『負けて、勝つ』 第1話
シリアスなドラマになることは容易に想像がつくので、録画しながらも多少、尻ごみする気持ちがあった。しかし見始めると釘づけ。CMなし73分の放送に長さを感じず、終始、前のめり。役者といい、脚本(坂元裕二だ!)といい、カメラ(演出?)といい〜!
生前の姿を知るわけでない私でも、「いかに渡辺謙といえど、吉田茂は、さすがになかろうよ。第一、でかすぎて。」と思っていた。同じくNHKのドラマスペシャル『白州次郎』における故・原田芳雄の吉田茂がすごく良かったし。しかし蓋を開けてみたら、やっぱりさすがは渡辺謙。これこそ吉田茂…とまではないんだけど、濃い陰影、深い奥行きを感じさせて、魅せる。
『白州次郎』における豪放磊落な吉田像に比べると、より繊細、より複雑で、陰性の男という印象。初回を見た限り、あまりヒロイズムを感じなかったのが意外で、興味深い。
序盤と終盤、二度にわたって「帰りなんとて家もなく 、慈愛を受くべき父母も無く みなし子書生の胸のうち…」の詩が謳われ、いつもむっつりしていて笑顔はほとんどなく、ぎくしゃくした家族関係が描かれる。
政治に対しても、後ろ向き。東久邇宮内閣からの最初の外相招聘はすげなく拒み、近衛文麿の説得に応じて着任して「戦争で負けても外交では負けない」意志を明らかにするも、結局この回では彼の苦渋に焦点が当てられていたように思うし、「強い政治家」「正義の政治家」というイメージで描かれているようでもなかった。「日本のチャーチル」、「鉄人宰相」とか言われた吉田茂を、渡辺謙が演じているにもかかわらず、だ。
吉田はどうして、幣原首相と一緒になって、近衛を切り捨てたんだろう。だけど、そのあとでは近衛への戦犯指名をなんとか回避しようとしていた。切り捨ては政治的判断で、私人としては、近衛に共鳴する部分もあったということか。三国干渉の「くそくらえ」エピソードのころから。
裏口へまわれというGHQの衛兵に対して、「外相として日本国を代表してマッカーサーに会いに来た俺が、どうして裏へなど」と反駁し、秘書(?)には「卑屈な顔をするな」と言う。マッカーサーに対しても、フィリピン産の葉巻を勧められれば「私はハバナ産しかやりませんから」と拒み、「詔書を直接受け取ってくれ」と強固に主張する。けれど今回の最後には、彼に「イェスじゃない、イェッサーだ」と糺され、恫喝するかのような立て続けの質問に、ひたすら「Yes、Sir」と答え続けた。なんともつらいクライマックス。
『白州次郎』でも、同じように、次郎がマッカーサーに対するシーンがあった。第2回「1945年のクリスマス」。天皇からのクリスマスプレゼントを見もせずに、じゅうたんの上を指さして、「そこに置いておけ」と示すマッカーサーに、流暢な英語で「我々は戦争に負けたが、奴隷になったわけではない」と毅然と言い放つ。マッカーサーが態度をあらためると表情をゆるめ、「メリークリスマス、ジェネラル」と一言告げて、辞する。このときの次郎、痺れるほどにかっこよかったが、今思えば、これは彼の独立不羈の精神を象徴するシーン、「こんな日本人がいたのだ」という彼の稀少性を表すシーンだったのだろう。
吉田とマッカーサーの対峙はそれよりも多分に政治性を含む。「外交では負けない」という吉田の気概を、マッカーサーは完膚無きまでに叩きのめした。あのときの、吉田の顔。悄然と、怯えているようですらあった。
作品名「負けて、勝つ」の「負け」が、あそこでも表されていたんだなと思う。負けるということを、執拗に描いた回だった。「日本は連合国によって4つに分割統治される」「負けるとは女は犯されるということ」「連合国軍向けの特殊慰安施設をただちに」「一億総懺悔」「7000万匹の負け犬」…。マッカーサーは言う、「乃木や東郷はどこだ。責任をとることができるのは誰だ」。そんな体たらくだったから負けた。そして、一度負けると、人間は負け犬にならざるを得ない。簡単に対等になんかなれないし、這いあがることもできない。
マッカーサーの前であんなに「負けた」吉田が、その後すぐに、「泣くな!」と側近を叱りつけたのが、今後への小さな希望なのかな。泣かない日本男児。うーむ、どうやってここから「勝って」いくのであろうか。吉田茂とはどういう男だったのだろうか。第2回以降にも大いに期待。
野村萬斎の近衛文麿、「芝居がかりすぎ」と感じる人もいるようだが、私はすっかり惹きこまれてしまった。伝統芸能の人の身のこなしやせりふまわしは緊張感があって見応え十分。『白州次郎』でも正子が「近衛さんは根っからの貴族ね」と笑うシーンがあったし、やっぱりあれぐらい浮いた人だったんじゃないかというイメージがある。聡く、志高く、妻に優しく、同時にプライドが高く、順境では強いが逆境になると神経症気味の坊ちゃん政治家。「逃げたと思われたくない」といって自死した彼を、潔いとみるか、弱いとみるか、哀れとみるか。視聴者に委ねる描き方だったと思う。中島朋子とのシーンがすべて良かった。
伝統芸能といえば、昭和天皇も能の役者らしい。大蔵千太郎。喋りはすごく天皇らしいんだけど、いつも泣きそうな顔をして見えるのがちょっとイヤだ。わざとああいう演出なんだろうか。
伊勢谷友介の白州次郎は強烈なインパクトで、むこう十年はほかの役者はできないだろうと思っていたら、谷原章介をぶつけてきた。さすが、プロのキャスティングはすごい! 吉田邸にやってきて礼儀正しくダンディーな挨拶をしたあと、吉田の様子をうかがって破顔し、「機嫌悪いな〜」。この一連のシークエンスだけでノックアウトされた…。あり。この次郎も、ありだ。
素の顔は伊勢谷友介より格段に穏やかだけど、この人なら硬軟自在の演技をする。大河ドラマなら、ナベケンの吉田茂と伊勢谷の次郎で共演してほしかった気もするけど、これは土曜ドラマスペシャルなので、伊勢谷じゃないほうがいい。
加藤剛の牧野伸顕、鈴木杏の和子、田中圭の健一、小市慢太郎の池田勇人、永井大の柴田達彦、いずれも、パッと見で役者の名前が思い浮かばなかった。みんな扮装がすごい。加藤さん、麗しいご尊顔を農夫のような格好にやつして…。鈴木杏、昭和の女優の顔。田中圭、冴えない顔。え、吉田健一。吉田健一って、茂の息子だったのか!!!と、「これからは英米文学の研究を云々」のセリフで初めて気づいて衝撃を受けた。小市慢太郎も変幻自在だな〜。永井さんは久しぶりに見たんで気づかなかったのかしら。
松雪さん、元・芸者の役だから、そんなに眉毛細くていいのか。てか、終戦直後でも、いいとこの家には化粧品はあったのか。そもそも、いいとこの家はことごとく空襲を免れているものだったのだろうか。政治家で空襲死した人はいないのか。