神無月の五 / 「活字の力」シンポジウム

●10月某日: 朝、古新聞をまとめながら、「こ、この作業、久しぶり…!」と、なんかすごく懐かしかった。我が家は新聞を購読してなくて、週に1,2回コンビニで買うぐらい。それで普段は、可燃物用ごみ袋に入れてそのまま捨ててしまっているのだが(エコじゃない…)、今回、割と量が多かったので廃品回収に出すことにしたのだ。勤め人時代は、仕事柄、購読誌や業界紙みたいなのが多かったので、しょっちゅうやってた紐裁き(?)。腕は衰えてないな、と実感(全然たいしたスキルではない)。夫、午後から、とある試験を受験。「あーダメだ、絶対落ちる、勉強が足りなかった」と開き直り状態で出ていったが、「ただいまー。なんかすごく簡単だった。あの問題つくった奴、問題視されるんじゃなかろーか」と帰ってきた。試験主催者の方針が変わったのであろう。癒着団体に「合格者を増やせ」とか迫られたんだな・・・・。

さて、今日の新聞(日経)では、秋の読書週間特集?なのか、「活字の力」というシンポジウムの様子が紙面化されていた。

自分を磨くには、みずからすすんでいろんなことを想像したり考えたりすることが大事です。本を読むことで、自分の想像力や思考力を高められる。学問や芸術の価値に効率はない。どのくらい短い時間で課題をこなしたかは関係ない。時間をかけても解けなかったことが、あるときふっと解けるところに本当の価値があります。

紙の本や新聞は、じっくりと考える暇を与えてくれます。新聞の気に入った記事を切っておけば、いつでも目に入る。それが目に入ったときに考えられる。考えるためには紙のものは貴重で、新聞も大きく広げられるところに価値がある。好きな人の文章を求めると、自分が求める言葉がちゃんと書いてある。自分の好きな作品を手にするということが、自分を磨くヒントになるのです。(酒井邦嘉 言語脳科学者)

本と新聞は情報の精度が高い媒体です。編集者もいるし、校閲もいるし、何人もの人がかかわっている。いいものもあれば悪いものもあるが、本というだけで信頼度が上がる。僕は本とか新聞というメディアを信頼しています。

たくさん本や文章を読むと、これは自分にぴったりだなとか、これは今の自分だなとか、そういう文章や本に出合えます。もちろん偶然もあるが、確率を高めるには母数を増やすしかない。会える人には限りがあるし、本当に真剣に付き合える人は人生において何人もいません。本なら密度が濃い出会いのチャンスがたくさんある。いろんな本や文章と出会うことはいいことでしょう。(古市憲寿 社会学者)

さて、日曜日の新聞と言えば楽しみなのは書評欄。当該本を実際に手に取ることはなくても、その本のすごさ、面白さの片鱗に触れられるのが書評欄のすばらしさで、この点だけでもやっぱり新聞にはまだまだ実力があると感じる。今週は、シェンクという人の書いた「リンカーン」という本の書評がズシンときた。リンカーンは、生涯、うつ病と戦った人だったらしい。

青年時代の恋愛や結婚、壮年期の政治家としての挫折、晩年期の大統領としての戦争遂行や奴隷解放などに伴う大きなストレスの中で、うつにとらわれながらも(うつだからこそ)、理性、詩、ジョーク、聖書などをよりどころにして困難を克服し、偉大さに近づいていった。

しかもこの本は、「うつ病は欠陥ではなく、むしろ「資産」である」というスタンスで書かれているらしい。著者は自身もうつ病であることを仄めかしながら、「うつ病に苦しむ人々を治癒されるべき患者としてではなく、成長する能力と意思をもった主体として捉えるべきである」と訴えているという。

●10月某日: 夫、有休。サクを連れてバスに乗り、所用をすませた彼と博多駅で待ち合わせる。JR博多シティが開業して2年半超。家から4,5キロ程度なんだけど、来たのは、たった3回目。どうしても天神のほうに行く機会が多い。でも、たまに来るととても新鮮で、大いに満喫してしまった。飲食以外、なんにもお金使ってないのに、安く楽しめる私たち。あ、サクが屋上でミニ電車に乗ったか。でもあらためて思った。やっぱり、イオン系のショッピングモールとか、アウトレットとかでするよりも、ずっとずっと、ウインドウショッピングが楽しい。ていうか自分、あんまりショッピングモール好きじゃないんだな、てことを再確認した。物質的なものは何も買わなかったのに、すごく楽しかったので、お茶をするはずが、ついつい「くうてん」でキリン一番搾りのフローズン生を飲んでしまった…。10月って信じられないぐらいに暑かったんです。10階建ての屋上から博多駅ホームに発着する電車を見るのは大人でも楽しかったけど、そこがもう、炙り焼きにされてるのかなってぐらいじりじりきてて、つい体を冷やしたくなって…。