『おんな城主直虎』 第8話 「赤ちゃんはまだか」
(今回の放送前↓)
でも、TLで流れる #おんな城主直虎 の感想を見てると、高橋一生が今きてるのも相まってるんだろうけど、直親クズの声がすごいんだよな。私は、森下さんの芸風からして、トライアングルはきっちりトライアングルとして書く、特に鶴と亀は拮抗した存在として書くと思うし、今もそう見えてるんだけど
亀は父を突然失い、それまでの身分も生活もすべて失って追われ、10代の9年間を日陰者として、出口の見えない暮らしをしてた。そのことへの理解というか惻隠の情?を含んだツイートをあまり見かけない。これは脚本の今のところの意図なのか見せ方に問題があるのか、はかりかねる #おんな城主直虎
(今回の放送後↓)
しのにはっきりと恨み言をいわれ、あまつさえ刃物まで向けられた次郎。「竜宮小僧をやる」って、誰かに感謝されるけど骨を折るとか、我欲を抑えるとか諦めるだけではなくて、憎まれたり、心身に傷を負わされるかもしれないことなんだね。#おんな城主直虎
「みな私が次郎様ならいいと思ってる」。つらいやね。役割を果たせてないと思いつめるしのには、次郎が「役割」そのものに見えてたというか。でも次郎本人にも彼女の周囲にも生臭い感情がある。「還俗して子を産む」や「私の娘を襲わないで」を聞いて、そのことに思い至ったかなと。#おんな城主直虎
「なぜ共に悲しんでやらぬのだ」時代考証的にそぐわない言葉のようだけどすごく良かった。これが #おんな城主直虎 の作風だと思う。夫婦や親子の情、友情や敵愾心、恨みや悲しみも、人の思いや願いは時代を超えて普遍的な面も多い。そんな人々が、戦国という激しい時代に生きている。というドラマ。
おとわに怒られ、しのと話して、一年の猶予という折衷案に至った直親。「黴びた饅頭どんと来い」の時といい、はっきり核心をつかれれば理解・対応できるんだよね。人の心をちゃんと持ってるというか。でも、この情愛ある先延ばし案が戦国乱世では命取りになるかもしれないよね…。#おんな城主直虎
さすが、貫地谷しほりは芸達者だなあ、と。ウェットで思い込みが強くてめんどくさい女を、どこかかわいらしくユーモラスに演じてた。大河ももう4作めですか。個人的感覚として、「龍馬伝」と「八重の桜」では、(クレジット順など)番手の割に個性を発揮する機会が少ない役だったと思う。今回は逆になりそうで、楽しみ。そして「風林火山」のミツは、内野さん演じる勘助の原初の女として鮮烈な印象を残す役。春からBSで「風林火山」再放送やるんですっけ? 見られる方はぜひ!
4回続いた幼年時代、その後も幼なじみなど人間関係を描きこんできたわけですが、さらに思いきり針をドメスティックなほうに振りきって、ここから、桶狭間に始まる時代の奔流へと向かうのですね。なんだかとても腑に落ちる。
時代の嵐は容赦なく井伊谷を襲うのだろうけど、これからも、このドラマにとって時代はあくまで「舞台装置」なんじゃないかなと思う。激しい時代の中で、人間の激しい煩悩や、感情のぶつかり合いが描かれ、時に、その混濁を超える美しさやすばらしさが描かれる。激しい時代だからこそ人間の核みたいなものが剥き出しになる。そういうドラマなのかなと。
しのの、次郎に対する気持ちを、単なる嫉妬心ではなく「みな、私が次郎さまだったらいいと思っている」と表現させたのは、さっすがうまい脚本だなあと思った。これ言われたら、100パーしのちゃんの被害妄想だよ、とは言えないよね誰も。
そしてさらに「森下節だなあ」と思うのは、その「しのの可哀想さ」を逆手にとって、「じゃあ自害しろ、われが大手を振ってそなたの場所におさまる」と次郎本人に言わせるところだなあ。するとしのは、「私はこの場所から何としても降りない。どんな手を使ってでもしがみついてみせる!」と悲劇のヒロインを演じるよりもっと強い意思にたどりつく。次郎という他者への恨みつらみより、「己がどう生きたいか」ってことに気づくんだ。
さらに! 直親のこともついでに(違)一喝した次郎は、その足で両親のもとへ。ブチギレながら相手をバックアップするという新しい手法w 「授からないのは既にあなたが呪っているからではないのか」と言われた次郎が「両親に報告する」と激昂したとき、「おーおー、そんな、100パー勝っちゃう手にでるんかい」と思ったけど、こういう形での報告になるんだねえ、とホロリであった。
毎晩のどじょう攻めとオイオイ泣きの場面もあり、これ直親もけっこうつらいよね、という見せ方だったと思うのだ。塞ぎがちだったり情緒不安定な人間とマンツーマンで毎日向き合うのはしんどいことなのだ。直親はしのを徹底的に邪険にしていたわけではない。どじょうを毎日でも食べて、泣きつかれれば抱きしめてやっていた。千賀がすすめ、奥山が娘を叱ったように、側女を持とうとするのは直親の立場的に非道ではなくむしろ普通のことだ。
「なぜ共に悩んでやらぬのか、しの殿はどうしてこんなに一人なのだ」次郎には夫婦の現実のしんどさはわからない。でも、次郎に言われたからこそ、直親には(きっとしのにも)響いたんじゃないかな。次郎は、夫婦の喜びとも悲しみとも生涯縁がない者なのだ。次郎の直親への言葉には、非難とか叱咤というより、何かもっと切羽詰まった響きがあった。自分が得られない「めおと」という関係が、当人たちのやりようによって壊れかけているのを見てしまった悲しみ。
直親にあそこでため息をつかせるのもめっちゃ森下さんらしいし、「しのもしのだよなあ・・・」と思わせる描写で、本当に全員が人間として高低差ない同じ位置にいるというかね。誰かひとりを下げたり上げたりしないんだよね。
政次も政次で、ひでーこと言ってたよな。還俗して俺と一緒になるかとか、麝香を自分で使えばとか、本来、そういうこと一番いけない立場なんだし、そんなの無理に決まってるって一番わかってるんだよ。今川の目付なんだから。でも、おとわには言っちゃう。脊髄反射っぽく言っちゃう。ダメな男だなー。
おとわが、亀のために健気に尽くす姿が癪に障るんだよね。それは「俺のためにはこの100分の1も働いてなんかくれないくせにくせにくせに」っていうちっちぇー気持ちもあるんだろうし、井伊の役に立ちたい、誰かの竜宮小僧でありたいと、衒いなく素直に動けるおとわが眩しすぎて苛つく部分もあるのかなと思う。政次は「まっすぐ」な生き方からは遠くにきてるもんね・・・。そういう生き方になっちゃう人間もいるんよね・・・。
千賀さんが、賢いんだけどどーにもこーにも保守的というか、「世の中とは / 武家の女子なら / 井伊の立場なら」と、あらゆることに対して「しょうがない」「そういうものです」なスタンスっていう設定だよね。そして瀬名姫んちをどんだけかわいく愛おしく描くんよー!!!