朔太朗的日常: 満4歳6か月 誰にでも過去や未来がある

●「おとうさん / おかあさんは、こどものとき、ナニぐみ(組)さんだった?」

●「おとうさんは、こどものとき、めがねかけてた?」

●(私が手帳にメモしてるの見ながら)「ぼくも、おとなになったら、そんなにじょうずに かきたいなあー」

●「たんじょうびがきて、もっともっとおおきくなって、ひゃくさいになったら、どうなるの? おおきすぎて、おうちに はいらないんじゃない?」


お父さん・お母さんにも子ども時代があり、自分も将来、大人になる。ってことをふまえた発言がいろいろ見られるのである。
(一部、まちがった想像もあるが。でも、「年を重ねるごとにどんどん大きくなっていくから100歳は家に入らない」、って考えは論理的だよねえ。「百」がすごーく大きい数字ってのもわかってるんだよね。)


●家族3人で車に乗っているとき、なにげない会話の中で、私が「サクちゃんがあんまり大きくなったら、ちょっとさみしいなあ」と口にすると、すかさず、「なんでさみしいの?」とサク。

あら、ナイーブな発言だったかしらん、と思って「いや、うれしいよ。大きくなるのはうれしいことよ」となにげなく打ち消そうとするも、よほど衝撃的だったのか、「なんで? なんで、おおきくなったらさみしいの?」とサクは執拗。根負けして、「いやー、大きくなるのは本当にうれしいんだけど、ちょっと淋しいんだよね」と説明不足ながらも認めると、ものすごくすんなりと

「ぼくが だんだん おおきくなったら、だんだん ママから はなれるから?」

ですって。わかっとるやん! なんで知ってんの?