『負けて、勝つ』 終わりました
はぁ。終わりましたねぇ。たった5回でしたが、来週はもう見られないんだな、という寂しさが今、迫っています。
わかりやすくて、優しい最終回だった。甘い、のかもしんないけど、それでもこの最終回を支持しちゃう。このドラマに感情移入してたからだろうと思う。
たとえば、白洲次郎との訣別のシーンがすごく良くて、安心した。救いようのない別れ方だったら嫌だな、と思ってたけど、つらくとも、とてもいいシーンでほっとした。最初はいつもどおりダンディーに、けれどだんだん真剣に、最後にはこれ以上ないほど思いつめた表情に変わっていく次郎。「じいさんのために」という一心が痛いほど伝わってくる。なのに「鳩山か芦田にでも何か吹き込まれたのか」と答える茂。それで十分。それ以上何を映さなくてもわかる。これで断絶だと。
それにしても谷原章介という役者のすばらしさを堪能できた白洲次郎役だったなあ。怜悧さと情熱とを合わせもっていてね。伊勢谷の次郎も素敵だったけど(と必ずこちらの名前も出てしまう)、彼より10歳ほど年上ってことで、仕事をする姿によりリアリティがあったように思うし、吉田茂の影としての役割は、先のスペシャルドラマよりも今作でかえってよくわかった。この次郎なら、正子さんは誰がいいだろうか。
「花道」を拒否して、講和が成ったあとも政権の座に居座り続けたことを、どう描くのかがひとつの肝だろうと思ってた。わかりやすくて納得がいった。このドラマでの吉田茂は、事あるごとに、鏡の中の自分を覗き込む。大磯の家でも、官邸でも、マッカーサーの執務室の入り口近くでも。何度も。何度も。いつも、迷いや不安や疑いが渦巻く顔が鏡には映っていた。
「これで良いのか。良かったのか」その自問自答は、講和が成ったあとでもなされる。無事の調印、その大いなる功績に喜ぶ一同とは対照的に。志半ばで斃れた盟友や偉大な先人たちに突き動かされ、歴史上もっとも愚かな宰相と呼ばれることすら覚悟で果断に行った施策でも、決して確信はなく満足は得られない。だから、もっと、もっとやらなければと思う。その「止まれなさ」に老いの頑迷さがまた拍車をかけ、人々が離れていく・・・。でも、いいときも悪いときも、つねに孤独な人、余人の理解の及ばないところで戦ってきた人だった。そんな感じがした。
バカヤロー解散のくだりを、思い切った”はしょり方”で描いたのはよかったんじゃないか。風刺画なんかも使ったりしてたけど、そういう小道具も安っぽくないのがNHKドラマの底力だよな。
それで独りになった茂を迎えに来たのは池田(勇人)でも佐藤(栄作)でも次郎でもなく、やはり健一だったわけだが、この親子の和解にはあまり唐突感がなかった。長いことよそよそしく、時に激しく言い争いながらも、特に健一からは父親に対する大いなる畏怖の混じった愛情、憧憬のようなものがいつも見え隠れしていたから。茂のほうは、「親子の縁を切る」のを言い出す前の、「なんか食ったか。下にあるぞ」、「仕事はどうなんだ。(最近は順調、という答えを聞いて)そうか。よかった。よかった」の言葉に、隠しようもない親の愛情が表れていたから。ま、要するに意地っ張り親子なんだよね〜というのは以前から見えてたもんね。茂の政治的判断を糾弾したり、「将来の日本像」の差異など、健一の言葉で視聴者にさまざまなことを喚起させるやり方は、ともすれば「役割」的でしかなくなるところだけど、田中圭の肉づきのある演技がドラマを面白くしたなあと思う。
永井大の柴田と、慶子さんの顛末も、きれいなところに収まった。とはいっても、あの子が大きくなるまでに、幾多の苦難があることは容易に想像できる。けれど、まっさらですべすべの体をした赤ちゃんが、陽の下で湯浴みをしている姿。泣く子を抱きしめてあやす父親になろうと決めた男。その光景には、どうかこの親子に光が射すようにと、どんな親子も光の中を歩いていけますようにと祈るような気持ちにさせられるものがあった。
「この時代に、不安じゃない人間なんていない」。永井大が慶子さんを隣に言った言葉が、ドラマを貫く骨子だったように思う。
敗戦国の政治家も、その輔弼にあたる者たちも、市井の人々も、立場は違えどみんな不安で、その中で、何かしらの決断、行動をして進んでいった。そんな戦後が描かれてた。それはGHQの元帥、マッカーサーにしても例外ではない。日本の政治家たちを威圧し、翻弄し、根底から国を作り変えるほどの改革を施した彼ですら、どれだけ多くの「ままならなさ」に直面させられたか、ということ。
最後の、まずいチョコレートがアメリカ産だった、ていうエピソードは良かったね。吉田茂にとって、マッカーサーは限りなく畏れるべき、そして同時に、ただひとり、深い共感を覚える相手だったのかなと思った。「檻の中をうろつくライオン・・・ライオン・・・」最初の対面を懐古しながら涙ぐむ老いた茂。吉田茂の強さ、したたかさを伝えるようなエピソードを、「せいいっぱいの虚勢」として表現したのは良かったな。吉田茂は、傑物でも、独善的な政治家でもなく、ただ必死に、ライオンのように獰猛なマッカーサーに挑み続けたんだなと思う。
マッカーサー役の俳優さん。良かったよねえ。激情家で、プライドが高く、けれど家族思いで・・・いろんな面がありつつも、とにかく「大きさ」のあるマッカーサーだった。アメリカ側の役者さんはほかもみんな良かった。こわもてだけど愚直で忠義者のコート・ホイットニー。腺病質っぽい、くせ者のウィロピー(いつも暗い部屋でワルキューレ行進曲だっけ?を聴いてる)。いかにも紅毛の夷狄、ていう風貌と雰囲気のダレス。
日本側ももちろん名演が多くて、全5話を通じて重要な役どころだった松雪泰子、田中圭、鈴木杏、谷原章介は世界にしっくりとなじんでいた。田中圭がうまいのは知ってたけど、渡辺謙とあれほど堂々と対峙する姿には頼もしさすら。谷原の次郎には毎回惚れ惚れ。鈴木杏はやっぱりこれからも欠かせない役者。そして松雪泰子はずーっと同じような顔をしているようで、やっぱり安心感があるんだよなあ。
第一話の野村萬斎には目を奪われたし、そのほか、中嶋朋子、石橋蓮司、佐野史郎など少ない出番で印象を残すのはさすがだなと思った。あと、私の牧野伸顕のイメージは加藤剛で決まったね。伊藤博文も彼で決まってるんだが・・・(from 坂の上の雲)。全っ然違う両者よ!
そしてもちろん渡辺謙あってのドラマで、似ていようが似ていなかろうが、やっぱり釘付けにさせられるんである。口をへの字に結んだ「基本の表情」が見事。「ラスト・サムライ」然り、硫黄島然り(これは見てないけど)、高潔な役どころをやらせたくなるのもわかるけど、個人的には、頑固者とか狸爺みたいな渡辺謙をこれからもたくさん見たいと思う。老けメイクした姿はちょっと仲代達矢みたいだったね。彼を筆頭に、このドラマは、どいつもこいつもみんな人間くさくて良かった。人間くさい人がいっぱい出てくるのはいいドラマです。
さて、永井大が言った「みんな不安」というのはもちろん、今の時代にもそのまま通じる観念でもある。いろんな思いが浮かぶドラマだった。その辺は、別の機会にまた書けたら。