サクことば45 ここにいない人を思う・誰かの気持ちを推測する
子どもは、まだ言葉も出るか出ないかのような、かなり小さいころから、「みてみてー」「すごいでしょ」という表情や仕草を見せる。お客さんが来た時にだけ、もう最近では飽きていた遊び(たとえば積み木を高く積み上げる)をやってみせるとか。かわいい様子や成長の証を見せると大人が相好を崩し、たくさん褒めてくれることを知っていて、それがうれしく、楽しいんだろう。2歳、3歳となると、実際に「みてみて」「ぼく、できるんだよ」「すごいでしょ」と言うようにもなる。
ここ数か月のサクの、何かを得意げに披露したり、説明したあとの「ドヤ顔」は、
- 「おかあさん、しらんかったやろ?」
- 「おかあさんも、みたかったやろ?」(幼稚園でやったことなどを説明して)
- 「おかあさん、うれしいやろ?」
のような表現と共になされる。「ぼくがすごいこと・楽しいこと・がんばったことをお母さんは手放しで喜び、称賛する」と、勝手に母の気持ちを推しはかってくれるのだ。ま、あながち間違った推量じゃないのだけども(笑)。
「ドヤ顔」の時以外でも、ここ数か月か、
- 「さとしくん、げんきかなー」(正月に会った従兄について)
- 「なおくんも、もらったかなー」(クリスマスプレゼントについて)
- 「ばーちゃん、だいじょうぶかなあ」(母が病院に行くと聞いて)
- 「おとうさん、ぬれてないかなあ」(雨が降り出したとき)
など、「自分以外の誰か」について思いを巡らせるような言葉が多くみられるようになった。上記は、「その場にいない誰か」への言及でもある。ココロの成長を感じる発語群。
ひとひねり、ヒネッた発語もある。食事の態度を注意すると、ぷーっと膨れてしばらくふてくされていたあとで、
- 「あーあ、もう、おかあさんは、おとうさんのことだけ、すきなんでしょ」
などと言い出す。どういう推量だ。思わず吹き出しながら「そんなことないよ、サクのことも大好きだよ」と言うと、間髪入れず「じゃあ、そんな、おこらんどきーよ。」
結局、「怒られるのが不服だ」という主張に集約されるのだろうが、そのために「ぼくを怒るってことは、お母さんはぼくを好きじゃないってことだ」→「つまりお母さんはお父さんのことだけが好きなんだ」って言語表現に転じるのがおかしい。
さらに、それを口に出して言えるのは、「でも本当は、お父さんのことだけが好きなんて、そんなはずない(お母さんはぼくのことも好きなんだ)」と確信しているから。私が否定すること前提での「お父さんだけが好きなんでしょ」発言なのだ。えらく込み入っている(笑)。