『龍馬伝』第41話「さらば高杉晋作」

まあ、このサブタイトルの時点で、すでに引くんだけどね。や、花も嵐も踏み越えたうえでのこのタイトルなら、それだけで紅涙絞られたはずなんだけどさ。たいした出番も作ってくれなかったくせに、これなんだからもう。
「坂本さんは、奇跡を起こしてくれた。馬関の戦いは奇跡じゃった」
「嬉しいのう。わしは希望を託せる人に出会えた。日本を頼みます、坂本さん」

どうして、こういう、脚本を書く、福田ぁぁぁー! これじゃ小松江里子と変わらんレベルじゃないか! だいたい馬関の戦いでの奇跡は、むしろ晋作、君の三味線無双だろ! あげくの果てに、高杉さん会いたさに百姓が家まで押しかけてくるに至っては、これはいったいどこの『天地人』かと思ったぞ。脚本が「龍馬、龍馬」とセリフで持ち上げれば持ち上げるほど、視聴者が冷めていくのは自明の理だと思うのだが。

しかし、死に臨んだ高杉晋作の「僕の出番はもう終わりですよ」「養生してもしなくてもどうせ死ぬんですから」なんてうそぶきながらも、ひとりになれば、本当は無念で仕方がない、というさまには、伊勢谷友介の熱演と相まってぐっとくるもんがあった。

思えば、第3部のスタート時、ザンギリ頭に着流し・三味線という出で立ちで登場し(て私を悶絶させ)た彼は、クサクサしたムードが充満する長州藩士の中にあってひとり将来を切り開こうとする気概にみちており、薩摩の大西郷相手にも不敵な笑みで一歩も引かずに応戦してたものだった(や、実際には、一歩も引かずにどころかピストル一発かまして逃げ出してた笑)。まあ、最初あんなにも期待させといて、よくもたいして突っ込んだ描き方をしてくれなかったもんだよ。

ともかく、どこでどうなって、同じ長州藩士である木戸とでも、伊藤(俊輔=博文)・井上(聞多=馨)でもなく、坂本龍馬とだけ!(のように見える)あんなにも共鳴しあったのかは最後までよくわからなかったが、幕末の志士にとって、同じく道半ばにして斃れるといっても、志のために戦っての落命や名誉を保っての切腹に比べ、病で死んでいくのがどんなに悔いの残ることなのか・・・というのは感じられる演出だったと思う。

全般に、このドラマ、俳優の演技と演出を恃みにしすぎっていうか、脚本を軽視しすぎなんだよなー。