What a wonderful world!って笑いたい (1)

最高の離婚」の光生は「コミュ力」に難ありで、変な理屈っぽさは、興奮するとさらにエスカレートしていく。2月に放送されたスペシャルでも、カシオペア号の食堂車、上原夫婦や岡田義徳(役名忘れた)の前で、妻(元妻)の恥ずかしいプライバシーを延々と暴露するという最悪の場面があった。一見ガサツな鈍感女のような妻(元妻)の結夏は、実は自己評価が低く、光生の毒舌に遭うと言葉もなくただただうずくまるような反応を示すことがある。完全に、モラハラの加害者と被害者の図なのだ。

その場面だけを見るとイタいを通り越して最低最悪の男である。あんな男とは絶対結婚したくない!うちの夫がマジでぐう聖に思えるよ。 …でも、ドラマの主人公が光生であるところが、私はとても好きだった。Twitterなんか見てても、結夏に感情移入して見てる視聴者が多かった気はするけど、光生が主人公なのが、あのドラマの非凡さであり、すばらしさの肝なんじゃないかと思ってる。「モラハラ(気味)の夫にどう相対するか?」または「子どもが欲しいのに授からない」ではない。自身がモラハラ(気味)で、自身が子どもを持ちたくないと思っている主人公なのだ。

コミュ力に難ありの主人公といえば、「最高の離婚」より以前に、同じく坂元裕二が書いた「それでも、生きてゆく」もそうだった。両方で主人公を演じた瑛太は大変だっただろうけど、ものすごくいい仕事をして、評価されたと思う。

それでも、生きてゆく」の場合、主人公は少年のころに妹が殺されるというあまりに非日常な事件がきっかけで人生が変わり、人格にも大きな影響が及ぼされたという設定で、仕事は家業の釣り船屋(閑古鳥が鳴いている感じ)。女性とつきあったことも、話したことさえほとんどないような青年だった。「最高の離婚」になると、「コミュ障」でも主人公は既婚者だ。仕事もしている。より、「大多数の人々」に近い設定になっている。

それほど親しくない人から見れば、光生は、「ちょっと変わってるけど普通の人」だろう。というか、実際、そうなのだ。ちょっと変わってる人なんていくらでもいるし、人間たいてい、どこかは、良くも悪くも「平均値」から外れているもの。その程度のことだ。でも、本人や、近しい人間にとっては、それは時に大問題になる。「ちょっと変わってる」程度の、大きく括れば「普通」の人間でも、一皮めくれば、大きな影を抱えていて、それが周囲に深刻な影響を及ぼしたりする。光生のモラハラまがいの言動や、子どもをもつことへの躊躇だって、元をただせば結夏と同じく「自己評価の低さ」からきている。

自分に自信がないこと。ずっと、「生きにくさ」を抱えてきたこと。それでも、恋をして、結婚している。仕事もしている。地味な仕事で、収入はそれほど多そうじゃないし、日々「ぼっち」で自分で作った弁当を食べているけど、毎日ちゃんと、外回りをこなしている。その設定と、そのうえで、生活に人間関係にと主人公が挌闘するドラマがとても好きだった。コミュニケーションが苦手で、いろいろな意味で少数派で、致命的なまでに傷つけあうような生活でも、自ら閉ざすことなく、周囲から排除されることもなく、社会の一員として生きる。それが許されるんだな、というような世界観が好きだった。

多様性が許されるということに、ものすごい喜びを感じる。逆にいえば、多様性が認められないのだな、と感じる場面はすごく苦手。自分のことでなくても悲しいし、傷つくような気持ちになる。(つづく)