『花燃ゆ』 第25話 「風になる友」
瀬戸康史くんは熱演でしたね。私は瀬戸くんってライトタッチなドラマでチラッと見たことがある程度だったので、甘やかな童顔の彼が、池田屋での最期の印象が強い吉田稔麿をどう演じるのだろうと当初から思っていたのですが、顔を思いきり歪めて感情を迸らせる演技には瞠目しました。天下のおヒガシ様相手に一歩も引かない気迫でしたぞ。
路上に斃れた後、長いことアップにしてた手(死を目前にぴくぴく震えている)がつるっつるのすべすべなのは、「平成の若者」感すごくて興ざめでしたが、これは役者の責任ではないですね。
吉田稔麿。活動の詳細は判明していないらしいが、本来は、だからこそ作り手の創作手腕の見せどころなはず。松下村塾四天王のひとりに数えられた彼の優秀な事績を描いたとは間違っても言えないドラマでしたが、そんな中、瀬戸さんおつかれさまでした。
瀬戸さんのこのあとには、柳楽優弥くんとダブル主演する幕末映画『合葬』が控えているというではないですか! これ、原作が杉浦日向子、脚本が、なななんと渡辺あやなんですよね!!! はなもゆの100倍はすばらしい作品であることは疑いようもありません。よかったー。そして有望視されてる人なんだね。今度は良い大河でお会いしたいですね。
登場するたびに「おっ」と軽くびっくりする桂小五郎(※信じられないでしょうがこれでも長州大河です)。おヒガシ様の完ぺきな時代劇芝居が毎回軽く感動の域です。これは本質的に、いかに周囲がアレか っつー話なんですけども、それをおいたとしても、私、おヒガシ様の浅野内匠頭も仕事人も大岡越前も見てない人間なんで、少年隊のヒガシがいつのまにか時代劇の重鎮おヒガシ様になっていた件について未だにのみこめていない感があります。長年にわたって研鑽されてきたのでしょうねぇ。
こんなつまんないドラマでも、稔麿を引き留めるおヒガシ様の時代劇演技は全力でした! 瀬戸くんも良かったので、今回ここは、前後の流れは関係なく引きこまれるシーンだったと思います。
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こちとらやっぱり時代劇(らしいストーリーやお芝居、美術など)が見たくて大河を見てるんで、おヒガシ様、優香、そうせい侯、辰路、今後このドラマはこの4人を中心にやってくれんかなーと。あ、泰造もOK。どんな話になるかは知らん(笑)。今だって、たいした話やってるわけじゃないし良くないか?
まあ時代物だからって、どういうカラーで、どういう歴史解釈で描くかっていうのはそれぞれの作り手次第で、それに対して視聴者が述べるのは結局自分の趣味嗜好に合うかどうかって話になるんだけど、
高杉にしろ久坂にしろ、壁を殴る蹴るという幼稚で工夫のない動作で怒りを表す演出とか。
グラバーと交渉してるらしいが誰が英語を喋れるのか誰が通訳してるのかまったくわからない雑な描写とか。
というかコイツは左遷されたらしいのに武器の調達なんて大仕事できる権限を持っているのか?
そもそも「おまえが藩の中枢から外されるとはな」って史実を改ざんするセリフを恥ずかしげもなくストレートに入れてきましたね。とか。
なんかすべてが「作品のカラーとか歴史解釈とか、それ以前の問題ですよね」って思う。
そして大河の枠を使うからこそやってほしい歴史のあんなことこんなことを思うさま削ってまで時間を割かれる人間ドラマ(?)がこれかよ、ってほんと思う。毎週毎週・・・。
わけもわからず生みのお母さんから引き離される久米次郎の淋しさ悲しさに向き合わず、「まだまだですね」程度で終わり。大ごとみたいに演出してた浮気問題は結局うやむやになり。杉家のみなさんからの久坂への生ぬるい手紙の数々・・・。心底どうでもいい。
友が死んだと嗚咽するほどの稔麿との絆が描かれてきたわけではとんとなく。「まじめで、がんこで、誠実で・・・」と美辞麗句を並べ立てて語られる稔麿の人柄も(彼の志士としての事績どころか、人柄すらも!)際立った印象はなく。
それでも、友の死を知らされたばかりでがっくり落ち込んでる夫に、
「私には夢があります、♪もしも私が家を建てたなら小さな家を建てたでしょう~ 家の外には坊やが遊び、坊やの横にはあなた~あなたが~いてほしい~♪」
って文ちゃんいくらなんでも無神経すぎるでしょ。空気嫁案件すぎるでしょ慰めにも励ましにもならんでしょ・・・・って、なったΣ(゚Д゚)!!! 励まされてる。「俺はおまえたちと生きる」ってこれ誰ですか? 主人公にすらわかんなくなってきたから旅立つ姿に向かって「久坂玄瑞さま!」ってフルネーム呼びかけたんですか? でも振り向かなかったから別人かも・・・?
って気分になってきます。
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本当にいいかげん、「みんなが笑って暮らせる世を作りたい」を大河のセリフから撲滅してくれませんかね。そのロジックが成立するのは、小学校低学年までを対象にした作品か、あるいは主人公(おバカ設定の高校生)が平成からタイムスリップした『信長協奏曲』だけです。
みんなが笑って暮らせる世の中、それができりゃすばらしいけども、そんなのほぼ不可能なのは中学生にだってわかるんじゃないでしょうか。みんなが笑って暮らせる世の中に近づいていくために必要なのは革命ではありません。地味で不断の努力や調整です。ひとりひとりがそれなりの犠牲を引き受けることです。
みんなが笑って暮らせる世の中などという、きわめて漠然とした、綺麗ごとのお題目のために、「家族と共に生きる」とか言いながら家族をもかえりみず、武器を買ったり作ったり、自分で稼ぎもせずに大金を使ったり、人を斬ったり殺したり、殺されておかしくないところに行ったりします?
話が成立しないんだよな。まったく。