『負けて、勝つ』 第2話 

「四等国」。強烈な響きですよねぇ。今回も、マッカーサーが日本を評してそう言った。一度目は、前回、吉田茂に向かって発したシーンの再現。二度目は、時の首相、幣原喜重郎に。いかな過去の話、ドラマの中のセリフとはいえ、ズキッとくるよ、日本人としちゃ。

それで、閣僚たちが「内政干渉じゃないか!」「こんな屈辱に耐えるのか!」と激昂するのに(そうだ、そうだ)なんて思わず同意しちまうんだが、「そうやって誇りだけで突っ走るのは開戦の時と同じです!」と、ひとり諌める渡辺謙吉田茂に、(そら、そうだ)と説得されてシュンとする。

当然のように天皇を訴追するつもりでいるマッカーサーに焦燥を覚え、別勢力のウィロビー少将に接近してみれば、彼が天皇に手をつけないのは「日本はいずれ、アメリカの代理として、前線でソビエトと戦うことになるから」だと言う。飢餓列島のために、政府がかろうじて輸入できたのは、トウモロコシの中でもコーン(食用)ではなくメイズ(家畜の飼料)。

屈辱に次ぐ屈辱。戦争が終わったから、独立、復興…って、自然の成り行きでもなんでもなかったんだな。とあらためて思う。

憲法作成にGHQが介入してくるくだりは、2009年『白州次郎』での流れとほぼ同じだった。これが吉田茂のドラマであることを象徴するシーンはそのあとで、GHQが作った草案を内閣が受諾する旨、伝えた吉田に、マッカーサーは「君はすばらしい外交官だ。日本は必ず復興するだろう」と激賞してみせる。

しかし、マッカーサーが求めた握手を、吉田は拒む。反抗的な態度ではない。あくまで柔らかく、自嘲的な笑みを浮かべている。けれど、前回のラスト、声を荒げて服従を迫るマッカーサーに「Yes、Sir」以外の一言もなかった姿を思い出せば、対等には程遠くとも、ずいぶん進歩した気がした。私にとって、今回のベスト3のひとつに入るシーン。「いつの日か日本人がこの憲法を誇らしく思える日がくることを希望します」というセリフも重い。

面子や言葉づらにこだわっている場合ではない。頭なんていくらでも下げて、10のうち9をあきらめてでも、大事な「1」を獲得する。徹底したリアリストとして振る舞う稀少な日本人として描かれる吉田茂。けれど家に帰り、息子に仕事を褒められると、抑えに抑えていたものが爆発する。「貴様に何がわかる!」

いつでもどこでも本音で動くれば人に潔しとされるし、信用されやすいかもしれない。「本音」と「建前」をくっきりと使い分ける作中の吉田茂は、自分の気持ちに正直であるよりも、ずっと苦しそうだ。彼は「俺は政治家じゃない。外交屋だ」と繰り返す。外交とは本音と建前を使い分けることであり、それが、当時の日本には必要だったのだろうなと思わせる。いや、いつだって必要なんだろうな。

終始日本の政治家たちを圧倒し続けるマッカーサーだが、今回は別の姿も。彼の年齢にしてはえらく小さな息子に「パパは合衆国の大統領になる」と言うシーンはけっこう衝撃だった。考えてみれば、本国での地位に色気がある、というかそっちが本願なのは当たり前なんだよね。

日本占領の功をもって大統領選に立候補しようとする男。だからこそ「天皇を戦犯として裁くべき」という本国の意見を採用しようとしている。60を過ぎてなお、父と母の写真に話しかける男。妻に「ジェネラル(元帥)」と呼ばれる男。対日本の司令官としてのみ描かれることが多いマッカーサーを多方面から照射しているのも今作の面白いところだ。

今回のベスト3のあと2つは?というと、まずはやっぱり、石橋蓮司(71歳)と渡辺謙(52歳)が演じた“くんずほぐれつ”は外せないでしょう。1動作じゃなくて、けっこう長々とやってたもんね。それを尻目に泣きながら湯豆腐を食べている金田明夫鳩山一郎を含めて、三者ともにしごく真剣なだけにおかしいんだけど、笑うには真剣すぎるんだけど、やっぱり笑えるっていうすごいシーンだった。

石橋蓮司が演じている松野鶴平って人(吉田茂に「ズル平」って言われてる。すげーあだ名だ)、知らなかったんだけど、最近民主党を脱退して維新の会に合流した松野頼久の祖父なんだね。

ベスト3の最後のひとつは、吉田が総理になることを受諾してからのシークエンス。辟易としながらの組閣写真(当時は座って撮っていたんだね)に、執務室に入ってから「首相の椅子の座り心地はどうだい?」という次郎の問いを「最悪だな」と一笑にふし、「独立がしたい」と胸の内を明かす。そして、GHQの文字を指して、「Go Home Quicklyだ」。まあやっぱりこういうところ、渡辺謙の決めっぷりはさすがなのである。このシーン、なんのてらいもなくテーブルに腰掛けてなお、長い脚をもてあますような白州次郎の不遜なポーズも超かっこよかった。タニショーの白州次郎、いいよ。とってもいい。

さてこの回は、早くに病没した妻・雪子との回想に始まり、それは随所で掘り下げられていって終盤の小りんとのシーンにつながっていくのだが、そういった「私」の面が、近衛の死や、おしどり夫婦だった広田弘毅夫妻の妻・静子の自殺、そして総理を引き受けるという「公」としての大きな決断にもつながっていく作りになっていて見応えがあった。それを後押しするのが、常に眉が八の字になっているような、「無口な女だな」と称され、「芸者あがり」と雪子の息子に軽んじられている小りんであるというのも。

あれだけ後ろに下がっていた小りんが突如ベラベラ喋り出したときは、ちょっと興ざめするような思いもあったんだけどね。その前に、庭の不審人物を茂の前に立って追跡する姿もあったし、やっぱりいざというときには肝が坐っている、という描写なんでしょーな。

茶筒の使い方も、うるさすぎず、でもわかりやすくてうまいなーと思った。あれ、最後の「買い替えろ」「ありがとうございます」の一言をもって、小りんさんは次回から、後妻として吉田家の籍に入るってことなんでしょーか。

と・こ・ろ・で! おっさん祭りなこのドラマ、気づけば『風林火山』出演者が目白押しなんですけど!

けっこう多いよ? スタッフがかぶってるのかな。なかなかテレビドラマに呼びにくいキャストも多い「風林火山」だが、こうなったら他にも出ないかな、高橋一生とか、「おのれおのれおのれ!」の高遠頼継を演じた上杉祥三とかね。宍戸開だって、ローマ人もいいが昭和人にも似合うよね。ま、時代の限られた5回だけのドラマなので、これ以上どどーんと出演者が増えるわけでもなかろうけど…。