹変しても女は変わらない。そうやって断言すれば女性視聴者は溜飲を下げるかもしれない。理想の夫・新次郎がますます素敵に見えるかもしれない。でも何の発展性もない
「本当に賢い女は自分が自分がって言わないもんね」「九分九厘の小物な男たちにはあさの良さはわからない。わかるのは一握りの大物だけ」等の意見もTLで見た。ああ、発展性がないどころか、安直な作劇が招く、要らぬ対立や優越感。#あさが来た のたちの悪いところだよな、問題を退行させてる
ファンタジー時代劇の世界観でいろんなことをぼやかして、朝から不快だから・元気を届けたいからと様々な描写を薄くしたうえで、役柄の大きさ(史実有名人)や役者の大物感を利用して「女性だからできること」と言わせる朝ドラ。耳障りはよくても本質は対立を煽ってるだけだよねっていう #あさが来た
男女の相克は根深くデリケートな問題。俎上に乗せるならきちんと血肉の通った作劇で、乗り越えるなり簡単に埋まらない溝なり描くべきなのに、出てくるのはヒゲの四男坊とからかうモブや、ふゆ父や萬屋のような徹頭徹尾の悪役、そして理想の夫や姑。これでは女性視聴者をスポイルするだけ。#あさが来た
どこから見ても非難されずにすむヒロインの王子様像を巧妙に作り上げただけじゃん。玉木さんのかっこよさはともかく人物としてはつまんない。突っ込みどころ満載なのに(ヒロインだけじゃなく視聴者からも)愛でられた「ごち」の悠太郎や正蔵パパの人物造型のほうがうんと難易度高かっただろうな。
今も昔ながらの男性中心社会システムで女性が理不尽を被ることはあるよ。でもそのシステム作ったのは現代の男性じゃないし、男性だってそのシステムに苦しんでる面あるよね。理想論だけどそれを変えていきたいわけやん。それが現代のテーマやん。安易な括りやメッセージは要らないよ #あさが来た
なのに、安直に、旧い類型で男女問題を括ってメッセージ発したつもりの #あさが来た。わかりやすい悪役、現実感ない理想の夫。説得力ある葛藤も対立も回避してるのに九転十起設定の主人公。これでがんばる女性たちを応援し、それぞれの幸せの形を描いてるってのは、あんまりだなあと思います。
要するに「艱難辛苦を乗り越え"九転十起生"を座右の銘にしていた、敵も多かった女傑」と「誰からも嫌われない朝から不快なことは起こらないほっこりした気分で見られる朝ドラ」の食合せが悪すぎるのよ。 #あさが来た
浅子さんの人生をそのままやったらまれや純愛並にハードな炎上物件になって視聴者から嫌われるのも目に見えているんだけど(純さんなんてまさに"九転十起生"だった)、何故それを避けたいのにこの人を題材に選んだの?と。 #あさが来た
2016-02-26 11:59:48 via TweetDeck to @hinocchi
素直で愛嬌のある女の子として周りの男を立て、夫のかわりにバリバリ稼いでもそれを鼻にかけることなく、家事や育児が中途半端で申し訳ないという態度を取り続け、刃傷沙汰にあえば「出る杭は打たれるもんだ」と言われる。それで「知るかボケ」と啖呵を切るならまだしも反省する愛されヒロイン…
そういう、目上の人や男性につごうのいい生き方にしか見えない女性が「頑張る女性たち」の筆頭のように語り、女性へのエンパワメントドラマなんですよという顔をしているのは、なんともしんどい。じゃあ見るなと言われそうだけど。
いいことは皆様のおかげ、悪いことは自業自得、元々その席にいた人の機嫌を損ねないように。まあ見上げた謙虚さだと思いますけど、それで本当に誇りや責任のある仕事ができるのか?という疑問に裏側から答えをくれるドラマですよ、あさきたは。
嫌われたくないし名誉男性になりたくないしと思っていたけど、言うべきことちゃんと言って誇りと責任ある仕事ができるのであれば、多少嫌われたり結果名誉男性的になってもまあ、すんまへん堪忍と口をつまみつづける仕事人生よかずっといいなあと思うこの頃。そういう意味であさきたには感謝したい。
ダサかろうが失敗しようが面倒くさく凹もうが、自分は誰かにとってつごうのよい「輝く女」になんかならないぞ、と思わせてくれるドラマではあります。
今週の演出は何度見ても不満が残る。まるで「あさ」が成長していないように見える。明治政府の要人や東京の大実業家から寄付を募って日本で初めての女子大学を設立する女傑にはまるで見えない。波留さんの演技力にあるのかもしれないが明らかに演出と脚本に問題があるように見える。#あさが来た
今季のTVドラマ。「あさが来た」はお話しは超つまんないのだけども。好きな役者さんがいっぱい出ているので、お顔見たさに視聴している。玉木!イイぞ!とか、柄本息子!石鹸!また出てきて超嬉しい?!とかウキウキしつつ、夕飯食べながら毎日欠かさず見てる。眼福ドラマ。(´▽`)
昨日次女(2)が満面の笑みで保育園に入って行くのを見た瞬間、私は仕事もしてていいんだって思えた。最近富に私は私でいい。って思うようになってきてる。#あさが来た であさの様な不自然な人を毎日見ているからかもしれない。全ての人が環境のせいで望まない選択をしない世を政治に求めたい。
そしてあささんは寝てる間にガンガンステージが整うw
幕末の豪商に生まれて婚家を大阪でも有数の大企業に育て上げた明治期っての女傑実業家っていう設定いる?っていう
最近は超セレブ設定すら崩壊してるので、なんかこの朝ドラ独自のものってもうほぼないのよね。
どこかで見たようなお転婆良い子ちゃんヒロインと実は出来る男なだめんず王子様な夫、もう何十回も使い古された母子葛藤もどきと、ベタベタなコイバナ。申し訳程度のワーママあるある…。朝ドラのフォーマットをかいつまんだだけのドラマだよね。
かいつまみの中に練りきれてないままにメッセージ性や啓蒙を入れこんでくるからねー…たち悪…
「刺されたのは自分のせい。ごめんなさい」じゃなくて、「こういう商いしてる限り、人様の恨みを買うこともある」と千代の前では開き直っても良かったよね。そうすれば千代のあさへの反発とも整合性取れたし。で、維新後のifだったかもしれない萬屋を新次郎とひっそり悼むみたいな方が哀愁漂って好み
序盤から脚本の巧みさに舌を巻いてきたがここに来て少し違和感を感じる。原案を読んで強く感じたのは広岡浅子という人物の泰然とした生き方。「実学」を重視し常に公共性を考えている。朝ドラとしてのお約束の母娘の喧嘩もげんなり。浅子の超然とした九転十起の生き様を描き切って欲しい。#あさが来た
結局は、キャリアウーマンの母娘のあるある話を見たいのか、稀代の女傑の話を見たいのか、の2択なのかもしれない。リアル浅子はどう考えても後者。大河を見てても思うけど、偉人を無理やり大衆レベルまで引き下ろさないと、たとえ昔の話でも現代に置き換えないと、見ない人が多いってことか。
RT 偉人をむりやり大衆レベルにまで落とす人物造型と作劇。ほんとそれだ、私が許せないと思うの、それ。
ドラマだけじゃなくて、現実でもそう。偉大なアスリートや研究者の「普通の女の子・普通のおじさん」部分を追い求めて報道したり。そりゃ誰にでも私的な部分はあれど、そこはそっとしといたらいいではないか。偉大な人を偉大なままに受け止められんのかと思う。
てか、そーゆー報道の仕方や番組作りに慣れきってる視聴者が多いから、そこをメインターゲットにするから、大河ドラマや、女傑を主人公にしたドラマもあんなふうになっちゃうんだろうな。
リアル浅子に近づけた作劇ではスーパーウーマンになりすぎて血が通わない、家族や夫婦などの描写に力を入れるからリアリティがある、ってTLで見たけど、それが朝ドラ視聴層の平均的意見なんだろなー。私は浅子さんをモデルにするなら女傑でなきゃリアリティないと思うけど
でも、たかがドラマ、たかが小説といっても、社会のシステムや価値観の中で作られるもので、私たちが生きてる社会とつながってるんだよねっていうのは常に思う。だから、そこで何を作るかってのが、作り手の意欲であり評価に繋がっていくんだろうなと
#あさが来た で、正吉も新次郎もまるで理想のような良き舅&夫であり、あさちゃんは男にペコペコしてるんじゃない、あれは素直さであり謙譲の美徳だ、それのどこが悪い?と感じてる視聴者は多いみたいなんだけど、今この社会に生きてればそう思うのももっともな話なんだよな、って。
先日、フォロワさんとやりとりしていて再確認。「個人の価値観」「私の嗜好」のように思っていることも、実は、自分が生きている社会や置かれている状況、触れてきた物語など、外部からの刷り込みによって育まれてきたものも多いんだよね。
赤毛のアンや「なんて素敵にジャパネスク」の瑠璃のように、主体的なヒロインの物語がある。彼女たちは周囲と対立しても抑圧はされない、シビアな現実に直面してもスポイルはされない。一方で、王子様のような素敵な男子に守り導かれて幸せになる物語もある。根本的にはそこに優劣はないんだろうけど
お姫様願望をみたしてくれる物語が作られたり、「男性を立てる美徳」「立てるふりして転がす」「そのほうがうまくいくんだからそうしたほうが賢い」そういう価値観が共有されてるのは、親や周囲や、ひいては社会がそれを良しとしているから・要請しているからという面も大きいんだよね
今いる社会で当然にまかり通っている考え方、生育過程で慣れ親しんだ価値観について、人はふつう疑問を持たない。100年前の女性の多くは選挙権がないのを当然と思っていたろうし、40年前の駅にエレベーターがなくても問題視されなかったはず。もちろん明治時代の女子の高等教育についても然り。
それらを「おかしい」「変わるべき」と思った人はひと握りだし、「選挙権がなくても/エレベーターがなくても/女子高等教育がなくても、そんなの当たり前でしょ」って言ってる社会で「おかしいんだ!変えるべきなんだ!」と言えた人、行動できた人はさらにひと握りだよね、
社会の価値観やシステムからかけ離れたものを自分の価値観とし、さらに行動するのは至難のわざ。それができたのが、広岡浅子のような、ファーストペンギンな人たちのすごさなんだよね。もちろん親や子や友がいたりする普通の側面があっても、尋常でない情熱があったはず。そこを!描けよ!て思うんだが
で、今、今日の #あさが来た 見たらなんか面白かったw 宜ちゃんが超かわいい。たまらん。いけいけ宜ちゃん。波瑠さんが今日もとことん美しかった・・・ ベッドの中から成澤にかけた言葉、炭鉱も銀行も命を賭けてきた、その様子がドラマで積み重ねてこられていたらどんなに良かったかと思いますね
あさ来たの類型的な作劇の弊害、ってのは、私の中であさ来たに対する大きな不満のひとつだなー。女性を応援してるつもりが実は後ろから撃ってるってやつね。「いろんな幸せの形」を描いてると言いながら、「多様性ある社会」を阻害してるとも思うしね。