『花燃ゆ』 31話 「命がけの伝言」

30話「お世継ぎ騒動!」とやらは、録画を見ないまま消去しましたの。見た方々がネットで呟いてるの見て、「もうムリ!」てふんぎりがつきましてね。おはぎやら何やら、とても見る自信がない。これでやっとこさリタイアだー、と、すっきりすらしてましたの。

ところが31話、野村望東尼が登場したと知り、また「紀行」には平尾山荘が写ったと知って、いちお録画を確認せにゃという気に駆られましてね。



地元民としては、「そりゃ出ないより出てくれたらうれしいよなー」と思いつつ、「でもこういう(地元利権みたいな)登場のさせ方、大河をダメにしてる一因だよなー」と思いつつ、「いや、本当にできる作家ならば、ストーリー的にも説得力あるよう織り込めるはずだ、スポンサーの要請を」と思いつつ、ですよ。

で、流れで高杉が出る他のシーンも見た。ついに功山寺決起・・・だというのにこれ・・・

高杉が長府の奇兵隊屯営に踏み込んでいって行った演説は多くの史料に残されている有名なもので、それをあるていど史料のままセリフに起こしているから、多少の見ごたえはあるわけですよ。

「諸君らが俺の言うことを聞かぬならそれでよい、ただ一頭の馬を貸せ。萩に向かって一里ゆけば一里の忠を尽くし、二里ゆけば二里の義をあらわす」

こういうセリフを吐くのが、高杉晋作という男子の、または松陰の弟子としての高杉の、ひいては幕末の志士たちのリリカルさなのだけれども、そこまでの積み重ねが何もなーい!

晋作の毛利家への忠義も、赤根や山県の個性も、伊藤のスタンスも、全然描けてきてなーい。

だから、歴史ドキュメンタリー中の「名場面を映像化」シーンとして見ればそれなりにかっこいいのだけれど、いきなり舞台に上がってきて熱弁して何だこのカッコつけ、とも思える。名言が空虚なんだよね、とにかく。

高良くんだって、これまでの脚本がよければ、もっと良く演じられたはずよ。

この演説の中で、高杉は「御両殿様(そうせい候と若殿の2人ね)に受け容れてもらえなければ、城門のそばで腹かっさばいて臓物をつかみだして叩きつけて訴える」みたいなことも言ってるんだけど・・・あれ?ドラマではこの部分、省かれたのか? いや、たとえこのセリフがあったとしても、同じようなことを言った『天皇の料理番』での佐藤健の10分の1も迫力なかったと思う。

セリフでどんなインパクトあるものを、あるいはどんなお涙ちょうだいなものを放り込んでも、放り込むだけじゃダメなんです。いくら俳優ががんばっても。

それは美和と小田村の愁嘆場もまったく同じことで、不快でしょうがないから早送りで見てたんですけど、何やら「兄上のような人がいないとこの国は」とか「見届けてくれ、美和。この国の行く末を・・・」とかなんとか言ってたんでしょ。おえー。寒。

うっかり、座敷牢の中での「私の初恋の人なんです」を見て反吐が出たわ。気持ち悪! おめー久坂の死がショックで“大奥”に入ったんじゃなかったのかよ。この、「・・・・(もじもじ)初恋の人なんです)」の「・・・・(もじもじ)」部分の演技がね、また、イラつかせる。そういう演出であって役者に責任はないんでしょうけども。武家の女、しかも夫まで持っていた女が、もじもじすな!!